第6話 研究者は森の中で腐女子の墜落に巻き込まれる
死んだ魚のような目をして、遠くを見ていたトゥアンだったが、ハッと我にかえって唐突に立ち上がる。
「君も気付いた? なかなか良い
ロイフェルトは、心底意外そうにそう言うと、自分も立ち上がってその気配がする方に視線を向ける。そこには巨大なマナの奔流が熱を帯びつつ一時的に活性化しているのが見える。
「ろろろロイフェルトさんも気付いたんですか? ま、魔法を使った気配は感じませんでしたが……」
そう言ってロイフェルトに振り向いたトゥアンの眼鏡のレンズには、神聖文字によって書かれた呪印が浮かび上がっている。
ロイフェルトはトゥアンの疑問は敢えて流して、逆にトゥアンに問を投げ返す。
「それは魔法の起動呪印かい? 確かマナを流すと指定の魔法を自動で起動出来るって話だけど」
「あ、はははい。あああたしは、感知系の視力強化魔法の呪印を偶然手に入れることができたので……」
「もしかしてマナ探知も可能なやつ?」
「は、はい」
「今のも距離分かるの?」
「ややや約5キロくらい先です」
「等級は?」
「たた多分……B級クラスのモンスターで……その相手をしてるのが……あ、かなり大きなマナが視えます……これって……じょじょじょ上級クラスのマナですよ?!」
「まぁこの学園、貴族どころか王族もいるしね」
「でででででも、まだ午後の授業もあるのに、この時間になんで……くく訓練ならもっと遅い時間でしょうし、ままままさかあたし達みたいに食材探しという訳ではないでしょうし……」
「貴族の考えてる事なんて分からんよ。ま、なんにせよ関り合いにはなりたくないなぁ。お昼も食べたことだし俺は戻るよ。君はどうする?」
「あああああたしも関わりたくない所なんですが……あの場所が問題で……」
少し逡巡した様子のトゥアンに対し、それならとロイフェルトは肩を竦めて踵を返す。
「何迷ってるのか知らんけど、行くなら一人で行ってね。下手に平民が貴族と関わり持つと碌な事にならんし」
「え? あ、ちょちょちょちょっと待って……」
「それに、助けを求めてる訳でもないんじゃない? ほっといたら? 例え助けを求められてそれに応えても奴らは感謝なんてしたりしないよ?」
「あ、だだだからそうじゃなくて……ちょっと待って下さい!」
「あーもうなんなの? 行くなら一人で行きなって」
「あ、あそこブラッドリリーの自生地の近くなんです!」
その言葉に思わず、ロイフェルトは足を止める。
「何だって?」
「だだだからブラッドリリーの……」
「……あの鱗茎が高級食材になるっていう?」
「そそそうですぅ。ゆゆ百合根の中でも特別えええ栄養価が高くて回復薬の材料としても重宝されてるので取引価格が常に高い上に……」
「調理次第で王族すら虜にするあのブラッドリリー?」
「そそそそうそれですぅ……今まさにその百合根が一番美味しい時期で、後でこっそり収穫しようと思ってたんです……」
「ブラッドリリーって繊細で人が手をかけてあげなけりゃ、上手く育たないって聞いたけど?」
「あ、あそこはワイルドリリーが群生してるんですが、じじ実はその一部にブラッドリリーが自生しているんです。あまり知られていないのですが、実はブラッドリリーはリリー種のじょじょ女王株で、わわワイルドリリーがブラッドリリーを守ってるんです」
「なるほど。ワイルドリリーある所にブラッドリリーありって訳か」
「たた単純にそうだって訳ではないのですが……ワイルドリリーが無いところではブラッドリリーがじじじ自生出来ないのは確かですぅ。ワイルドリリーはともかくブラッドリリーが巨大なマナに当てられると……」
「確かリリー種はマナに影響を受けやすいんだっけ? 回復薬用のリリー種は、特殊なマナの影響下で栽培されてるって話だもんね。話しの流れからするとブラッドリリーがマナに充てられると変異しちゃうのかな?」
「そそそうなんです! あああの様子だと……」
「……ワイルドリリー群生地に向かっちゃうって訳か……貴族には関わりたくないけど、ブラッドリリーの百合根は食べたい……」
「ここここの森だとあそこにしかブラッドリリーは自生してないはずなんですぅ! 平民のあたしがブラッドリリーの百合根を食べる機会なんて今後あるわけ無いですし、あそこを荒らされちゃうと……」
「んぐっ……俺も食べたきゃあそこを守る必要があるってわけか……分かった。取り敢えず近くまで行ってみよう」
美味しいは正義。美味しいを妨げるものは死するべし……そんな台詞を飲み込んで、ロイフェルトは問題の場所へ足を向ける。
「俺は走って行くけど君は?」
「あああたしは飛行魔法で……って走って?! この森の中をですか!?」
「飛行魔法使うなら、なるべく低く飛んでね。向こうに気付かれないように」
「そそそそれは分かってますが……ロイフェルトさんは走って間に合いますか?」
「問題ない。寧ろ君は自分の心配してくれ。向こうに気取られると面倒だ。気取られた時点で見捨てて逃げるからね俺」
そう言い放ったロイフェルトは、飛行魔法の準備を始めたトゥアンを尻目に、地面を蹴った。
地面を蹴った事により起こった衝撃にロイフェルトがマナを通すと、衝撃のベクトルが何倍にもなって彼の身体に跳ね返り、身体を前へと跳ね飛ばす。
「ひぎゃいぃぃぃぃぃ……」
未だ準備の終わらぬトゥアンを遥か後方に取り残し、ロイフェルトは森の木々の隙間を微かな足跡だけを残して器用に駆け抜ける。
所々で魔物を見掛けるが、今は放置して先を急ぐ。
微かな足跡以外は気配らしい気配も残さず駆け抜けているので、ロイフェルトが通り過ぎた後には何が起こったのかとキョロキョロと挙動不審に陥っている魔物が量産されていく。
それに、ようやく準備を終えてロッドに跨がり飛行魔法で後を追っているトゥアンが、魔物に気取られないよう気を付けながらも唖然とした表情で視線を送る。
(何あれ? 身体強化系の魔法? でも呪文の詠唱も魔法陣の構築も呪印の発動痕跡もなかった……いったいどんな魔法なの?!)
