超能力者たち
浅川
音を鳴らす者(1)
(ここからがいつも長いんだよな〜)
不満ともとれる言葉が胸に浮かび上がっていた。あと十五分で授業が終わる、つまり帰れる。三橋は毎度、この間だけ時間が進むのが遅いのではないかと懐疑的にならざるを得なかった。左の掌に顎を乗せて斜に時計を見つめ直した。
今度は時計全体を見るのではなく一点に集中して、ちょうど真ん中の辺りを鋭い目つきというのを意識して見つめた。
(早く、早く、時計の針よ、進め、進め)
そう念じてみるもその願いは叶うはずはない。
(そうだ、チャイムが鳴れば終了の時間って勘違いしてくれるかな。チャイムよ、チャイムよ、鳴ってくれー)
ゴォォーというような地響きが胸の中で鳴り響いたような気がした。その小さな胸の中で大地震が起きたように。三橋はブルッと一瞬、震えながら眠気が吹き飛んだような表情になる。
キーンコーン、カーンコーン……。
甲高い音、この学校のチャイムがゆっくりとしたテンポで鳴った。時刻は十四時十三分、こんな中途半端な時間にチャイムが鳴る学校はそうないであろう。
「えっ、もう時間?」
教師が驚きの声を上げる。そんなはずはないという様子が伺えた。すぐさま真上にある時計を確認する。
「……まだ時間あるよね。なんで鳴ってんの?」
そう言ったと同時にチャイムが鳴り終わる。想定外の出来事に一部の生徒がざわつく、そして一人の男子生徒が「先生、授業はもう終わりって事でいいんですか?」と明るい声で言った。
「……いや、そんなわけないだろうっ。まだ少し時間あるんだから続き、急いで始めるぞ」
えぇ〜という声がチラホラ聞こえてきた。茶化すつもりで数人の生徒が言ったようだ。その声に対して教師が何か反応を示す事はなかったが、この事態に生徒の前であっても多少の動揺は見るに明らかだ。
『今のチャイムは間違えです、失礼しました』と、教室内に設置されてあるスピーカーから中年男性の声が聞こえてきた。校内放送で今のチャイムは誤って鳴ったと伝えたようだ。
「はい、そういう事だから」
授業は再開するもペースを乱されてその後は半ば投げやりのように授業は終わった。
『さようなら!』
クラスの全生徒が一斉に頭を下げながら言った。誰もが待ちわびた瞬間、この時だけはみな声に張りが出ている。だが三橋は違ったようだ。一人くらい声に出さなくてもバレないと言わんばかりに口だけは動かしているも声は出ていなかった。表情も胸に何か引っかかっているものを反芻しているように上の空といった様相。
ガタガタ、ガヤガヤ、教室内に人々が移動の始まりを告げる雑音が方々に飛び交う。そこに一人取り残されたように三橋は直ぐには自分の席から動かなかった。ただ無表情で突っ立っている。
「おい、帰ろうぜ。なにしてんの?」
同じクラスの
「あっ、ごめん。うん、帰ろうか」
他人からこうして促されないとまだしばらくそのままであったと思わせるくらい返事は気が抜けていた。「よっこらっせっと」と喉を締め付けているような口調で言いながらリュックサックを背負う。気分的にそう言いたくなったのだが実際、そんな声を出したくなるくらいに今日の荷物は重たいと思い出した。期末テストが近くなっているという事で普段は教室内に置いてある音楽、美術などの教科書を持ち帰らなければならないゆえであった。
「今日なんで変な時間にチャイム鳴ったんだろうね? こんな事、初めてじゃない」
須田が正門を出て生徒の群衆から抜けたタイミングで言った。今日の話題といえば真っ先に挙がるのはやはりこれだろう。最後の授業中に起きたという事ですんなり言いやすい。
「なんでだろうね。そもそもチャイムってどうやって鳴っているの? 時間を設定できて後は勝手に鳴ってくれるのかね」
「どうなんだろうね。でもまさかいちいち手動なんて事は有り得ないだろうからやっぱりそういう仕組みなんだろうね」
「ってことは機械のバグみたいなもんか。それをいじればまた変な時間にチャイムを鳴らす事ができるって事かな」
「一分に一回、鳴ればもう授業どころじゃなくなるよね」
「バカ、それってもうほぼ永遠に鳴り続けているってことじゃん。さすがにそれはうるさくてきつい」
「あっそうか」
これについてはこんなものかと思ったのか、次の話題を互いに考えているようで二人は会話を一旦止める、それが普通の流れであったが三橋はまさか、という考えがあった。
(まぁ、たまたまだって思うのが普通だよなー)
