第2話 落札されました


 競り落とされた私は、頭の上に赤いリボンをつけられて、丁重に搬送されている。

 乗っているのは、魔力を動力源とするプライベートジェットだ。


 革張りの大きなソファに、横座りしてくつろぎ、空の風景を楽しむ虎の私。

 ……現実を忘れそうになる。


 しかもご丁寧に、専属侍女を五人もつけてくれて、虎である私が何か言う前に、飲み水を用意してくれたり、軽食に赤い肉を用意してくれたり、移送中飽きないように詩を朗読してくれたりする。

 いや、赤い肉は食べないわよ。涎は出たけど。


 それにしても、この専属侍女たちの、虎の私に対する冷静かつ丁寧な対応ときたら。

 屋敷の者たちにも見習ってもらいたいものだわ。とにかく大騒ぎだったからね。

 まあ今の私は、反抗抑止のための首輪を装着しているから、皆怖くないのかもしれなけど。


 そういえば、つい忘れてたけど、うちの屋敷の者たちは、私のことを探してくれているのかしら。

 お父様なんて仕事大好き人間だから、私が卒業式で王子に婚約破棄を言い渡されたことも、いなくなったことにさえ、気付いてないかもしれないわね。


 私の専属侍女のミラは、扉を開いたところで泡を吹いて倒れてたし。


 ミラのことを思い出せば、新しい侍女たちの態度は異質に感じるわ。

 褐色の肌に、無表情な顔を貼り付けて、淡々と仕事をこなす五人の侍女たち。

 国が違うと、虎に対する態度も違うのかもしれないわね。


 それにしても私の所有者は、一介の虎に1000万ゴールドを支払ったり、五人も専属侍女をつけたりと、相当な虎好きの人物なのね。

 

「ガウ、ガウゥゥッ (これなら猫なで声ならぬ虎なで声で媚びれば、毛皮にされないのではないかしら)!」

 期待が持てるわ。


***


 そして、ジェットから降ろされ、オーナーの元へ贈り届けられた私は、現在、借りてきた猫ならぬ虎になっている。


 なぜなら、各国の要人の中でも選ばれた者しか宿泊できない、我が国が誇る最高級ホテルの最上階にある、ロイヤルペントハウススイートルームにいるから。

 いくら公爵令嬢の私とはいえ、おいそれと泊まれるところではない。


 私の所有者になる人物は、王国に認められた最高級レベルの貴賓ということだわ。

 

 豪奢な広い室内を見学する間もなく、私は特大のマスターバスルームへと入れられた。

 壁一面が窓ガラスになっているので、王国の全景を眺めながら、大きな浴槽に浸かり、侍女たちに甲斐甲斐しく体を洗われる。窓ガラスはスクリーンにもなっていて、映像を流すことが可能なようだ。

 他のバスルームには、ジャグジーやミストサウナがあるらしい。


 毛を乾かされると、ようやくリビングエリアに通された。

 

 「ガウゥ……(ああ、極楽……)」


 尻尾を左右に大きく揺らす。


 広いソファにうつぶせになった虎の私は、ピアノの生演奏を聴きながら、侍女たちに体をマッサージしてもらっている。


――もう、何もかもどうでもいい。

――このまま虎の姿でいてもいいかもしれない。


 ……いえ、だめよだめ!

 何を考えているの、シエナ!

 犯人に一矢報いるまでは、諦めないんだから‼


 ダメな意識に支配されつつある私の耳に、扉が開く音が聞こえ、室内に人が入ってくる気配がした。

 耳をピクピクしながら、ソファに伏せていた顔をあげる。

 側にいた侍女たちが、ささっと部屋の隅に控えて、頭をたれた。


 開いた扉の先には、……まさに帝王がいた。


 彼の頭上に金冠を戴く幻が見えて、私は、前肢で目をこする。


 少し長めの黒曜石のように艶々な黒髪に、金色の瞳。

 褐色の肌の、男らしい凛々しい顔立ち。

 所々に金の細工が施された、南方の民族衣装のようなものを身にまとった、エキゾチックな美丈夫である。


 露になった腕や首には、黄金の装飾品を身に着けている。

 彼の衣装は、生地が薄い上に、露出が多いため、鍛え上げられた肉体が晒されており、乙女の目には非常に毒だ。


「ガウッ(恥ずかしいわっ)!」


 免疫のない私は、ついソワソワしてしまう。


 それにしても、彼の顔には見覚えがないわ。

 王子妃教育の一環で、各国の主要人物の顔と名前は暗記しているが、これほどの人物が出てないわけがない。

 そういえば、強大な魔力と資金力を背景に、近隣諸国に多大なる影響を及ぼす、空上の魔法大国がいずこかにあるとか。内部情報はほぼ謎に包まれているらしいが、……まさかね。


 尻尾を下げて、物思いにふける私に、彼が悠々と近付いてくる。

 体を鍛えているからだろう。ただ歩く姿すら、格好良い。


「近くで見ると、より麗しいな」


 ドキッとした。

 オークション会場で聞いた、耳なじみのいい凛とした声音。


 ラシャドと名乗った彼は、虎を前にしているのに気負った様子も見せず、虎である私の頭に手をのせる。

 彼の掌の重みに、なぜか私の鼓動が速くなる。


「会いに来るのが遅くなって済まなかった。私用があってな。不便な思いをさせないよう厳命してはいたが、何か困ったことはなかったか」


「ガウッ(とてもよくしていただきましたわ)!」


 私の返事が分かったのか、ラシャドは笑顔になる。

 心を撃ち抜かれて、悶絶する。


「ガウウウゥ(美形ビームだわ)‼」


 私の婚約者も顔だけは良かったが、ラシャドは別格だ。

 男らしくて、色気があって、気品がある。


 その上、優しいだなんて最高だわ!


