私は母に似ていない
他人の家で籠城するというのは恐らくかなり迷惑な行為だと思う。
それなのに、文句ひとつ言わないキョウコさんは部屋の前にパスタを置いてリビングに戻ろうとする。
「冷めないうちに食べてほしいわ」
「母と、知り合いなんですね」
ドア越しに私がそういうと、キョウコさんが廊下に座った気配がした。
「スミちゃんは結花さんに似ているわね」
「……いつから気付いていたんですか」
「直感で、最初から」
私は父親似だ。母は美人だけれど、平凡な父親の顔を濃く受け継いでいる。母に似ていると言われたのは、これが初めてだった。それなのに、キョウコさんはすぐに気が付いたというのだ。
「それは、キョウコさんが母のことを好きだったからですか?」
「……結花さんがあたしのことを好きだったのよ」
泣いているのかと思った。それくらい、か細い声だった。
二人の間に何があったのかはわからないけれど、私は生まれている。キョウコさんとの関係が続いていたのなら私は存在しなかっただろう。父と母の間に生まれて、母が倒れたことも知らずに門限を破って遊んでいた。私があの日まっすぐ帰っていたのなら、母はまだ生きていたかもしれない。
部屋を出ると、キョウコさんが廊下にしゃがんでいた。
「あらやだ、泣いてるの?」
私を見上げて驚いたような声を出したキョウコさんを上から包むように抱きしめた。
「キョウコさんは、私が憎いですか?」
うん、と言われたら出ていこう。私の芽生えかけた気持ちは摘んで、燃やしてしまおう。
そんな誓いを心の中でたてたのに、キョウコさんは一向に返事をしない。
「キョウコさん?」
不安になって彼女の顔を見ると、少し困ったような、それでいて嬉しそうな顔をしていた。
「やっぱりスミちゃん、お母さん似よ。そういうずるいところ、そっくり」
「え、ずるいって……」
否定しようとした途端に抱きしめられて、体勢が崩れる。二人して廊下に倒れこんだ。
「あたしね、結花さんみたいな大人になりたかったの」
「キョウコさんは、母によく似ています」
遠慮がちに彼女のふわふわな髪を撫でながら、言葉を続ける。
「それから、猫にも」
「次は猫を目指してみようかしら」
「それ、いいと思います」
私が食いついたものだから、キョウコさんはくすくす笑ってニャアと鳴いた。
残りの三日間、彼女はひたすら私の絵を描いていた。最初の植物のようなものではなくて、ちゃんと人の形をしている。
六日目にもなると、絵の量はずいぶん増えていた。
「もしかして最初の絵、私への恨みでした?」
「さあ、どうでしょう?」
「今はちゃんと、人ですね」
「ああもう、うるさいお口ねえ」
描きあがった絵をスケッチブックから千切ったキョウコさんが、昔の絵の横にそれを並べた。何かのチラシの裏に描かれた女性の絵。
「もしかしたら、あんまり結花さんに似てないかもね」
何気ないその一言が嬉しくて、初めて私からキスをした。とても長い一秒だったと思う。キョウコさんは相変わらず余裕そうな顔をしていたけれど、耳の先が赤くなっていたのを私は見逃さなかった。
最後の晩に、少しだけお酒を飲んだ。
「逃避行って言ってましたけど、キョウコさんは何から逃げたかったんですか?」
「過去、かな?」
「それなら私が逃がしてあげます」
ふわふわして気が大きくなった私を笑って、次は二十歳になったら飲むのよなんて言ったのは、飲ませた張本人だ。
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