今の時点では誰かに話す気になれなかった。いや、これはこのまま自分の胸だけにしまっておくべきものだと決めつけようとしていた。だが、「まさかね」
「えっ、なにが?」思わず口に出してしまっていた。慌てて何でもないと言うが、少し抑えるのが難しいかもしれないとも早くも先ほどの考えを撤回する必要があるかもしれないと心境の変化が激しかった。
少なくともこの胸の引っかかり、はっきりさせた方が良さそうだ、それが今、出した結論だった。
今日もこの時がやって来た。あと十五分で今日の授業が全て終わる。昨日の事があったからか今は早く授業よ、終われと思うよりもあの時の状況を思い起こしてしまう。
三橋はある事を試してみようと決意した。視線を右に動かす。一番前の、一番端っこに座っている男子生徒に焦点を合わせた。胸を机の上に、顎を交差して重ねている両手の甲に乗せている、そんな態度からして授業の内容に興味はないというのが一目で分かる。
三橋はそんな男子生徒を昨日の感覚を思い出して鋭く凝視した。今日は左胸、辺りに集中して……。
ゴォォー、またあの地響きが来たとわかった。今日は心構えがあったおかげで上手く受け止める事ができたからか、怯む事はなかった。そして——
ダンスミュージックのような曲が教室内にけたたましく鳴り響く。三橋がターゲットにした男子生徒は飛び跳ねるように驚き、慌てて左の内ポケットにしまってある携帯電話を取り出してその音楽を止めようとした。
「なんだ、岩田っ、お前、学校に携帯持ってきているのか?」
「すみません……」
「まぁ、お前の事だからどうせ持って来ているんだろうなーとは思っていたけど、まさか授業中に携帯鳴らすような事をするとはな。そこまで馬鹿っ、だとは思っていなかったよ」
わざと馬鹿、という単語を強調させた、教師の説教が続く。よりによって学年の中で一番怒らせると怖いと言われている数学教師というのもあって、いつもならひょうひょうとしているその男子生徒もどんどん涙目になっていく。数学を担当しているが、趣味はマリンスポーツで普段から体を鍛えていると公言している。おまけに背も百八十センチ台と高く体格が体育の教師かと勘違いするほど引き締まっていた。不良と言われているような生徒もこの教師に対しては馬鹿にした態度は取れない。
「次の授業でやる小テスト、お前の点数は一問でも正解があったとしてもゼロにするから、なんなら休んでもいいよ」
最後はこう締めた。なんとも空気が悪い中で今日の授業を終える。せっかくの解放感も台無しである。はぁーとため息を吐きながら帰る準備を始める生徒達。
三橋はというと静かに息切れをしているかのように聞き取れない音量で「はぁ、はぁ」と小刻みに息を吐いていた。ドク、ドクと鼓動のスピードも通常時より速かった。
驚きよりも先ずはそこまで気の強くない三橋は罪の意識に苛まれていた。まさかこんな事になるとは思ってもみなかった、という聞いた他人の多くは白けてしまうような言い訳を、この時ばかりはこれ以上の言葉はないと主張したくもなる。
いじめられているとまではいかなくても、たまに身長が一番低い女子と同じくらいという事でいじられていたりしていたので実際に声に出さなくても怒りの感情は確かに沸き上がる事が何度かあった。
教師はいない休み時間中は堂々と携帯をいじっており、お遊びで先ほどのような音楽を鳴らしている姿も見てきた。いつかその携帯が授業中に鳴り叱られないかと思い描く事もあった。
今日、そのいわば願いが叶えられた。自分が想像した通りの完璧な形で。しかも叱ったお相手はあの一番怖い数学教師というボーナスまで付いた。
「ざまぁみろ」と優越感に浸れるかと思いきや初めてと言っていい本気で落ち込んでいる姿を見てなぜだか申し訳なさでいっぱいになっていると言ってもいいかもしれない。
いくら好ましく思っていない人間とはいえ、誰かが落ち込んでいる姿を見てただ万歳三唱するかの如く喜ぶだけというのもそれはそれでこちらも性格の悪い人間かもしれないと気がついた。
思うだけならいくらでも残酷な想像はできるも、それが実現した、しかも自身の目の前で繰り広げられた。上手くいき過ぎると逆にここまでする必要はなかったかと再考してしまうのであった。
いや、この罪悪感はそれだけではないと三橋はようやく一番注目するべき所に着目した。
これは自分が意図的に起こした事であるかもしれない——
