昨日の戦闘員は今日のヒロイン
来星馬玲
第1話 戦闘
わたしの目の前で外部と交信を試みていた赤蛇士官が背中に銃弾を受け、呻き声のような断末魔を上げた。その手から通信機が甲板上に落ち、何かが割れたような音が響く。
赤蛇士官はふらふらとたじろぎながら両腕を彷徨わせたが、続けざまに響いた発砲音とともに、全身を一瞬びくんと震わせた。伸ばされた足が床に落ちている通信機を蹴り、通信機は甲板の上を滑るように移動し、物品を収納した木箱の影にしゃがんで隠れていたわたしの傍に辿り着いた。
赤蛇士官は手すりに捕まろうとしたが、腕は虚しく空を切り、上半身が前のめりになって海上に出た。そのまま勢い余って、手すりを越え、既に力尽きかけていた彼はそのまま落下し、海面に没していった。
急いで通信機を手繰り寄せる。赤蛇士官を撃った敵の目につかないかとひやひやした。通信機を取り上げたのとほぼ同時に、誰かが階段を駆け下りる音がカンカンと響いた。
『どうした、何があった?』
通信機から聞こえてくる音声。まだ通信が途切れてはいなかったことに僅かな希望を見出し、相手に状況を伝える。
「こちら、海猫05。敵から攻撃を受け、混乱状態となっています。大至急、救援を」
『赤蛇ではないのか。赤蛇はどうした?』
「赤蛇士官は敵に撃たれ、海に落ちました。おそらく、もう生きておられないかと」
『……敵の規模はどのくらいだ?』
「一人です。一人で乗っ取った戦闘機を使って特攻し、炎上する船上に降下。突入してきた一人のために、同胞が次々にやられました」
通信機の向こうで息をのむ気配。相手の沈黙。吐き気を催すほどの嫌な予感。一刻の猶予もないというのに……。
「あの、早く救援を。このままでは、輸送任務も果たせなくなります」
何とか落ち着いて伝えようと苦心したが、焦りが声に出ているのが自分でもはっきりとわかってしまう。
『駄目だ』
背筋を冷たいものが奔る。予想通りの返答だった。
『戒律を忘れたのか? そいつ一人を殺せば済むだけの話だ、死力を尽くして戦え。それができないなら、上司に殉じろ。救援は送れない』
通信が途切れた。
「ちくしょう」
わたしは、もう何の役にも立たなくなった通信機を握りしめた。甲板に叩きつけてやりたい衝動に駆られたが、敵にこちらの位置を知られるかもしれないことに思い至り、自分の感情を抑えた。
(どうしよう……どうしよう……)
相手は一人なんだ。鉛玉の一発でも当てればどうにかなる。それなのに、一人で突っ込んでくるあいつに仲間が成すすべもなく死んでいった。みんな、殺す気でやっているのに、おかしいよ。
わたしは四つん這いになって身を乗り出し、赤蛇士官を撃った相手の位置を探した。既に敵の姿は見えず、今はどこに潜んでいるのだろうかと考えると、全身が震え出した。
(どこ……どこ……)
見えない敵。誰か、早く見つけて。殺されるよ。殺され。
首に強烈な衝撃がぶつかってきた。わたしの口から「うげぇ」と気味の悪い声が絞り出され、息ができなくなった。
腕を振り回し、無慈悲な拘束から逃れようとする。背中にドンという打撃が打ち込まれ、関節のどこかの壊れる音がした。両手足をまともに動かせずにじたばたともがいていると、背後から何者かに羽交い絞めにされた。
力強い、剛腕。わたしの全身が固定され、動けなくなる。相手の固い胸板が密着し、生暖い体温が伝わってくる。異性がこれほど至近距離に迫ってきたのは、一昨日の晩に、赤蛇に抱かれた時以来だった。
「誰と通話していた。言え」
男の低く太い声が耳元で囁く。わたしの胸には鋭いファイティングナイフが突きつけられており、抵抗すれば瞬時に心臓を貫く構えだ。
「し、知らない。わからない」
