第37話 幽霊


 そんなわけで城壁である。

 いつも快く迎えてくれる番人のおじいさんにお菓子を差し入れたら、すごく喜んでくれてお茶の準備をしてくれた。おじいさんは元兵士で、退役後はずっとここで働いているという。


「しかしお嬢さんも物好きじゃの。城壁なんぞなんも面白くないだろうに」

「あら、王都が一望できるじゃない。色とりどりの屋根も、その向こうに見えるお城もとっても綺麗だし、大勢の人が暮らしていることを感じることができて面白いわ」

「ほっほ、本当に面白いお嬢さんじゃ」


 差し入れたお菓子を一口食べて、おじいさんはほくほくと嬉しそうに笑った。


「こりゃ美味い」

「よかった。うちのコックは焼き菓子が得意なの……おじいさんのお茶も美味しいわ」

「ほ、こんなじじいの淹れたお茶で悪いがのう」

「あら、私はホントに好きよ」


 お世辞ではない。

 いつも飲み慣れているお茶とは違う味だ。一言で言うと、ジャスミンティーとかプーアル茶のような風味がして、なんだか懐かしかった。


「そういえば、お城にリデルフィアの王女様が来てらっしゃるそうじゃが、お嬢さん、会ったことがあるかね?」


 おっと、意外なことを聞かれた。

 でもまあ、このところの王都はエミリア王女を歓待するお祭りムード一色だものね。


「ええ、先日舞踏会でお会いしたわ」

「ほうほう、そりゃすごい」

「全然すごくないの。王都にいる貴族という貴族がかき集められたのよ」

「いやいや。儂も仕事がなけりゃ一目拝みたかったが」


 そんなふうに言いながら、おじいさんはニコニコしている。

 もしかしてここ、おじいさんが一人でずっと番人をしているのかしら。考えてみたらいつ来ても、他の人の姿を見たことがない。


「ねえおじいさん、もしかしてここで働いているのはおじいさんだけなの?」

「その通りでさあ。けど、働くというほどのことはしてませんでなあ」

「えっ、交代がいないんですか?」


 これにはノエルも目を丸くした。門番だって常時二人はいるし、3交代制でもちろんお休みの日もある。ここは少しお城から離れているし、出入り口ではないからそれほど警戒は要らないとして、ずっと一人というのは大問題だと思う。

 だけどぐるりと部屋を見回して、おじいさんはひょいと肩を竦めた。


「ここにゃ一通りのモンは揃っておりますし、留守にしたところで怒られるわけじゃない。気楽なもんでさ」

「それでも大変でしょう。機会があったらお兄様に伝えておくわ」

「俺も、上司に伝えておきます!」

「そんな気をつかわんでも」


 おじいさんが嬉しそうに笑ったその時だ。


「じいさん、いるか?」


 塔へと続く階段のから、聞き覚えのある威圧的な声が飛び込んできた。

 番人のおじいさんは振り向いて、愛想のいい声で応える。


「おやぼっちゃん、いらっしゃい」

「む、来客だったか」


 カツ、と入ってくる人影と目が合って、私は思わず叫び声を上げた。


「あっ!」

「ああっ、お前!!」


 ご令嬢としてはちょっとはしたない声だけれど、向こうもびっくりしたらしく指さして来たからおあいこだと思う。

 隣で小さく首を傾げたノエルが、ガタッと音を立ててバネのように立ち上がった。


「アルバート殿下……!!」


 そう、現れたのは誰あろう第二王子アルバート殿下だ。なにこの王子様、よほど城壁が好きなの……? 絶句していると、アルバート王子は腕組みをしてじろじろと私たちを眺めた。


「なんだお前、またきてたのか。何の用だ?」

「そっ、その台詞、そっくりお返し致しますわ!」


 第二王子よりは伯爵令嬢の私のほうがずっと身軽だと思います。

 つーか王子様ってこんな気軽に出歩いていいものなのかしら。いや、無いな。絶対お兄様たちもこの王子には手を焼いていることだろう。


「なんじゃお嬢さん、ぼっちゃんとも知り合いじゃったか」

「お、おじいさん……、この人の正体、知ってるの!?」

「そりゃあ最初に名乗られたからなあ。びっくり仰天じゃが、もう慣れたよ」


 ほっほとおじいさんは気楽に笑う。

 いやー伊達に年を取ってないってこと? 亀の甲より年の功?

