第16話 研究者は訓練場で昏倒する


 腕の中の何かが砕ける感触に、ロイフェルトは瞬時に覚醒し、拙(まず)いと呟きつつツァーリの右腕・・・・・・・から手を離して飛び退いた。


 同時にツァーリも、立ち上がろうとするが、痛みの為だろう直ぐに片膝をつく。


 だらりと垂れ下がった右腕に左手を添えることも出来ないでいるのは、触れる事も出来ない程の激痛に襲われているからだろう。ツァーリは右手をピクリとも動かす事も出来ずに、下唇を噛んでその激痛に耐えている。


「イカンな……此処までだ。直ぐ治癒師を呼べ!」


「まだです!!」


 ツァーリはラーカイラルにそう叫び返して、脂汗を滴らせながらも何とか立ち上がった。


「流石だ、ロイフェルト・ラスフィリィ……一度ならず二度までも、私に辛酸をなめさせたのだからな……」


 そのセリフに、ザワリと周囲がざわめくが、彼女はそんな事には頓着しない。


「だが……だが私はまだ戦える! 右腕を失ってもまだ左腕がある! まだ剣を握ることは出来る! この場に立てた幸福に……我らが宿敵してと出会えた喜びに、感謝の祈りを神へとささグフッ………」


「その辺にしとけ」


 ラーカイラルの当て身でツァーリはようやく大人しくなる。


「こうでもせねば、この狂人は収まらぬのでな」


「今、狂人って言った? 自分の生徒を狂人って? しかもその狂人に別な生徒を差し出したよねアンタ!」


「儂はこの学園の戦闘実技訓練の教官だ。教官が常に願うのは、生徒の成長だ。この刺突姫(エストック)とお主の戦いは、お互いの戦士としての成長の為に必要な事だったのだよ」


「俺は戦士じゃなくて研究者(リサーチャー)だって何度も言ったよね?! 戦士としての成長じゃなくて、研究者(リサーチャー)としての成長を促せよ!!」


「だから儂は戦闘実技の教官であるといっておろう。この時間内では儂の言葉が正義だ」


「言い切ったよこの人……話し通じない……これだから脳筋は……もうイヤだぁ……」


 珍しく本物の泣き言を口にしつつ、疲労のためそのままコテンッと横倒しになり意識を失うロイフェルトであった。













「何やら騒々しいのぉ……何があったのじゃ?」


 第三王女のユーリフィは、アニステアとニケーを伴い騒然としている訓練場のその一角にやって来ると、近くにいた学園生にそう問い掛けた。


 ユーリフィ自身は今の戦いの現場からは離れた所で訓練に励んでいたので、一連の騒動に気が付かなかったのだ。


 何やら、ラーカイラルの咆哮じみた大声は耳にしていたが、いつもの事なので気にも止めていなかった。


 ただ、ユーリフィの護衛騎士の一人であるツァーリがその騒がしい一角に居た事を思い出し、また何か騒動を起こしているのではないかと不安になってやって来たのだ。


 問い掛けられた学園生は、ロイフェルトを嫌う貴族の一人で、今あった出来事を上手く伝えれば、ロイフェルトの足を引っ張ることが出来るかもしれないと、内心の卑下た笑みを隠しながら答えた。


「それが……大変な事になりました」


「だから、それが何かと尋ねておるのだ」


「あ、いや、それが……王女殿下の護衛騎士の一人である……」


「また、ツァーリが何か騒動を起こしたのか?」


「い、いえ。騒動の片割れではございますが、ツァーリ殿には一切の非はございません」


「それは珍しい事もあるものだな。して?」


「それが……ツァーリ殿に挑み掛かり、あろう事かそのツァーリ殿を負傷させた不届き者がおったのです!」


「ほう……ツァーリに喧嘩を売り、ツァーリを打ち負かしたという事じゃな?」


「左様でございます! こともあろうに……」

「やるではないか!」


「……は?」


「この学園にあの・・ツァーリに喧嘩を売り、打ち負かす程の剛の者がおるとは重畳ではないか!」


「い、いえ、そのような事仰っている場合では御座いません! その者、こともあろに、卑怯千万で奇怪な手管を使ってツァーリ殿の右腕を砕いたのです! 何かしら罰せねば示しがつかないかと……」


