インスタント・マギ Prince of Carameliser(砂糖菓子の王子)

青木 潤太朗

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  今日はウィスキーを一人で飲もう

  けれど肴が何もない

  

  一円二十銭の卵を二つ

  眼鏡卵の目玉焼きにして

  それで飲もう


  けれど卵は一つしか手に入らなかった

  これで飲もう ヒトツメ焼きにして

  

  しみじみと卵を見た

  こんなによくよく卵を見たことはない


  塩でまず白身を少し

  黄身にからめて少し

  うまいな 眼鏡だろうと一つ目だろうと 目玉焼きは良きもの


  ヒトツメはウィスキー二杯で無くなってしまった

  皿には黄身が残っていて

  誰もいないのに 怯えるようにあたりを見て

  皿を舐めた

  僕の卵はもういない



 これはね、あたし達が島にいたころ歌っていた唄だよ。たしかロッパって奴の詩が元だったかな。あたしのバイオリンにあわせて適当に英訳歌謡したんだ、こんな絶唱をさ。 

 昭和二〇年、敗戦の年。ダグラス(※マッカーサー)は横浜のニューグランドに投宿していた。

 彼への朝食、そこで出たのが目玉焼き。それは眼鏡焼きではなく、ヒトツメだった。仮にも最高司令官に、片目だけの目玉焼き。しかもそれは予定の時間より二時間ちかくも遅れていたそうだ。

 これだけが、やっとで。

 なんてことを料理人は言ったらしい。

 その時の食糧事情のヤバさというものさ、せめて最後の意地、見栄くらいはりたかろう相手への朝食に卵も満足にだせない。

 男はそのヒトツメを食べると、あれこれはさておいてともあれ食糧援助を最優先で決定した。頭に「緊急」と付け足して、ね。

 君も知っての通り、日本人はその後しばし、飢えに飢えた。

 だが飢えて死んた数が、そりゃあ、人の命に多いも少ないも本当は無かろうがよ。それでも、ほんの少しだけ減ったのは目玉焼きのおかげ。

 ヒトツメのおかげ。

 そんな、まあ、四方山話さ。

 あ、カワナ、トリュフソルトを持ってきて。いろいろ試したけれど、目玉焼きにはこれが一番。



 * * *



「お兄様は、サニーサイドアップ(目玉焼き)にメイプルシロップをかけて食べるのが好きでした」


 すごく美人よ、

 すごく美人よ。


 ラムジェシカ・アーヴォガストはそれはもう美しい魔女なの。

 肌なんてマカデミアにオレンジがかかったような色合い。汗からはまるでSAKEみたいな良い匂い。

 ブロンドはココアで、碧眼はおろしたてのデニム。


 ええ、そうよ。あのラムジェシカ。『人形使い』のアーヴォガスト家のラムジェシカ。

 ラムジェシカ・アーヴォガスト。

 ラムジャシカ・アーヴォガストの妹よ。

 最愛の、たった一人の兄を失った、悲しい妹、可愛そうな兄妹。


「けれど私は、卵を甘くして食べる、というのが、どうにも、あまり好きにはなれなかった。プリンみたいで美味しいよ、なんて、お兄さまは言っていたけれど。……でも、だからかも、しれないけれど……お兄様は私と朝食を摂る時、あまり目玉焼きを食べませんでした」


 気持ち悪いわ、

 気持ち悪いわ。

 卵にシロップだなんてアメリカよねえ。

 ああちなみにワタシはサニーサイドダウン(※殆ど生の目玉焼きのこと)にしてショウユとオリーブオイルが好きなのよ。少し前にセレブの間で流行ったの知ってた?

