第41話 王妃襲来


「母上」

「アルバート、良い午後ですね」


 ひええ、王妃様じゃん!

 許しが出るまで頭を上げるわけにはいかないので顔が見えないのがせめてもの救いだ。

 うう、あからさまに嫌な圧を感じます。


「母上の機嫌が麗しいなら何よりです」


 応える王子の声は限りなく素っ気ない。

 アルバート王子の話が全てそのまま事実なら王妃様はけっこうな毒親ですものね。


「ですが、今は来客中ですので」

「来客」


 ひいいぃコワイこわい怖い!

 氷のような視線を感じます~もうダメだ!


「……そこの者、顔を上げなさい。許します」


 ええ、私のことでしょうか。私のことだろうなあ……。

 落ち着こうと悟られないように息を吸って吐く。平気平気、既に舞踏会で不興は買っているのだ、たぶんこれ以上悪くなることはない。ないと思いたい。


「お許しをいただき、望外の喜びです」

「……」


 ここは控えめに、どうにか穏便にやり過ごそう……やり過ごせるといいなあ。


「オーウェン伯爵の妹、ね」

「はい。アリスと申します」


 名乗りたいわけではない、こういう時は名乗らなければならないのだ!

 ああ、視界の端でノエルが心配そうな顔をしる。正面のアルバート王子は何故かちょっと楽しそうだ。ねえ、どうして楽しそうなわけ?


「伯爵家の娘とは名ばかり、先代がどこかで拾ってきた孤児だと聞いていますが」


 王妃の声には明らかな侮蔑が込められていた。おあいにくさま、こちとらその手の皮肉には慣れっこなのだ。


「仰る通りです」

「認めているのなら、身の程をわきまえなさい」


 慣れているのでとくにダメージは無い。ダメージは無いけれど、こういう時どういう顔をしているのが正解なんだろう。

 普通だったら恥じ入ったり悲しんだりするところだろうけど、そもそも価値観が違うのでどうでもいいことを言ってるなーくらいにしか思わない。


「素性も知れぬ娘が、王子に取り入ろうとは厚顔無恥にもほどがあるでしょう」


 美しい王妃の唇から漏れる言葉は呪詛のように淀んでいる。

 面倒だからこの場は謝って出て行こう、と口を開く前にアルバート王子が私の前に立った。待って待って、かばってくれるつもりかもしれないけど、火に油じゃない?


「母上、言葉が過ぎます」

「いいえ、アルバート。貴方はこの国の未来の担う身なのですよ。そのような娘に関わって何になるというのです」

「前にも言いましたが」


 と、王子の声が鋭く尖る。


「アリスは俺の恩人で、エミリア王女の恩人でもあります。いや、恩などなくても今は彼女を友人だと思っている」


 うん。

 そういうところだぞ、アルバート王子。

 不良少年がちょっと見せる男気とか優しさとか、鉄板ネタが過ぎるけどやっぱりぐっと来るじゃん? 惚れずにいられないじゃん? いや惚れませんけどね?


「アリスへの侮辱は俺への侮辱も同意です。たとえ母上でも看過できません」

「看過できない? ならばどうするつもりですか?」

「アリスに謝って下さい。でなければ、今後貴女を母上として敬うことなど、到底できない」

「……っ!」


 いやっ、さすがに言い過ぎです王子。

 王妃様にものすごい目で睨まれて、私は思わずアルバート王子の影に隠れた。しまった、あざとい、あざといぞ私!!


