第29話 研究者は未知なる料理に素にもどる


「……姫さん……これが?」


「フフフ……そうじゃ。これがブラッドリリー至高レシピのひとつじゃ」


 ユーリフィの屋敷に招待されたロイフェルトとトゥアンの前に出された皿には、ブラッドリリーの百合根は影も形も無った。


 皿に乗っているのは魔物のものらしき肉のデミグラスソース掛けだ。


「ブラッドリリーの百合根は、そのまま食するのではない。高濃度の魔素を含んだ魔物の肉と組み合わせるとこで、初めてその真価が問われるのじゃ」


「ままま魔素って、体内に取り込み過ぎると、まま麻薬中毒に似た症状を発症してきき禁断症状まで出ちゃうこともあるってきき聞いたことがあるんですが……」


 そう頬を引きつらせるトゥアン。しかし、そんな彼女を尻目にロイフェルトは納得の表情でポンっと手を打った。


「なるほど……その症状を中和して肉の旨味だけを味わう事が出来るようになるわけか」


「その通りじゃ。元々魔物の肉は魔素が多くて忌避されておったし、その魔素の影響でエグみと臭みが強くて食するには向かんかったのじゃ。ところがブラッドリリーはその魔素を中和する。それに寄って臭みは消え、エグみは旨味へと変換さるのじゃ。ブラッドリリー自体の旨味と魔物の肉の旨味が絡まり合って複雑で奥深い味に仕立て上げられる。焼き方にも特別な手順が必要で、ソースもかなりの手間暇が掛けられておる故、料理そのもの腕や知識だけではなく、特殊な魔法も必要となる。調理には特別な許可証が必要故、レシピも高額で取引されておるのじゃ」


「うわー、そりゃ面倒そうだね。俺にはそこまでの料理の技量はないし、高い金払ってまでレシピを手に入れたいとも思わんよ。俺が得意なのは素材の旨味をそのまま活かすようなキャンプ料理だし。食材、姫さんに預けて良かった」


「うむ。わらわとしても、思いがけずブラッドリリーを食する機会を得る事が出来て満足じゃ。さぁ、冷める前に食せよ。そして何故貴族がこぞってそれを高い金を払ってまで手に入れようとするのか、その心に刻み込むがよい」


 そう言って、両手を組んで食前の祈りを捧げ始める。貴族の食事は、その場で最も位の高い者が祈りの言葉を神に捧げる事で始まるのだ。


 周りが両手を組んで祈り始めるのを見て、ロイフェルトとトゥアンも慌てて両手を組んで祈りを捧げる。


父なる神ラーマナーヴァよ……母なる神ラーマナーラよ……二柱の御子たる我らに生きる智慧と勇気と慈愛の糧と成りし命の欠片を与え給え」


 こうして厳かな祈りの言葉を合図として、いよいよ待ちに待った食事が始まったのだった。













「はぁ……生きてて良かった……」

「どどど同感です……あ、あたしここここれを食べる為にううう生まれて来たんだって思えてしまいますぅ……」


 ロイフェルトとトゥアンは呆けた様子で背もたれに寄り掛かる。


 トゥアンはともかく、ロイフェルトがここまで前後不覚になるのは珍しい。それ程までに、今回の料理が規格外だったという事だろう。


「満足したようで何よりじゃ」


「満足以上だったよ。正直、貴族の食事を舐めてた。俺、食いもんは、素材の旨味をそのまま活かすような料理が至高だと思ってたんだけど、考えを改めるよ」


「うむ。じゃが、お主なら再現できるのではないか? マナを通して分析すれば、材料から調理の仕方まで見通せるがお主にはあるじゃろう」


「やろうと思えばできるだろうけど、絶対にやらないよ」


「ほほう、何故じゃ?」


「料理ってのは、数多の料理人が時代を超えてそれぞれ研鑽して作り上げた芸術品だ。それを横から盗むような非道を俺はしたいとは思わんね」


「……本音は?」


「……食いもん食う時は考えながら食いたく無い。頭空っぽにして没頭して食いたいんだよ」


「うむ、同感じゃな。美味いものを食する時は美味いとただ一言付ければよいのじゃ。それ以外は無粋じゃろう」


 満足した様に頷いて、ユーリフィはハーブティーで満たされたティーカップを手に取った。


「そう言えば……このハーブティーはストリーバ商会の新商品かえ? ツァーリに尋ねても要領を得んのじゃ」


「あああ、そそそそそれは……じじ実家ではなく、ああああたし個人がううう売り出し始めた物でして……」


「ほほう……なかなか目の付け所がよいの。最近、社交界ではハーブティーが流行り始めておってな。卸問屋が新商品を求めて世界各地を回っているとか何とか……これは妾でも初めての香りと味じゃった。こいつは間違いなく売れるぞ?」


