【短編集】ひと世の戯れ Vol.2

岩咲ゼゼ

1.願い、僕は彗星を捉えて

 中学二年の秋。彼女は遠くに引っ越すことを僕に伝えた。


 燃えさかる紅葉に囲まれた母校の中学は、文化祭の夜にキャンプファイヤーを行う。皆が炎を囲っている外で僕はシノブからその話を初めて聞いた。


 僕は彼女の顔を見ることができなかった。弱い自分。どうしようもない現実。正直泣いてしまいそうだった。涙は見せてはダメだと地面を見つめる。


「あっ、流れ星……?」


 横でシノブが急にそう呟き、思わず彼女の方を向く。彼女は僕とは反対に、星々が煌めく夜空を見上げていた。瞼の下は真っ赤に染まり、まつげは濡れている。


 僕が見上げても、何にも変わらない夜空。でもシノブには何かが見えているようだった。キラキラと輝く目は、悲しげに星々の光を照らす。


 撮影係だった彼女は立派なカメラを首から下げていた。キャンプファイヤーの時には別の生徒が係だが、その人はカメラの使い方がわからず自身の携帯で撮影をしていると言っていた。


 そして、シノブはそのカメラを空に掲げるとシャッターを切る。


 写真を確認したシノブがやっと僕の方を向いた。その瞬間、彼女の頬に彗星の如く涙が伝った。儚げな笑顔が遠くの火柱にほのかに照らされ、なんともいえない気持ちを抱いてしまう。


「流れ星、撮れなかった」


 残念そうに笑う彼女に僕もつられて笑った。あんなにゆっくり撮影していたら、撮れるはずもない。しかも、彼女が撮った写真は、この綺麗な夜空とは思えないほど光もピントもズレた残念な一枚になっている。


「でも、願い事はね。ちゃんと、唱えたよ」


「願い事って?」


 そう聞くと、シノブは僕の手をそっと握って体を少し近づけた。


「コウタ。また会おうね? いつか、必ず」


 そう真剣に言われても、僕はまだ笑っていた。安心させたかったというのもあるけど。この何でも無線でつながる時代に、こんなにも切実に言われると少しだけおかしくなってしまう。何を心配する必要があるんだろうって。


 このときの僕はただ現実味がなくてそんなことを思ってしまっていた。彼女の引っ越し先はまだ聞いていないのに。彼女の未来なんて知りもしないのに。


「大丈夫だよ。いつか、また会える」


 根拠のないその言葉に、何故あの時はあそこまで自信が持てただろうか。


「うん。じゃあ、待ってるね」





 あの日から僕の夜は止まっている。


 彼女が撮影した夜空の下に僕はまだいる気がした。あの夜が写真のように時間を止めて、存在する。季節も、目に見える星々も異なるというのに。夜は止まったままの思い出であり。僕もまた、止まったままなのだ。


 物語は始まらず。ずっと、コマーシャルを見せられているような。焦らされている毎日。二十三歳、社会人一年目。


 研修期間で都市部の本社に通い、下宿で勉強して眠るだけの生活。趣味や遊びの色もなく。社会の中にだんだんと染められているそんな真夏の晴天の下。


 今夜は星空が綺麗だろうな。なんて、思うのは。帰りがいつも遅くなってしまう自分への皮肉だ。


 金曜夜は一人で町を彷徨い、飲み歩く。そうするとたまに話を聞いてくれる人がいる。そんな人たちにシノブとの話をすると喜んでくれるし、代わりにもっと面白い話を聞かせてくれる。そうすると、僕の傷も少しだけ癒える。


 今日も僕は、がんどうの夜空の下。地面をうつろに見つめながらいつもの店に入った。狭い店内、流石に金曜の夜となると人は多い。カウンターのないこの店で、一人客の僕は自然と誰かと相席になってしまう。店員に案内されるまま、奥の不自然に開いた席に入れられた。


