第40話 彷徨う亡霊


「いったいどういうことだ?」


 あーもう、なんだかややこしいことになってしまった。

 そう、ここはなんとアルバート王子の私室なのである。誰かに知れたら非常に面倒な状況なのである。

 しかし王子とじっくり話をする貴重な機会なので、気後れしている場合では無い。


「これまであれが、俺を攻撃したことなんて無かったぞ」

「王子を狙ったとは限りませんわ」

「気休めを言うな」


 王子の言うとおりだったので、私は小さく息を吐いた。

 部屋は広くて気持ち良く掃除が行き届いているけれど、装飾品などは少ない。

 壁際の棚に帆船の模型がいくつか飾ってあるのが目につくくらいだ。


「そもそも、俺にはあれが見えなかった」


 子供っぽく唇をとがらせて、アルバート王子は私を睨む。


「殿下の位置からでは、お兄様の影で見えなかったのではないでしょうか」

「それにしたって、去って行くところも全く見えないのはおかしいだろ」


 ま、それはそう。

 あの一瞬ははっきり見えたけれど、いつのまにかいなくなってしまった。こうなるとやっぱり幽霊説が濃厚なのかしら。だけどその割にこう……、質量を感じた気がしたのだけど。


「クソ、いよいよもって幽霊……いや、亡霊か……」


 人払いをしたので部屋にいるのは私と王子、それからドアの前に立っているノエルの3人だけだ。ニコラス兄様は最後まで良い顔をしなかったけれど、王子が鋼の意思でお部屋に招いてくれたのである。私としては当然兄様も来ると思っていたし、兄様も途中までそのつもりだったらしいけど、クレアさんが迎えに来て問答無用で兄様を引き摺って行ってしまった。

 お仕事お疲れ様です、お邪魔して申し訳ありませんわ……!


「そこの護衛、お前は何か気付かなかったか?」

「いえ、自分は何も」


 王子の問いかけに緊張しているのか珍しく硬い声で、ノエルが間髪入れずに応える。


「ということは、やっぱり見たのはアリスだけか」

「でも、気の迷いでも見間違いでもありませんわ、絶対!」

「別に疑ってるわけじゃない」


 アルバート王子はちょっと目を丸くしてからうーんと腕を組んだ。

 

「本当に、は何がしたいんだ?」


 そう、そこがわからない。というか何もかもよくわからない。

 アルバート王子の言うとおりならば、あの亡霊は王子が小さい頃からこの城いた。ユリウス王子もアルバート王子も、しょっちゅう見てきたという。

 悪さをしはじめたのはたぶんつい最近のことで、これまた理由はわからない。


「あの……、これまでに同じようなことはありませんでしたか?」


 行動を分析すればなにかわかるかもしれない。亡霊との付き合いはアルバート王子が一番長いだろうし、情報はできる限り集めておかなくちゃ。


「同じようなことって、何だ?」

「舞踏会のときも、さっきも、あきらかに悪意があったように思います」

「……まあ、そうだな」

「ですが、悪意の対象はバラバラに見えるでしょう? 手当たり次第ではなく、亡霊には亡霊なりの理屈があるかもしれないって思えて」

「亡霊に理屈か……無いと思うけど、いや、そうでも無いか……?」


 王子は腕を組んで、ううん、と首をひねった。


「子供のころ、あれは母上と俺の傍によく姿をみせた。母上には見えていなかったが、ドレスの裾の周りをくるくる回っていることもあったな」

「王妃様の? それは、どんな時でしょう」

「そうだな……母上が兄上や父上、それから側室への恨み言を吐いてるときが多かったな」


 アルバート王子の母親は王妃、ユリウス王子の母親は側室だ。

 今は長患いで床についているけれど、若いころの国王陛下は元気がありあまっていたらしい。ほぼ同じ時期に二人の妻の相手をしていたわけですものね。その結果側室のほうが数ヶ月はやくユリウス王子を産み、古来のならわしに則って王太子となった。

 王妃様が面白くないのは、まあ当然だろう。


 でも、子供に悪意を見せちゃうのはやっぱり良くない。そんな環境でアルバート王子がわりとまっすぐに、まともに育ったのは奇跡的だ。


「ユリウスが"見る"ようになったのは、ユリウスの母親が亡くなったあとだとか言ってたな」


 ささやかな同情になど気付くはずもなく、アルバート王子は軽い口調で話し続ける。だけど内容がそこはかとなく重いんだよね~マジで王室って半端ない!


「では、一番お辛かった時期ですね……」

「だろうな。あのころは、あいつのほうが幽霊みたいだった」


 外見的にも王家の血筋が濃く現れ、能力も高く穏やかなユリウス王子は世継ぎとして認められたけれど、頼りの母親は死んでしまった。

 有力者である宰相と王妃は、弟のアルバート王子を王太子にしたいと願っている。

 あー、どう考えても針のむしろだぁ!


「父上が病で倒れた時には、あいつ、本気で王太子の座を俺に譲るつもりだったらしい」

「まあ」


 そういえば、アーサー様にそんな話を聞いたっけ。ユリウス王子に打ち明け話ができる相手がいて、それがアーサー様だったのは幸いだったと思いたい。


「お互いに亡霊が見えるって話をしたのは一年ほど前だ。で、まあまあ意気投合して――、そういえばそのころから、あんまりを見かけなくなった気がするな……」

「ユリウス王子と仲良くなってから、ですか?」

「ああ、舞踏会で久しぶりに見て驚いた」


 最初は王妃とアルバート王子、その次はユリウス王子、舞踏会では王妃と宰相の傍にいて、ごく最近はニコラス兄様の近くに現れる。王族限定かと思いきや脈絡もなくお兄様に近づいて来たことが意味不明だ。


「やっぱ呪いの類いか」

「えっ」

「そりゃそうだろ。王族なんて恨みを買って当然の存在だし」

「……!」


 たぶん王子は何の気なしに言ったのだろう。

 だけど私は、言葉を失うほど驚いた。同じ台詞を聞いたことがある。この世界ではない、前世のゲームの中で、同じ声で。

 あれは――、あれは確か……


『入りますよ、アルバート』


 しかし記憶をたどるより先に、廊下からの声とともに両開きのドアが開いた。

 ドアの前に立っていたノエルが慌てて脇に避け、最敬礼をとる。もちろん私も立ち上がって頭を垂れた。気軽に第二王子の名を呼ぶ人間は限られているからだ。


 現れたのはその中でも最悪の人物だった。



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