 あの子は私の目の前で、そんなことを言って目玉焼きに、ああ二つ卵のメガネ焼きだったわ。そこにシロップをかけたの。

 白身の上をメイプルの黄金色がつたって甘い匂いがしたわ。

 指でちぎり取るようにして、彼女食べたわ。

 あまり美味しくなさそうに。


「お兄様は……私が寝坊をして起きてくると、よく朝食を作ってくれました。僕も今から食べる、なんて嘘を、バレてもいい嘘を言って。カフェオレを飲みながら、パンを薄ぅく上手に切って。チェダーチーズを二枚挟んで、バターを泡立てたフライパンで焼きながら、ソースにケチャップを温めて……」


 火がついたわ、

 火がついたわ。

 ええ、ワタシ、あの涙を見ちゃってからもう彼女のトリコ。

 さっき彼女の肌をマカダミアにオレンジって言ったでしょう? でもシロップのかかった卵って言ってもいいかも、そっちのほうが悲劇的で卑猥よね。

 ええ、食べてみたくなったのよ。

 だからワタシ。


「僕は料理するときにはカフェオレしか飲まないって決めているんだ、ってお兄様の口癖。その意味、私、よく分からなかった……訊けばよかった……」


 唾がたまるわ、

 唾がたまるわ。

 あ、聞こえた? じゅるって? やだ失敬。でもそうよ。ことが終わったならあの子を食べさせてもらうの。

 それがワタシへの報酬。

 愛がワタシを動かしたのよね。

 魔女を動かすのは何時だって愛よね。

 ねえ彼女、魔女のくせに着ているのものはTシャツとかジーンズとかばかりなのよ。あの柔らかそうなおっぱいのラインが最高。

 ところでワタシはジーンズよりレザーにピアスが好きなの。金属フェチっていうか光沢フェチなのよワタシ。だから抱く時はそんな格好させちゃう。恥ずかしがってくれるかしらねえどう思う?


 アーヴォガストの邸、魔道士にしては変わったお邸だったわ。あれもあの子の趣味かしら。それともバカ兄貴の?

 外からみるとトラディショナル。豪奢で時代錯誤な、まあよくある魔道士の住処なのだけれど。中にはいるとハーマンミラーばっかりなの。軽薄。

 そういえば料理もなんだか軽薄よね。だって、ねえ。チーズグリルサンドって、プロセスチーズを挟んだトーストじゃないの要は。それを紙皿にボーンと重ねて、ケチャップでハイどうぞ、って。アメリカよねえ。


 でもあれがラムジェシカの思い出の味なの。

 ダメ兄貴のラムジェシカの味なの。

 

「お兄さまにねだって、つれていってもらいたかった場所が、まだ沢山あったのに……私、恋人なんて、出来たことがない、欲しくなったこともない……お兄様がいてくれないと、どこにも遊びにいけない……」

 

センス疑うわ、

センス疑うわ。

あなたもそう思うでしょ?

兄がラムジャシカ。

妹はラムジェシカ。

名付け親(ルビ※ゴッドファーザー)は死んだほうが良いわね。

名前はこんなに似てるのに、あの兄妹は何一つ似ていない。

――どっちが突然変異なのかしら。


「お兄様……ジェシカは悲しいです……けれども、なにかきっと、嬉しい……だって、やっと、私がお兄様の【ため】になれる。この命も魔法も、兄のため、家族のため、燃やせるのだから、燃やして良いのだから」


 分からないわ、

 分からないわ。

 だって糞とダイヤが同じ穴から生まれる?

