人類が滅亡した世界で必然的に年の差ができてしまった同い年百合

川木

人類が滅亡した世界で必然的に年の差ができてしまった同い年百合

 カノンが目を覚ますと人類は滅亡していた。休眠状態になっていた機器を起動させ、サポートロボットと生活基盤を確保し、何故こんなことになってしまったかの情報を集めてその事実を知り、絶望をした。

 生きる気力もなく、かといって死ぬ気にもならず、ロボットのノノが自動的に作成してくれる人工食料を何となく食べて何となく生き、そしてそんな生活に一か月で飽きた。


 世界とは広く、いつまでも続くものだと思っていた。だけどある日、目が覚めると消えていることがある。そう言うことがあるのが人生なのだ。

 そう言う風に思えるようになるまで一か月かかった。これが遅いのか早いのか、もう人と比べることができないのだから、判断することはできない。カノン自身にとっては何もない中、ただぼんやりする日々を一か月も送ってしまったのだ。遅いくらいに感じた。


「ノノ、準備はいい?」

「問題ありません」


 施設には多くの機体があったが、自意識を持つロボットは全て破壊されていて、残っていたのは旧式の浮遊球体型のみであった。といってもカノンが生きていた時代では少々型遅れなものの一般的なもので、元々カノンの物だったものだ。唯一の所持品として部屋に置かれていたから残っていたのだろう。

 自我はなくても十分な学習能力のあるAIが積まれていて、カノンが幼い頃から傍にあったものだ。残っている機器からデータのアップデートも済ませているし、傍に居てくれるロボットとしては十二分に心強いものだ。


「……」


 カノンはノノを連れて施設を一歩出た。何もわからなかった時は以前では感じなかった生き物の息遣いを恐れて、そしてわかった後はその気力がなく、起きてから一度も外に出なかった。

 窓から外を感じていたけれど、実際に外に出ると全身に太陽の熱が伝わり、思わずカノンは足をとめた。


 緑の匂い。鳥の鳴き声。遠くから聞こえるざわめきのような、命の音。カノンが教育施設でしか感じなかった世界の息遣いがありありとそこにあった。


「カノン? 体調に問題があるのならば、休憩することを提案します」

「ううん……大丈夫。行くよ」


 ノノの言葉に首を振り、カノンは歩き出す。踏みしめた足元は整備されているのにどこからともなく緑が湧き出ている。窓から街並みを見て、その八割方が緑になっていることから植物の生命力を感じてはいたが、こうして踏みしめると実感してしまう。

 それを踏みしめ、前に進む。施設はほんの少し高い丘の上にある。丘自体がカノンがはいっていた施設の為に人工的に作られたものなので、階段をおりればすぐ近くに街がある。


 階段も当然の様に伸びてきた蔦や隙間から生えている雑草があったりするので、足元に気をつけながら降りていく。

 屋内ならともかく、屋外での階段なんて非常時以外使ったことがないので、必要以上に気を付けて下った。そうして一番下についたことでカノンは息をつく。


「はあ……疲れた」

「心拍数の上昇を確認。休憩することをおすすめします」

「ん……いや、ゆっくり歩くよ」


 眠っていた間は特殊な液体に浸る形になるポッドベッドに入っていたので、特別筋力が低下することはない。しかしそもそも入院する前から体を動かす機会のなかったカノンにとってはすでにそこそこ疲れている。

 だが今日中にどこかの無事な建物に拠点を見つけなければいけない。何故ならギリギリになってからこの階段をあがって戻れる気がしないからだ。


 データが正しければ、カノンが入院して人類が滅亡するまでたったの20年しかたっていない。滅亡後に時間がかかって緑あふれてはいるが、地形や建物などはあまり変わっていない。

 人はいない。家族も友人も、恋人も、カノンの知っている人は誰もいないのだ。だけど大通りをすすめば、見覚えのある看板や建物が残っている。

 それらが風化して蔦だらけになっている景色は否応なしに時間の経過を感じさせるが、どこか現実味がなくてまるで撮影のセットのようにすら思えた。それは現実逃避からくる感覚なのかも知れないが、そんな地に足のつかない気持ちのままカノンは歩みを進めた。


 あちこちに犬や猫、ネズミらしき動物が見える。人がいなくなった世界ではかつてペットだっただろう動物たちが繁栄しているのだろう。

 人間を見たことがないからか、遠巻きに警戒している。何匹か近づいて来ようとしたのもいるが、ノノの音波で問題なく追い払えた。施設の近くに来ている鳥類と一度だけ猫で試しただけなので少し不安だったけれど、ノノの証言通り大抵の動物を追い払うくらいはできるようだ。

 出力をあげれば音だけで殺すこともできると言うことだが、そんなことをする必要はない。ノノがいないならともかく、穏便に追い払えて、食べるものに困っているわけでもないのに無駄な殺生はしたくない。


 問題なく街を移動できると言うことで、ずんずん進んでいく。まず第一の目的は食料だ。入院施設だけで人口食料をほぼ無制限に作り出すことはできるが、病院食として味の薄いペースト状の物しか作ることができない。

