第十四話:優しき彼

 皆で楽しく諒の部屋で過ごした、その日の夕方。


「お邪魔しましたー!」


 玄関で靴を履いた日向ひなたは、くるりと振り返ると元気にそう挨拶をした。

 相変わらずの姿に、皆は思わず笑顔を交わす。


「諒君。また学校でね」

「うん。今日は色々心配してくれてありがとう」

香純かすみ様も。また一緒にお話しましょうね」

「はい! 今日はありがとうございました!」

「諒。まずはお大事に。お母さんにもよろしく伝えておいて」

「ああ。ありがとな。あおい

「じゃっ! 諒君も妹ちゃんも、またね!」


 皆が思い思いの言葉を掛け合った後。皆で笑顔で手を振り合うと、諒と香純かすみを残し、皆は玄関を出て行った。


 玄関のドアが閉まった後。

 諒はドアの横の磨りガラスから、人影が塀の向こうに消えたのを確認すると、その場にふらっと力なく座り込む。


「おにい!? 大丈夫!?」


 慌てて香純かすみもしゃがみ込むと、彼の状態を確認した。

 少し呼吸が荒い。顔色も決して冴えない。

 それを見て、彼女は直感する。


「おにい、やっぱり辛かったんでしょ……」

「……悪い」


 諒は荒い息を何とか整えようとしながら、心配そうな目で見つめる妹に、無理に笑いかけた。


 まったく平気。そんななはずなどない。

 想いを伝えようとも。友達になろうとも。

 過去の心の傷は、そうやすやすと癒えなどしないのだから。


 だが、諒はそれを隠し通し。心の痛みに耐え。ただ、笑い続けた。

 まるで、そこにはもう心配などないかのように。

 自分が、少しでも変わるために。


「どうせおにいの事だもん。みんなが仲良くなれそうな雰囲気、壊したくなかったんでしょ?」

「まあな。でも助かったよ。お前、それに気づいてて日向ひなたさんの話に乗ってくれてたもんな」

「本当は、嫌だったんだよ……」


 思わず目を潤ませた香純かすみが、ぎゅっと兄に抱きつく。心配にその身を震わせながら。


「ごめん。だけど、俺も慣れないと、変われないからさ」

「……おにいは優しすぎるよ」

「お前には勝てないよ」


 ふっと笑みを見せた彼は、耳元に聴こえる嗚咽を戒めとして心に刻みながら、優しく彼女の頭を撫でてやる。


「ありがとな。何時も」

「いいの。今までおにいに沢山助けてもらったもん。だから私もおにいの助けになりたかったし」

「……ほんと、お前が兄想いの妹で良かったよ」


 その言葉に、彼女は兄から離れると、涙を指で拭うとにこりと微笑む。


「私も。妹想いのおにいが居てくれて、本当に良かった」


 珍しく嫌味や皮肉、自慢もなく、まっすぐな言葉と笑顔を返された諒は、一瞬驚いた顔をした後。少し恥ずかしそうに頭を掻くと、壁に手を突きながらゆっくりと立ち上がる。


「とりあえず、夕飯までベッドで横になっておくよ」

「じゃあついて行こっと」

「別にいいって。お前も疲れたろ? ゆっくりしておけよ」

「つまり、疲れてないなら良いんだよね?」

「……まったく」


 釣られて立ち上がると迷わず肩を貸す香純かすみの悪戯っぽい笑みに、ふっと呆れ笑いをしながら、諒は彼女と共にゆっくりと階段を上り、部屋へと戻っていくのだった。


* * * * *


 先にあおいと別れ、水宮みずのみやえきまでの道を歩いていた日向ひなた、萌絵、椿の三人。

 日向ひなたと椿が楽しそうに話をする中、萌絵だけは、どこか冴えない表情で二人と並び歩いていた。


 彼女の心には、ひとつの不安が過っていた。

 皆と友達になった椿。

 それは、彼の初恋の相手。


  ──諒君は「初恋は終わった」って、言ってたけど……。


 すれ違った二人は、相思相愛だった。

 そんな相手が側にいたら。自分ではなく、彼女を選ぶのでは。

 そんな不安が、どうしても心に陰を生んでしまう。


 ちらりとその表情を見た日向ひなたは、ふぅっとため息をくと。


「萌絵。椿さん。ちょっとだけ真面目な話、良いかな?」


 一度歩みを止め、表情に真剣さを浮かべ、二人を見る。

 椿と萌絵は、同じく足を止めると、互いに首を傾げながら、彼女に向き直った。


「私達も友達になったからさ。こういう話は先にちゃんとしておこうと思う」

「何を、でしょうか?」

「勿論。諒君の恋の話」


 突然の言葉に、はっとした萌絵が思わず不安げに日向ひなたを見るも。真剣な表情のまま、彼女はそのまま話し始めた。


「あのね。つい先日春休みに入る前に、萌絵は諒君に告白したの」

「萌絵様が、ですか?」

「うん」


 その言葉を聞き、椿は戸惑い……ではなく。同じ真剣さを表情に見せる。


「でさ。萌絵って幼稚園の頃から諒君ずっと見続けてたわけ。だけど諒君は萌絵の事まったく知らなくって。それで、まずはお互いを知るため友達からって話になって、今の状況にあるの」