 もしかしたら王都ではよくあることなのかしら。


「あのう殿下、今日は護衛の方は……」

「城を抜け出して来たんだ、そんなもの連れているわけないだろ」

「抜け出して……」


 アルバートの王子の言葉に、隣のノエルがひゅっと息を飲む。


「お、お言葉ですがっ」


 声が裏返っている。


「それでは、殿下の護衛についている誰かが責任を取ることになってしまいます!」


 おお。

 よくぞ言ってくれましたわノエル。さすが主人公!

 しかし王子は面倒くさそうに右手をひらひらと振った。


「心配ない、抜け道を通って来たからな。城の連中は俺を部屋に閉じ込めたつもりでいるさ」

「抜け道……?」

「そんなものがあるのですか?」


 アルバート王子が顎を上げてふんと鼻を鳴らす。


「まったく、今の王城は最悪だ。母上は小うるさいし警備の連中がやたらピリピリしているし、気分が悪い。あんなところに一日こもっていられるか」

「まあまあ殿下、お嬢さんからいただいたお菓子がありますで、どうぞ」

「お、美味そうだ。茶はあるか?」

「へえへえ、儂のお茶でよければ」


 これは、もしかしなくても殿下ってば、しょっちゅう城を抜け出していますね?

 番人のおじいさんの慣れた様子を見ればわかる。


「あの、殿下。せめて城に――兄に連絡を……」

「バカだなお前。そんなことをしたらすぐ連れ戻されるだろ」


 アルバート王子はそう一蹴して隣の椅子にドカっと座った。


「ですが」

「心配しなくても気晴らしが済んだら戻る。いいからお前も座れ、許す」

「えぇ……」


 しかし王子に許されてしまったからには仕方ない。

 一呼吸置いてからノエルが無言で椅子を引いてくれたので、促されたとおりに腰を下ろした。隣で殿下が焼き菓子を口に放り込んでもぐもぐしている。


「うん、美味い」

「お褒めにあずかり光栄ですわ。うちのコックに伝えておきます」

「で、そっちの奴は?」

「彼は第一騎士団所属の騎士見習いで、今は私の護衛をしているノエルです」

「ふうん」


 やる気無く相槌を打って、アルバート王子は視線を私に戻した。


「ま、いいや。ちょうど良かった。お前に聞きたいことがあるんだ」

「私に、ですか?」

「どれ、お嬢さんと話があるようでしたらわしらは席をはずしましょうかの?」


 お茶を運んできてくれたおじいさんの言葉に、殿下は小さく首を振る。


「必要無い。誰に聞かれようが困る話じゃないからな。お前たちも座って茶を飲め」

「はいはい、それじゃ失礼して」

「見習いも座れ。でかいのが突っ立てると鬱陶しいだろ」


 ひどい言われようだけど、お城から逃れてきたのだから理解できないこともない。騎士の方がピシッと立って傍に居てくれるのは心強いけど、やっぱり圧は感じるものね。

 ノエルを見上げて頷いてみせると、彼はしぶしぶという様子で遠めに椅子を引き、浅く腰掛けた。


「それで殿下、私に聞きたいこととは何でしょう」

「お前さ、アレが見えたって言っただろ」

「アレ?」


 あれ、アレって何だ?

 アルバート殿下と話したなら城壁か舞踏会だから……あ、そっか。


「それは、舞踏会で見たフードの人物のことでしょうか」

「そうだ――話が早いところは悪くないな」

「お褒めにあずかり光栄ですが、私はあの人物のことは何も知りません。殿下のほうがお詳しいのでは?」

「いや、『見えた』というだけでびっくりなんだよ」


 殿下は口の端を上げてにやっと笑った。


「なにせあれは――、ずっと兄上と俺にしか見えなかった、“幽霊”なんだ」






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