 完全機械式で野菜など栽培して、それらが自動で運ばれて食料をつくる設備のある工場や、全て人口食料だが病院食ではなく多少の食感のあるものをつくる施設など、いくつかおもいつくものはある。

 大規模な施設であれば、20年程度で簡単に引っ越しはしないだろう。一番近いところで政府管理の商業施設が災害時の避難所を兼ねていてそう言った機能があったはずだ。


 ノノが施設の資料から読み取ったところ、大きな生存に重要そうな施設は内部に入りさえすれば電子的セキュリティはほぼ解除されているらしい。いずれ生き残っている人類が起きた際に、生きられるようにそう当時の政府の方針が出されたらしい。

 なので施設にたどり着き、動物対策で施錠されている門さえ何とかすれば十分に生きていける。


 そんな風に、出発するときは計画的に考えていた。なのに気が付けばカノンは帰路を歩いていた。

 20年で知らない新興住宅もあった。だけど普通なら親だって生きていただろう時間なのだ。住宅街に入れば建物はほとんど見知ったものばかりだった。


 小学校のころ遊んだ公園。元々あった大きな木が、周りの柵を破壊して馬鹿みたいな大きさになっている。入り口のゲートすら根っこで半壊させている。それでも、外からうかがえる無事な蛇口や遊具のシルエットが昔を思い出させる。

 家から近くの角。ちょっとした大きな庭が自慢のお宅で、こっそりサルビアの花の蜜を吸ったことがある。今では家自体が草木に覆われかつての面影はない。そこを曲がって、どきんと心臓が高鳴る。


 いつの間にかカノンは走っていた。数えきれないくらい通った道の姿に体の制御が利かない。


「っ、はぁ」


 玄関の門に勢いよく手をつく。しゅっ、と認証され扉はひらく。20年、カノンの認証が外されていないことに、世界の電気製品が変わらず動いているのだとわかっていても扉が開いたことにも、無性に泣きそうになった。


 息を整え、門扉を超えて玄関を開ける。こちらも問題なく開錠し開いた。中を開ける。一瞬、埃だらけで中まで植物に浸食されているのを想像した。

 しかしそれは裏切られた。自分のいた施設を思えばわかることだったのだ。食料作成など必要が無ければ自動で電源が切られるものとは違い、清掃や空調などは人がいないからOFFになるものではない。中は人がいる時と何ら変わらず自動清掃が続けられていて、昨日いた家そのままだと言われても疑いすらしない有様だった。


「っ……」


 それでも、全くそのままだと思えたのは廊下ぐらいだった。居間を覗けば窓からお日様が入らないほど蔦が絡まっていたし、机の上などは普通に埃がたまっていた。

 だけど棚の中にも食器類など全てそのままだ。人類はウイルスにおかされ、たった5年で絶滅した。生きているとすれば、そのウイルスがばらまかれる前にポッドベッドに入り無菌状態で外部と接触しなかった、カノンのような人間だけだ。


 みんな死ぬことがわかっていたから、荷物も片づけなかったのだろうか。そんな余裕のある精神状態ではなかったのだろうか。

 両親を思うと苦しくなって、居間に足をいれることなく、そのまま二階にあがった。二階はカノンの部屋があって、今も変わらずネームプレートもそのままだった。

 部屋を開ける。埃は積もっていた。だけど窓は端のほんの少しに蔦があるくらいで、なにもかも前と同じようにすら思えた。窓に近寄り、開けた。すぐ向かいの家、幼馴染で誰より大切だった人の窓がすぐそこにある。


 いつも、こっちが開けたらすぐに反応してくれた窓は、蔦が絡まっていて中をうかがうことすらできなくなっていた。


「っ、リサ!」


 名前を呼んだ。大きな声で、届くわけないのに。


 頭の中に、幼馴染で恋人だったリサの姿が思い浮かぶ。いつも傍に居てくれたのに。どうしていないのか。わかっていても感情が追いつかない。あの眩しいほどの笑みが、照れたようにはにかんでくれた微笑が、優しく包み込んでくれた笑顔が、流れては消えていくように感じられた。


「リサ! ……う、あぁ」


 こらえていた涙がこぼれた。もう二度と窓は開かないのだ。もうそれで泣いたのに、窓を見ただけで感情があふれてしまった。

 そうしてしばらく泣いてから、カノンは窓に縋りつくように膝をついていた姿勢から立ち上がって涙をぬぐった。


 これではだめだ。いつまでも過去に縛られて泣いていたって仕方ない。気持ちに整理をつけよう。

 でもどうすればいいのか。今も考えるだけで苦しい。当たり前だ。目が覚めたら大好きな人が死んでいるなんて。それを慰めてくれる家族も友達もみんな死んでいて、それもまたつらい。


