第44話 伝承の魔女
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ニコラス・オーウェンは先代の死後、若くして伯爵家を継いだ。
勤勉で真面目なニコラスはやがて宰相の補佐官に抜擢され、重要な宮中行事を取り仕切り成功させ、その働きを認められて違例の出世をする。仕事もでき人当たりも良く、ただ一人の家族である弟との仲も悪くはない。
ゲーム冒頭のニコラス・オーウェンの立ち位置はせいぜい“才能のある若い補佐官”だった。
けれど彼は、のちのクラティア史に残る奸臣として名を残すことになる。
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「ゲームの兄上は野心家だったという話が、そもそも解せない。今の兄上はもちろんだが、もともと兄上は」
と、そこでアーサー様は遠くを見るように目を細めた。
「子供の頃は、過ぎるほどに大人しい兄だった」
「大人しい?」
「そう。勉強が好きで、剣術はあまり好きではなかった。暇さえあれば本を読んでいて寡黙だったが、たまに俺が興味を持つと嬉しそうに話をしてくれた」
「寡黙……?」
「兄がべらべらと喋るようになったのは父上がお前を屋敷に連れ帰ってからのことだ」
そう、私の知っているニコラス兄様はいつだって傍にいてくれて、いろいろな話をしてくれた。どんな質問にも答えてくれたし、不安なときは慰めてくれた。
「おそらく本来は穏やかな兄なんだ。だから、どう考えても“ゲーム”のニコラスに繋がらない。国を亡ぼすほどの動機があったのか?」
「……」
アーサー様の言うとおりだ。ゲームのニコラス・オーウェンとニコラス兄様とでは、あまりにもイメージがかけ離れている。
あの昼行灯みたいな人が、領地が大好きな伯爵が、義妹の私を溺愛してくれている兄様が、国を滅ぼすほど憎む理由――、
ああ、ひとつだけ思い当たる可能性がある。
「アーサー様は、奥方様……、お母様がどんな方か、覚えていますか?」
「母上?」
意外だったのだろう、アーサー様は軽く目を見開いた。
奥方様が亡くなったときアーサー様は物心がつくかつかないかという歳だったはずだ。
「いや、母上のことはほとんど覚えていない」
「そうですよね……、」
「しかし、母上が“魔女”の血筋だったという話は聞いている」
「えっ」
知ってるの?
という驚きが顔に出ていたのだろう、アーサー様は微かに笑ってベッドのニコラス兄様をちらりと見た。
「父上が教えてくれた。自分の血筋を知らないのはフェアじゃないだろうと言って」
「そうでしたか」
ニコラス兄様はアーサー様を思いやって黙っていたけど、知っていたんだ。
だってたいていの場合と同様、この国でも“魔女”は悪役だ。忌避されていると言ってもいい。そもそも、この地を治めていたのは悪辣で欲深い魔女で、勇者がその魔女を倒し国を興した、というのがクラティア建国の伝承だ。
「しかし、どうやら俺は父上に似たらしい」
「ええ、アーサー様はお父様にそっくりですもの」
「兄上は母上似だな」
母親に、奥方様に似ているからといって“魔女”の血を受け継いでいるわけではない。ニコラス兄様は魔法を使えない、くだんの家系で魔法を使えるのは女性だけだと言っていた。
それからもう一つ、一族に引き取られたという生まれたばかりの妹の話を、アーサー様は聞いているんだろうか。
「……アーサー様は、どう思われました?」
「魔女の家系について、か?」
「はい」
「特に何も。魔女なんて伝承の存在だと思っていたからな、話半分に聞いていた」
口ぶりからして、妹の話は聞いていないのだろう。それを知っていて平静でいられるアーサー様ではないもの。ニコラス兄様からその話をきいた時と同じように胸のあたりがもやもやしたけれど、今はそれどころではない。
「そうですわね。私も魔女なんて絵本の中の存在だと思っていました」
前世でも、この世界でも同じだ。魔女なんて、魔法なんて物語の中の存在だった。
だけど、魔女はいたのだ。今もその一族は、この国にいるのだ。
前世の記憶を持った"私"が存在するのだもの、魔法使いや魔女がいたって全く不思議ではない。
魔女、魔法使い?
