第224話 奈落の底
阿頼耶識の魂意鋲に手を引いてもらった時、途轍もない重力を負い、体重が10倍になったかのような感覚を受ける。
まるで、重い身体を奈落へと墜とされるままになる感覚。
重力に導かれて落ちていく時間は永遠にも等しく感じられ、手を握ってもらっていなければ、とても耐えられるものではない。
足を着いたその時、痛みにも近い着地感でそれは終わる。
このあいだと違うのは、オレは今肉体そのものでここに立っているからだ。
あの時は、ただ心のままであった。
ダメだ、立っていることができない。
次元窓は開けている、みんなにはオレのことが見えているはずだ。
オレはしゃがんで地に手をついた状態で、声を振り絞った。
「こんにちは、またやって来ました」
返事はない。
重い身体を支えながら周りを見回してみる。
この間と変わっていない真っ黒な空、波のない海に囲まれた、ささやかな陸地のような場所。
水平線の彼方は微かな光が存在し、そこが果てしない大海をいただく水辺だということがわかる。
オレはもう一度、古のものを呼び出した。
「こんにちはー、いないんですかー」
動いた。
微かだが、この足場である地面が振動したのを感じる。
“……その声は、お前か”
“お休みのところをすいません、お話をしにやってきました”
再び、古のものと話を始めることができた。
次元窓を確認したが、確かに開いたままだ。
古のものが活動している証……
それがこの大地から感じられる微動だ。
オレはこの大地が生きていることを、全ての感覚を使って認識した。
“この間は…… ありがとうございました、本当に助かりました”
前回もそうだったが、古のものとの対話には必ず独特の“間”が存在する。
対人で話す間とは違った、なんともいえない間隔の違いがあった。
“ありがとうとはどういうことだ?”
“あの…… 高位知性種の攻撃から守っていただきましたよね”
再び生じる間。
考えているのだろうか、それとも……
“うるさい蟲を消したことか?
あれは静寂を守るために払っただけだ、礼を言われる覚えはない”
“そうですか、でもあなたが払ってくれたおかげで、オレはこうしてまだ生きていられます。
ですので、何かお礼がしたいのですが……”
今度は、間が短かった。
何故だ?
“礼とはなんだ?
もしなにかの奉仕をするというなら、お前たちの活動を止めさせるんだ”
そうくるか。
地上の生存活動を休止しろと、滅べということだな。
“私たち…… 人間や魔族や魔獣が地上で活動するのが気に障るわけですか?”
“人間…… お前は人間というのか。
お前からはあの力が感じられるが…… 生来のものではないな。
いつもあれを漲らせている種とはちがうようだ”
魔素の事か、あるいは魔族特有のオーラのようなものか。
漲らせているというのは、ネクロノイドが捕食している魔物からでる特有のもののことだろうか。
“ええ、オレは人間です、イチコウと呼んでください”
“それはお前の種族名か、固有名なのか?”
“種族名が人間で、固有名がイチコウです”
ここまできたぞ、いい感じだ。
その時、大地の微動のサイクルが大きくなった。
恐らくは話に応じるべく姿勢を変えてくれたのだろう。
“あなたは何故、ここにいるのですか?”
再び間が戻った。
かなりの核心を突いた問いだ、予想通り時間がかかってくれる。
“私はここにいる、それだけがわかっていることだ”
もっと間接的に聞いた方がいいのだろうな。
オレは再び問いかける。
“では言い方を変えます、この世界を、あなたが忌むべき存在である地上の人間や魔族を存続させたい、私はこう思っています。
そのためには、どうすればいいのでしょうか?”
相当な間があった。
だが、また振動のサイクルが変わったので答えてくれるようだ。
“お前は…… イチコウと言ったな。
私が眠る前に、私という存在に話しかけてきた連中と同じようなことを言っている。
生命を創る種だったが、あの連中はお前はたちとは違うというわけだな”
でてきた、生命を創る種、神。
ということは、やはり古のものは神とは違うわけだ。
“ええ違います、私は人間種ですので、その生命を創る種によって造られたものです、多分……
あなたにとって、生命を創る種は敵なのですか?”