「っ、くぅー、はぁ」

「カノン、落ち着きましたか?」

「うん……大丈夫」

「休息をとることを提案します。昼食をとるのはどうでしょうか」

「そうだね」


 ため息をつく。もう散々、一か月もそれで悲しんだのだ。ならもう十分ではないか。そろそろお腹だって空いている。

 気持ちを切り替え、とりあえずノノの提案通り昼食にすることにした。一応家探しすると戸棚に保存食料が残っていたが、当然ながら期限切ればかりだった。缶詰はあやしいが、チョコレートがあったので、ノノに確認して有害物質ではないとのことだったので口にしてみた。

 見た目は変わっていないし、砂糖などと同じような調味料みたいなものだと思ったのだが、実際に腐ってはいなかった。だけど気がぬけているような、風味の薄いなにかになっていた。


 チョコレートなら設定すればつくれる施設もあるだろうか。とはいえ板チョコのようなシンプルなものはともかく、職人の手が必要なものはもう二度と食べることはできないのだけど。


「確かに害はないけど、美味しくはないかな」

「申し訳ございません。ですが味覚は測定範囲外です」


 そんなことを考えて気を紛らわせながら、自分の部屋にもどりベッドに腰かけた。埃が舞い上がるが無視する。

 背負っていた鞄をおろし、最初の施設で作って持ってきた食料を食べる。それだけで一食分の栄養のあるシリアルバーのような形状で手に持てる、噛むとやわらかい何か。塩っ気を感じるくらいで味に深みがない。まずくはないがうまくはない。

 改めて食糧事情の改善を急ぎたい。と決意を新たにしてカノンは家を出た。両親の遺品なども気になるが、もう少し気持ちを落ち着けてからでいいだろう。いまはまだ、冷静になれる木がしない。


「よし」


 とりあえず、やはり住み慣れているこの家を拠点にしたいので、近くで食料を確保したい。となると思いつくのは当時通っていた学校だろう。

 幼稚園から大学まで全ての施設がはいっていて、農業科などもあり実際に土地を使った畑と、機械による屋内農業のどちらもあったはずだ。もちろんそれは非常時に人々に振る舞われるほどではないが、カノン一人になら十分すぎるだろう。

 人口食料をつくる機器もあったはずだが、材料があるなら多少は料理もできる。医療用よりましとは言え、人口食料は人口食料なので、料理に勝るものではない。


 問題はその施設がすぐに見つかるかだ。敷地内にはあったはずだし、案内図や資料で見た記憶はあるが、日常的に使用していた高等科の校舎からどこにあるのかと言われたら即答は難しい。


「あ、忘れてた」


 記憶をたどろうとしながら玄関を出て、そして横にあった一人用のバイクに気が付いた。通学には禁止されていたので忘れていたが、今更校則を気にする必要はないだろう。

 カノンは壁に備え付けてある台からロックを解除し、バイクを下した。


 電気で動き、握るだけで走り出す見た目はひと昔前の電動自転車とほぼ同じものだ。実際、万が一充電が切れた時には足で回して動かなせないこともないものだ。

 ただ実際にそれで動かしたことはないので、おそらく人力で動かそうとするとバランスをとるのに苦労しそうなので気を付けたい。


 重さは2キロほどだが、それでも門扉の隙間を動かすのは億劫で、いつもリサに出してもらっていたのを嫌でも思い出す。


『もー、カノンは仕方ないなぁ』


 といつも笑って許してくれたのに。また気持ちがブルーになりかけていた。危ない。

 むりやり口角をあげて、久しぶりのバイクにテンションをあげることにする。


「いくよ。ノノも籠に入って」

「了解しました」


 ノノを前かごに乗せて、カノンはバイクを発進させた。台に固定させていれば自動的に充電状態になるため、バッテリーに問題はない。ただ街用の為、舗装された道の隙間からはい出た草木があちこちにある荒れた路面に、少々乗り心地は悪かった。


 学校にはすぐ到着した。習慣で高等部の門前にきてしまったが、一番近い門から行けばよかった。

 反省しながらも、まずこの門扉をどう開けるか。さすがに学校だからか、しっかり門扉はとじられていた。


「うーん。ノノ、なんとかなる?」

「通常であれば不可能ですが、現状を鑑みれば可能です」

「え、本当? じゃあお願い」

「了解しました。しばしお待ちください」


 ノノはそのまま浮き上がると、校舎の門を乗り越えて入っていく。そして適当な窓を突き破った。


「!?」


 当然けたたましいアラームがなる。驚いて思わず門にすがりつくカノンだが、ノノは平然とそのまま入っていく。驚いてしまったが、アラームに反応する人間がいないので何も起こらない。

 ノノの姿が見えなくなること10分ほど。アラームは停止して門が開いた。


「……い、いいのかなぁ」


 誰も咎める人はいないし、不法侵入なんて今更だと思っているし、一応かつての政府的にも生き残りが施設を使うことは推奨されている。そう頭でわかっていても、まだ目覚めたばかりのカノンにとって見るからに違法行為を行うのはやや抵抗があった。

 しかし進まないわけにもいかないので、特に意味なく周りを気にしながらはいった。


 一度入ってしまえば、体感ではつい昨日まで通っていた学校だ。自動的に足は動いていた。靴箱についた。

 いつもリサと登下校していたので、一人でいることに違和感を覚えずにいられない。他に誰もいないのに、靴箱は本校舎とは違ってやわなつくりであちこち植物が侵入しているのに、そんなことよりリサがいないことが不思議で仕方ない。