そう、たまたま起きた事ではない、意図してやってしまったからこその罪悪感だと認識した。だからまさかこんな事になるとは思ってもみなかったと言いたくなるのだ。
そうであるならとんでもない話になってくる。なぜこんな『力』を持っているのか。
「なにやってんだよ、せめて授業中くらいマナーモードにしておけよ」
「違うんだよっ。画面見ても待ち受けが表示されているだけでなんで音が鳴ったか分からないんだよ」
「そうなの?」
「はっぁーなんだよこのポンコツ機械っ」
叱られた岩田という生徒は不満を爆発させて、携帯電話を手加減する事なく床に叩きつけてしまうが結局は壊してしまってはいないかと心配そうに拾い出す姿が哀れであった。また空気がより一層どんよりと重くなる教室内。
その様子を直視する事はできなかった三橋。まだ胸は息苦しい。おまけに頭も痛くなってきた。とりあえず落ち着かせるのが先決だと判断した三橋はこの事を考えるのはこの場ではもう止める事にした。俯き後頭部に両手の掌を乗せる。
以後、三橋はあの事は忘れるように過ごした。幸いにも期末テストが近づいていたのでテスト勉強に取り組む事でそれは思いの外、容易であった。
不思議と今までの中で一番意欲も湧いていた。何か目の前のやるべき事、一点に全神経を集中する事で余計な事を考えなくて済む、そして頭がクラクラするくらい疲れたら後は飯を食って風呂に入り、寝るだけ。そのルーチンをこなす事でなんとか上手く普段通りに過ごす事ができていたのだ。
いや、テスト勉強をこんなにも真面目に取り組んでいる時点でそれは三橋のこれまでの日常とは大きく異なっていた。今まで見えていた世界が徐々に変わろうとしている。その迫りくる世界を受け入れるにはまだ時間が必要であった。
キーンコーン、カーンコーン……。いつの間にか決められた時間にチャイムが鳴るだけで少しホッとする自分が居た。今日で期末テストの全日程が終了した。振り返ってみて驚くほど手応えがある教科も幾つかありやればできる、その言葉は真実であったと今、身をもって経験した。これはもしかしたら母親からも褒められて、ご褒美に臨時のお小遣いが貰える事も期待できた。そのお金で欲しかったゲームソフトを買い、夏休みはゲーム三昧、そんな事を想像すると笑みもこぼれた。両腕を伸ばして解放感を存分に味わった。
「すごいな三橋、国語と社会で八十五点以上取るなんて。富田と同じくらいの点数じゃん。それが三橋の中で得意科目とは知っていたけど今までの最高得点って確か七十点前半だったでしょ。どうしていきなりそんな点数上がったの?」
「いや、さすがに俺も来年の事を考えたらやる気が出たって事だよ。須田も分かっているよな? 来年は俺たち受験生だぜ。今から備えておかないと」
「三橋もそんな事、考え始めたか。もしかして夏休みから塾通うつもりでいるの?」
「あっ、それは、まだかな……」
ここまで豪語すればもちろんとも言いたくはなったが、そういうわけではない、さっきまでの勢いは急激に失速する。なぜいきなり勉学に精を出したか、その本当の理由を話しても誰も納得しないどころか信じられないだろうし、分かりやすく説明できる自信もない。
だが自ら発した受験という言葉。その少し先の未来をうっすら思い浮かべただけで一気に脱力してそのまま跪きたくなる。
今回、発揮できたこの勉強に対するモチベーションはとりあえず期末テストまでだと途中からなんとなく分かっていた。これからも維持できるものではないと。そうなってくるとやはりというべきか一時、鍵をかけて閉まっておいたあの『力』をまた開けてみたくもなった。もう一度、慎重に、丁寧に取り出してチラっと覗いてみようと……。
帰宅するやいなやいつもより早歩きで部屋へ向かい荷物を置き、制服から部屋着へと着替える。誰も居ないマンションの一室にドカドカと足音が響く。何かを探しているようだ。
三橋は信じられなく何度も何度も確認した。そういえばここには何処を見渡しても目覚まし時計が一つも無いことに。リビングの掛け時計では音が出ない。無いということは今まで必要と感じる事もなく暮らしていけたからだろう。だが、なんで目覚まし時計の一つも無いんだよとぼやきたくもなった。そういえばここへ引っ越す前に捨ててしまった可能性があるかもしれないと思い当たる。