 相席相手の男も一人客のようで脇に一眼レフのカメラを置いていた。


「こんばんわ。いいカメラですね」


 カメラのことなんて一つもわからないけど、今時一眼レフを持っている人なんて何かしらのこだわりを持っているものだろうという偏見が言葉に出た。


「これ? 気になりますか? でもね、良いカメラをこんな酔いの席で置いていたらどうなるか分からない。私が持っている中で一番安いものですよこいつは」


 そういうものの、男は大事そうにカメラを抱えると優しくなでた。でもどこか不慣れな慎重に扱う手つきだった。


「どんな写真を撮っているんですか?」


 男の姿は周りのスーツ姿の人々とは違い、かなりカジュアルでラフな格好だった。こんな時間にここにいるってことは仕事帰りだろうし。そういった現場の人なのは確かだとは思ったのだが。


「雑誌の撮影とかですかね。ネット限定で配信しているものです」


「あぁ、最近多いですよね。ネット限定の雑誌とか」


「小さな会社なんですよね。経費が安く済む。というか、そっちしか手が出せない状況みたいな」


「大変ですね」


 そんなこんなで話し込んでいるといつの間にか飲んだハイボールの数も忘れてしまうほどの時間がたっていた。彼の年齢が近かったことや、好きな道に進んだ故の苦労話などには小噺的な、魅力ある面白さがあった。


 一夜だけの友。それが一人飲みの醍醐味みたいなものだが、ここまで良好な関係を築ける人間にはなかなか出会わない。


 そんな風に話し込んでいると、僕はだんだんとカメラというものに興味を持ち始めてしまった。無趣味な人間だし、それを嘆いてもいた。彼が言うには、携帯で写真を撮りネットに投稿するだけでもいい趣味になると勧められた。


「なんなら、今ならこのカメラを貸してもいいですよ。これは仕事用のやつじゃないですし」


「え? いやでも」


「遠慮はいらないですよ。言った通り安いものですし。こういうチャンスはあまりないです。挑戦してみましょうよ! ね!」


 気分がよくなってしまっての判断だろうか。かなり強引に彼はカメラを渡そうとしてくる。それなのに、警戒もなしに僕は不思議とカメラの魅力にどんどん惹かれてしまう。


「で、でも。僕がそれを盗んでしまう可能性だってありますよ?」


「免許所持ってます?」


「……? えぇ」


 見せると、彼は携帯で写真を撮り「これで大丈夫です」と自信ありげに言った。そのあと、お互いの連絡先を交換し合い僕は彼の持っている一眼レフを受けとってしまったのだった。


 共に外に出て。操作を教えてもらう。何を撮ろうかと当たりを見渡すと、満点の星空が見えた。思わずそれを写そうとシャッターを切るが、取れた写真はそこまで綺麗なものではなかった。あの日のような。


「夜空は特に難しいと聞きます。それに、目で見て綺麗と感じるものが写真でどう映るかは別です。まずは写真の目を持つことが第一歩ですってね」


 彼の最初で最後のアドバイスを聞いて僕らは別れ、それぞれの帰路を辿った。


 駅近くになり、ふと顔を上げるとビルに備え付けられた巨大なモニターで最新曲のランキングが発表されていた。よく聴く音楽とバンドやアイドルたちのpvが画面の中で激しく夜を騒がせてる。

 

 僕は立ち止まり、一位の発表を待った。


『第一位! 彗星のごとく現れた、孤高の実力派歌手【夜咲シノブ】!!!』


 彼女の歌が夜を照らした気がした。真っ暗な空が急に青く明るくなった気がした。流星が一つ、流れ落ちた気がした。


 シノブが歌手になったと知ったのは、大学生の終わり頃だった。本名だったし、変わりのない姿にすぐに気づいた。そして、あの日彼女が流星に願ったのはこのことだったのだと悟った。