『カノン、どうしたの?』


 そんな風にひょっこりと、当たり前に顔をのぞかせてくれる。そんな妄想が頭から消えてくれない。


 靴箱を無視してそのまま渡り廊下を進む。そしてそのまま、自分の教室へ向かう。そうは言っても、現実的にはそのあとたくさんの後輩たちが通っている教室なのだ。そうわかっていても、入った瞬間とてつもない郷愁に襲われた。


「あっ」


 ふらつく足元に思わず手前の席の椅子にけつまずいてしまった。別の席に手をつく。きゅっと床が音をならす。土足で入ってきていることに妙な罪悪感を抱いてしまう。

 顔をあげる。窓辺の自分の席。一つ前がリサの席。手をついた姿勢を正し、自分の席に駆け寄る。そっと一撫でして、そのまま窓を開ける。風が入ってくる。すっと席に着いた。壇上を見上げる。教材表示用ホログラムが未だに待機していて、すぐにでも他の生徒が入ってくる気になってしまう。


 そっと机につっぷした。腕を枕にするようにして、休み時間にだらけるように。そうして見上げる。


『おはよう、カノン』

『もう、また授業中居眠りしてた?』

『カノン、寝癖ついてるよ』

『カノン』

「リサ……」


 リサの思い出が強すぎる。胸をしめつける思いに、また泣きそうになってしまう。


 リサと初めて出会ったのも教室だった。と言ってもここではない。小学校一年生の秋、リサが転校してきたのだ。隣の家に自分と同い年の子供のいる家族が引っ越してきたことは聞いていても、親とは挨拶をしただけで子供とが会わないまま、教室で出会ったのだ。


『は、初めまして。管上理沙です』


 そう教壇でもじもじしながら言った彼女が、お隣さんだとすぐにわかった。だからカノンは席に着いた彼女に誰より早く駆け寄った。


『初めまして! 私が隣の家の獏飼嘉音だよ! よろしくね!』


 びくびくしていたリサだけど、カノンが笑顔でそう言うとほっとしたように表情を緩めてくれたのが嬉しかった。それから仲良くなって、何をするにも一緒だった。


 リサは成長すると背もぐんぐん伸びて、本人は自己主張をしないけれど目を引く存在になっていた。だけど体格がいいぶん力持ちなのに、いまいち運動神経が悪くてどんくさいのを気にして、妙に引っ込み思案な性格はそのままだった。

 だからいつも、頭一つとまではいかなくても小柄なカノンの背中に無理やり隠れるようにしていた。そんなリサをいつも可愛いと思っていた。


『リサ、明日デートしよ!』

『ええ? 明日は期末の勉強会する予定だったでしょ?』

『だーいじょうぶ。リサがいるんだから。ていうか、リサが見たがってた映画なんだから、初日に見ないでどうするの?』

『もう、しょうがないなぁ』


 リサと恋人になってからも、いつだってリサは優しくてつい甘えてしまうカノンに嫌な顔一つしたことがなかった。優しすぎて、ちょっと泣き虫なリサ。

 リサはカノンが倒れた時、隣にいたのだ。そのまま目を覚まさないカノンを、どんな風に思っただろう。どんなに泣いただろう。


「カノン、何をしているのですか? 目的地が異なっています」


 リサの声を思い出していたからか、カノンを呼んだノノの声はとても冷たく聞こえてしまった。だけどそんなはずがない。どこに行っていたのかわからないが、カノンを探しにやってきたのだろう。

 一つ息をついて、気持ちを振り払うように立ち上がる。


「……ノノ。目的地に、案内してくれる?」

「了解しました」


 もっと、リサの思い出に浸りたかった。リサのいない世界でも生きていくのだと決めても、全然気持ちの整理はできていないし、リサを忘れることはできないのだから、リサを思って生きたい。リサの足跡をたどって、彼女を弔いたい。

 だけどそれは、今ではない。今はまだ、生きる基盤を整える時だ。


 ノノについて歩く。この校舎は無意識にやってきた門から一番近かっただけだ。校舎を出て、ノノについて行ったことのない建物に移動する。

 あくまでノノは高等部の門を含めた施設を開放したにすぎない。全体の施設が全て一か所で管理されているのか、そんなこと知らないが、少なくとも高等部内にはないだろう。なので求める食料施設へ行ってそこで改めてノノに制御してもらわないといけない。

 とは言え、ノノが持ってきた資料によると基本的に中に入ってしまえば強固なセキュリティはなく、施設に行くことだけならできる。

 管理棟には入れないが、電源をONにして食料を作るだけなら先ほどと同じで無理やり中に入って接続してしまえばできるらしい。物理的なセキュリティが実質OFFなのでできる力技らしい。


 移動すること30分。何とかたどり着いた。大学エリアには一度だけ来た事があるけれど、それとは全然違う場所だ。始めてくる場所に、そんな必要はないのになんだか緊張してしまう。

