第36話 宮廷魔導士
「魔法」
と呟いたのはアーサー様だ。
「ということは宮廷魔導師、か?」
そう。
私も今その可能性を考えていた。現状、王妃と宰相が一発逆転を狙うなら普通のやり方では無理だ。普通が無理なら人知を超えた何かに頼りたくなるのが人情だろう。正体不明で、存在するのかどうかすら怪しいけれど、『魔法』というカードは強大だ。
「いや……、それはないよ」
だけどニコラス兄様が静かに首を振った。
「どうしてそう言い切れるのです、兄上?」
「どうもこうも」
問い詰めるようなアーサー様の口調に、ニコラス兄様はひょいと肩を竦めて応えた。
「魔法なんてそんな都合の良いモノじゃない。鎖を千切るような力を好きに使えるのなら、シャンデリアを落とすなんてまどろっこしいことはしないだろう?」
「……なるほど」
ニコラス兄様の言うとおりだ。
そんな便利な力があるなら、ユリウス王子やエミリア王女を直接攻撃すればいいものね。でも、だったら宮廷魔導師ってどういう役割なの?
「そもそもの話、“王家に仕えている”ということは王族よりも”弱い“ということだ」
「弱い?」
「アーサーは宮廷魔導師に会ったことがあるかい?」
「いえ、時々噂には聞きますが、実際に会ったことは、一度も」
「だろう? 隠れているのは臆病で、自分の弱さを知っているからさ。だから舞踏会に出てきてシャンデリアを落とすなんて派手な芸当は、絶対しない」
ニコラス兄様の言葉には妙な説得力がある。
なにせ亡き奥方様は魔女の家系ですものね。寝耳に水、晴天の霹靂だったけれど、それを知ってしまえばニコラス兄様が魔法方面に詳しいのも納得だ。
「では、あのフードの人物は何者なのでしょうか」
「さあ、誰だろう。少なくとも私は見ていない。でも、アルバート王子も“見た”んだろう?」
「……はい」
まるでお化けでも見たみたいに言って、ふむとのんきに首を傾げてから、ニコラス兄様は隣のアーサー様に視線を移した。
「アーサー、お前はユリウス王子からフードの人物を知っているか聞き出して欲しい」
「俺がですか?」
「私には難しい。第二王子寄りだと見做されているからね」
「ユリウス王子は兄上を正当に評価しておられます」
「本人が良くても周囲の敷居が高いってことだよ」
ニコラス兄様は肩を竦めて、薄く笑う。
「その代わり、宰相とアルバート王子には私が探りを入れてみよう」
やっぱり疲れが溜まっているのか、今日の兄様は少し疲れているみたい。もともとニコラス兄様はアーサー様ほど頑丈ではないし、心配になってきましたわ。
そんな長兄の様子に心を動かされたのかどうか、アーサー様が小さく頷く。
「わかりました、機会があればユリウス王子にお聞きします」
「頼むよ」
おかしいな、舞踏会が終わったら楽になると思っていたのに、全然気が休まらない。
ゲームとは違って、イベントごとに区切りがあるわけではないから仕方ないけど、もしかしたら宰相と王妃様が失脚するか諦めるまでこの状態が続くかと思うと気が重い。お兄様たちの負担が半端ない気がするし、そもそも誰かが失脚することを望むのは……甘いかもしれないけど、ちょっと嫌だな。
「あの、私にお手伝いできることはありませんか……?」
何か力になりたくてそう声をかけると、兄二人は同時に私を凝視して同じタイミングで小さく息をついた。
「アリスはしばらく大人しくしていろ」
「そうそう、色々あったからアリスも疲れているだろう?」
あ、ですよねー。
ちょっぴり無茶をしてしまったこと、まだ全然許されていないようですわ。
だけど王子たちもお兄様たちも良い関係が続いていることは嬉しい。このままなにごともなく、ユリウス王子の立場が安定して王妃と宰相が諦めてくれないかなーというのは過ぎた望みかしら。
「アリス」
「あ、はい?」
「当分の間はノエルの護衛は続行させる。あれを困らせるなよ」
……なるほど、お目付役ということですね。
「もちろんですわ、お兄様。私もしばらくのんびりと王都を楽しみたいと思います」
「うん、そうしてくれると私も安心だ」
「もう……お兄様ったら、過保護ですわ」
ちょっとふてくされてみせると、ニコラス兄様は珍しくふいと真面目な顔になった。
「アリス、もうひとつだけ訊いておきたいんだが」
「はい、なんでしょう」
「舞踏会でアルバート王子と踊った上、エスコートされてユリウス王子に挨拶した……アリスはその意味をわかっているかな?」
ひえっ、やっぱり見られてた!