 彼女は、歌手になることを望み、それ故に僕に再会を約束したのだろう。歌手になれば再会は絶望的だと分かって。


 それからずっと考えてしまう。あの日、僕も空を見ていればと。彼女は夢を願い、僕が再会を願っていればよかったんだと。


 僕はそっとカメラで画面の中の彼女を映した。


 二重の画面の中に押し込まれても、彼女は綺麗だった。でも、そこにあの日の彼女はいない。


 いるとするなら、夜の中だと思う。なぜなら、この夜はあの日から止まったままなのだから。


 そして、この空に足りないものがある。


 僕はカメラを強く握りしめ、自分が撮るべきものを見つけた。


 ――僕はあの日の流星を捉える。そして、再会を願おう。





 カメラの返却期限は一週間。次の金曜の夜には、男に返さないといけない。


 早速僕は夜空の撮影方法を調べた。


 そこに映し出されたのは絶景とも言える満点の星空たち。それは、僕が目で見ている景色よりも鮮やかで広大で、どこまでも綺麗な写真たちだった。


 カメラを貸してくれた男の言葉を思い出す。


「まずは写真の目を持つこと」


 それは、自分の視界を機械に合わせて下げることかと思っていた。でも違う。今見えている景色の一番綺麗な瞬間。当たり前の中に隠された想像以上の神秘。それに気づく能力のことなのではないだろうか。


 でも、残り一週間。ド素人がこれほどの写真を撮ることは可能なのだろうか。さらに、流星群が降り注ぐ時期ではないのに、なんともない夜空をなぞる星一つを捉えることはできるのか。


 不安を覚えるが、思いは燃え尽きない。記事には高価でなくても最近の一眼レフなら夜空を写すことは可能だという。しかし、空の条件。絶妙なピントの調整。その他道具の購入。必要なものは多かった。


 最初に空の条件を確認した。最近は様々なサイトがあり、光に邪魔されない撮影には好条件の場所がわかったりする。月の光も邪魔になるが、運良く新月の期間に重なっていた。


 天候的には返却前の水曜、木曜が狙い目となる。


 土日の夜は、空の撮影の練習につぎ込んだ。


 月曜は曇り、火曜には雨が降った。撮影はできなかったが、この雨は水曜の朝まで続きその後は雲一つもない快晴の状態が続くという。


 雨が降る夜の部屋で、次の日の挑戦を思い。僕はカメラを握って静かに窓の外の世界を見ていた。


 ふと、あの日シノブが撮ろうとしていた景色は何だったのだろうか。そんな疑問が浮かんだ。流れ星なんて一瞬だ。それなのに、彼女は星を撮ろうとした。願い事も唱えた。


 彼女にしか見えなかった流星があったのだろうか。だとするなら、それを僕は捉えることが出来るのだろうか。彼女が失敗し、僕の夜を止めてしまったその光景を。



 真夏と言っても、高地は冷える。しっかりと、着込み。足下も暗い場所。ライトの準備もバッチリだ。男一人、仕事から帰って急いで都市から離れた丘の上でか三脚を開き、カメラを装着する。


 電車の時間的に二時間程度。流石に、今日は流星を撮ることは殆ど諦めていた。


 ただ、練習として綺麗な夜空を撮ろうと思っていた。作業は魚釣りに似ている。一枚一枚、連射で撮っていく訳ではない。シャッタースピードは15秒で撮らないと星の輝きを上手く写せない。


 流星がその間に流れれば確かに捉えることはできる。しかし、その写真は広大な夜空の中に小さな線が刻まれているような絵になる。流星を綺麗に撮影するにはかなりの運か金のかかったものが必要だ。


 できれば線でもいいから撮影をしたいとは思う。多分、それが第一歩になるはずだ。


 流星群の時期には早すぎる夜空に、流れ星は落ちる気配を見せない。そもそも、殆どの時間をピント調整に使い込んでしまった。練習はしたが、いざやってみるとなかなか定まらない。環境が違いすぎたのだ。


 結局この日はまともな夜空すら撮れずに終わった。


 チャンスはあと一回。とはいえ、自分でカメラを買えばその後も続けることはできる。慌てる必要はないと自分に言い聞かせることしかできなかった。





 木曜の夜。コンディションは最高だった。昨日の経験もあり、ピント調節も早い段階で整う。後は流星を待つだけだ。写真を撮っては確認、撮っては確認を繰り返す。


 写真は何かが足りなく思えた。光に彩られた夜空はしっかりと撮影できている。しかし、あのネットで見た動きがあるような。どこまでも綺麗な夜空は写せない。


 ピントは合ってる。今更いじったりすればもう後がない。場所を移動しても同じだ。それは、また次の機会にして今日は流星だけを狙おう。そう葛藤する心に何度も言い聞かせながらカメラと夜空を見つめる。


 時間が経つと、流石に首も痛くなり、石の上に座り込んで撮影が終わるまで俯いている自分がいた。


 何をしているんだろう?