頭の中でなにかがぱちんとはじけた気がした。
「……あの亡霊」
王子たちが小さいころからお城にいたという、宰相や王妃、それから何故かお兄様の傍に現れる、謎の亡霊。シャンデリアを落とし、馬をアルバート王子けしかけようとした、あの小柄なフード姿。
「ひょっとしたらあれは、“魔女”ではないでしょうか」
「いや」
アーサー様が即座に首を振る。
「魔女の一族は絶対に王家を攻撃できない」
「え?」
「そういう呪いがかけられていると父上は言っていた。だからこそ、母上との結婚も条件付きで許されたと」
「まじないって……、」
そうだ。魔法なんて便利な力を持っていて、それでも王家に逆らわないその理由。
『王家のほうが強いから』そう言っていたのはニコラス兄様だっけ。
「クラティア建国の物語はあながち作り話ではないのかもしれないな」
「もし……、王家のご先祖様が魔女を倒してこの国を作ったのなら、“魔女の一族”がその子孫だとしたら、王家を恨んでいても不思議ではないですよね?」
「何百年も前の恨み、か。だとしたら執念深い」
「何百年も積み重なった恨みだとしたら妥当です」
なにせ相手は亡霊(仮)なのだ。ユーレイでふわふわした存在なのだ。
どんな突飛なことだって考えなければ始まらない。
「しかし、そうだとしても対策が無いな」
そう、私たちにはどうしようもない。
魔女が相手なら、こちらも魔法を使えなくては。だから。
「……宮廷魔導師を探しましょう、アーサー様」
「本当にいるかどうかもわからない人物だぞ」
「アルバート王子に訊けばなにかわかるかもしれません。アーサー様はユリウス王子に。それで駄目なら、なんとかして陛下にお会いするしかないと思います」
ニコラス兄様が倒れたのだ。
もう猶予は無いし、体裁を気にしている場合でも、手段を選んでいる場合でも無い。
「アリスは案外、兄上に似ているな」
「え?」
「いや、わかった。明日にでも各所に掛け合おう」
「本当ですか!?」
「だから今日は部屋で休め。兄上のことは俺とアンナで看るから心配するな」
「でも、」
言い返そうとすると、アーサー様は今度こそ断固とした威厳をもって私に言い渡した。
「でも、じゃない。ひどい顔色だぞ。お前まで倒れてどうする」
ベッドに押し込まれても、ちっとも眠れる気がしない。
何度目かの寝返りを打ったとき、部屋の隅からにゃあんと鳴き声がした。
「……ブラン?」
「にゃあん」
薄闇のなか、真っ黒な影がふわっとベッドに上がってくる。
「お前、ずっと部屋にいたの?」
「にゃ」
「不思議な子。本当に言葉がわかるのね?」
「にゃ」
「舞踏会のあのときも、ちゃんとわかっていて助けてくれたんでしょ」
「にゃー」
最後の返事はやや間延びして、まるで誤魔化しているように聞こえた。
私は身体を起こす元気も無く黒猫の頭をそっと撫でる。ブランはぐるぐると喉を鳴らした。
「ニコラス兄様が倒れてしまったの」
「ふにゃ」
ベッドに横たわったお兄様の青白い顔が浮かんで、また涙が出そうになる。
私がもっとうまくやっていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。できるだけ穏便に、なんて欲張るんじゃなかった。
ぐるぐる考えていると、ブランがひょいと近づいてそっと私の頬に頭を擦り付けた。やわらかい、暖かい毛並み。
「ねえ、お兄様が目を覚まさなかったらどうしよう」
ああ、本当にどうしよう。
「お兄様がしんじゃったら、どう、しよう……」
もしそんなことになったら、私がここにいる意味なんてない。
いつだって優しくて異常なくらい私に甘いニコラス兄様。だけどこんなことになるなら、悪役でもいいから元気でいて欲しかった。そんなふうに考えたらまた鼻の奥がつんとしてくる。駄目だ、涙腺がガバガバだ。
堪えきれなくて毛布を被ろうとすると、真っ黒な猫にぺろりと頬を舐められる。
「ブラン……お願い、ニコラス兄様を、助けて」
しゃくりをあげて泣き出した私を慰めるように黒猫が低い声で歌うように鳴いた。
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