“敵…… 敵とは、この私の静寂を妨げる全てだ。
そういう意味では、あの連中は私の静寂を妨げてきたな。
あまりに煩わしかったので、ここを明け渡させる代わりに身体を少し分けてやった。
そして彼らは対価として命の種を捲いていった。
もう随分と昔の話だ”
体を分け、生命の種を撒いた?
神に身体を提供し、地上の生命を芽吹かせたというのか、この古のものが……
“分け与えたとは…… そうすると、あなたは生命を創る種に身体を分け与えて、入れ替わった存在というわけですか?”
“そうだ。
あの連中は身体を持っていなかった。
私の身体は……”
そこまで話すと、古のものはしばらく黙ってしまった。
言うべきか否かを考えているのか、それとも別の懸念があるのだろうか。
この場所の重力は、完全無防備の状態のオレにはキツ過ぎるようだ。
ここにイリーナがいれば……
“私の身体は、この世界の素材そのものなのだ……
私がそれより以前、私と同じ性質を持った生命を創る種と立場を入れ替わった時、彼らは私を死なせる方法を持たなかった。
おまえたちが私を“古のもの”と呼ぶ、元からこの世界にいた生命を創る種たちは、同じ性質を持つ種の存在を放置するしかなかったのだ。
活動したとしても、手をださなければどうということはない。
たとえ妨害したとして、この私を制御する術、滅する方法が存在しないのだから、
手を出さないのも必定の理だな”
一気に話をしてきた古のもの、今度はこちらが内容を噛み抱くのに時間がかかった。
“それでは、あなたは今いる生命を創る種より前にいた存在で、古のものと魂を入れ替わった。
本来の古のものではないということですか”
“そういうことになるな”
“本来の古のもの…… あなたが入れ替わった生命を創る種と同じ力を持った存在の魂は…… 今どうしているのですか?”
“恐らく…… 今はもう存在していない”
しばらくの間があったが、オレの身体はもう限界だった。
“あの地上に出始めたものたち…… あなたの身体の一部だと思うのですが”
“従僕たちがお前たちの生存の場を壊しているようだが、従僕たちには自覚がない。
生命を創る種が造った命の火を吸収したいからそうしている、何もしたくなければ何もしない、それだけだろう。
私は従僕の活動には一切関知していない。
ただ従僕を消そうとしても無駄だ、あれは私の身体から出来上がったもので、心がないだけだ。
完全に消滅させる手段はない”
“我々人間……いや、魔族も含めた地上の生き物全てが、あなたの従僕のせいで大勢死にました。
どうにかしてもらえませんか?”
“なぜ私がそんなことをしなければいけない?
お前たちを救ってあげなければならない?”
“われわれ人間は、生きることが目的の存在です。
なので、生きなければならないのです。
殺されるのをただ座して待つわけにはいかないんです”
“そうか、でも私にはどうでもいいことだ。
従僕たちを殺す、滅する方法がない、私自身を消去する方法もない……
どうやって結果を導こうと思ってるんだ?”
オレは古のものの返答にしばらく言葉を詰まらせてしまった。
なるほどそうか…… 婉曲的にネガティブな内容を返しているが、本当に自分ではどうしようもないのかもしれない。
“お前は興味深いな。
自分が制御できる世界を持った個体なのか……
私の眠りを妨げる、様々な文明を造った種どもが私を滅しようと努めたのを見てきたが、お前のような手段と方法を用いている存在は初めてだ”
古のものは、バルバルスと同じことを言った。
“それは光栄ですね、神様にそう言っていただけるとは、私も生まれてきた甲斐があります”
オレは軽い嫌味を込めて返してみる。
“……また、また来ます”
オレはここまで話して、保管域の“0”に引き上げてもらった。
身体が悲鳴を上げている、これ以上は無理だ。
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