「ツァーリ相手に卑怯も何もあるまい。そもそも護衛騎士とは如何なる場面でも主を守る為に在るのだ。敗れたならそれは全てツァーリの責任じゃ。怪我は魔法ですぐ癒せる」


「し、しかし、相手は平民ですぞ! 平民が貴族に対して……」


「なんじゃ、ロイフェルトの事か」


「……は?」


「だからこの場におる平民階級の人間と言ったらロイフェルト・ラスフィリィの事じゃろ? 魔道士育成学科の」


「さ、左様で御座います……平民風情が貴族に怪我を負わせるなど……」


「下らん。ここは国立魔法学園じゃぞ? 学園内で貴族も平民もあるまい。大体ロイフェルトがツァーリに喧嘩を売るなどあるはず無いわ。大方、ラーカイラル辺りがツァーリを嗾けたのじゃろ」


「い、いや、しかし……」


「それよりどの様な立会いだったのじゃ?」


「そ、それは……卑怯千万で面妖な……」


「それでは分からん。貴様では時間の無駄じゃ」


 それで会話を打ち切り、ユーリフィは騒動のあった一角の中心へと足を向けた。


 ロイフェルトの足を引っ張ろうとしていたその学園生は、まさかの反応に唖然としてそれを見送ったのだった。











「どうしたのじゃ? 何があったのじゃ?」


「お? これは王女殿下。いやなに、二人の若者が若さ故の立ち回りが行き過ぎて、少しばかり負傷してしまったのですよ」


「大方お主がツァーリに嗾けたのであろう? そちらはロイフェルトじゃな?」


「ロイフェルトは王女殿下とも面識があるのですな? やはり儂が見込んだだけはある」


「……ツァーリがお主にとって負担である事は重々承知しておるが、生贄を捧げる行為はちと行き過ぎじゃ」


「いやいや、そんな考えではありません。儂はこの授業における最高責任者で、戦闘実技訓練の教官です。2つの大きな才能を伸ばしてみたいと思っての行動ですよ」


「ロイフェルトに取っては迷惑この上ない行動じゃの」


「……そこまでお知りであるとは……ロイフェルトとはそこまでの関係で?」


「いや、昨日初めて話した。頭の回転が早く、度胸もあり、分をわきまえる強かさも持っておる稀有な若者じゃ。面白いので妾としてはこちらに引き入れたい。昨日は断られたがな。じゃから……壊すでないぞ?」


「儂はこの学園の教師ですぞ? 戦闘実技教官でもありますから、些か厳しくは有りましょうが、何時でも学園生の事を思っての厳しさと自負しております。儂としては王女殿下のやりように些か懸念を覚えます。王女殿下こそ、あまりやり過ぎないようにご注意下さい」


「分かっておる。無理強いはするつもりはない。コヤツは野放しにしておいた方が面白そうじゃからの。それより……どの様な立会いだったのじゃ? 向こうで聞いたが、聞いた相手が悪かったようで判然としなかったのじゃ」


「それはもう素晴しい立会いでした」


「お主がそこまで言うのであれば、そうだったのであろう。具体的には?」


「今回のルールでは魔法は身体強化系と感覚強化系のみの武器による実技訓練だったのですが……なんと、ロイフェルトは初手で武器を手放したのです」


「ツァーリ相手にか? それはなんとも豪胆な……」


「恐らく、ツァーリのスピードに武器を持っては対応出来ないと思ったのでしょうな」


「それでは、回避のみで渡り合ったのか?」


「いえ、それが……素手でツァーリの刺突をいないておりました」


「はぁ? ……はぁ?! 素手でじゃと?!」


「はい。あれを見るに、ロイフェルトは元々徒手空拳での戦いに慣れておるのでしょう。普段の訓練で、本気ではないように見えましたが、あれは武器の扱いに慣れていなかったのやもしれませんな」


