異世界魔法簿記で会計が学べるラノベ

山根 琴歌

プロローグ

第1話 簿記三級、受ける

「時間です。筆記用具を机の上に置いてください」


 聞き覚えのない男性の声で、机に突っ伏していた俺は目を覚ました。


 あれ? 俺は一体何をしていたんだ。随分と長く眠っていたように感じる。


 そう思いながら重い体をよいしょと上げると、教団の前に立つスーツを着たハゲのおっさんと目が合った。誰だこいつ。


「君、ここ名前書いて」


 おっさんはそう言うと、机の上に置いてあった用紙にトントンと指を指した。目を向けると、「簿記三級解答用紙」という文字の隣に、空白の名前記載欄がある。


 そうだ、俺は簿記三級を受けに来たのだ。その事実に気づいた途端、自分のした大きな過ちに気づく。あろうことか、試験時間である120分を丸ごと睡眠時間に費やしてしまったのだ。しかし、気づいたときには時すでに遅し。いまさら解答を再開するなんてことは許されないだろう。


 仕方なくこの状況を受け入れ、ヨダレまみれの解答用紙に「大手町圭人」とだけ書いて、おっさんに差し出した。解答欄なんて何ひとつ埋めてないが、まあ提出しないだけマシだろう。


 おっさんは少し嫌そうな表情を浮かべながら、渡された問題用紙を受け取った。俺だってこんな解答を提出するのは恥ずかしいのだから、お互い様ということで勘弁してほしい。どうやら今年も試験の結果には期待できなさそうだ。


 ***


「ちょっとケイト! 友達から試験始まってすぐ寝てたって聞いたけど大丈夫なの!?」


 簿記検定が終わり、教室で電卓と筆箱を鞄にしまっていると、同じ商業高校に通う幼馴染――有楽真希(ゆうらくまき)が、後ろで束ねた金髪のポニーテールを揺らしながら、心配の声をかけてきた。


「まあ……大丈夫なわけないよな、あはは……」


「あははじゃなくて! そんなんじゃ一生受かんないじゃない!」


 マキは真剣な表情を浮かべながら、そう脅しをかけてきた。大きくパッチリとした目を持つ彼女だが、こういう時になると目つきが鋭くなり、あまりの迫力に恐怖感さえ覚える。


 だが実際、彼女の言う通り、商業高校に入学してから何度か簿記検定は受けたものの、どれも惨敗に終わっている。気づけばもう高校三年生だ。


 そもそも俺が商業高校に入った動機は、普通科の高校よりも女子の割合が多いからである。色んな女の子にモテたかっただけの俺は、簿記という学問なんて微塵も興味が持てなかったのだ。


 実際、商業高校は女子が多くて最初はワクワクしたが、女子にモテるのは一部のイケメンのみであり、陰キャでフツメン(と思いたい)な俺は、勉強もせず教室の端でゲームをする毎日だった。


 ちなみに簿記を勉強し始めてかなり経つが、今だに電卓をブラインドタッチできない。


 マキはそんな俺と正反対で、学業はもちろん部活動でも活躍している、いわゆる文武両道ってやつだった。所属する剣道部ではたくさんの賞を獲得しているし、なにやら最近になって会計士?とかいう試験に合格したらしい。どうやら難しい試験らしく、女子高生が合格したという前例は少ないらしい。しばらく校内がその話題でもちきりだったほどだ。


 まあよく分からないが、とにかく彼女は凄いってことだ。


「そうやって高校三年間無駄にして、後悔しても知らないからね! もし分かんないところあったら教えてあげるから、せめて次はちゃんと試験受けなさいよ!」


 幼馴染である彼女は、昔からこうやって俺のことを気にかけてくれる。それについては大変嬉しいのだが、最近少々度が過ぎているようにも思えてくる。


「とりあえず、あたしはもう帰るから。友達と遊ぶ約束があるから急がないと」


 マキはそう言うと、急いだ様子で教室を飛び出した。どうやら別の教室で行われている簿記一級の受験生である友達を待っていたようだ。簿記検定は日曜日に行われることが多いため、俺たちはこうやって貴重な休日を費やして試験を受けに来ている。


 時計を確認すると、まだ昼の十一時だった。適当にコンビニでパンでも買ってから帰ろう。そう思いながら、リュックを背負い教室を後にした。


 ***


 コンビニで買った焼きそばパンをかじりながら、ふと頭に浮かんだある不安事に駆られていた。


 (結局、俺はこのまま何も成し遂げられず高校を卒業するのだろうか……)


 いくら不純な動機で商業高校に入学したとはいえ、真面目に勉強すれば簿記三級なんて簡単に取れるのだろう。現に簿記三級の合格率を調べれば、おおむね50%前後といったところだ。努力すれば決して不可能ではない。


 しかし俺は簿記という学問に対して、酷く苦手意識を持っていた。最初の頃はまだ授業についていけたが、「貸方」とかいう場所に「借入金」の文字が現れた時にはもうダメだった。なんでお前は借りてんのに貸してる方にいるんだ? 


 それ以来、簿記を勉強するのを諦めてしまったのだ。


 家に帰ったら何をしようか、そう思いながらスマートフォンをポチポチと触りながら、自宅のある方向に向けて歩いていた。


 その時だ。突然、真横から思わず耳を塞ぎたくなるような爆音が襲ってきた。この音には聞き覚えがある。でも俺はこの音をこんな間近で聞いたこと無い。まるで音の原因が目と鼻の先にあるような、そんな距離から聞こえてきた。


 そうだ、これは車のクラクションだ。


 振り返ると、大型のトラックがすぐ目の前まで接近していた。

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