未完成の作品

睦月紅葉

作品の完成とは

「それでは、失礼いたします」

 ぺこりと一礼し、利発そうな女子生徒は教室を後にした。それとほぼ同時に、キンコンカンコンとチャイムの音が校内に響く。少しずつ、生徒たちの若い騒ぎ声が大きくなってくる。どうやら昼休みに入ったようだ。おれの傍らでホワイトボードに書き込みをしていた熊野がおれに向き直る。

川畑かわはた警部、私たちもお昼休みにしますか?」

俺は少し考え、

「そうだな、そうしよう」

と答えた。熊野は少しだけ安堵の表情を浮かべると、持っていた手帳にこれまでのことを軽くメモし、

「屋上で風に当たってきます」

と教室を辞した。

 本来であるならば、何を言っているんだと熊野をどやしつけ捜査の続行を促すところだが、何せ今回は事件が事件だ。まだ若いあいつには少なからず堪える内容だろう。おれも甘くなったもんだ、と心の中で苦笑しながら教室の窓を開け煙草をくわえた。 

 私立高校に通う女子生徒の自殺。普段閑静なこの街では、どいつもこいつも飢えたハイエナのように野次馬根性を発揮し、根も葉もない噂が飛び交っていたし、地元紙は情報源がどこかも分からないような胡散臭い記事を書き近隣住民の不安を煽る。なに、別に珍しいことではない。こんな仕事をしていれば。じき騒ぎも収まり一月もすればそんなことがあったことすら忘れ普段通りの生活を取り戻すのだろう。なんとなくやるせなさを感じたおれは窓にもたれて煙草をふかしながらこれまでに生徒たちから聞いた情報を整理する。

 自殺した女子生徒の名は高屋敷沙織。私立姉崎学園高校芸術科二年C組。卒業後の進路希望は都内の美大志望だったという。成績は非常に優秀であったものの、交友関係はお世辞にも広いとは言い難く、ここまで聞いてきた話の中にも仲の良い友人と呼べるような存在はほぼ出てこなかった。彼女の担任教師からは「真面目な良い子」と呼ばれていたから、本当に無口で誰とも話さなかったというわけではないのだろう。人当たりも良かったようだ。

 家族構成は両親と弟の四人暮らし、父親は公立高校の美術教師、母親はフリーのイラストレーターだ。弟は中学二年生であり、おそらく今回の件で最も傷心している。家庭環境にはとくに不審な点も無く、自殺の動機を訪ねても皆一様に首を横に振るばかりである。

 死因は窒息死。自室で首を吊っているのを彼女の母親が発見、ただちに病院へ運ばれるも到着したときにはすでに息絶えていたという。

 さて、大方この年代の若者が自殺する要因は三つだ。一つは人間関係のこじれ。二つ目に学業面でのストレス。そして最後に思春期特有の生命・自己の軽視。大体のケースはこれらのどれかに当てはまることが多いのだが、高屋敷沙織に関してはそのどれにも当てはまらない気もする。これは単純な刑事のカンというやつではなく、ここまで集めた情報から導き出される可能性の高い推論だ。また、生徒たちからの評判も上々であり、「背が高くてかっこいい」「テスト結果を見るといつも成績上位に名前がある」「以前同じクラスだったときに分からない問題を根気よく教えてくれた」といった声が多く、彼女の人柄の良さをも窺えた。

 生徒たちの言葉から高屋敷の人物像を一言で表わすのなら、才色兼備、というのが適当だろう。志望の美大には現時点ですでに合格圏内の学力・才能を擁していたようだ。

考えれば考えるほど、彼女の自殺したわけが分からない。おれはカクンと項垂れると、瞬間、手の甲に熱を感じる。

「うぁっちゃあ!」

思わず叫び手の甲を見ると煙草の吸い殻が落ちていた。勢いよく手を振り、息を吹きかける。どうやら、考えている間に煙草がなくなっていたようだ。おれはもはや紙切れと化した煙草をポケット灰皿に入れ、窓を閉めて振り返った。

「川畑さん、何やってるんですか?」

いつの間にか熊野が戻ってきていたらしい。一部始終を見られたのであろう。熊野は肩を震わせ、笑いをこらえている。

「熊野、戻ってたのか」

俺は努めて冷静に語りかける。

「はい」

声も震えている。

「見なかったことにしてくれ」

「無理です」

即答の後、熊野は吹き出した。

 てめえ。猛る心中を冷静な理性が押しとどめ、まあいいと自分に言い聞かせて熊野に尋ねる。

「熊野、お前は独身だっけか」

「なんですかいきなり。私一昨年まで大学生だったんですよ、セクハラですか?」

「違えよ……おれは結婚してる」

「はぁ」

「ウチには今年小学校にあがる息子がいるんだがよ、俺の息子も思春期になると自殺とか考えるのかなって思ってよ」

おれの問いに熊野は少し考え、口を開く。

「まあ、考えることくらいはあるんじゃないでしょうか?」

「そうなのか?」

 熊野は警部の若い頃は良く分からないですけど、と前置きした後で話す。

「今の世の中、ストレス溜まることばっかりですよ。目には見えなくても、内にため続ける子もいます。いつしか爆発して、その捌け口が自分しかなかったら……」言葉の後に、私の妹も高校生ですし、と付け加える。

