第76話 ロシュア・ビークベルの憤慨
「ぐっ……」
咄嗟に後ろに飛んで勢いを殺したため、ロシュアの拳はほとんど空振りだったが、虚を突かれたガルヴィードは足をよろけさせた。
ロシュアは勢いを止めることなく殴りかかってくる。
「おいっ……」
フリックが絶句した。
ロシュアがガルヴィードの顔に拳を叩き入れた。野次馬の中から悲鳴が上がる。
「っ……」
ガルヴィードがなおも拳を振り下ろそうとするロシュアに足払いをかけて転ばせる。
「おい、終わりだ!」
尻餅をついたロシュアにフリックが怒鳴るが、逆に「まだだ!」と怒鳴り返されて声を失った。
ロシュアはすぐに立ち上がり、ガルヴィードに向かっていく。
「……っ」
止めようとして、しかし、フリックは躊躇った。
決闘の勝敗は、どちらかの死、或いは、戦意の喪失。
剣さえなくせば、ロシュアは闘えなくなると思っていた。剣さえ手放させればいい、と。
だが、剣を失ってもロシュアの闘う意思はなくなっていない。だから、止めることが出来ない。
ガルヴィードがちらりとフリックに目をやって、剣を投げ捨てた。丸腰の相手の前で剣を握り続けるのは、決闘においては相手を侮辱するに等しい行為だ。
身軽になった腕で、ロシュアの拳を受け止める。
「落ち着いてくれ、このままじゃお前が手を痛める」
剣では実力差がありすぎて勝負にならない。だからといって、素手なら勝負になるという訳でもない。ロシュアの戦い方はめちゃくちゃだ。闇雲に拳を振り回して、ガルヴィードに突っ込んでくる。
「とにかく、一度……っ」
拳を押さえられたロシュアが、ガルヴィードの顔面に頭突きを食らわせた。予想外の攻撃に、ガルヴィードがよろよろ後ずさる。そのガルヴィードを追いかけ、ロシュアは胸倉を掴んで拳を振り上げる。
「っ、ちっ……」
体勢を整えたくて、思わず腹に蹴りを入れてしまった。ロシュアが倒れ込んで咳き込む。
我に返ったガルヴィードが駆け寄って手を差し伸べた。怪我をさせないと誓っていたのに、と後悔の念が湧き上がる。
「平気か……」
「触るなっ!!」
ガルヴィードの手を振り払って、ロシュアは叫んだ。ぎっと目を怒らせて睨み上げてくる。
「ロシュ……」
「お前がっ……」
よろよろと立ち上がりながら、ロシュアは言った。
「いつまでも、ルティアに甘えてるから、こんなことになったんだ……っ」
「え……?」
「僕は……お前ら二人の間に、何があったのかは知らない。でも……お前のせいで、ルティアは変わった」
はあはあと荒い息を吐きながら、ロシュアはガルヴィードを憎しみのこもった目で睨みつけた。
「勉強なんて大嫌いな子だったのに、「王太子に勝つんだ!」なんていって、難しい本を読んだり、楽器の練習したり、雪だるまの作り方を研究したり……口を開けば勝負のことばっかりで……茶会でもパーティーでも、どんなドレスを着るかより王太子との勝負のことばかり気にして、華やかなドレスより勝負が出来るように動きやすい簡素なドレスを欲しがって、勝負の邪魔だからって髪も肩より長くは伸ばさなくて……王太子の気に入りだからって年頃になっても誰からも手紙も花も貰えなくても気にしてなくて、ほんと……王太子しか見えてなくて……」
ロシュアは悔しそうにぐっと唇を噛んだ。
「それなのに、お前はいつまで経ってもルティアを「宿敵」だのなんだのとふざけた扱いしやがって……執着するだけしておいて、いざ結婚の話が出ると「なんでこいつと」だと?……馬鹿にするのもいい加減にしやがれ」
ロシュアがだんっと足を踏み鳴らした。
誰に聞いても穏やかで大人しいと評される伯爵家の嫡男が、王太子に怒りをぶちまける姿を、誰もが声もなく見守った。
「令嬢として扱ったことなんか一度もないくせにっ、自分の都合で自分の女扱いしやがってっ!!ふざけんな……っ、ふざけんなっ!!」
叫んで、殴りかかってきたロシュアの拳を、ガルヴィードは甘んじて受けた。避ける気にならなかった。
「お前なんかっ、お前なんかぁぁぁっ!!」
ロシュアの吠える声が、声をなくした人々の上にこだました。
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