「素手でいなす……妾では想像もつかん状況じゃな」


「恐らく感覚強化を使っていたのでしょうが、魔法を発動した様子はなかったのですよ……どうやったのか……」


「本人はマナ操作に自信を持っておった様子じゃった。恐らく奴自身の生身の感覚にマナを乗せたのじゃろう」


「噂の神聖言語も神代文字も必要としない魔法ですか……」


「魔法と言って良いのか分からん所が悩ましいがの」


「学園で教える事は叶いませんな。本人の才能に依る所の術となりましょうや」


「だの。して、その後は? ツァーリの右腕を砕いたと聞いたが……」


「ツァーリも刺突姫(エストック)と字(あざな)を戴く剛の者ですからな、苦戦を強いられていたのは間違いなかったのですが……」


「ほうほう」


「ツァーリの間断ない刺突の連撃を躱し切れなくなったところで、ロイフェルトの呼吸が揺らぎ、恐らくは意識が朦朧としてきたんでしょうな……身体がグラリと揺らいだ所で、ツァーリがトドメの刺突を放ったのです。ですが……」


「それで?」


「なんと、ロイフェルトはその刺突を体全体でいなし、自分が倒れる勢いを利用してツァーリの右腕を抱き込みつつぶら下がり、そのまま右腕を抱えたまま地面に転がったのです」


「なんと……」


「あれは、組技でしたな。ただ、酒場の喧嘩で使われるような生易しいものではありません。あれは一種の芸術でした」


「はぁ? 芸術?」


「美しかったのですよ……刺突を避けてからツァーリの右腕を抱え地面に転がるまでの一連の動作……まるで芸術品を見せられているような美しさでした……」


「言ってることがよく分からん」


「あれは見たことのある者でしか理解し入れないものでありましょうな」


「ここにきて、それではなんの為にそなたに聞いたのか分らんではないか」


 そこで二人の会話に割り込む形で一人の学園生が歩み寄って来た。


「本人は、以前、あれを『飛び関節からの腕ひしぎ十字固め』と称してましたよ?」


「……スヴェンか。そう言えば、お主とロイフェルトは朋友であったな」


「ええ。朋友どころか俺の恩人です」


「ほう……恩人とは?」


「俺の高く伸びた鼻をへし折ってくれたんですよ」


 そこでポンっと拳を叩き、口を挟むラーカイラル。


「お主が以前言っていた、自分より強い者と言うのがロイフェルトの事だったのか?」


「そうです、教官。まぁ最も、『俺の本職は魔道錬成士(アルケミスト)でその研究者(リサーチャー)だ』と言って、あれ以来、一度も立ち会っては貰えませんがね」


「それではあれは分からぬか? ほれ、刺突姫(エストック)が足を止めての連撃に移った時の……」


「あの蹴りですね? 俺もあれを本人に聞こうかと思ってこちらに来たのですが……」


 と、二人はロイフェルトに視線を向けるが起きる様子はない。


「「…………」」


「その蹴りとは?」


「こう脚を……」


 ラーカイラルが、立会いの時のロイフェルトの構えを実演して見せる。


「体重が後ろ足にかかった状態で、浮いた前脚で蹴りを放っていたのですが、振りかぶりもせず、体重も掛かっていないただ速いだけの蹴りだったのです」


「あれでは当たってもダメージなんて与えられない筈なんですが……」


「片手で受け止めた刺突姫(エストック)が、蹴り飛ばされましたからな」


「はぁ?」


「儂の身体分くらいは吹き飛ばしていました」


「何じゃそれは?」


「それを俺も知りたかったんですよ」


「ならば本人に聞くしかないな。アニステア!」


「はい」


「ロイフェルトに癒やしをかけよ」


「畏まりました」


 ユーリフィの命を受けたアニステアは、癒しの魔法をかける。


 しかし……


「これは……姫様!」


「どうした?」


「それが……癒やしの魔法が効かないのです」

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