トゥアンはゴクリと息を呑む。
(あれが……あれが特待生クラスの実力……いえ、ロイフェルトさんの実力ですか。神聖言語と神代文字が苦手だと聞いていましたが……呪文の詠唱も魔法陣の構築も必要ないのであれば、実戦においては寧ろ長所となりえるじゃないですか。どんな相手にも先手を打てますよ。誰ですか、彼が無能だなんて言ったのは。学園が彼を特待生として受け入れたのも当然の事として肯けます。その上、知識が豊富で私と違って貴族に対しても物怖じしないタフな性格も得難い資質ですね。容姿は平凡ですが、それは身だしなみに気を使わない平民としての平均的な傾向が原因とも言えますし、本気で磨けば光りますよあれ。あたしの好みから言えばもう少し筋肉質である方が良いのですが……素質は十分です。少し痩せ型の『受け』がいれば立派な『攻め』です! あの
「ぁ?」
そこでトゥアンは、はたと我にかえりキョロキョロと辺りを見渡した。
(失敗しましたぁぁぁぁぁ! ロイフェルトさんを見失ってしまいました! 一生の不覚!)
滴る涎を片手で拭いながら、トゥアンは慌てて
感知系視覚強化魔法である《心眼》は、発動してからの持続時間は10分程と長くはない。実は腐女子系ムッツリ残念美少女のトゥアンが妄想に駆られるとあっと言う間に過ぎ去ってしまう時間だ。
(目標は……)
木々を避けながら高速で飛行しつつ、トゥアンは懸命にロイフェルトの気配を探る。しかし、件の戦闘が行われている場所のマナの乱れの影響で、上手く探知する事が出来ない。
(取りあえず向こうに気取られないように回り込みながら……)
戦闘中の気配を避けて、大回りでワイルドリリー群生地に向かいながら気配を探るが見つからない。
(見事な隠行で本来ならば賞賛に値する御業ですが、あたしからすれば、余計な事をと八つ当たりしたくなる所業ですね。勝手な言いぶんであることは百も承知。異論は認めます)
一体誰に言ってるの? と言いたくなるような事を心の中で独りごちるトゥアン。焦りが行き過ぎてもう自分でも何を言ってるのか分からなくなっているようだ。
( あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛どうしよとうしよどうしよぉぉぉぉぉ! あたし1人じゃどうにも出来ないし、いっその事ブラッドリリーは諦めて……いやいやいやダメよそれは! これを逃したら、一生ブラッドリリーの百合根なんて食べられないから! なんとしてでもロイフェルトさんを見つけて……見つけて……見つけてぇ…………痩せ型イケメンと……受け……攻め……受け……攻め………………ジュルリ……)
『おい』
「ひぁ! (何?いきなり耳元に……)」
『何してんの。早くこっちに……』
「ひぁぁぁぁぁみみみみみみみ耳はらめぇぇぇぇぇ!」
『へ?……ちょ……ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』
もぞもぞクネクネ飛び回るトゥアンの様子を怪訝に思い、音波による探知魔法を応用し彼女の耳元に直接振動を声として届けるロイフェルト独自の魔法
気色悪さに一瞬そのまま見過ごそうかとも思ったが、流石に目覚めが悪いと思い直し、ロイフェルトは慌ててトゥアンの元へと走り寄り、大木に激突する直前になんとか間に合い抱きとめる。
「ウホッ、男子の胸板でござるぅぅぅぅぅ……」
「ちょ、な、き、君……ちょっっっっ離しなこの色欲……んがっ……」
慣れない男子臭に我を忘れ、錯乱したトゥアンは目を廻しつつもロイフェルトの胸元に顔を埋めてその体をガッチリ両手でロックする。
大木からは進路が逸れ激突は免れたものの、2人は弾丸さながらの急速回転で人間ロケットよろしく突き進んでいく。
その進路先には……
「だぁぁぁぁれぇぇぇぇぇかぁぁぁぁぁ! とぉぉぉぉぉめぇぇぇぇぇてぇぇぇぇぇくれぇぇぇぇぇ………」
ズッドォォォォォォォォン
叫びも虚しく、2人は不時着を余儀なくされたのだった。
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