 そんな惨めさばかりが募っていた。もはや、新たにカメラを買いこんなことを続けても意味はないとすら思えてしまうほどに。僕の心は冷え、消沈している。


 もう、どうしようもないのかもしれない。シノブとの約束に深い意味はなかったのかもしれない。





 シノブが引っ越した後、僕らは連絡を取り合っていた。最初の方は毎日電話をして彼女の新しい日常の話を聞いていた。電話の間、僕は自然と窓から見える夜空を眺めていた。


 それからだんだんと彼女との電話の回数は減っていった。こっちから掛けても出てくれるし、向こうから掛けてくることも多かった。でも、目に見えて減っていった。


 高校受験の時期には少しだけ話す日が増えた。進路に悩むシノブは元気がなかった。もしかしたらあの時から、歌手の夢を抱き始めていたのではないだろうか。


 そして、高校に行く直前。彼女はあの日のように「私たちは。またいつか、必ず会えるから」とそれだけ言って。完全に連絡はこなくなった。こっちからも連絡を入れる勇気はでなかった。


 いっそ、忘れてしまおうと思った。でも、大学生になっても忘れることはできないでいた。夜空が世界に存在する限り。僕の失恋は続くのだと思えた。


 そして僕は彼女と再会することになる。画面の中の彼女と。


 引きずってきた全てがおかしくなって時間に余裕があるときは街を彷徨い、シノブとの過去を自慢話のように語った。


 僕の話は馬鹿馬鹿しいほら話のように捉えられ、それが慰めになった。でも、夜空を見上げるたびに。彼女の歌を耳にするたびに。あの夜は続き、写真のように固まったまま、この空に存在している気がしてどうしようもなかった。


 あの日僕が見れなかった流星。彼女の願いを乗せた流星を。今度は僕が捉えたい。


 ――彼女があの日、本当に見ていたものは何だったのか知るために。





 ハッとしたその瞬間。明るすぎる視界に気がついた。月が出てないのに注がれてきた異様な光。ゆっくりと顔を上げて、僕は目を見張った。


「彗星だ・・・・・・!」


 ありえない景色だった。夜空に弧を描き、尾を引く大きな帚星が一つ。がらんどうな夜空を染めていた。


 慌てて、僕はシャッターを切る。撮影が終わるまでの数秒間。その彗星はゆっくりと頭上を分断していった。


 あの日、彼女が見たのは流星じゃなかったんだ。この彗星。


 流星のスピードじゃ、願いなんて唱え終わらない。でもゆっくりと落ちる彗星なら。


 夜を跨いで頭上を飛んでゆく彗星に僕は跪いて何度も願いを唱えた。あの日々の続きを。自分の人生の再開を。夜咲シノブとまた会うことを。


 その時、ふと耳元に懐かしい声が聞こえた。


(もし、今聞こえるこの声が本当にコウタの声なら。どうか、お願いします。私たちを、もう一度会わせてくだい。このまま、離ればなれになるなんて嫌だ!)


 シノブの声だった。あの日の願い。本当に、僕ともう一度再会することを彼女は願ってくれていたんだ。長い年月を掛け、彗星は僕らの願いを繋いだ。


 そして、彗星は嘘のように消えてしまった。あんなに夜を染めていたのに。空っぽの夜空を満たしていたのに。


 自分の頬に、涙が伝うのを感じて拭った。ゆっくりと、カメラを確認する。


 そこに彗星は写っていなかった。でも、この視界に写るもの以上に鮮やかな青と星々に満たされた広大な世界が広がっていた。そして、その真ん中には綺麗に流れてゆく線が一つ。