 なるほど、まあ言わんとすることはなんとなく分かる。いろんな技術が発展すると同時に、若者が陥る問題の大きさも種類も複雑化していっていると言うことだろう。だが……キンコンカンコン。チャイムの音が、俺の思考を遮るように鳴り響く。

「熊野」

「はい。先ほど保健室で休んでいたという生徒からのスタートです」

「わかった」

 数分後、教室がこんこんとノックされる。

「入っていいぞ」

「失礼します」

入ってきた男子生徒はおれの向かいに座った。

「今回の事件を担当します、熊野です。そしてこちらは川畑警部」

熊野がおれたちのことを軽く紹介し、男子生徒に自己紹介を促す。

「吉良悠成です。二年C組」

「では早速だけど話を聞かせて貰います」

「ええ」

「高屋敷沙織さんと話したことは?」

「ありますよ」

「どんな人でした?」

「うーん……」

 おや。高屋敷沙織と話したことがある生徒はその多くが「いい人」だとか「頭のいい人」みたいなアバウトな所感を即答していた。どんな人か、で悩む生徒は初めてだ。もしかすると、同じクラスとはいえ余り関わりの無かった生徒なのかもしれない。

「そうだなあ、変わった人だったと思います」

「変わった人?」

熊野が聞き返す。

「はい。いつもなんだか哲学的なことを考えていました。そして、その答えを僕に求めてくるんです」

哲学的。彼女がそんな話をしていたと言う生徒は今までいなかった。それに、その答えを彼に求める、とはどういうことだろうか。

「哲学的なこと、とは例えば?」

おれが聞くと、吉良は答える。

「その時の彼女の気分によります。人が作品を作るのは何故か、とか犬が何故ワンと鳴くのか、とかですかね。哲学的と言うより、彼女の興味の向いたもの全般だと思いますけど」

「なるほど……川畑さん」

熊野が視線を送ってくる。おれは頷き次なる疑問を投げかける。

「君の他に彼女がそういう話をしていた人物に心当たりはあるかい?」

「いえ、いないと思います。彼女は友人がいませんから」

「人当たりは良いと聞きましたが?」

熊野の問いに吉良はそうですねと頷き、こめかみを掻く。

「何というか、来る者は拒まないけれど、ある一線からは決して人を寄せ付けない殻を持っているようなイメージ、ですかね。家族にもそういう殻を被っていたような気もします。」

「ん?おい、ちょっと待ってくれ。何故君がそんなに彼女について詳しい?いや、君が彼女と親しくなったのは?もっと詳しく彼女の人物像を──」

 急いて矢継ぎ早に質問を繰り出すおれを吉良はままあと押しとどめる。

「落ち着いてください。高畑たかはたさん」

「川畑だ」

「彼女とは幼なじみなんです。昔は彼女も友人がいたんですが、高校に入ってからは自分から作ることもなくなり、以前からの友人も心ならず遠ざけていたようです」

「なぜそうなったのかは?」

「詳細は僕にも。ただ、自分が作品を作る上で他人とは意見が合わない、みたいなことを言ってました」

 なるほど、芸術科の美大志望であった彼女は、少なからず芸術家としてのこだわりや思想を抱いていたとしてもおかしくはない。けれど、それでせっかくの青春時代を棒に振ってしまう事になり、あまつさえその生命を絶つ事になるとは、彼女の考えはおれには理解できない。

「あの、田畑たはたさん」

「川畑だ……なにか?」

「彼女の自殺した理由って、分かっているんですか?」

「いや、まださっぱりだ」

「そうですか……」

「あの、吉良君」

ホワイトボードに情報をまとめていた熊野が吉良に向き直る。

「あなたは高屋敷さんとほかの人たちよりも親しかったようだけれど、悲しくはないの?」

「おい、熊野」

 おれは制止する。人が死んで悲しくないなんて訳はない。それこそそれを表面に出さない人もいる。だのに、悲しくないのかなどと直接的に聞くなんて余りにデリカシーのない発言だし、まがりなりにも警察のする発言ではない。おれは熊野に対し抗議の視線をやる。とはいえ、話す吉良の態度があまりにも平静なのはおれも気にかかっていた。おれは吉良にすまない、と頭を下げる。