 大学。本来なら数年後に通うはずだった場所。その中でも奥の研究棟に食料に関する場所がある。工場と、そして屋上にガラス張りの畑。資料で一瞬見た気はするけれど、実際に見てみると結構大きな施設で印象が全然違う。


 人類は滅亡しても、植物は元気に育っている。収穫まで機械で自動で行われるので、育ちすぎたり荒れることもなく、よく管理されている。管理が問題なく続いている以上、畑は放置でいいだろう。

 食材として使う分として、いくつか持てる分だけ回収してそのまま収穫物が移動して加工される部屋へ行く。日持ちする缶詰に自動で作られるのはいいが、さすがに貯まっていくばかりなので部屋が圧迫され、廊下中にあふれ階下まで転がっていっていた。ある程度下に転がしてから崩しながら上を歩いて機械部分まで移動していったん止めた。


 そして最近の分だけ回収してから、ノノに機器を操作してもらう。いろんなメニューを作れるようなので、一通り作ってもらった。商品化用ではなく研究用だからか、採算の取れないメニューや色々な細かな変更もできるようだ。これは食の楽しみになる。


「……う、重い……」


 さすがに持ちすぎた。ノノに持たせられないことはないのだが、通常よりバッテリーをくってしまう。万が一帰るまでに動けなくなってしまうと動物が恐ろしい化け物に姿を変えてしまうのでここはバイクのところまで我慢だ。


 とりあえず、これで当面の食事も問題ない。機械の隣の部屋には人口肉培養室ともつながっていたので、新鮮なお肉も手に入る。と言っても、これはさすがに未加工の物を持っていく気にはならない。

 ミンチ場なので専用の入れ物が欲しいところだ、ここまでくれば食事には困らないことはわかったので、今日のところは家に帰ることにする。


 疲れたながらも、なんとか無事に我が家にたどり着くことができた。バイクもなんとか台に戻し、家に入ってロックをかける。いくらノノがいるとはいえ、建物の外は常に動物の気配がある。学校では大型は無理だが、隙間から小型の生き物ははいってきていた。施設内にはいないので、出入りの際には注意しないといけないが、今日は侵入を阻止できている。

 もし工場内にはいられてしまうと死活問題へとつながるので、今後ノノ以外にも大きな音をだすなどの対策を用意した方がいいだろう。


 そう今日の振り返りをしながら、夕食を済ませお風呂に入って汗を流して着替えた。


 久しぶりの服だ。施設では病院服と一着だけあった私服であるワンピースをひたすら着まわしていた。もうしばらくあのワンピースは来たくない。

 寝やすいジャージに着替える。以前も家では楽なジャージで過ごすことが多かったので、なんだかほっとした。


「ふぅ……」


 徹底清掃を設定してから出たので、先ほどの居間はもちろん、自室もほこりなどもない綺麗な部屋になっていた。シーツに顔をよせ、かび臭さもないことからまだまだ家の機能が現役なことを確認する。


「ノノ、今日はもういいから、充電ポッドに入っていて。朝の7時に起動して起こしに来て」

「了解しました」


 ノノを居間にあるポッドに返し、部屋の電気をつける。夕方早めに家についたのでさっさとお風呂にも入ったが、そろそろ19時になろうとし太陽が沈もうとしている。

 ベッドに座った状態でもう一度、ベッドからしてヘッドボード側にある窓から外を見る。すぐそこにある、リサの部屋の窓。毎日顔を見合わせていた。


 それを振り払うように、顔を正面に向ける。だけどそれは悪手だった。リサの姿を瞼の裏に焼き付けたまま部屋を見たから、思い出してしまった。

 ベッドの下、目の前のこの狭い空間で、リサに告白されたことを。


『何? 大事な話、なんて改まって』

『う、うん……あの、さ。変に思わないで欲しいんだけど』

『ん? うん』


 その前置きがまずおかしい、と変に思ったカノンだったけど、いつもと違うリサのなんだか怒っているような赤くなった固い表情に、静かに促した。

 それからリサは躊躇い、短くない時間、もじもじしながら黙っていた。いつもならカノンはすぐに、なになにー? もったいぶってー、なんて言っただろう。

 だけどリサの態度に何かを感じていたのだろう。わからないなりに待っていた。大事な何かが変わるのを。


『……好き、です。恋人になってほしい、好きなの』

『……』


 カノンはその時まで、そんなこと考えたこともなかった。中学生のカノンにとって恋愛は遠いものだった。リサは特別な何かであって、それに名前を付けようと思ったことなんてなかった。