では朝は目覚ましの音が無くとも起きれるのか? と思考が巡った時に一番手っ取り早い方法があるではないかとようやく気がついた。そもそもなんで目覚まし時計である必要があったのか? また試したかったら自分の携帯電話で試せばいいではないかとすぐさまやろうとしたのが、遠回りなやり方で頭の悪さを嘆いた。期末テストでは最高得点を記録した教科があるのに頭が悪いとはどういう事かと苦笑いした三橋。
自室に戻りベッドの真下にある携帯電話を手に取る。嫌でもあの光景が思い出された。ジーンという振動音と共に胸がざわつく。そうか、これがあるから無意識に避けていたのかもしれないと納得した。たまに校則違反している自分がカッコイイなどと思いながらこの携帯電話を持って登校した事もあったがあの日以来、しっかりと家に置いて通学した。もしかしたらある日、突然、自分の携帯電話が鳴るかもしれないという何の根拠もない恐怖がつきまとっていたからだ。
ベッドの上に腰掛けた。漠然とした何かを思案しながらまじまじと携帯電話を見つめる。意を決してあの時のように念じてみる事にした。
『なんで音が鳴ったのか分からない』あの言葉が脳内で再生される。なら——
三橋は携帯電話を閉じて座った状態から前屈みになり、腕が十分に伸びきっている所に携帯電話をポンと置いた。
体勢を元に戻し、目を閉じて深呼吸をした。
奥義、テレビゲームを嗜む三橋はそんな技を出す心意気でいた。目を力強く開けて、やや離れた所にある携帯電話をビシッと見つめた——
その威勢の良さとは裏腹に風船の空気が一気に抜けてしまい萎むような音色が鳴り響いた。文字にするならミョーン、といったところだろうか。びっくり箱のピエロが飛び出して、その反動で下のバネが四方へと跳ね回っている時の音のように。これは携帯電話にプリセットされている着信音であった。音楽というより効果音に近い。そんな短いフレーズが繰り返し鳴っている。
なぜ数ある音の中からこの音が鳴ったのか? そういえば明確にこの音と指定していたわけでもないが、イメージとして普段、聞いている音というのはあった。そんな疑問が生まれたが三橋はもう認めざるを得ないところまできたとあの時と同じように鼓動を早める。また腕を伸ばして携帯電話を手に取る。折りたたんでいる状態からパカッとと開いた時に音は止まった。画面にはいつものように待ち受け画面に設定している見慣れた画像が表示された。
「そもそもこの音が鳴るはずないんだよ」それなりに声を張って言う。こんな着信音を電話とメールはもちろん、どんな設定でもするはずはない。突然、自動で鳴るはずがないのだ。
ならなぜ鳴った? それは自分が鳴らせたからである。しかしその手段が奇抜であった。いやそれは『超能力』と言っていいかもしれない。
いきなり得体の知れない重い荷物を背負わされたように背中を曲げる三橋。
「なんだよ……これ」腹痛に耐えられず声をなんとか絞り出す声のように発する。
また好奇心で鍵を開けてこの『力』を使ってしまったが、あの時、怖くなってしまったように今日もまた重圧が襲いかかる。
駄目だ、俺には無理だ……三橋の内なる声。何が駄目なのか、何が無理なのかはっきりしていなかったが、この事態を前に受け入れる器はないと本能的に訴えているような気がしていた。
「はぁっ」大きく息を吐く。超能力と言っても決して夢のようなものではない。音を遠隔操作のような感覚で鳴らせるだけである。しかも今のところその音も複数ある場合、何の音が鳴るのか分からずランダム、完全にはものにできていない。
「こういうのも練習する必要あるのかな」一理あると思った。まだ言うなればレベル一の状態である。ここから訓練、経験とでも言うのか、それを積みレベルを上げていけばもしかしたらさらに大きな力が望めるかもしれない。
が、そうしたところで何になる? ここはモンスターがうごめく世界ではない。そもそもこんな能力では最初のマップに出てくる雑魚モンスターも倒す事はできないだろう。
ベッドの上で横になった。天井を見上げて色々と渦巻く何かと必死に向き合っていた。
「焦らずいくか」またこのまま封印するわけでもなく、この眠っていた思わぬ力に舞い上がる事もなく三橋はなんとか上手い付き合い方を模索していく事を決めた。この力、特技を無にするのは勿体ないのではないか、そんな惜しい気持ちもある。
三橋はこの能力を自覚してなんとか受け入れようとした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます