第17話 天つ狐の仕事②

有馬英彦ありまひでひこ――

彼は朝田が知る中で誰よりも強かった。

そして、変わり者だった。


10年前、朝田は自分が人とは違うことに気付き始めていた。


小学生も高学年になってくると人の気持ちにも様々な味つけがされていく。クラスの中にも時折、嫉妬や怒りのような悪い感情が広がり、そのたびに朝田は気分が悪くなっていた。


朝田に出来るのは関わらないことだけ、出来るだけ遠くに離れれば影響は少ない。その為、朝田は一人でいることが多く、当時の同級生から見ればただの暗い奴だっただろう。朝田自身も自分のことを弱虫だと思っていた。


有馬と出会った日はとても暑い日だった。いつものように一人で帰っていた朝田は帰り道にある公園の方から人の声が聞こえてくるのに気付いた。少しだけの好奇心で朝田は何をしているのか確かめようと公園に入った。


公園の中には4人の中学生がいた。そこで朝田は今までに感じたことのない嫌悪感を感じる。朝田自身には何が起こっているかはまだ分かっていない。でも、それが良くないことだということは本能的に理解が出来た。よく見ると中学生の内の1人を取り囲んでいる。側には鞄の中身がばら撒かれている。


いじめだ。

朝田ははっきりと理解する。泥だらけの学生服、朝田より3つか4つほど年の離れた少年の顔には真新しい青あざが出来ていた。その場はどす黒い感情で支配されていた。誰の感情なのかは判別できないくらいドロドロに溶けあいながら尚も広がり続けていた。


この場を早く離れたいという思いが湧き上がってくるが、一方で足が動かない。幼い朝田でもこのままにしてはいけないと直感で理解することが出来ていた。だが、相手は3人の中学生。どうすることも出来ない。


朝田は殴られている様子を見ていることしか出来なかった。その時、3人の中で最も体格の良い中学生がナイフを取り出した。朝田の目に映るその凶器は太陽の光を受けてきらきらと輝きを放っている。


朝田はこの後に起こることを想像し、そして血が凍るように感じた。まずいまずいまずい、頭の中で声が聞こえる。


いつもだったら先生や正義の心を持った誰かが悪い感情を抑えてくれる。だが、この時この場には朝田一人しかいなかった。


「やめろ!」


叫んでから、それが自分の声だと分かった。思いっきり一回り体格の違う中学生に体当たりをする。


意識の外からの衝撃にその中学生は前のめりに倒れこむ。その時朝田はこの場にある感情がすべて自分に矛先を変えたのを感じた。


初めて向けられる敵意。

朝田にはそれが恐ろしかった。


「誰だよ、お前」


「喧嘩売るつもりかよ?」


口々に中学生たちが朝田に罵声を浴びせる。殴られていた少年は虚ろな目でそれを見つめるだけだった。


朝田が体当たりをした中学生が起き上がり、思いっきり朝田を突き飛ばす。そして、地面に倒れた朝田を蹴り上げた。


全く相手にはならなかった。殴られ蹴られ朝田はその痛みに声をあげる。やっぱり関わらなきゃ良かったな、痛みの中で朝田はぼんやりと考える。


動かなくなった朝田を見ながら3人の少年たちは何やら話している。一人がナイフを持ってこちらに近付いてくる。朝田の目はナイフにくぎ付けになる。


死、朝田はそれを感じた。

恐怖が身体中を駆け巡る。


そこからの記憶は曖昧だった。朝田が気が付くと、3人の中学生が化物だ、と騒ぎながら走り去っていくところだった。いじめられていた少年だけはそのままの姿勢で目を見開いていた。


朝田はその表情で分かった。今の僕は人間の姿じゃないんだろう。昔から感情が昂ると羊頭に変身することがあった。うまくコントロールが出来ていなかったのだ。


朝田はどうしていいか分からずに、そこから走り去った。走り去る最中、後ろの方で残った少年が何かを言ったような気がしたがそんなことに構っている余裕はなかった。どこかに隠れないと。


朝田は人が来ない路地に入り、落ち着くまで身を潜めることにした。殴られたところが痛むが、化物だと言われたことも同じくらい痛んだ。やっぱり僕は何も出来なかった。あの黒い感情からは逃げ続けるしかないのだろう。


悔しさで涙が溢れてくる。

いつの間にか変身は解けていた。


「大丈夫か?」

その時、後ろから声をかけられた。


「ひどくやられたものだな。

 俺は有馬という、君の名前は?」


有馬と名乗った男は、しゃがみ込むと朝田に目線を合わせ尋ねた。髪が長く、一見すると女性に見違えてしまいそうな容貌をしている。


「朝田、陽、です」

涙のせいで声がうまく出ない。


「そうか、朝田くん。君は妖怪だよね? 

 なぜ最初から変身しなかった?」


誰かに面と向かって正体を聞かれるのは初めてのことだった。だけど、目の前の青年は朝田を責めたり、怯えている様子はない。


「わからない、です。でも自分で何とかしたくて……逃げたくなくて」


朝田にとっては妖怪の力なんて、ないほうがいいものだった。出来ることなら使いたくはなかった。


「逃げたくないなら強くなるしかない」


「強く、なる……」


「なんなら俺が稽古つけてやろうか?」


朝田は後で知ることになるがその時有馬は高校3年生。すでに2年生の時に少林寺拳法の高校日本一になっていた。


そして彼もまた妖怪だということを知るのは、それから1年後のことだった。

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