第十二話:夢のないゴンドラ

 青天の霹靂のような諒の提案で、一同は目的地であるメルヘンエリアの観覧車前へとやって来た。


 そこに鎮座するのは全長約百十五メートルを超える、全国でも指折り数えるほどの巨大観覧車。

 その高さから園内だけでなく周辺の山々や海までをも一望でき、一度ゴンドラに乗れば、約十五分以上二人きりの空間を楽しめる。カップルに大人気の定番スポットである。


 諒はあおいと並び立ち、彼が手にしたスマートフォンを二人だけで見ていた。


「こんな感じでいいかな?」

「そうだね」


 頷いた諒が見た先には、ルーレットアプリの円の中に、均等に色分けされたエリア書かれた四人の名前が並ぶ。

 確認を済ませた後、彼等の前に並ぶ女性陣に、あおいはスマートフォンの画面を見せた。


「勿論抽選は一回だけ。誰が選ばれても恨みっこなし。いいかな?」


 笑顔でそう尋ねる彼に対し。


「うん。大丈夫」


 と、真剣な顔をする萌絵に。


わたくしも問題ございません」


 と、凛とした顔で答える椿。


「何時でもいいですよ」


 と言いながらも、緊張した顔をする香純かすみに。


「さあ、ばっちこーい!」


 わくわくした顔をする日向ひなた


 四人がそれぞれに違う表情を見せる中。


「諒。スタートを押してくれる?」

「うん。行くよ」


 何となく緊張した空気を感じ取りつつ、意を決して諒はスタートボタンをタップする。


  ダラダラダラダラダラ……


 ルーレットの円が回りだすと、同時に小さく鳴り出す軽快なドラムロール。

 女性陣は、ルーレットの行方を固唾を飲んで見守っていた。

 そして。


  ジャジャン!


 ドラムロール終了と共に停止したルーレット。

 運命を決める針が指した相手とは……。


* * * * *


 あおいと他の三人は、既にキャストの案内で先のゴンドラに乗り、諒達二人は最後のゴンドラを待つ。

 ゆっくりと近づいてきたゴンドラを見て、キャストが、


「どうぞお乗りください」


 と搭乗の案内をすと、二人はゆっくりと前に出た。


 先に諒が乗り込み、振り返ると自然に手を差し出す。


「気をつけてね」

「う、うん……」


 緊張した顔で手を取り、促されるようにゴンドラに乗ったのは……萌絵だった。


 彼女が乗り込んだのを見たキャストが、


「ごゆっくり空の旅をお楽しみください」


 と笑顔を向けると、ゆっくりと扉を閉める。

 そして、二人は互いに向かい合うように、ゴンドラのシートに腰を下ろした。


 やっと落ち着いたと、ふぅっと息を吐いた後、諒は萌絵の顔を見る。

 その視線に、彼女も上目遣いに彼を見た。


 はっきりと見て取れるのは、恥ずかしさ以上に感じる彼女の緊張。


  ──そんなに、緊張するものなのかな?


 二人きりでの観覧車。

 恋する乙女のその重要性を知らない彼は内心困るものの。そのまま何も話さない空気の気まずさは避けたいと、口を開く。


「萌絵さんって、観覧車は好き?」

「え、あ、うん。嫌いじゃ、ないよ?」


 質問に視線を泳がせ、思わず外に向ける彼女だったが。瞬間、ごくりと生唾を呑み込むと、改めて正面に向き直り、床に視線を落とす。


 露骨に見せる緊張感。

 太腿の上で握られた彼女の両手に、ぎゅっと力が入る。


 先程外で二人で会話した時とのあまりの空気の違いに、諒は思わず戸惑った顔をすると。ちらりとだけ視線を彼に向け、その顔を見て心情を察した萌絵の表情に憂いが浮かぶ。


 彼女は、確かに緊張していた。

 二人きりの観覧車のゴンドラ。それは最高の気分にさせるものなのに。


  ──私……また、諒君を、困らせてる……。


 そう思うものの。

 この緊張感だけはどうしようもない。


 確かに緊張はしている。

 だがその原因は、諒と二人っきりだからだけではない。

 諒という存在がいれば、きっと大丈夫だと信じていたのに。

 そうならなかった己の中にある恐怖が、そうさせているだけ。


 諒も彼女の顔色が変わっていくのを見て、やっとそこにある事実に気づいた。


「もしかして……萌絵さんって、高い所、苦手?」


 心配そうな顔で掛けられた声に、びくっとした彼女は、身体を小さく縮こまらせ、バツが悪そうに小さく頷き、身を震わせる。


「そんな……。なんで言ってくれなかったの? 日向ひなたさんも何も教えてくれなかったし──」

「だって!」


 諒が困った顔でそう口にした瞬間。

 萌絵が思わず強い声をあげると、やや青ざめた顔のまま、恐怖に潤んだ瞳を向けた。


「私も、諒君と二人っきりが良かったから」

「だけど、こんな無理に──」

「それでも一緒が良かったの! きっと日向ひなたも、私の気持ちを察して、敢えて何も言わずにいてくれたんだと、思う……」


 折角の二人っきりの時間。

 それなのに、想いとは裏腹に、楽しげな雰囲気を壊してしまっている事に、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。