「アルバート、お前は……!」


 わなわなという擬音を体現しながら、王妃が一歩こちらへ近づいた、その時だ。


「!」


王妃の影から、すうっと“亡霊”が現れた。


 あいかわらず深くかぶったフードで顔は見えない。長いローブの下がどうなっているのか知れないが、浮いているわけではなく長い裾を引きずっている。


「アリアさま」


 いつの間にかすぐ背後に来ていたノエルが、低い声で囁いた。

 見えている。おそらくはアルバート王子にも見えているだろう。

 この部屋で今、“見えていない”のは王妃様だけだ。


「おどきなさい、アルバート」

「母上……、母上にはが見えないのですか」


 アルバート王子が低い声で囁く。

 幽霊は王妃のすぐ脇に立って、じっとこちらを伺っている。


「見える? 何のことです」

「亡者です」

「え?」

「貴女の傍にいる亡霊ですよ。そいつはよほど母上がお気に入りらしい」


 揶揄するような声に、王妃の顔が赤くなる。


「お前はまた、世迷い言をっ……!」


 激高する王妃に対して、アルバート王子は動かない。亡霊もただじっとこちらを見ているだけだ。王妃の視線はまっすぐに私を捉えている。


「そこをどきなさい、アルバート!!」


 ヒステリックな声が部屋に響き、空気が張り詰める。


「なにやら騒がしいのう?」


 瞬間、間の抜けた、けれど張りのある美しい声が突然割り込んできた。意表を突かれ、室内の誰もが対応できない間に、声の主がするりと部屋へ進んでくる。


「エ、エミリア王女」

「おお、ドロテア妃もここにいたか。話を邪魔をしたのなら申し訳なく思う」


 隣国の王女は無邪気に笑った。


「しかし、アリスが来ているとニコラス殿から聞いたのでな。どうしてもまた話をしたくて参ったのじゃ。アリスはこの国で最初の友人じゃからのう


 ちらりと入り口を見たエミリア王女の視線を追うと、ニコラス兄様が唇をへの字にして控えている。もしかしたらエミリア王女の要望にかこつけ私たちの様子を見に来たとか?

……兄様なら平気でやりそうだから怖い。


「ニコラス兄様……」

「オーウェン!! これは一体どういうことです!」


 狼狽した王妃の怒りの矛先が、瞬間的にニコラス兄様に向けられた。

 だけど兄様は冷ややかな目で慇懃に礼をとる。


「国賓たるエミリア王女のご要望でしたので、私の責任でお連れいたしました」

「ここはアルバートの部屋です。出過ぎた行為ではありませんか」

「エミリア王女を招いたのはユリウス王太子です。王が病床にある今、王太子が王の名代にして我々の主ですから」

「……っ!」


 あー、王妃様の血圧が上昇しちゃう!

 ニコラス兄様はやろうと思えば相手の神経を逆なでするのがものすごく上手なのだ。王妃は今度こそ比喩ではなくわなわなと震え、キっとニコラス兄様を睨んだ。


「お前の家はどうなっているのです!」

「私の家、ですか?」

「伯爵家といえども、オーウェン家は建国から王家に仕える家柄でしょう」

「その通りです」

「それなのに、こんな」


 あ、指さされた。

 人を指さすのは失礼なんですよ。前世でもこの世界でもそれは一緒だ。


「こんな得体の知れない小娘をアルバートに近づけるとは何事です!!」

「……、」


 すうっと空気が冷えるのがわかった。

 ニコラス兄様はほとんど表情を変えず、王妃様をじっと見据えている。

 と、同時に傍らの亡霊がわずかに顔を上げて口元だけが覗いた。


 白い貌。

 赤い唇。

 微笑っている。


「な、何ですその顔は」


 王妃様が狼狽えるのも無理は無い。

 王妃だけでなく、アルバート王子もノエルも気圧されたように動かない。

 駄目、駄目だ。これはまるでゲームの、『クラティア戦記』のニコラス・オーウェンだ。王家を王家とも思わず数々の策略を張り巡らし、味方だったはずの宰相や王妃をも簡単に裏切り、王家を転覆させ、国を滅ぼしたあの男だ。


 見たことのない冷たい瞳のまま、ニコラス兄様は王妃へ一歩近づく。フードの幽霊はすうっと兄様に寄り添って、ゆっくりと右手を上げようとしていた。


 


「兄様!」


 冷え切った空気をかき分けて、私は大好きな兄に駆け寄った。



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