「これは・・・・・・」


 金曜日。男にカメラを返し彼は写真を確認すると、驚いた表情を見せた。


「結構粘ったんですよ。運良く撮影することができました。とても楽しかったですよ。良いですねカメラ」


 話の流れのまま、男にお勧めのカメラでも聞こうとした時、彼は僕の前に名刺を差し出した。そこには有名な音楽事務所の名前が記されている。


「あなたは、彗星を見たんですか?」


 急にそんなことを聞いてくるものだから驚いてしまった。しどろもどろに、一応見たことを話すと。彼は大げさに両手を挙げ、あり得ないと叫んだ。


「私は、夜咲シノブの事務所の者なんですよ。ここら辺で、シノブの元彼を名乗る男が色々言いふらしているみたいな噂を聞きましてね。ダメじゃないですか、今から売れていくはずの彼女にスキャンダルなんて」


 僕はまだ何が何だか分からなかった。この男がシノブと繋がっているなんて話も信じられない。


「一応確認の為に彼女に聞くと、その人を連れてきてなんて言うんですよ。でも、そんなの簡単にできません。今週、彼女はツアーがありましたし。だから、本当にあなたは彼女が会いたい人なのか確認するために、素性を偽りあなたにカメラを押し渡したんです。意外と乗り気で驚きましたけどね。その際に撮った免許所を見せたら。やっぱり彼だと、そして不思議ななことを言うんです。彗星がやっと願いを叶えたと」


 馬鹿馬鹿しいでしょと笑いながら、男は酒を煽った。僕はただ呆然と彼の方を見つめるしかなかった。まだ、続きがあるはずだと。


「彼女は次にこう言ったんです。前とは違って『彼が彗星を見ていたら連れてきて』そう、よく分からないことを。そしたら、あなたがこんな綺麗な夜空を撮ってくるんですから、驚いて興奮しますよ」


「シノブに! シノブに会わせてください!」


 やっと出た声は大きく、体は机を乗り上げていた。さっきまで興奮していた男は、僕の態度に冷静になったようで、落ち着いてくださいと宥めてきた。


「もちろん。彼女も望んでいますし。別に彼女はアイドルではありません。ただ、変な噂を避けたかっただけですから。だから、そう大声を出さず」


 その言葉に、落ち着きをゆっくりと取り戻した僕は。男の前で大粒の涙を流してしまった。その日は慰められながら。多くの酒を浴びた。何もかも吐き出すつもりで飲んだ。





「ねぇ、知ってる? 流星と彗星って違うんだって?」


「知っているよ」


「あの時の私はね、知らなかったんだ。それでね、彗星ってとても綺麗なんだよ?」


「僕も、知っている」


 再開一番に彼女から言われたのがその言葉だった。アーティストなんだなぁ。と、変わった彼女に感慨深い気持ちになっていると。シノブは大粒の涙を流し始めた。


「ずっと……待ってた」


 シノブは静かに語った。彗星を見たあの文化祭の日。未来の僕の声が聞こえた。シノブとの再会を望む僕の声が。


 彼女はもしかしたら一生会えないのではないかと不安になり。彗星に願いを込め、僕と約束をした。


 いくら通話越しで話せても、大人にならないと再会は難しい環境。彼女は歌手になる夢に集中するため、僕との通話を辞めた。


 いつか彗星に託した願いが叶うことを望んで。

 それを信じてしまうくらい、あの彗星は神秘的なものだと今の僕には理解できる。


 願いが叶うよりも先に夢が叶ってしまった。でも、この日が来た。彼女は、彗星を信じ、夢と願いの両方を叶えたのだ。


 僕は彼女を強く抱きしめた。


「ごめん」という言葉が出たのは、彼女を信じることが出来なかった罪悪感からだった。何もわかっていないだろうに、彼女は「いいよ」と返してくれた。


 ゆっくりと離れると彼女は涙をこらえ、満面の笑みを浮かべた。そんなつもりはなかったが、おもむろに僕は新品のカメラを彼女に掲げて写真を一枚撮っていた。


 それは、正しく夜咲シノブであり、どこまでも綺麗で満たされた一枚の写真だった。僕がずっと望み続けた、あの日の彼女。


 それを悟った瞬間。僕らの時間がやっと動き始めた気がした。


 ――僕は彗星を捉えた。

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