第3話 平穏な虎生活


 お腹が膨れた私は、侍女によって魔道具のネグリジェを着せられて、ベッドルームに通された。


 なんだか当たり前のように、次々と魔道具の衣装が出てくるけど、これってオーダーメイドよね。稀少だし高価な物だから、すぐ手に入るような代物じゃないはずなのだけど。


 ふと室内に目を向ける。

 実家のキングサイズのベッドのゆうに三倍はあるベッドの上に、ラシャドが半裸で寝そべっていた。


「ガウー(なぜ半裸)⁉」


「寝るときは服を着ない主義なんだ」


「グルゥ……(なんということでしょう……)」


 色気あふれるラシャドを意識から逸らすように、あえてつぶさに室内を観察する。

 そもそもなんで私は、ラシャドがくつろぐベッドルームにいるのだろうか。

 その疑問は、天井付近に浮いている、球状の物体を見つけて、霧散した。

 

 あら、あんなところにボールが浮いているわ。


 なぜか体がうずうずする。

 あのボールに飛びついて、転げまわりたい。

 パンチしたい。


 野生の本能が溢れ出てきた私は、心の赴くままにボールに飛びかかる――。


 ――ひとしきりじゃれて跳ねて遊びまくった私はようやく一息つく。


 そこには玉の残骸が転がっていた。


 ……私じゃないわ。

 この虎の体のせいなのよ。

 だって猫科だもの。

 普段泊まらない豪華なスイートルームにはしゃいでいるわけでは、断じてないのよ!


 ふと、この玉はなんだったのだろうかと思う。

 そして、ラシャドの存在も思い出した。


 和やかに虎の私の痴態を眺めていたラシャドは、ボールの残骸を見つめる私の疑問に気付いたようだった。

 この打てば響く手ごたえ。

 さすが、虎好きだけはあるわね。


「それはラペルジェムと言って、寝ている間に、侵入者を感知するオリジナル魔道具の一種だ」


「ガゥゥゥ……(聞きたくなかった……)」


 そんな大切なもので遊び、あまつさえ壊してしまってごめんなさい。

 どうしても、衝動を抑えることが出来なかったの。

 このままだと、いつしか虎としての意識が100パーセントになって、ただのペットとして生涯を終えることになるわね。


 私は項垂れた。

 

「そんなに落ち込むな。お前が心配するようなことは何もない」


 ラシャドの、その諭すような静かな声音は、じわじわとしみこむように私の心に響いた。


 優しいわ。

 だからこそ申し訳ない。

 私、実は虎じゃないのよ。ただの公爵令嬢なの。

 虎好きのラシャドがもし気付いたら、どれだけがっかりすることかしら。


 感傷的になった私は、しょんぼりと尻尾を垂らして、とぼとぼと窓際による。

 窓に映る私の姿は、どこをどう見ても、やっぱりただの虎だった。


 ラシャドは、私のなんとも言えない落ち込みを察したのか、何も言わずに側にいてくれる。


「今日は疲れただろう。もう眠るか?」


 そういえば、私はどこで眠ればいいのかしら。ベッドにはラシャドがいるし。あの隅っこにある大きなソファかしら。寝心地よさそうね。


「何を探しているんだ。お前の寝る場所は、俺の隣だ」


 な、なんですって~⁉ 私、まだ未婚の乙女なんですけど! まあ、今の私は虎だからいいのか。


 ドキドキしながら、尻尾を大きく振り振り、ベッドの端っこの方に乗っかる。

 即座に、ラシャドが距離をつめてきた。

 ブランケットをかけられて、肩あたりをトントンと優しく叩いてくれる。


「寝物語をしてやろう。俺の生まれた国では……」


 ラシャドは私が落ち着けるように、静かに故郷の話をし始める。

 その話は楽しくて、面白くて、私もいつか行ってみたいなあと素直に思う。

 

 ラシャドの美声を聞いていると、うつらうつらと睡魔が襲ってきて、私は知らないうちに熟睡していた。


 朝、目が覚めたら、ラシャドにもたれて眠っていたわ。

 重たくなかったかしら。


********************


 それから、数日が経った。


 相変わらず、虎の姿のままだけど、とても快適なホテル暮らしを送っている。


 三食昼寝、遊び付きの日々だ。

 テラスにはプールと、噴水つきの庭園があって、好きに遊べるようになっている。

 無表情が通常運転の侍女たちが付き合ってくれるんだけど、ボールを補足するのが早くてビックリする。

 ちなみに遊び用のボールは、ラシャドからのプレゼントだ。


 令嬢生活を送っていた時は、婚約者に対するストレスや、皇子妃教育に加え、将来の領主業の勉強もあって、いつも疲れてピリピリしていた私だけど、今は元気溌剌よ。

 絶対に、肌艶が良くなっているわ。


 ラシャドはとても忙しそうにしている。


 だけど、食事と眠りの時間はいつも一緒だ。


 彼は、優しくて、ウィットに富んでいて、話題も豊富。

 私が知らなかった世界中の話をしてくれる。


 いつの間にか私は、ラシャドのことを心から愛し始めていた。

 一応まだ婚約者がいる身なのに。


 ずっと彼の傍にいたい。

 虎ではない、私自身を見てほしい。


 彼が優しくしてくれると、嬉しいけど、胸が痛い。


 わかってしまったのだ。


 たとえ、私が虎から人間の姿に戻っても、ラシャドは手の届かない所にいる人だということに。

 十中八九、彼はとても高貴な人物だ。小国の公爵令嬢如きでは釣り合わない。

 大国の王女あたりではないと……。


 ……だけどもしかしたら、虎のままでいれば、いつまでもずっとラシャドの側にいられるかもしれない――


 ――いえ、だめよ!

