第十三話:やっぱり

 諒の言葉に、萌絵は表情をそのままに、ゆっくりと彼を見る。


  ──「ごめんね」


 彼女の心で思い返された言葉。

 普通ならその先に、相手を傷つけるような言葉が並ぶものなのだろうか。

 しかし。覚悟した彼女に向けられたのは。


「俺。萌絵さんの嫌なとこ、思いつかないや」


 棘などひとつもない、素直な言葉だった。

 諒は少し困った笑みを浮かべた後、改めて空を見上げる。


「萌絵さんって凄いんだよね。俺の世界を変えてくれたんだから」

「諒君の、世界を?」

「うん。俺、今まで学校って、教室で一人でいるのが当たり前で、正直学校行くのが楽しいなんて思ったこと殆どなかったんだ。それなのに、新学期に入ったらずっとみんながいてくれて、笑顔で楽しそうに話しかけてくれる。椿さんと友達になった時も、学校で会うのもう少し辛いかなと思ってたけど、そんな事もなくって。本当に、学校が楽しいって思えてるんだよね」


 そこまで語ると、彼は少しだけ遠い目をする。


「もし何事もなく新学期迎えて、椿さんと再会してたら、多分初日でもう心が辛すぎて、ダメになってたと思う。だけどそうならなくて、学校生活を楽しいって思えてるのは、萌絵さんや日向ひなたさんがいてくれたから。そして二人に出逢えたのは、萌絵さんが告白してくれて、萌絵さんが友達でも嬉しいって、一緒にいてくれたからなんだ」


 静かに顔を向けた諒の笑みを見た時。

 萌絵は、彼が本当に幸せそうな顔を見せている。そんな気がした。


「だから、萌絵さんに感謝したい気持ちはいっぱいあるし、萌絵さんの良い所も沢山思い浮かぶんだけど。正直、嫌な所って言われてもさっぱり」

「諒君……」


 向けられし微笑みに含まれた感謝に、萌絵は暫し言葉を失った。


 自分は本当に、ただ申し訳なさしかなかったのに。

 自分はただ、本当にわがままなだけなのに。


 それをあっさりと全てを受け入れ、迷いなく笑みを浮かべてくれる彼の優しさに。


 心が震え。

 気持ちが昂ぶり。

 目頭が熱くなる。


「……もう。諒君、絶対私の事泣かそうとしてるでしょ」


 少し頬を赤くしながら、恥じらうように小声でそう言った彼女は、ぷんっとそっぽを向く。


 本当は、もっと彼の笑みを見ていたかった。

 だが、見せたくなかった。

 自分が幸せすぎて泣きそうな所を。


 顔を背けたまま、萌絵は彼の肩に頭をもたれる。

 少し驚いた顔をした諒に、彼女は少し震えた声で話し出す。


「本当は、今こんな事口にするべきじゃないって分かってる。わがままで、重すぎるって分かってる。でも……今だけ。今だけでいいから、言わせて」


 萌絵は目を閉じ、息を整えるように深呼吸すると。


「私……やっぱり、諒君が好き」


 そう言って目を細め、幸せそうな顔をした。


「諒君って凄いの。優しくて。気を遣ってくれて。ちゃんと私を知って、私の言葉を受け入れてくれて。ちゃんと本音も聞かせてくれて。こうやって、沢山幸せな気持ちをくれるの」


 溢れ出す想いは、溢れ出す言葉となり。

 それを抑える事などできぬまま、彼女は最後まで想いを紡ぐ。


「だから、好き。大好き。友達止まりで終わっちゃうかもしれなくても。諒君が椿さんとか、他の人を好きになっちゃうかもしれなくても。私は諒君を好きになって本当に良かった。本当に、告白して良かった。ずっと想ってて良かったって、思ってるよ」


 萌絵はふぅっとため息を漏らすと、今度は切なげな顔をした。


「ごめんね。酷い女の子で。恋が怖いって言われた後に言うべき事じゃないのに。本当に、ごめんね……」


 肩を震わせ、涙声になった萌絵の姿を、諒も少しだけ切なげな顔で見つめる。


「こっちこそごめん。優柔不断だし、臆病だし。すぐにちゃんと答えも返せなくってさ。ほんと、嫌なやつだよね」

「そんな事ないよ。だって私、どうやったって諒君を嫌いになれそうにないもん」

「それは俺も同じだよ」


 肩にもたれたまま、萌絵は彼を見上げ、涙目で微笑むと。

 諒もまた彼女を見下ろしながら、ふっと笑みを見せた。


「ありがとう。萌絵さん」

「それはこっちの台詞だよ。今日もいっぱい落ち込むことあって、遊園地をあまり楽しめてなかったのに。諒君のお陰ですっごくいい想い出になったもん。それに、高い所にいるのに怖くないし」

「そっか。それなら良かった」


 ふふっと小さく笑った萌絵に釣られ、諒もくすりと笑いあう中。彼等を載せたゴンドラは、気づけば頂上を越え、ゆっくりと下りに差し掛かる。


 和んだ空気の中。

 寄り添い座ったままの二人は、何となく目を逸らす事ができぬまま、互いにじっと相手の事を見つめてしまう。


  ──萌絵さん……。


 どこか甘く優しい香りに、彼女をより側で感じ。


  ──諒君……。


 どこかしっかりとした肩に、彼をより側で感じる。


 皆が憧れる美少女の、潤んだ瞳がそこにあり。

 想いを寄せている青年の、優しい瞳がそこにある。


 何を考えたわけでもない。

 そうしようと考えたわけでもない。


 ただ。

 交わした言葉や交わした笑みに、何か魔力でも宿っていたのだろうか。


 夢心地のまま、ぼんやりと見つめあっていた二人は。

 視線を逸らさず。何も言わず。

 まるで何かに吸い寄せられるように、互いの顔の距離を縮めていく。


 そして……。


  ガタンッ!