だけどあれは不可抗力で、アルバート王子に引っ張られて断れなかっただけで!!
「いえ、あの、あれは王子の王妃様に対する、あの、嫌がらせというかっ……別に深い意味はぜんぜん、ありませんから!!」
他意はないのです、他意は!
「うん、まあわかっていたけどね――兄としては心配したよ」
そう言って小さく笑うニコラス兄様だけど少し疲れているようで、また少し胸が痛くなった。
「ま、当然ですよね」
「言われなくてもわかっています」
そんなわけで、昼からやってきたノエルにまで一刀両断されました。
「本当にわかってます?」
「わかってるわかってる。本当に反省はしているの」
結果的に無事ではあったけれど、危ないところだったのは間違い無い。あのときブランが助けてくれたかったら怪我くらいはしていただろう。
その黒猫のブランは、といえば窓際の椅子で丸くなって眠っている。
そう、腐っていても仕方ない。私にはまだ大きな謎が残されていましたわ!
「そういえば、不思議なことがあったの」
「不思議なこと?」
「そう。あのとき――、バルコニーに誰かが侵入した時なのだけど」
「ああ、アリス様が無茶をした、まさにその時ですね」
「まあ、意地悪ね」
コホンと咳払いをすると、ノエルは肩を竦めて口を噤んだ。
話をきいてくれるという意思表示だと信じて、急いで続ける。
「あれ、結構危なかったの。ちょっと踏み込みが甘くて、切られそうになって」
「は?」
「そんな怖い顔しないで聞いて。あのときね……実は、ブランが助けてくれたのよ」
「……」
私の言葉をきいて一瞬固まってから、ノエルがゆっくりと視線をスライドさせた。椅子の上のクッションで暢気に眠っている黒猫を捉えてぴたりと止まる。
「ブランって、このブランですか?」
「そう。このブラン」
名前を連呼されたせいか、黒猫の耳だけがピクッと動いた。
窓から差し込む日の光が、つやのある毛並みにわずかに反射していかにも暖かそうだ。
「ええと……そもそも、どうしてブランがお城にいたんです?」
「たぶん私たちの馬車に潜り込んでいたのじゃないかと思うのだけど」
「それにしたって」
ノエルの言いたいことはよくわかる。
仮に舞踏会の夜、ブランが馬車に潜り込んでいたとして、よりにもよってあの瞬間、バルコニーの近くにいて私を見つけて、しかもピンチを救ってくれる、なんて偶然ありえる?
「いや、ありえない話じゃないか。こいつ、異様に頭良いですよね」
「もしかして全部わかっているのかしら。今、私たちの話していることとか」
「まさかぁ……、おい、まさかだよな?」
ノエルは椅子から立ち上がってブランをひょいと覗き込む。
しかし黒い猫はパタリと尻尾を動かしたきりで、起きる気配は無い。
「うーん、こうしてると普通に見えますね」
ええ、気持ちよさそうに寝ているだけですものね。
ブランに助けられたのは間違い無けれど、どんなに話しかけたところで猫の言葉が理解できるわけもないし、不毛だ。
「ま、舞踏会では怪我人も出なかったですし、アリス様も無事でしたし」
「ええ」
「気晴らしにどこか出かけるなら付き合いますよ?」
「あ、じゃあ剣の稽古を……」
「それはダメです!」
ですよね。
今のノエルの役目は護衛というよりアーサー様が私につけたお目付役だ。
どうも王都に来てから過保護ぶりが加速しているような気がする。
「じゃあ、城壁にでも行こうかしら」
景色もいいし、番人のおじいさんも何かなごむし、けっこう気に入っているんだよね。
ちょっぴりアルバート王子の気持ちがわかる。
「城壁ですかあ……またアルバート王子がいたらどうします?」
「昨日あんなことがあったのだもの、王子様だってそんなにヒマじゃないでしょ?」
いや、あの第二王子ならやりかねないかもと考えながら顔を上げたら、ばっちりノエルと目が合ったので、私たちは無言で笑みを交わした。
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