 萌絵は何処か申し訳なさそうに俯き。椿はその言葉に返事はせず、じっと日向ひなたを見つめる。


「諒君はこの間病院で、こう言ってたんだ。『恋をするのもちょっと怖い』って。だけどきっと、椿さんとも友達になって、椿さんの事を知っていく内に、改めて好きになっちゃう可能性もあると思う」


 自身が考えていた事を迷わず口にする彼女に、萌絵は少し唇を噛む。


「でさ。多分椿さんって、今でも諒君の事好きだよね?」


 歯に絹着せぬ突然の問いかけに、彼女の目が少し泳ぐも、決意を固めたのか。


「いいえ、と言えば……嘘になると、思います」


 そう、改めて口にする。


「勿論、萌絵も諒君が大好きだよね?」

「……うん」


 思い詰めた表情のまま、萌絵もまた強く頷く。


 そんな二人の反応を見た日向ひなたは、突然笑みを浮かべた。


「でも、諒君を急かしたら可哀想だからさ。まずは一緒に友達として、諒君を沢山知っていこう?」

「え?」

「どういう、事でしょうか?」


 言葉の意味が分からず戸惑い、顔を見合わせた萌絵と椿に、彼女は屈託なく笑う。


「言葉の通りだよ。椿さんも私達も、諒君と友達。だから二人がお互い恋敵だからっていがみ合うのは絶対ダメ。諒君がそれ知ったら絶対悲しむし、苦しむもん」

「確かに……そんな気がする」

「そうですね……」


 今回の件で知った、諒の強い苦悩を思い返し、萌絵と椿は少し切なげな顔をする。


「それに、私も萌絵も、椿さんも。まだまだ諒君の知らない事いっぱいあるじゃん。だから、みんなで色々な諒君を知って、お互いに共有するの。そしたらきっと、諒君の事もっと好きになれると思うし、もし選ばれなくても、諒君好きで良かったってきっと思えるよ。だから、そうしよ? ね?」

「……うん。確かに、そうだよね」


 日向ひなたの言葉を聞き、萌絵は納得した顔で頷いた。


 確かに、諒は優しい。

 だからこそきっと、友達である皆が仲良くあってほしいと願うだろうと。

 だからこそ、心に決意する。

 彼が望むなら、頑張れると。きっと彼なら、辛くてもそうする気がしたから。


わたくしも、異論はございません」


 椿もまた、萌絵と同じくしっかりと頷く。


 傷ついても、優しかった彼を知った。

 だが、自分はこれまで友達ですらなく、優しい以外の彼を殆ど知らないのだ。

 であれば、これから彼を傷つけない為にも。何よりすれ違わない為にも、彼を知ろうと決意する。


「うん。じゃ、この話はここまで!」


 二人がふっと微笑んだのを見て、日向ひなたも笑顔で頷いた後、ゆっくりと歩き出した。

 釣られて二人もそれに続く。


「でも諒君ってどこまで優しいんだろうね〜。今日だって私達の代わりに、椿さんに謝ってくれてさ」

「確かに。あれは流石に驚いちゃった」

わたくしも少し驚きました。ですが、諒様らしいと思います」

「ほんとほんと。あんなのされたら惚れ直しちゃうでしょ~」

「え?」


 突然の一言に、萌絵が戸惑いの声をあげると。横目で彼女を見た日向ひなたがにんまりとする。


「そりゃ、萌絵も。椿さんもって事」

「……本当にそれだけ?」

「さあ、どうでしょう?」


 にっしっしと笑うその顔には、悪戯っぽさしかない。

 からかわれているのかと萌絵が少し不貞腐れると、椿がそんな二人を見てくすくすと笑う。


「お二人は、本当に仲が良いのですね」

「でしょ~? だから椿さんも仲良くしようね?」

「はい。萌絵様も是非」

「うん。こちらこそ」


 こうして三人の友達は、楽しげな笑みを浮かべつつ、家路に向かうのだった。

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