第74話 ビクトルの後悔




「いきなり同行させていただいて申し訳ありません。助かりましたわ」

 向かいに座った美少女が輝くような笑顔で言う。直視できないので目を背けながらビクトルは曖昧に頷いた。

「構いませんが……侯爵家のご令嬢がこんな粗末な馬車で平民と同乗など、お嫌でしょうに」

「あら、魔法協会では身分は関係ないのでしょう?」

「ここは魔法協会ではなく馬車の中、ですから」

「ええ。魔法協会の馬車の中、ですわ」

 ハルベリーは口元に手を当ててくつくつ笑った。

 先行する魔法協会の馬車の後ろには、とてもきらびやかな馬車が走っている。サフォアの王族が使う馬車だ。

 城に向かうサフォアの王女の案内役として魔法協会から出てきたビクトルだが、久々に外に出たというのに気分は晴れなかった。

 ユーリ・シュトライザー。

 彼の少年のことを思うと、陰鬱な気持ちになる。

 大魔法使いから傍で見守るように命を受けたものの、こうして別に自分でなくとも務まる役目をかすめ取って外に出てまでユーリから離れようとするぐらいにはビクトルはあの子どもを恐れているのだ。

 いい大人が八歳の子どもに怯えるだなんて、と思わなくもないが、ビクトルの目には絶えず勢いよく噴き上げられる魔力が見えるのだ。いつ見ても、恐ろしいとしか思えない。

 最近では大魔法使いが直々に教えを施しているし、何故か男爵家の息子があれこれ面倒を見ているようなので、本来ユーリの教育係であるはずのビクトルは遠ざかっていられる。

——あんな子ども、見つけなければよかった。

 もはやビクトルには、三年後に現れる魔王よりも、目の前のユーリの方が現実的な恐怖だった。

 だって、彼がちょっと腹を立てて杖を人に向けただけで、その体は灰と化すだろう。頑丈な杖が軽く手を振っただけで粉々になったように。

 いっそ魔法協会を辞めてこの国からも逃げ出してしまいたい。国境を越えるには厳しい審査と長い時間がかかるが、魔王を恐れて逃げ出した国民もいると聞く。彼らのように、ビクトルもすべてを捨てて逃げ出してしまいたい。

 元々、ビクトルは魔法使いになりたかった訳ではない。貧乏人の子沢山の家庭に生まれて、跡取り以外の子どもは皆口減らしのために教会に放り込まれた。その中でビクトルだけは「ひとから靄が噴き出している」などとおかしな言動をしていたため、神官が「キミは魔法協会で学んだ方がいいだろう」と勧めてくれただけだ。

 こんな目さえ持たなければ、今頃は神殿で大陸神ゴドランディアの像に祈るだけの日々を過ごしていられただろうに。

「そうだ。私、城で降ろしていただいて、その後は侯爵家に寄ります。明日の朝に帰ると許可をいただいておりますので」

 ハルベリーが帰りは馬車に乗らないと言うので、ビクトルは思わずほっとした。どうも貴族という奴は苦手だし、このお嬢様は自ら魔法協会に飛び込んでくるような変わり者ではあるが、ご令嬢なんてものはどんなくだらないことで気分を害するかわかったものじゃない。

「かしこまりました……しかし、急に城に向かうから同乗させてほしいだなんて、侯爵家の馬車を用意するのも待てないほどの急用なのですか」

「ええ。私、城でやらねばならないことがありますの」

 ハルベリーは微笑みを深くして言った。

「実家との連絡係をしてくれております侍女からとっても不愉快なお話を聞かされまして。真実か否かを是非とも確かめたいのですわ」

 うふふ、と優雅に笑うハルベリーのこめかみに青筋が浮かんでいる。

「もしも真実で、私のお友達を傷つけたのだとしたら……うふふふふ。命と下半身だけは助けてさしあげますわ。本当は最優先でぶっ潰したいところですけど。それをしてしまうと……」

 なにやら不穏なことを呟くハルベリーに、ビクトルはよくわからないまま縮み上がった。

 ほどなく、馬車は城に到着し、門番の許可を経て王宮前に停まる。

「なんだか騒がしいですのね?」

 降り立ったハルベリーが首を傾げて呟いた。



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