 そう言って示したのは、ティッセの告げ口で発覚したツァーリのハーブティーで、説明が面倒になったツァーリが、トゥアンから買い取った事にしたのだ。


「なんなら、レシピごと妾が買い取るぞ?」


「そそそそれは……」


 ツツーっと視線を逸らした先に居たのは、言わずと知れた自称研究者リサーチャー


「なんじゃ……やはりお主が一枚噛んでおったのか」


「トゥアン……それじゃ、誰が黒幕か一発で知られちゃうじゃん」


 恨みがましい視線で睨むロイフェルトに、トゥアンは更に視線を泳がせる。


「だだだだだって……あああたしに、おお王女様の追求を躱すだなんて高等技術、使えると思いますか?!」


「開き直るなよ……まぁトゥアンには無理なのは確かだけど」


 溜息を吐きながら、肩を竦めるロイフェルト。


「まぁ黒幕って言う程、たいしたものじゃないけどね。俺がトゥアンに材料と作り方教えたの。でも、作る上で必要になった術式の構築と省エネ化の為のマイナーダウンはトゥアンとツァーリがやったんだから、一応三人の合作?」


「私は細かい術式の構築までは手が出なかった。九分九厘、トゥアンが作り上げたものだ。トゥアンはあの術式の構築を殆ど自力でやり遂げたんだから誇って良い」


「つつつツァーリさんにそう言って頂けて、嬉しいです! でででも、元々はロイさんにヒントを示して貰って作ったんですから、ああアイデアはロイさんでは?」


「商品として譲渡してるんだから、君は堂々と自分の物として売り出せばいいの」


「うむ……まぁ良い。この学園に居る間は、トゥアンから買うようにするとしよう。最近、入り浸って準研究室員と化しておるツァーリを通して定期的に購入するから、金はツァーリから受取ってたもれ」


「はははははい! ごごご購入あああ有難う御座います!」


 思いがけない大口の取引に、顔を紅潮させて喜びを噛みしめるトゥアン。王女が購入しているハーブティーともなれば、それだけで宣伝効果は抜群だろう。


 後は商品が品切れを起こさないように、生産ラインを確実に確保するため術式のマイナーダウンを急ぐだけだ。


「さて……ここからが今日の本筋じゃ」


 そう言って、ユーリフィが合図を送ると、使用人がガラスで出来た小鉢をそれぞれの前に置いていく。


 小鉢の中は、勿論昼間のあれ・・だ。


「雪蛤のシロップ漬けじゃ。完熟する前のマグの果肉と一緒に食すると、甘味と酸味が絶妙なバランスで得も言えぬ。喉越しも良く、少し冷やす事で更に旨味が増すのじゃ」


「もうそこまでアレンジ出来たの? 教えたのついさっきだった筈なんだけど」


「うむ。この屋敷にるのは、宮廷料理人の一人でな。彼女に掛かれば見知らぬ食材もこの通りよ。極秘で雪蛤の購買ルートも確保出来たしの……ククク……クハハハハ! これで……これで我らが前途も洋々じゃ!」


 そう言って哄笑を上げるユーリフィを尻目に、ロイフェルトは程良く冷えた雪蛤のシロップ漬けをひと匙口に含む。


 程よい甘さが口の中に広がり、ツルリとした喉越しが清涼感となってその身を包む。


 更にユーリフィが言った通り、マグの果肉の軽い酸味が口の中を整え、甘味のくどさを消し去って絶妙なバランスを作り上げている。


「うん、美味しいね。これなら豊胸云々を抜きにしても、食後のデザートとして流行るんでないかな?」


「材料の確保が困難な今の状況では流行られては困るの。差し当たっては、妾達が在学中の3年間は秘匿するとしよう」


 王女の言葉に、ツァーリを除いた護衛騎士及び胸元が寂しい若い使用人達の激しい頷きに女社会の闇を垣間見て、ロイフェルトはこれ以上この件に関して足を突っ込むのは止めようと、心に誓ったのだった。

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