 このまま全てを諦めたら、肉食系令嬢と言わしめた私の名折れだわ。

 別にそんなあだ名気に入ってないけど。


 犯人を突き止めて、変身を解かせて、今度はこちらから王子に三下り半を叩きつけてあげるのよ。そして、私からラシャドに求婚するわ!


********************


 うとうとお昼寝をしていると、ラシャドの声がどこか遠くから聞こえてきた。

 時計を見ると、時刻は四時。


 今日は帰りが早いのね。


 私は、するりとリビングルームから出ると、声のする方に向かい、音を立てずに近寄る。


 ここは執務室だわ。


 中から、ラシャドとキースが話す声が聞こえる。


「殿下、各方面に諜報員を配置しておりますが、以前、術者の痕跡は辿れないようです」

「そうか。やはりおびき寄せるしかないか」

「それにしても、あの虎が、現在行方不明のクラーク公爵家ご令嬢だというのは、真のことなのですか? 何度聞いても、信じがたいのですが」

「キース、お前は魔法から目を背けすぎだ。まあ致し方ないか」


 二人の会話を扉越しに聞きながら、私は頭が真っ白になった。


 なんてこと!

 ラシャドは私が本当は虎ではなくて、この国の公爵令嬢だということを知っていたの⁉

 一体、いつから⁉


「ガウウゥッ(どういうことですの)⁉」


 私は、勢い執務室の重厚な扉に体当たりした。

 ラシャドとキースが驚いた顔をしている。


「シエナ! 聞いていたのか⁉」


 ぐるるるとうなり、話を聞くまでは動かない態勢をとる私に、ラシャドは深くため息をつく。


「はあ。シエナに気付かれる前に、問題を片付けたかったんだがな……。キースは席を外してくれ。シエナと二人で話すことがある」


 キースが後ろ髪を引かれる様子で出ていくと、ラシャドは備え付けのソファを私に勧めた。

 私は首を横に振って、ラシャドに向き合う。


「ガオゥゥ(私が虎ではないと気付いていたの)?」


「ああ。オークション会場で、初めてシエナを目にした時から気付いていた。クラーク公爵令嬢だと判明したのは、調査したからだがな」


 最初から、私が虎ではないと知っていたということ――。


 戸惑う私に、ラシャドは神妙な面持ちで話を続ける。


「天空に浮かぶ要塞都市ファマール皇国の話を知っているか?」


「……ガウゥゥ(噂では聞いたことがあります)」


「その国の皇族は、代々真実の目を持って生まれる。魔術や詐術が一切効かない、その名の通り、真実を見極めるための目だ」


 私は、ラシャドの金色に輝く瞳を見つめる。


「俺はファマール皇国の皇子だ」


 やはり。


 そんな気がしていた。


 私の手には届かない遠い高貴な存在。


 この問題が解決したら、二度と会えなくなるかもしれない。


「シエナがかけられた魔術は、転幻の術といって、術者が人間を使い魔にするためのものだ。術者は獲物を逃さない。必ず接触してくる」


 ラシャドが一息つく。


「だから、シエナに護衛をつけ、結界のある安全な場所にいる間に、術者を特定し、魔法を無効化してしまいたかった。……だが、情けないことに、真実の目を持つ俺でも、シエナにかけられた魔術の大元を辿ることが出来なかった」


 ラシャドが、こんなにも私のことを考えて動いてくれていたとは、思ってもみなかった。

 驚いて瞬きすら出来ない。

 

「そして、転幻の術をかけられた者が、他者からそのことを指摘されると、術者との繋がりを意識して、術者から見つけられやすくなる。もう一刻の猶予もないだろう」


 ラシャドが近づいて、虎である私の目線に合わせるように屈みこむ。


「先程、諜報員の一人から情報が届いた。シエナにかけられた魔術の残滓が、宮殿から見つかったと。おそらく、近くに術者もいることだろう」


「ガウッ(私、行くわ)!」


「罠の可能性もある。術者に見つかれば、どんな手を使われるか分からない。お前を危険な目に合わせたくない」


「ガウッ。ガオォゥッ(それでも行くわ。虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うでしょう)?」


「危うき事、虎の尾を踏むがごとしとも言うぞ」


「ガウゥゥゥ(自分の落とし前は自分でつけたいのです)」


私は、ラシャドの金色の瞳をじっと見つめた。


「ガウ、ガオゥー(もちろん、連れて行ってくださいますわすよね)」


私の目とラシャドの目が、束の間、交錯する。


先に目をそらしたのはラシャドだった。


「お前には敵わないな」


ラシャドはどことなくすっきりした顔をしていた。


「シエナ。近いうちに、宮殿で王家主催の夜会がある。共に出てくれるか?」


「ガウッ(もちろんですわっ)‼」


 話はまとまった。

 でも、不思議に思うことがある。


 今まで、ラシャドはただの虎好きだと思っていたが、私が人間であることに気付いていたのであれば、話が変わってくる。


 どうしてこれほど親身に助けてくれるのだろうか。

 なんの関係もないはずなのに。


「ガウ、ガウガウ(どうして、私を助けてくださるの)?」


「どうしてだと思う?」


 ラシャドの瞳は真剣だった。


 私は言葉に詰まった。

 なぜか頬が赤く染まっていく気がする。


 ラシャドがほほ笑む。


「シエナの姿が元に戻ったら、ゆっくり話そう」

「……ガウ(ええ)」


 私は、前肢で頬を叩き、ピーンと尻尾を立てた。

 気を取り直さないと。


 犯人め! 私を虎にした報いは百倍にして返してあげるわ! 待ってなさいよ!



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