幕間:互いに相手に困らされ

「おにい、本当にごめんね」


 その日の夕方。

 家に帰った諒が椅子に座り机に向かっていると、突然部屋にやってきた香純かすみは、開口一番深々と頭を下げた。

 ありありとする反省の色。

 彼にとっては終わった事だっただけに、思わず苦笑いする。


「もういいって。本当に気にするなよ」

「うん……。ありがと」


 そう慰めるように口にすると、弱々しく笑みを返した彼女は、部屋のドアを閉めると、諒のベッドに腰掛けた。


「萌絵先輩とのお泊りは楽しかった?」

「楽しかった部分もあるけど……緊張した時間のほうが長かったかな」

「そっか。勿論、変なことはしてないよね?」


 先程までの反省は何処へやら。

 いきなり色々と確信に踏み込んでくる香純かすみの神経の図太さに、諒は何とも言えない気持ちになる。


「そんなの出来るわけ無いだろ」


 何処までが変な事かは置いておくとして。

 恥ずかしい事はあったものの、本人はそれをあまり変だと思ってはいなかった彼が迷う事なくそう返すと。少しほっとした彼女の表情が一転した。


「確かに。おにいにそんな勇気があったら、とっくに萌絵先輩と付き合ってるし、それじゃなくても前から彼女位できてるよね」


 勝手に納得するように、うんうんと頷く香純かすみの姿に、思わず大きなため息をく。


  ──「私だったら、大好きなお兄ちゃんの側に居られて幸せだと思うけど」


 ふと、萌絵に言われた言葉を思い出すも。


  ──萌絵さんの勘、やっぱり外れてるって。


 こんな扱いをされてたら、そこに好意など感じられるはずもない。


 無意識に彼女を凝視していたのか。

 香純かすみが、そんな兄の妙な視線に首を傾げた。


「ねえ。何かあった? 私の顔に何かついてる?」

「え? あ、いや、別に。何でもないよ。何でも」

「ふ~ん……」


 微妙な返しをいぶかしんだ香純かすみは、じっと諒を見つめた後。


「まあ、こんな可愛い妹が目の前にいたら、見惚みとれちゃうよね」


 ふっと笑みを浮かべたのだが。


「え? ないない」


 あっさりとそれを否定する諒に、表情を一転。白けた目線でこんな宣告をした。


「……おにい。今日私が母さんとご飯用意するけど、おにいの分なしでいいよね?」

「ちょ!? お前なぁ!」

「おにいが悪いんです~。それでなくても仮にも恋人役をしてあげたのに、その魅力も感じないなんてありえないんだから」

「それとこれとは関係ないだろ!」

「おおありです~!」


 慌てる諒に対し、腕を組み不貞腐れる香純かすみ

 そんな妹の兄の尊厳すら感じない扱いばかりを感じ。


  ──やっぱ、ありえないって。


 諒は肩を落とし、ただただ呆れるばかりだった。


* * * * *


 同じ頃。

 萌絵は自室のベッドにごろりと横になりながら、日向ひなたとの通話をしていた。


『ふ~ん。じゃあ手は繋いだわけね』

「う、うん。迷子にならないようにって」

『諒君、案外やるな~。あ、でも妹ちゃんと手を繋ぎ慣れてそうだし、何か色々気遣っただけなのかも。まだまだ恋人気分は遠いかな~』

「きっと、そうかも……」


 通話の内容は勿論、彼との一晩について。

 日向ひなたとしては、彼女の恋が少しでも進展するような何かがあったのか、興味津々なのだが。

 萌絵は萌絵で、あまり余計なことを話せば色々と勘ぐられてしまう為、とにかく言葉を選んで応対していく。


 そのせいか。

 そこでは普段通りのようで、実の所鍔迫り合いのような会話の攻防が繰り広げられていた。


『で。温泉は一緒に入ったの?』

「は、入れるわけないよ……」

『そっかあ。ま、流石に裸の付き合いはまだ早いよね~』


 いきなり確信を突く日向ひなたの質問に、たどたどしく萌絵が返す。

 そこにある恥ずかしさを感じてか。

 日向ひなたもその言葉を疑う様子は感じさせなかったのだが。


『で。二人で同じ布団に寝たりとかは?』


 その質問一つ一つに、どこか彼を意識させようとするような悪戯っぽさを感じ。


「寝てません! もうっ! 日向ひなたってすぐそうやって馬鹿にするんだから!」


 耳元に彼女の笑い声を聞きながら、萌絵は顔を真っ赤にする。


『だって恋人目指すんだからさ~。既成事実でも作っちゃえば早いじゃない?』

「そんなの諒君に迷惑でしょ! 何で何時もそうなのよ?」

『そりゃ、あまりに二人が進展ないんだも~ん』

「当たり前でしょ! 告白してからまともに逢ったの、まだ三回目なんだよ!?」


 はっきりと不満を口にする萌絵の耳に、通話越しに大きなため息が聞こえた後。少しだけ真面目な声が聞こえた。


『でも、ずっと見てきたんでしょ?』

「う、うん。そりゃ、そうだけど……」


 日向ひなたもまた、彼女が告白すると聞いた時、過去ずっと片想いしていたのを聞いている。

 だからこそ、うまくいって欲しい。そんな雰囲気を醸し出す一言に、萌絵の言葉に真剣な迷いが籠る。


『諒君の良さは分かってるんでしょ?』

「勿論、分かってる」

『彼、素敵なんでしょ?』

「そりゃ、素敵に決まってるじゃない」

『寝顔だってきっと、沢山見てたんでしょ?』

「だって……。こんな機会、もうないかもしれないし……」

『で、一緒に温泉に入ったりしたんでしょ?』

「それは、その……って、し、してません!」

『はいダウト~! 今すぐに否定しなかったもん。どうせ水着なり着て、温泉一緒に入ったんでしょ? 萌絵ってそういう所わっかりやすいもんね〜』

「ち、違うの。その、あの、ね……」


 真面目さは罠。

 あっさり日向ひなたの策にはまった萌絵は、戸惑い、狼狽うろたえ、恥ずかしがりながら。


 その後小一時間。

 散々彼女に根掘り葉掘り聞かれ、いじられるのであった。


* * * * *


 余談であるが。

 夜になり、諒は日向ひなたとの情報交換を終えた香純かすみから、


「おにい! やっぱり萌絵先輩と変な事してたじゃない!」


 と、強いお咎めを受け、自身の行動が少しやり過ぎだったと知るのは、また別のお話。

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