その女、二十五歳にして初めて牛丼を食べる

さいとう みさき

人とは偏見の塊である

   彼女の名は坂下真紀子二十五歳。独身でこの近くの事務員をしているいわゆるOLだ。


 平日のお昼時彼女はいつも持ってきているお弁当をその日に限って玄関に忘れてしまい気付かずに出勤してしまった。

 ダイエットをするほどでもないし事務員とは言え午後の過酷な仕事をこなすには体力がいる。いや、正確には脳に糖分が必要だ。

 紛らわしい似たような書類、そしてやたらと多い伝票、一枚でも無くしてしまうと経理に怒られる領収書やレシートとその申請書。事務員は地味な様でいて意外と仕事が多いのだ。ましてや新人から社会人としていっぱしの仕事を覚え始めた頃の彼女には戦力としての負担は大きい。


 「しまったなぁ、流石に何も食べないわけにはいかないし。かといってもうお昼の時間も残り少ないし・・・」


 そうつぶやきながら近くのコンビニでおにぎりでも買おうと事務所を出る。

 一応会社の制服を着たままなので休憩中の腕章をつけてからそこへと向かう。しかし目的地へ着けば昼時も相まってかなりの客がレジに並んでいた。


 坂下真紀子はそれを見てうんざりとする。そして周りを見渡す。


 オフィス街でもあるここはそれほど商店が有る訳ではないが忙しいサラリーマン戦士に食事を与える店はそこそこある。但それは男性に限るのではあるが。

 女性向けのおしゃれでインスタ映えするようなお店は一軒もない。しかもワンコイン(五百円)で昼食が取れるのを前提にしたような店しかない。


 だが彼女は食事をしなければならなかった。


 昨晩お見合いの話で遠路はるばる田舎の祖母が訪ねてきて両親共々いろいろ言われ挙句の果てに行かず後家だのなんだのとさんざん言われ夜遅くまで言い合ってしまった。まあ冷静になれば親心も理解はできる。遠路はるばる田舎の見合い写真を持ち出す祖母の気持ちも分からなくはない。何故なら坂下家の直系は彼女が最後だからだ。

 お家断絶。そんな重い言葉が彼女にのしかかる。しかし今の世にそんな事で自分の生涯を決められるのはまっぴらごめんだった。自分の人生だ、自分の気に入った相手で自分らしく人生を歩みたい。彼女は常々そう思っている。


 「どうしよう、ほんとに時間が無くなって来た。」


 本気で焦り始めた時、目の前で女子高生が二人牛丼屋に入って行くのが見えた。一瞬女の子が牛丼屋に入るのかと驚いたが今の若い子たちには特段問題になるような事では無いのだろう。そう、若い子には。

 そこで彼女坂下真紀子は昨日の騒動を思い出す。


 ―― いつまでも若くないんだからいい加減に結婚して子供を産みなさい!もういい年なんだから!! ――


 いい年とはなんだ!真紀子はそう憤慨する。しかし一昔前では二十五歳と言えばクリスマスケーキと呼ばれ後がない安売りセールの始まりとも陰口をたたかれたものだ。真紀子も知識ではそれを知っている。


 「な、なによ!今のご時世三十路前に結婚出来れば十分よ!」


 そう口では言うものの心の片隅ではじわりじわりと湧き上がるものがある。

 彼女はそれを押しつぶすかのように先ほど女子高生が入って行った牛丼屋を見る。それは何処にでもあるチェーン店。安くて速くておいしいが売り文句の何処にでもある牛丼屋だ。彼女はそれとなくそこへ足を向ける。


 「女子高生が入るのだもの、私が入ったっておかしくないわよね?」


 昨晩の喧嘩のせいで朝食も抜いて来た坂下真紀子はかなり空腹だった。だから牛丼を昼食にとっても何ら不思議では無いと自分に言い聞かせ店に入る。

 そして入るや否や香しい匂いにお腹が鳴りそうになる。


 「いらっしゃいませ~。おひとり様ですか?カウンター席へどうぞ。」


 マニュアル通りに忙しい中でも店員が彼女を迎えてくれる。おずおずとカウンター席に座る坂下真紀子。実は牛丼屋に入るのは初めてだった。

 

 「お水です。お決まりになりましたらテーブルのボタンでお呼びください。」


 そう言ってせわしい店員はお水を置いて行ってしまった。

 彼女は困惑した。何故ならメニューが見当たらない。いや、見つけた。ホルダーに刺さっている。ファミレスやレストランと違って店員が差し出すわけでもなくちょっと見えにくい場所にあるメニュー表には何やらいろいろとあった。彼女はそれを引き抜き中を見る。そして驚く。

 牛丼屋なのにいろいろとあるでは無いか!牛丼以外にもカレーライスもネギトロ丼も、しかもお得な定食まである。

 思わず各ページをめくって限定のスイーツがある事まで目ざとく確認してしまった。


 「なにこれ?牛丼屋なのにいろいろあるんだ。しかも牛丼にもいろいろ種類があるなんて・・・。」


 驚きながらもちらっと見たスマホの時間に驚く。それもそのはずもうじきお昼休みが終わってしまう。

 彼女は慌てて注文をする。


 「すいません、お願いします!」


 「はい、お決まりでしょうか?」


 「一番早いのは何ですか?急いでいるので。」


 「では牛丼の並盛はいかがでしょうか?」


 「それで良いです。お願いします。」 


 「かしこまりました。少々お待ち下さい。」


 店員はそう言って奥へと引き返す。彼女はスマホの時間を見て少しいら立つ。これから調理してどんぶりによそって・・・・・・


 「お待たせしました。牛丼並盛です。伝票はこちらへ置いておきますね。」


 店員は彼女があれこれ考えている間に目の前に奇麗に盛り付けられた牛丼を差し出してきた。更に伝票までさっと伝票挿しに挿して置いて行く手際。彼女は一瞬あっけにとられる。


 「でも助かった。さて、いただきます。」


 そう言って割りばしを割って食べ始める。とにかくお腹に溜まれば良いやと言う程度に考えていた。しかし・・・


 「んんっ!? なにこれ、美味しい!?」


 確かに肉は薄いし安っぽいけどほど良い甘みと醤油の味が絶妙に牛肉に染み込んでいる。続けて口に運ぶと玉ねぎもよく煮えていて甘くなっていて美味しい。そしてその煮汁を含んだご飯もさらさらと口に運べる。

 今まで蕎麦屋などで父が食べていた牛丼とは見た目も何も全く違う。

 だが彼女が口にしたそれはまろやかでいてそれでいてしつこすぎない。夢中に食べていると並のどんぶりはあっさりと空になってしまった。


 坂下真紀子は驚いた。今まで馬鹿にしていたこの食べ物が思いの外美味しいと言う事に。

  

 「ごちそう様・・・。」


 お水を飲んでから伝票を手に取ってレジに向かう。店員に自動レジでの支払方法を教わりながらお金を払い店を出る。

 そしてスマホを見ると休み時間にはまだ余裕があった。


 「こう言うのも有りかな?」

 

 今までの概念が完全に払拭されていた。そして心底思う、今までの自分の偏見を。

 先ほどの女子高生も店を出て来た。彼女は何となくそれを見ながら踵を返して事務所へ戻る。しかしその足取りはずいぶんと元気になっていた。


 「私だってまだまだよ!」


 そう一言いう彼女の表情はだいぶ明るくなっていたのだった。

 

 

 

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