「ごめんなさい。諒君きっと、観覧車から景色とか見て楽しみたかったはずなのに。私、自分のわがままで、また迷惑をかけちゃって……」


 今日の遊園地は、萌絵にとって決して楽しい時間とは言い切れなかった。

 ゴーカートの時も、確かに偶然諒と二人きりの時間を手に入れた。確かにそれに癒され、一度元気を取り戻したものの、内心彼に気を遣わせた後ろめたさは残っていた。

 そして。

 ガイストハザードで強く感じた恐怖心で、またも彼を心配をさせ。

 そして、折角提案してくれた観覧車ですら、こうやって彼を困らせている。


 折角の遊園地。

 諒や皆との楽しい時間を期待していたのに、現実はそれとは程遠い。


 気落ちする萌絵を見て、彼はふっと笑うと、突然こんな話を始めた。


「高い所で、怖くなる理由って知ってる?」

「え?」

「例えば、萌絵さんって高い所怖いじゃない。どんな所が怖い? 高く見える景色? それとも、観覧車とかなら揺れ? それとも風とか?」

「え、えっと……。多分、全部、かも」


 少し唖然としながら、萌絵は迷いつつそう答える。


「全部っていうけど、それぞれ個別に考えると、そうでもないと思うんだよね」

「どういうこと?」

「例えば風や揺れが怖いと思ったら、ゴーカートって絶対に乗れないよね。あれなんてそれらを感じる代表みたいなものでさ。って事はやっぱり高さをより感じる景色がいけないんだと思うんだ」


 そこまで言うと、諒はゆっくり立ち上がると、萌絵の方に移動し、萌絵の脇……ではなく、彼女の座るシートを背もたれ代わりに、直接床に腰を下ろし彼女を見上げた。


「萌絵さんごめん。汚いかもだけど、ちょっと隣に座ってみて」

「え? あ、うん……」


 あまりに突然の行動に驚きながらも、萌絵は彼に習うように、隣の床に座る。

 ゴンドラを覆う鉄板。それが二人の視界を遮り、それはムードもへったくれもない無機質さばかりの世界に早変わりする。


「諒君。これじゃ景色が見られないよ?」


 気まずそうに口にした萌絵に、諒はまたも笑いかけると、


「そんな事ないよ」


 と言って、正面を指差した。


 その先にあるのは、元々諒が座っていた側の窓の外。

 今は向こうが外周に面しているため、見える景色は青い空に、白い雲だけ。


「俺、高い所から景色見たりするのは好きだけど、やっぱり怖いと思うこともあってさ。例えば目の前が切り立った崖だったりしたら、脚がすくんだりするんだ。でも、そういう時に怖くならない方法があって」

「え? どんな?」

「空を見上げるんだ」


 彼はそれを体現するように、視線を彼女から外し、真っ直ぐに窓の先の空を眺めた。


「空って、どこにいてもそれほど変わらないんだよね。ゆったりと流れる雲に、温かな太陽が見えるだけ。そんな普段と同じ空を見てると、高さとか感じなくって、ただ落ち着くんだ。まあ、俺の場合だけど」


 ふっと苦笑いする諒の横顔を見た萌絵は、釣られるように空を見る。


  ──普段と同じ、空……。


 確かに。

 そこには青い空と白い雲があるだけ。大地も見えなければ高さを感じる何かもない。


 隣に諒がいる。それもあるだろう。

 だが、普段と同じ空をじっと見ている内に、萌絵の心が少しずつ落ち着いていく。


 ゴンドラは揺れ、風の音もする。観覧車は止まらず、ゆっくりと上っていく。

 それら全てが怖かったはずなのに。

 今、そんな気持ちが随分と和らいでいた。


「これなら、萌絵さんも少し安心できるんじゃないかな?」


 横目に彼女を見た諒の微笑みに。


「……うん。そうだね」


 視線を交わしふっと微笑み返す。

 そして、何方どちらともなく空に視線を戻すと、互いに何も言わず、しばらく空を眺めていた。


「諒君。変な事、聞いていい?」

「え? うん」


 ふと、少し低い声でそう問われ、諒は自然に彼女に顔を向ける。

 そこには、何処か切なげな萌絵が俯いていた。


「あのね。諒君って、私を嫌な女の子だって、思わない?」

「何で?」

「だって。告白してから私、わがままばかり言ってるし。すぐこうやって落ち込んで心配かけてばかりだし。この間なんて、諒君の気持ちも知らず、みんなで椿さんとの会話盗み聞きまでして。私、最近自分がすっごく嫌な子に思えて……。だから、諒君が嫌な気持ちになってないかなって、ずっと不安なの……」


 騒いだ弱気の虫が、彼女の心にあった本音を吐露とろさせる。

 確かに告白してからというもの、萌絵自身が一番感じていた。自分のそんなわがままさを。


 膝を抱え、憂鬱な顔で前を見る彼女の横顔に、少し頭を掻くと。


「ごめんね」


 諒は突然そう口にした。

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