 だけどこの瞬間、何かが変わった。それはカノンにもわかった。だけどすぐには受け入れられなくて、恋人になるまで一か月もかかってしまった。

 一か月後、今度はカノンがリサを呼び出したのだ。


『ねぇ、リサ。この間の返事なんだけど』

『う、うん……』


 その一か月の間に二人の関係は、接し方は、何もかも違っていた。だからリサもすでに確信していたのだろう。

 いつになく期待に満ちた、自信にあふれた目を向けている。そんな彼女を見てカノンは我慢できずに、口づけでもって返事とした。

 一瞬のそれに、ぽかんとした顔になって、それから真っ赤になったリサは見たことない可愛い顔をしていて、今も覚えている。


『……カノンは、ほんと。ずるいなぁ』

『ずるくない。好きよ、リサ』

『うん……。私も、大好き』


 そしてもう一度、キスをしたのだ。


「……う、あああああ! もう、ほんと、最悪」


 どうして病気になってしまったのか。その時の技術で解決できない病になれば、すぐさま眠らせ肉体の時間をとめ、解決できるようになってから処置すると言うの一般的な流れだった。

 難病の患者に対しては国の施策として無制限に行われるし、実際に記録によれば18年目には治療法が発見されその処置は行われたらしい。

 それだけなら、18歳差にはなってしまうけれど、リサとまた出会えたのに。リサに別の恋人ができてたのだとしても、それでもいいから会いたい。両親だって生きていたはずなのに。


 なのに16年目に宇宙人が地球の資源目当てで襲来し、未知のウイルスをばらまかれるなんて。そんなの誰が想像するのか。それの対策の為に各国が努力した結果、カノンの治療法も本来の予定より早く見つかったのだろう。

 だけど治療された時点で、いまだ肝心の未知のウイルスにはなんの対策もないままだったから、ポッドベッドと言う無菌状態に入っている感染していないカノンはそのまま、人類の生き残りとして放置された。


 実際に生き残った立場で、文句なんか言えるものではないのだろう。襲来される以前にポッドベッドに入っていなければ感染していたのだ。どんなに幸運だと当時の人々は思っただろう。宇宙人は資源回収を邪魔さえしなければ、実際に人類が残っているかなんてどうでもよくて、きっとカノンのような存在を確認すらしなくて放置されたのだろう。

 だけど、やったー、嬉しい。生きてるって幸せ。そんな単純に思えない。


 せめて、リサがいてくれたなら。そうすればどんなに慰められただろう。たった一人だけなら、リサに残ってほしかった。


「はぁー」


 泣いてしまいそうなのを誤魔化すように、大きくため息をつく。

 女々しい自分が嫌になりそうだ。そうカノンは自嘲しながら、顔をあげて気持ちを切り替えようと立ち上がり、特に意味もなく学習机の椅子を引いた。


「ん?」


 カノンの部屋は記憶の中より片付いている。と言うか最後に部屋を出た時は朝に着替えた部屋着を椅子にひっかけたままで、机の上は宿題をした際に出しっぱなしの電子デバイスなどがあったはずだ。

 だけどもそれらもない。しかし不自然に机の上に封筒が置かれている。昼に窓に近寄る際に一瞬視界に入った時は机に何かあっても当たり前だと思ってスルーしたが、整頓されている状態でこれは不自然だ。

 そんなことに今更気が付いた。もしや、両親からの手紙だろうか。


 遺言があることは想像していた。だから明日にでも両親の部屋を探しに行こうと思っていた。だけどこんなわかりやすいところに置いてくれていたのか。

 急激に心臓が高鳴りながら封筒をとった。


「っ!?」


 そして裏返し、その差出人の名前に、一瞬カノンの心臓は止まった。

 そこには『管上理沙』とあった。名字、かわってないんだ。とぼんやり思いながら、震える手で封筒を開いた。


 無意識に息をとめながら、カノンはその中を読んだ。


「っ!」


 そして最後まで読み終わるが早いか、勢いよくその手紙を机にたたきつけるように置いて部屋を飛び出した。


「ノノ! 起動してついてきて!」


 居間の中に声をかけながら靴をはく。焦っているせいか、中敷きがずれてしまう。舌打ちをしながら腰を下ろしてはきなおす。


「カノン、今から外に出るのはおすすめできません。夜間は夜行性の動物が活発になり視界が悪くなります。また私のバッテリー残量は現在6割ほどに低下しています。現在危険をおして外出する優先事項はないと記録しております」

「わかってる、わかってる! でも今、行きたいの! バイクにのるわ! 目的地は中央区の総合病院!」

「目的地を確認しました。最適なルートを検索しています」


 ノノをつれて、バイクを走らせる。そしてバイクを走らせること1時間半。信号も何もなく、ひたすら最大速度で走らせても遠い場所だ。わかっている。なにも焦ることなんてないことを。