 吉良は良いんです、と軽く微笑んだ。少し疲れているようにも見える。

「もちろん、悲しいですよ。でも…なんとなく、そうなる気はしていたんです。だから、ドライかもしれませんが、やっぱりかって気持ちの方が大きかったんです」

「そう……」

熊野は項垂れる。それきり、沈黙してしまった。仕方が無いので、聞き取りの続きはおれがすることにした。

「そう思った理由は?」

「はい。彼女が死ぬ直前に出してきたお題です」

 お題、というのは高屋敷沙織の話す哲学的な話題、ということだろう。

「お題、ねぇ」

「『完成とは何か』という話題でした」

完成。あくまで辞書的な意味合いで言うなら、完全にできあがること、となるが。

「彼女はなんと?」

「完成とは、不変であるものだと話していました。僕は、どんなものにも改良、改善の余地はあるし、見る者によって何が完成かは違うと答えました。」

おれにはいまいち共感しがたい話ではあったが、理解は出来る。以前、スペインの教会でキリスト壁画が「修復」されたことを思い出しながら吉良の話を聞く。

「すると、次の日に彼女からこんなメッセージが届いたんです」

吉良はポケットからスマートフォンを取り出すと、画面をこちらに見せてきた。メッセージアプリの画面だった。送信者は「沙織」。本文にはこうあった。

『私が考え得る限り、この世に完成しているものなんて存在せず、すべてはこれから変化しうる。完成は完璧と同義であり、もしもそれが存在するのなら神とやらがそれに一番近いのだろう。私は神なんて信じてはいないが、完成した存在を見てみたい。』

おれが読み終えると、吉良はスマートフォンをしまった。

「難解だな」

なんとか出た言葉がそれだった。

「僕もそう思います。これが送られてきた次の日、『完成した存在をみせてあげる』と一文だけ送られてきたんです。ただ、それはたったの一分で送信が取り消されてしまい、こちらから確認することが出来なくなってしまいましたが」

「そしてその日に高屋敷沙織は首を吊った状態で発見された、と」

「ええ、川端かわばたさんはどう思いますか?」

川畑かわはただ……お前、わざとやってるだろ?……いや、いい。どうって、彼女が首を吊った理由がか?」

「いえ、違いますよ。完成についてです」

吉良は大仰に手を振り否定する。違いますよ、というのがどちらを否定しているのか分からなかったが、とりあえず突っ込むのはやめた。

「おれは芸術に関してはサッパリだが……完成なんてのは、作者がそう思った時点でそうなるんじゃあ無いのか?他人が何を言おうが、それを生み出したのは作者その人なんだから」

「そうかもしれませんね。でも彼女はそうは思わなかったのかも」

「と言うと?」

「彼女は自他共に認める完成を作ろうとしたんだと思います。作者たる自分自身も、観測者たる自分以外のすべての存在も皆一様に納得しうなずく完成というものを。そのための作品テーマを、彼女は自らの命として」

 吉良の言葉にどんどん熱が入っていく。正直、おれには高屋敷沙織の思想も、それに一定の理解を示す吉良のことも、到底理解できる気はしなかった。

どう考えてもそうではないか。自殺なんて、言い換えれば自分殺しの殺人罪だ。裁く対象はすでに死んでいるから、裁きようもない。周りを責めることも出来ない。どんな命だって尊いのだ。それを作品とは。しかし……当人にとってみればそれは紛れのひとつも無い本気なのだ。じゃなきゃ文字通り命をかけたりはしない。

 ああだめだ。この場ではすぐに結論が出せそうにもない。

「あー、吉良君」

「何でしょう?」

「済まんが、今回の聞き取りはここまでとさせてくれ。おれにはちょっと噛み砕くのに時間がかかりそうだ」

「わかりました。では、また何かご協力できることがあれば」

「あぁ、頼むよ」

「それでは」

 吉良はゆっくりと立ち上がり、教室を出て行った。彼が戸を閉めると同時、おれは深いため息と共に眉間を押さえ目を強く閉じた。そのままの状態で、熊野に尋ねる。

「どう思う?」

「……どうもこうもありません。私は芸術家ではありませんから」

「あぁ、おれもだ」

「でも一つだけ言えることがあります」

「なんだ?」

「自他共に認める完成を、と彼は言っていましたが、私は自殺なんて完成として、いえ作品としてなんて断じて認めません。そう私が思った時点で、彼女の作品は未完成です」

 熊野は毅然と言い放ち、手帳へのメモ書きを続ける。

 おれは熊野がこんなにも強い感情を露わにしたことに驚きながらも、心中で会ったことも、話したことも無い高屋敷沙織に向かって話しかけた。

 おい、お前の作品が、おれたちをこうも深い思考の沼に突き落とすことを目的としたものなら、それは大成功だぞ。あるいは、答えを与えたかったのかもしれんがな。

「次の方、どうぞ」

「二年C組八屋です……」

 深い、あまりにも深すぎる思考の波にたゆたいながら、おれの意識は少しずつ現実世界を離れてゆき、熊野が次の生徒を呼ぶ声も、入ってきた男子生徒の声をも朧気なものにしていった。

 高屋敷沙織。お前は一体、吉良や家族、周囲の人間や捜査を進めるおれたち警察に、何を伝えたかったんだ?そして、それは本当に『完成した作品』なのだろうか?

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未完成の作品 睦月紅葉 @mutukikureha

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