 兄は駄作。

 妹は傑作。

 まあね、そんなことだけなら、珍しくもないけれど。

 頭に『始まって以来の』がついちゃうのは、ちょっと変よねえ。

 馬鹿で無能でスケベな男。

 それが出来上がるDNAをよ、どうやってこう、ガチャガチャって組み替えたりしたなら、あんな息をする芸術品みたいな女が。

 あんなに美しくて恐ろしい魔女が出来上がる設計図になるのかしら。 

 ねえねえワタシ今ちょっとインテリっぽくなかったかしら? 理数の心得がありそうでしょ? いちおう大学で生物学をとってたのよ単位は落としたけど。

 ラムジェシカは本当に、お兄さん子っていうか、あのバカ兄貴のことが好きだったみたい。そうよね、あなたもそう思うわよね。

 出来てたんでしょうね、やっぱり。

 血の味は最高っていうじゃない。ちょっと下世話だけどさ。


「――敵討ちを、しましょう」


 ぽぽぽぽぽ。

 ぽぽぽぽぽ。

 って音がしたの。

 チーズサンドを齧って。

 そのあと、ぽぽぽぽぽ、って可愛い音。

 こう、ね、唇の裏のところに野苺くらいの大きさの隙間を作るみたいにして、可愛い音を出すのよ。

 ぽぽぽぽぽ。

 甘い水玉が弾けるみたいな音。

 あれ、ワタシあの子のただの癖だと思ってたら、違ったのよ。あれがあの子なりの詠唱なのよ。

 信じられる? あの子、呪文いらないのよ。詠唱したという建前さえ作ればいいんですって。

 だから、ただの音でいいのよ。

 だから、ぽぽぽぽぽ。ってして、あの子は魔眼を閃かせ(※ルビ:ウィンクし)たの。ゆっくりで冷たい、夢に耽るみたいなウィンク。

 そうしたら。

 邸中から悲鳴があがった。


「お兄様……私がお兄様の仇を取る、なんて……復讐する、なんて言ったなら、お兄様は……そんなことしなくていい、って、言う……かしら……?」


 おやめ下さいお嬢様、

 おやめ下さいお嬢様。

 悲鳴が悲痛に渦巻いていたわ。

 邸中から、庭からも、ひょっとするとその周りからも。

 茨とか、調理器具とか、庭具とか。なんかとにかくいろいろ突き刺さった姿の従者たちが来たわ。ええ、ちょっとしたコメディよ。そりゃあもう殆ど死んでる奴もいたわ。

 ほとんど全員、なにかしらどこかしら、まがったりつぶれたり、刺さったり火傷したりしていたわね。

 彼女は『招集』したの。

 おいで、って。みんな、って。

 それだけなのよ。

 突然に、行き成りにね。

 たとえ、その時なにをしていようと。たとえばハサミを使っていようと、火を扱っていようと、爪を切っていようと、いきなり。

「いきなり」「立たせて」「最短距離を全力で走らせて」「集めた」のよ。

 そんなの、ねえ?

 想像してよ。怪我するに決まってるわ。


「お前たち、誓いの盃です。さあ、みんな。飲みなさい。掲げて、誓って、笑って、飲みなさい。――兄と私のために、今一度、仕えると」


 どうしてかしら、

 どうしてかしら。

 どうして口だけ自由にしていたのかしら。

 どうして叫べるように、その自由は奪わなかったのかしら。

 彼女に命令されて哀れな下僕たち、怪我の痛いの我慢して、テーブルのグラスをとって、煽ったの。

 ね、毒はいってるの勿論。

 飲んだ子達が倒れて泡吹いてビクついて、ほどなく死んだわ。気づいていた子もいたのよね。悲鳴をあげて逃げようとした。

 そしたら、またあの音。

 ぽぽぽぽぽ。

 その逃げようとした子、きゅっ、て止まった。

 きゅっ、て。本当にあれはその名の通りって感じだった。糸でひっぱられて縛られたみたいだったわね。

 操り人形みたいに哀れだった。


「笑って。 ――笑いなさい」

    

 あれが、あれが。

 ラムジェシカ・アーヴォガスト。

 あれが、あれが。

 1,000年続いた『人形使い』の、はじめての【桁上り】。


「笑うの」


 ねえ『人形使い』って本当はね、屍体を使う魔眼なのよ。

 動かないし抵抗しないわよね屍体わね。それを操るのよね。人形みたいに。だから『人形遣い』。

 でも違う、あの子は違うの。

 ラムジェシカは違うのよ。

 生きていても『人形』なの。


「喜んで、笑って。その身体を、私とお兄様のための『人形』として、アーヴォガストの人形の一つとして、喜んで献上すると、そう誓って、それが何よりの名誉と喜びであると誓って、飲みなさい。笑って」