 翌日、体力も回復して日が登ってから行動したってなんの問題もない。わかっていても、動き出さずにいられなかった。


 たどり着いたカノンは病院にはいり、ノノに案内図を確認させてまっすぐ病室に向かった。専門のポッドベッドが並ぶ病室。そこから一つの番号を選び、排出される。


 カノンがいたポッドベッドひとつひとつに空間と荷物を用意されていたような病室とは違い余裕のない、詰め込むだけ詰め込んだ印象を受けるポッドベッドの群れ。

 ここはカノンのように指定された難病で国の支援を受けてポッドベッドにはいるのではなく、個人が希望して大金を支払ってポッドベッドに入った人たちだ。


「! ノノ!」


 排出されたポッドが地面に設置され、それに駆け寄って触れる。ガラス越しに見えるその顔に、ノノの操作ももどかしくポッドが開くのを待つ。


 ポッドの中には成人女性と思われる人が入っている。いつも蕩けそうだったたれ目は静かに閉じていて、一緒にお昼寝をした時に見ていたついつつきたくなる表情そのままだ。

 どことなく顔つきが細くなっていて、幼い感じがなくなり、眉の整え方も知らないし、髪も馬鹿みたいに伸びてるし、もしリサと一緒に街を歩いていてすれ違ったならスルーしてしまっていただろう。

 だけど口元の小さなほくろも、耳たぶが少し福耳気味なところも、眠っている時右足の親指と人差し指がクロスしているところも、起きそうになっている時の口元の歪み方も、全てリサそのものだった。


 こうしてまじまじ見れば間違いようがない。それにちゃんと目元、口元、まじまじ見れば面影はたくさん残っている。カノンがただ一人を生き返らせるなら一瞬も迷わずに選んでいる、リサ、その人だ。


「う、ん……?」


 しゅ、とポッドが開き、それと同時にポッド内の液体が排水されて、中の人物が目を覚ます。

 身じろぎしたその変わらない声に、少しだけ変わってしまって、だけどその面影のある顔立ちに、カノンは勢いよく彼女の手をつかんで叫ぶように名前を呼んだ。


「リサ!」

「う……? か、のん?」

「そうよ。私、カノンよ。あなたは、リサ、よね?」


 ゆっくりと目を開けた大人になった姿のリサは、カノンの声かけにバッと起き上がってふらついた。

 その体を支えながら、そっと抱きしめる。起きたばかりで、まだ湿っているその体普段よりずっと体温が低いはずだ。それでも、自分以外の誰かの体温を感じるのは一か月ぶりで、もはや堪えようがなく涙がとめどなくあふれた。


「う、ううっ」

「カノン……うん。リサだよ。元気になって、良かった……っ!」


 答えを待たずに泣き出すカノンに、リサは優しく抱き返しながらはっきりと目を覚ましたのか泣き出した。そうして二人の泣き声が静かな病室に響いた。


 しばらくして落ちついた二人は体を離し、二人して泣いたのが気恥ずかしくて誤魔化すように笑った。


「えへへ。カノンはともかく、私は大人になったのに、普通に泣いちゃった。恥ずかしいな」


 手紙によると、リサがポッドに入ったのはカノンに遅れる事10年後だ。カノンがいつまでも目覚めないので、お金を貯めて自分でポッドに入ったのだ。

 そうしてカノンが起こしに来るか、払った料金分の期限、50年が来るかを条件の設定ではいったらしい。だから、その後に来た宇宙人による侵略を免れた。

 期限が過ぎているのに起きなかったのは、きっと当時の人が配慮したのだろう。期限で出してしまえばまだウイルスが残っている可能性があった。

 

「ううん。そんなことない。ありがとう。私の為に、眠ってくれて」

「ふふ。そんなの、当たり前だよ。私がカノンのいない世界に耐えられないんだから」


 そう言って微笑むリサは、動いて話すリサは、やっぱり記憶の中のリサそのものだった。

 リサが生きていた。そして今隣にいてくれている。その事実がたまらなく嬉しかった。たくさん絶望して泣いた分だけ、また喜びで泣いてしまいそうだ。

 だけど泣き虫なのはリサの専売特許なのだ。ぐっと我慢して笑みを作る。そんなカノンの気持ちがわかっているのか、リサは人をほっとさせる笑みを作ってゆっくりとポッドベッドから出る。


「そろそろ着替えるね。看護婦さん呼んで、退院手続きしないと」

「あ、それ必要ないわよ。人類、私たち以外滅亡してるから」

「ん? ふふふ。何言ってるの? 変な冗談言って。そう言う物騒なのはカノンらしくないよ?」

「いや、本当だけど」

「ん? ……んん?」


 鈍いリサに納得させるまで少々時間はかかったが、身支度を整えてから病院中を回って誰もいなくて、外に動物がうろついていることでようやく理解させた。


「……宇宙人とか、人類滅亡とか、B級映画の設定見たい。あれだけ人類が宇宙に進出しても影も形もなかったのに」

「なんかそれよりはるか遠くから来たんだって。私もよくわかんないけど」


 とりあえずラウンジの窓辺の席に座り、食事をとらせて温かい飲み物をのませて落ち着かせる。お腹が膨れたことで冷静になれたのか、リサはまだ懐疑的な複雑そうな表情ながらも、窓の外、公共施設の明かり以外ついていない当時では到底考えられない景色を見ながらそう言った。

