崇期さま!
真っ先に読ませて頂きましたが、今まで読んだ崇期さまの作品の中で(ほとんど読めていませんが ― スミマセン)一番面白かったです。
虚像文学ですね⁉それも、ただ、美術館や、絵や、画家が虚像というだけでなく、それを見に行った私のエッセイという多階層ホログラムのような …
でも、「胃の中の動物が見る夢」というシュールなタイトルを持つ虚像 ― 金子広路重が自らの作品に与え続けたエピソード自体が虚像だというのも味があります ― 自体が「テーブルに置かれた鹿の首がある」といった不気味な幻想をはらんでいて、強く惹かれました。言葉でも絵がかけるのだとはじめて知りました。締めの導入部分、「それを味わいたかったのだし、望んで浴びにいったにも関わらず取り払わなければならない気がしてきた」が印象的で、最後のひふみんや大根に言及する寄り道のおかげで、ぼくもほっと一息つきながら、ないはずの現実の余韻に浸ることができました。もっともこれは現実ではないし、エッセイでさえないのですから、何の余韻に浸れば良いのかわからなくなりそうですが。
出だしの方の言葉は少し硬くありませんか?また、「ずっと掛かっているのも異常な芸術への執着とも思える」と、「異常なまでに燃やされる母性がその偏執が見事に表現されている」という文章に、ちょっとつっかえましたが、如何でしょう?
作者からの返信
友未様、ご丁寧にありがとうございます!
他作品の読破にお忙しいだろうと思い、私はご企画には遠慮しようと思っていたのですが、近況ノートに誰も書かれていなかったことと、短いのでいいかな?(笑)と思い初参加させて頂きました。
これは自分でも気に入っていたのですが、似たような絵画をテーマにした作品を書きたくて、でもやめようかどうしようかと思っていたので、ご意見伺った次第です。
たしかに、「なんの余韻に浸ればいいのか」というのは、なるほど、と思いました。多分、私の短編の作はほとんどそうかもです。
おもしろさとか珍しさは誰かが感じてくれたとしても、そこまで深みのあるものが作れていない気がします。
私は今のところ、「キッパータック〜」が本命ですので、他は遊びな感じでした。でも、これから短編ももうちょっと頑張ってみます!
ご丁寧にありがとうございました。
かのボルヘスも愛した「架空の作家や作品、その引用」というのが私はそれこそ胃の中の蛙が啼き喚くほど好みなモチーフで、「引用する語り口」が地から幾らか足を離しているとさらに魅せられてしまうのですが、近頃感じていたその空腹、蛙啼きの空虚を奥底まで満たされる素晴らしい一篇でした。
企画テーマから生まれ落ちながらも確かに自身の命、頭、目鼻口や四肢を以て激しく蠢き出しているタイトル群、異様ながら不可思議な親しみを感じさせる画家像、それらを何気なく当たり前のように語り綴る文章の心地よさ、出来るならこんな「幻想エッセイ」をこそいつまでも読んでいたい、そんな気持ちが致しました。
作者からの返信
もったいないくらいの賛辞を頂いたような……。
軽い気持ちで書いたのですが、なんだか気に入ってもらえて超絶にうれしかったです。
絵が純粋に好きなので、気持ちは込められたのかな、と思います。
安良巻様、何度もコメントありがとうございます。
そして大変に瀟洒なレビューを恐れ入りますm(__)m
いつかの「幻想風エッセイ」の原点ですね。
楽しく読ませていただきました。
「正常な人」で描かれるのは、真っ赤な部屋に黒ずくめでたたずむ、というやや異常な兄の様子。説明では仮面を付けているとありますね。物理的な仮面をかぶっていれば、確かに異常に映るでしょうし、兄も怒ると思います。でも、失恋の傷が癒えるまで、まるで傷なんかないよ、と空元気を振る舞う様子は、まさに仮面をかぶっていることになるでしょう。そして、それは正常です。
一見、題名と絵には矛盾があるようで、しかしその矛盾にこそ真意が隠されている、という構図は見事ですね。
そして隠れているからこそ、人は注目して見つける。
最後の「大根の丸かじり」でくすっとしました。
作者からの返信
杜松の実さん、
ここまで深く読み込んでくださり、ありがとうございます。
精神世界のような、ただシュールな絵のような、
私もこの絵画は見たこともない、ふと頭に浮かんだだけの絵ですが、
読んだ人の頭の中で、何種類ものその人なりの絵画が浮かんでいると思うと、なんだかおかしいですし、感慨深いです。
私もかつて絵を描いていましたが、気にいるように描けるだけの腕がありません。小説で絵を、頭の中で描くことができて、すごく幸せでした。