 それが『人の姿』であればいい。

 それが『人の形』をしていればいい。

 それが『人形(※ひとがた)』なら生きているなんて些細なこと。

 ラムジェシカ(※あの子)にとって『人形』なら、それでもう、あの子にとっては『操り人形』なのね。


「――私は『人形使い』。人形使いのラムジェシカ・アーヴォガスト」


 喜んで毒手を煽った――そう見えたのよ。

 自ら命を愛する主人に捧げた、愚かで哀れでしかし愛しい、滅私の奴隷たち。

 そう見えたわ。

 凄いでしょう? そう見えたのよ。『忠義』を演じさせたのよ。

 事情を知ってる、ってうか、目の前で一切合切を見ていた、このワタシにそう見えたのよ? もし、あの毒酒をあおる場面だけをムービーカメラあたりで映したなら、誰も彼らが無理やりやらされてるなんて、思わない。完璧に『演じ』させてこその『人形使い』ってことなのかしら。


「……。――我が兄、偉大なる兄――ラムジャシカ・アーヴォガストの魂のため。正当なる復讐を。――我が屍(かばね)にかけて誓う、私は。ラムジェシカ・アーヴォガストは、『箒使い』を屠り『恥知らず』を滅そう。……たとえ、この骸(※み)に代えても」



   * * *



「かくして、かくして。今ワタシの船には『人形使い』とその下僕の屍体(※ルビ:兵隊さん)が満載というわけ。大丈夫よ大丈夫よ。ちゃんとパッキングしたから臭いとか漏れないように。

 ええ。あなたも、なるべく早く来てね。会うのが楽しみだわ。フアヌ・ノリーズ。色鮮やかなりし、若き『傘使い』さん」


 クルセスカ――。


「ラムが呼んでる、じゃあ切るわ」


 クルセスカ、船長室にいるのでしょう?


「言い忘れたわ、言い忘れたわ。フアヌ、あんまり空から電話はかけないでね」


 クルセスカ、返事をなさい。


「じゃあまたね、じゃあまたね」

「クルセスカ――。クルセスカ・ビアッシモ!」

「はあいっ! ごめんなさいラム。フアヌちゃんと電話してたの!」

「いかなる時でも返事をしなさい、クルセスカ」

「なにか御用?」

「日付が変わりました」

「………ん?」

「メリークリスマス。クルセスカ・ビアッシモ」

「……」

「……なにか?」

「……え、ねえねえ、ねえねえ? それ、わざわざ言いに来たの?」

「そうです」

「なんで、なんで? ワタシ無神論者よ」

「……挨拶は、とくに節気ごとのそれは、大事なことです。仮にも今は仲間。それに同じ船の上にいるのです。だから――なんですかその顔は」

「ラム。あなたって天然のタラシだわ。そういうとこあるでしょう? ラムったら魔性」

「侮辱ですか、クルセスカ・ビアッシモ」

「違うわ違うわ、全然! 賞賛してる! 魔女って、そうでないと! ねえ?! ラム、メリークリスマス! ワタシはキリスト仏教イスラムヒンドゥーユダヤブードゥー道教その他なんでも好きでも嫌いでもないしあと興味もない! だからOKよ! あ、ねえでもラム。ラムって呼ぶのは本当はおかしくないかしら? なんだかメキシカンの名前みたい。ジェシカって呼んじゃダメ?」

「私のことをジェシカと呼んで良いのは、お兄様だけです」

「残念だわ、残念だわ。でも、あなたを抱く時はジェシカって呼ぶわ」

「約束は守りましょう、全てが成功したなら、あなたに一晩、私の体を好きにさせてあげます。どんなことも耐えます」

「耐えさせたりしない。悦ばせる」

「……ご自由に。――望むものが欲しいのなら、力を惜しまないことです、いつ、いかなる時でも。クルセスカ」

「美しき魔女の反乱ね。胸が踊るわ、胸が踊るわ。ねえ、ほら見て! 見て! ワタシのこの大きな胸がはずんで、ほらほら!」

「………ひとつ、訊っても?」

「なあに、なあに?」

「シリコンなんてぶら下げて、なにが楽しいのですか」

「すごくすごく楽しいのよ? 女の貴方には、分からないかもしれないけれど」



* * *


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