 そのあたりの感情はすでに一通り経験済みのカノンはそうさらっと流した。その淡白さにリサは呆れたように息をついたけど、ふっと笑みを浮かべてカノンを見た。


「……そう。まあ、まだ頭がついていかないけど、でも、ありがとう、カノン」

「ん? なにが? 起こしたことなら当たり前でしょ」

「それもだけど……カノンのおかげで、私は滅亡を免れたわけだし」

「うーん、まあ、もう滅亡はしてるけどね。それに、何と言うか。ある意味私のせいで大変な状況に巻き込まれたともいえるし」


 考えていなかった。言われてみれば、リサがカノンを忘れて一人で生きようとしたのなら、普通にウイルスに感染して死んでいたのだ。それが当たり前だったので何も考えていなかった。

 リサはカノンと同じ時間を過ごしたくて大金を払ってポッドに入った。それが嬉しくてたまらないけれど、だけどある意味、リサだってまさか人類の生き残りになってしまう覚悟なんてなかったはずだ。カノンのせいで、誰もいない世界で生きることになってしまった。


 そう考えることだってできる。だけどリサは何でもないみたいに、言葉を濁したカノンに不思議そうにして、それから眉をよせて、めっ! とカノンに人差し指を突き付け、おでこをつついた。


「めっ!」

「いたっ。……なに」

「巻き込まれたとか言わない。言ったでしょ。私はカノンがいない世界で生きられないの。カノンがいるなら、他の人類はどうでもいいよ。寝る前に両親とも話してるしね」

「リサ……」


 にっこり微笑んで、そっと隣並びの椅子からずれてくるようにして体を寄せるリサと目を合わせる。その目には、人類滅亡に対する絶望はみじんも感じられない。

 まだ混乱しているだろうに、何も不安なんてないみたいに、悲観することなんて何もないみたいに、じっと静かな瞳でカノンを見ている。


 確かに、リサはある意味、すでに自分の生きていた時代を捨てる覚悟を済ませていたのだ。

 改めてそれが伝わってきた。単純に、生きててくれてうれしい。今、この瞬間に大切な人がいてくれた。それだけでも十二分に嬉しい。それしか考えられないくらい嬉しかった。


 だけど落ち着いてその意味を咀嚼して、しみじみとリサの思いが伝わってきた。

 カノンは不可抗力で眠りにつかざるを得なかった。あらゆる全てと別れなければならなかった。そこにカノンの意志はなく、いっそ死んだ方がよかったのでは、なんて甘えた考えが何度か頭をだしたことだってあった。


 だけどリサは自分の意志で全てを捨てたのだ。カノンの為に、全部と別れてきたのだ。

 胸が熱くなる。今更だけど、今ここに生きているのは、ただの幼馴染のリサではないのだ。


 誰より大切で、他の誰より生き残ってほしかった、恋人のリサなのだ。


「リサ、私と一緒に、人類最後の生き残りでいてくれる?」

「もちろん。カノンとなら、いつまでも」


 そっと唇を合わせた。唇の形は変わっていないけれど、少しだけ感触は柔らかくなっている気がした。だけど感じる思いは何も変わらない。何度もしたキスはカノンの心を幸せな気持ちで満たしてくれる。

 だけどその、もう何度もしたはずの動きで、いつのまにか10歳も年上になったリサは何故か戸惑うようなぎこちない動きで、唇を離してなんだか笑ってしまった。


「どうしたの、リサ。なんだか、キス、下手になってない?」

「もう。言わないでよ。カノンにとってはつい最近までしていたキスでも、私にとっては、10年ぶりなんだから」


 そう言われて、改めてリサをみる。面影はあるし、仕草も話し方も全部そのままで、大人びているだけで間違いなく本人だ。

 だけどやっぱり、リサにだけは10年の時間が流れているのだ。


「……顎、ちょっと痩せたね。それに髪も伸びてる」


 ポッドに入っている間は新陳代謝も極限まで抑えられ、まるで肉体の時間がとまったようになる。髪ものびない。だから今リサの髪が肘までありそうなほど長いのも、入る前の話だ。


「ねぇ、どんな十年だったか、聞いてもいい?」

「いいけど……私にも、あなたが目覚めてからどうだったのか教えてよね」

「たった一か月のことだけど?」

「全部知りたいの」


 そう言って少し拗ねたような顔をするリサは、眠る前とちっとも変わらなくて、カノンは愛しさでたまらなくなった。


「うん。じゃあ、そうしよ。でも、今日は疲れたから、休もうか」


 カノンはもちろん、今日一日で施設を出て学校内を散策して、おまけにここまで自転車で飛ばしたのだ。もうくたくただ。

 そしてリサだって目覚めたばかりだ。筋肉などに問題はなくても、気持ちはまだまだ気だるいだろう。


 寂しかったこの一か月のことを思うと、今この瞬間の幸福から一瞬も目を離したくないくらいだ。

 だけど、そんな心配はいらないのだ。焦ることは何もない。


「そうだね。時間は、たっぷりとあるんだもんね」

「ええ」


 あの頃より少しだけ大きくなった手とぎゅっと繋ぎあいながら、カノンはこの人類滅亡後の世界で、幸せな人生を送れるだろうと確信できた。




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人類が滅亡した世界で必然的に年の差ができてしまった同い年百合 川木 @kspan

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