三
──今日は新月か。
月の光もないと、やはり不安を掻き立てられるものだ。
常若さんから、天花様──が関わっているかもしれない一件の調査を任され、私はどうにか足利に関する情報を有する可能性のある人物との対談に持ち込んだ。
聞いたところによれば、今回対面する人物は牢人らしい。大方、青野原の戦で主家が西軍についたのだろう。改易された大名の下で働く下級武士は、余程の
常若さんの手引きで宿屋を丸々貸し切りにしてもらい、私は一対一での対談に
──そして、天花様への
「お待たせしましたア」
ねっとりと間延びした、媚びた色を多分に含んだ声がかかる。
私は顔を上げた。灯りに照らされて、ぼんやりと人影が浮かび上がる。
「こんばんはア。お待たせして、ごめんなさいね? 少し準備に手間取ってしまったもので」
其処にいたのは、二人。
一人は、ややだらしない格好をした男。無精髭は伸び、髪の毛も整えておらず、着物もよれよれ。典型的な牢人といって良いだろう。帯刀はしているが、
もう一人は、背の高い──男? 女? どちらかわからないけれど、綺麗な──でも、毒々しさのある若い人物だった。
着物はしどけなく乱れ、結った髪の毛も何処と無く
私に声をかけたのは、この麗人のようだった。彼──ううん、彼女?どちらとも言えないその人は、隣の男にしなだれかかるようにして寄り添いながら、じろりと私を見下ろした。
「……もし、座っても?」
「……ええ、構いませんよ」
一対一と思っていたから、少し動揺してしまったけど……でも、牢人はともかく、話している麗人は武装していないようだ。暗器を取り出されたとしても、私の力があればある程度は対処出来る。
あらかじめ敷いておいた座布団はひとつ。其処に遠慮なく麗人は腰を下ろした。牢人に譲るつもりはないようだ。
「それで──あなたはわたしたちにお話があって、この場を設けられたんですよねエ? 一体、どのようなご用件でございますか?」
麗人が、首をかしげながら問いかけてくる。探るような目付きだった。
男は芒として中空を眺めているだけだ。麗人が動かなければ、ぴくりとも反応しない。麗人に付き従う以外の行動を知らないかのようだ。
はっきり言って、不気味な二人組だ。私は唾を飲み込む。
「……その前に、まずは自己紹介をしませんか。名乗らずに話を進めては、差し障りもありましょう」
「……ふうん……まあ、良いですよ。名乗らなくては、無礼ですものねエ」
──上から目線だ。
何処と無く尊大な口振りで、麗人は答える。くるくると髪の毛を指に巻き付けながら、麗人は私の方を真っ直ぐ見ることなく口を開いた。
「わたしは
「……ありがとう。私は──」
「──いいえ、結構」
つ、と麗人──鞆音は、自らの口元に長く細い指を当てた。
「あなたの名前は、事前に聞き及んでおりますから。ええ、名乗らずとも構いません。乙葉様──にございましょう? かつて足利に仕えた隠密の方だそうですね。うふふ」
「……ご存知だったのね」
「ええ、あなたのことは、よおく知っておりますもの……。ご紹介にあずからずとも良かったのですけれど……ねエ? あなたがわたしたちの自己紹介を望むものだから、答えて差し上げねばさすがに無礼かと思って」
くすくす、と鞆音は笑う。嘲笑っているかのような響きだった。
恐らく──鞆音は、ただの私娼ではないのだろう。遊女とは客とのやり取りで少なからず情報を手に入れるものだけど、隠密である私のことまで知っているのはさすがに可笑しい。余程足利と縁の深い客がいるか──あるいは、初めから私のことを探っていたか。
どちらにせよ──この麗人は、ただ者ではない。
「うふふ──そう睨むのはお
「……それも、そうね。ごめんなさい、時間を取らせて」
「良いのですよ。人とは、目前に疑問が生じればそれにかかずらわずにはいられない生き物にございます。乙葉様お一人を責める道理などございませぬ」
紅い唇をつり上げて、鞆音は笑う。
妖艶な笑みだ。何処か
先んじて女中が出していた酒を、鞆音が美味そうに飲む。私はそれを眺めながら、特に何かに手を付けることはなく問いかける。
「……あなた方は、足利の旧臣──とりわけ、世間には公表されていない、隠しておくべき部分に関して探り回っていると聞いたのだけど……。もしよろしければ、その目的をお聞きしても良いかしら?」
「…………」
「勿論、答えられる範囲で良いのよ? 人には人の個人的な生活もあるし……。ただ、こそこそと
あまり事を急きすぎてはいけない。相手から出来るだけ情報を得ることが、今回私に与えられたお役目だ。無茶な詮索は、警戒心を抱かれてしまいかねない。
鞆音はぱちぱち、と何度か瞬きをした。そして、ふうと
「……乙葉様。そうはおっしゃいましても──ねエ? あなたに主がいらっしゃるように、此方にもご主人様がいらっしゃるのですよ。ですから──」
「ええ、わかっているわ。あなた方にとっての主が、どのようなお方なのかは存じ上げないけど……。主にとって不利になるようなことは、無理に言わなくても良いのよ」
「──いいえ」
す、と鞆音が目を細める。
──目を。合わせてはいけないと思った。
鞆音は見定めているのだ、私のことを。私が捕食対象か否か──その一挙一動を、絡め取るように凝視して。
鞆音の狙いが、本心が、私にはわからない。悟らせない以前の問題だ。
鞆音は──何を考えている?
「……そう、硬くならずとも良いのですよ。乙葉様。あなたはそう──わたしたちから投げ掛けられる問いに、答えるだけで良いのです」
「──答える──?」
ですので安心なさいまし、と鞆音は微笑んだが、私はますます当惑した。
答える? 私が? 鞆音や、その後ろに付いている人物──鞆音らの主からの、問いかけに?
訳がわからない。そもそも、情報を得るために質問するのは私のはずだ。問いに答えるのは、私ではなく鞆音たちのはずなのだ。
話す気はないということなのか。それとも、鞆音たちは私から、聞き出したいことがある──?
「……そう睨まずとも良いではありませんか。わたし──いいえ、わたしたちはあなたの問わんとすることを、既に存じ上げております」
「……どういうこと」
「言葉の通り。わたしたちと同じように、あなた方は情報を集めようとなさっている。それはご主人様もご理解なさっておいでです。ですので──そう、等価交換のようなものとお思いくださいな。情報を得る代わりに、わたしたちもあなたの問いかけに答える。詰まるところ、その順番において、わたしたちが先攻を取っただけに過ぎないのです。他意など──ええ、これっぽっちもございませんよ?」
大袈裟に肩を竦めながら、鞆音は言った。
信じられるか信じられないかと問われたら、間違いなく後者である。この麗人の本質を、私は未だ見抜けない。抜け目のない人だと思うし、だからこそ、こののらりくらりとした物言いの裏に何があるのか、突き止めなくてはとも感じる。
けど──情報が得られるのならば、それに越したことはない。常若さんにとって不利にならない程度でなら、答えることも許されよう。
私は居住まいを正す。相変わらず五郷と紹介された牢人は虚ろな目をしており、鞆音はにやにやと笑んだまま。彼らの感情を揺さぶれるような状況とは言い難い。
「──ええ。それならば、私も出来る範囲で受け答えするわ。約束、違えないでちょうだいね」
「勿論。我々の目的が果たされた後に、あなたの求めるものもお与え致しましょう。必ず、ええ、必ずや」
未だ警戒心の
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