 突然、観覧車の動きが止まり、少しだけゴンドラが揺れ、互いに我に返った。


『皆様驚かれたかと思いますが、サプライズにございます。暫しそのまま、ゴンドラからの景色をご堪能ください』


 スピーカーから流れる、トラブルを誤魔化すような夢のある言葉に目を丸くした二人は、目の前に近づいていた互いの顔に驚きと気恥ずかしさでいっぱいになり、慌てて互いに視線を逸らした。


「き、きっと何かあったんだと思うけど、すぐ復旧するよ。怖いかもだけど、心配しないで」

「う、うん。大丈夫。諒君が、いてくれるし」

「そ、そっか。まあこの状況じゃ、置いていったりもできないし」

「そ、それはちょっと、酷いと思うな……」

「あ、あははは。そうだね。ごめん」


 諒は空を見上げ。萌絵は目を伏せ。

 互いにぎこちなく会話を交わす。


  ──お、俺……。今、何しようとした!?

  ──私、ど、どうしちゃったの!?


 本当に無意識の行動。

 残念ながら、互いの唇が触れ合う事はなかったが。ぼんやりと夢心地のまま取った行動は、十分に羞恥心を煽るもの。

 だからこそ、互いに真っ赤になり、鼓動が高鳴り。一体何をしようとしたのかと驚き、はっきりと戸惑いを見せた。


 空回りした二人の気持ちに釣られるように。


『お待たせいたしました。観覧車が動きますので、揺れにご注意ください』


 そんなアナウンスと共に、観覧車がまたゆっくりと動き出した。


 瞬間。

 互いに何かに安堵したため息をくと、はっとして互いを見る。


「よ、良かった。ちゃんと動いてくれて。ずっと高い所は流石に怖いし」

「た、確かにね。後は降りるだけだから、大丈夫だよ」


 何とも歯切れの悪い二人は、同時にため息を漏らすと、はっとして顔を見合わせると、照れを誤魔化すように苦笑する。


「……何か、変だったね。ごめん」

「ううん。でも戸惑ってる諒君、ちょっと可愛かったかも」

「そ、そういうのは……恥ずかしいから、言わないで欲しいんだけど……」

「だーめ。だって最近すぐ『萌絵さんって積極的』とか言ってからかうんだもん。お返しだよ」


 悪戯っぽく言う萌絵に、困ったように頭を掻く諒。互いにそれが可笑しくなったのか。互いに自然に笑い合う。


 こうして一息いた矢先。

 彼女は突然、ある事を思い出した。


「諒君」

「ん? どうしたの?」

「あ、あのね。わがままついでにもうひとつ、お願いがあるんだけど……」

「え?」


 少し恥ずかしげな顔をした彼女は、視線は逸らさず、とある話をし始めた。

 最初は少し驚いた彼だったが、話を聞き終えると少し考え込んだ後。


「うん。いいよ」


 そう、笑い返したのだった。


* * * * *


 キャストに開けてもらったドアからゴンドラを降り、観覧車の出口から出た諒と萌絵を出迎えたのは、怪訝な顔をする女性陣と、苦笑いするあおいだった。


「ん? どうしたの?」


 何故そんな顔をしているのか。

 思わず諒と萌絵が互いの顔を見合わせると、訝しげな顔のまま、日向ひなたがずいっと前のめりになる。


「ねえねえ。頂上付近で二人に手を振ろうと思ったら、窓から二人の姿が見えなかったんだけどさ~。もしかして、隠れてキスとかしちゃってた訳?」


 じと目で見つめる日向ひなたの一言にドキリとする二人。

 だが、勿論それだけでは済まされない。


「おにいみんなと一緒の時にそんな事するとは思ってないけど……。も、もう恋人になってて、本当にキスしてたとか、ないよね?」

「お、お二人がそのような関係だったのでしたら、教えてくだされば邪魔しませんでしたのに……」


 どこか不安そうな香純かすみに、申し訳無さ気な空気を出す椿。

 まるで、そこに既成事実しかないと言っているかのような態度に。


「ち、違うよ! 萌絵さんが高所恐怖症だっていうから、外が見えない方が怖くないかなって床に座ってただけ!」

「そ、そうだよ! 私本当に怖くって。だから諒君が起点を利かせてくれたの!」


 慌てて両手を振り否定する二人だが、流石に、疑惑に対する未遂の行為があったなどとは、口が裂けても言えない。


 そして、彼女の高所恐怖症は日向ひなたも知る所。だからこそ、そんな二人の困った反応を見て一転。彼女は悪戯っぽく笑うと。


「やっぱりそっか~。きっと諒君の気遣いだよね~。やっさし~」


 茶化すようにそんな言葉を掛け、より二人を困らせるのであった。

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