やっと出た言葉。しかし、これでは己の死の運命へと誘導しているに過ぎない。
男は握っているファイティングナイフに力を込めた。わたしの柔らかい右乳房に刺さり、痛みと共に血が流れ落ちる。あと少しで、急速に脈打つ心臓を貫通しそうだった。
何か、何か、相手の有益な情報を伝えないと。
「話していたのは上司なの。わ、わたしは途中から引き継いだだけで……すぐに切られた。だ、だから……」
悲しいことに、わたしは相手にとって無益な存在であることを証明している。何か、生かしておいてもらえる意義を与えないと……。
「ま、待って。抵抗しない、抵抗しないから」
頭の中が蒼白になる。ナイフが一旦引き抜かれる。糸を引いた血が、戦闘服の上に滴り落ちていった。間髪入れずに、ナイフの先端が、今度ははっきりとわたしの心臓に狙いを定めた。最後のチャンスだと言いたいのだろうが、わたしには助けを乞うことしかできない。
「止めて……お願い……」
その刹那。男がわたしから離れ、甲板の上を転がり出した。訳がわからず、わたしは声を上げながら、転がっていく男の方へ振り向こうとした。
銃声。
腹部を、熱い火が貫通する。焼けるような強い痛みが腹から腰に掛けて広がっていった。
「う、うぐ……」
意図せずこぼれる呻き声。わたしはろくに動けず、うずくまったまま、がくがくと震えていた。誰か、仲間が男を狙って撃ち、男が避けたことでわたしに当たった――頭の片隅で、それだけの状況を把握しているうちに、事態はさらに一変する。
ぶぅぅぅん、と、低い音。船体を震わせるほどの振動が伝わってくる。腹部の激痛をこらえながら、どうにかして空を見上げると、夕焼け空のまだら雲の真下で、一気に滑空してくる軍用ヘリ、ベンガルの全体が迫ってきた。海域のパトロールに向かっていた友軍だった。
たて続けに轟く機銃音。あんなものに狙われたらひとたまりもないはずだ。しかし、なかなか鳴り止まない轟音と旋回するヘリの挙動は、ベンガルが無様にも男の動きに翻弄されていることを物語っていた。
発砲音。ベンガルの機銃ではない。
ベンガルのキャノピに、柘榴の果実を押し潰したように真っ赤な鮮血が広がった。操縦者を失ったベンガルが、きりもみしながら落下してくる。響く、誰かの悲鳴。
ベンガルはわたしのいる方向へ突進してきた。わたしは這いつくばりながら、逃げ出す。でも、狂った機械の音は瞬く間に接近し、耳元にまで迫ってきた。
爆音。
爆風が襲い掛かり、全身が中空に投げ出された。天を焦がす勢いで燃え上がる炎が夕焼けの空全体に呑み込まれていき、すべてが回転しながらわたしの視界を朱に染めていく。白熱していく情景は立ち込める黒煙に呑み込まれ、黒く塗り潰された。
海中に没し、身体が急速に冷やされていく。露わになっている傷口に塩水がしみ込み、凄まじい激痛が、脳内の思考を、現状への理解から急速に遠ざける。関節が思うように機能せず、辛うじて動かせた左腕を使って、海面に浮かんでいた木版に捕まった。
船上ではひっきりなしに銃声と爆発音が響き渡っており、戦闘はなおも継続されている。続けざまに、聞き覚えのある声の悲鳴が木霊した。
また、爆発がおこった。砕け散ったベンガルの残骸が船体から放り出され、わたしの頭上に降り注いできた。炎をまとった鉄の雨だ。
慌てて避けようともがいたところで、わたしの身体を支えていた木版が音を立てて圧し折れた。無我夢中で手足をばたつかせたが、これ以上はもう、力が入らない。
意識が途絶えていく際、わたしの記憶に残っていたのは、硝煙、潮、機械油、それに、自分の身体から流れ出す血の臭いであった。
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