 恥ずかしさに顔を伏せた私に、ラシャドが品質のよさそうな大きな布をかけた。すると、その布はみるみるうちに形を変えて、虎の体にぴったりの素敵なドレスになった。もちろん下着も装備している。


「とても似合う。これは魔道具の衣装で、並大抵のことでは破れない」


 なぜ虎の私に衣装を?と思わないでもなかったが、元々が令嬢な私なので、ドレスを着ることに違和感はない。むしろ、今まで裸で堂々と闊歩していたことを考えると、恥ずかしさで穴に隠れたくなる。


「それに、お前のような美しいものに、これは無粋だ」


 彼が私の首にはめられた、武骨な黒い拘束魔道具に手を伸ばす。

 途端、ラシャドの後ろに控えていた護衛らしき格好をした男が前に進み出てきた。


「危険な猛獣です! 主様、外してはなりません! 食い殺されてしまうかもしれません!」


 護衛は肌が白く、銀髪に翠目の優男という風采だ。


「ガウッ(黙らっしゃい)!」


 一言申すと、護衛は「ひいいいいい」と叫んで後退ってしまった。


「ガオゥッ(ふんっ、たわいもない)!」


 ラシャドは一連の流れを気にもせず、私の拘束具を容易く外してくれる。


「キースが失礼なことを言って済まない。この国出身の者で、折衝役兼護衛として連れているのだが、まあ悪い奴ではないんだ」


 虎ごときに怯えるだなんて、護衛としてやっていけるのだろうか。

 他人事ながら、少し心配になる。


「ガウ、ガウゥウッッ(この見た目ですし、恐れられても仕方ないですわ)」


「お前の愛らしさが分からないなんて、キースも哀れだな」


はは、とラシャドが笑う。

 もう、さっきから私のこと褒めすぎじゃない⁉

 相当な虎好きさんなんだろうけど、ダメージが大きいから、本当に止めてほしい。

 顔が赤くなっちゃうわ。

 毛が濃くて、分からないだろうけど。


 大きな前肢で頬を隠す私に、ラシャドは意味深な笑みを向ける。


「お前のことは何と呼べばいい?」


「ガオ~ゥ(シエナと呼んでください)!」


「わかった。シエナか。いい名だな」


 あれ、もしかして言葉が通じてる? 虎好きも高じると、言葉が分かるようになるのかしら。

 取り敢えず、ラシャドは大の虎好きの、大富豪という認識で合ってるわよね。


ぐうううう。


 無体な人物ではないことにほっとしたのか、私の腹の虫が盛大な音を上げる。


「ガゥッ……(恥ずかしいわ……)」


「ダイニングに食事を用意させている。おいで」


 さりげなく肩のあたりに触れられて、ラシャドによってスマートにエスコートされた私は、豪勢な食事の前に、涎を垂らすばかりだ。


 そういえば、昨夜からろくにものを食べていなかったのだわ。


「その手では食べにくいだろう。俺が食べさせてやる」


「ガウッ(えっ)⁉」


「ほら、口を開けろ」


 広いダイニングテーブル。席はいくつもあるのに、なぜか隣に座ったラシャドは、にこやかに笑いながらも、有無を言わせない圧力を放っている。

 

 確かに、この前肢では、お皿から綺麗に食事を摂れないし。かといって、お皿に顔を直接つけるのも嫌だわ。

 背に腹は代えられない。


 恐る恐る口を開いた私に、ラシャドが甲斐甲斐しく給餌してくれる。


「ガウゥゥ~ン(美形に食べさせてもらってるからか、より美味しく感じるわ~)!」


「これは可愛いな。誰かの世話をするのは初めてだが、シエナの世話だと思うと楽しいものだな」


 ラシャドは虎に餌付けをするのが楽しいのか、私に食べさせるばかりで、自分の食事は一向に無頓着だ。

 私もお返しできたらいいのに。


 口をあーんと開けるラシャドに、食べ物を運ぶ私。もちろん私は、令嬢の姿だ。


「ガゥッ(照れちゃうわっ)!」


 ぶんぶん尻尾を振る。


 大事な主に無作法をする私を、従者のキースがじとっと睨む。

 夢のシチュエーションに興奮した私は、ラシャドとの素敵なディナーを乙女として堪能し尽くしたのだった。


 まあ、絵面は虎の餌やりだけど。

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