第二話


 4


「にしたって、やっぱり勘違いなんじゃねぇのか。冗談ならさすがに不謹慎だぞ」

「それ、あなたが言うことですか?」

 コンビニ強盗もどき、瀬田が着替え終わるのを待って、車は再び真夜中の山道を走っていた。やたらに多いカーブを曲がりつつ、どんどん山を下っていくと、小さな集落が点々と現れる。深夜、どこの家にも灯りはついていないものの、農機具やらに囲まれて民家の駐車場に止まっている車たちが、それほど薄汚れていないことが、この村がまだ生きていることを物語っている。夜も随分更けた。村全体が眠ってしまったように静まりかえって、猫の子一匹通りゃしない。

「でも冗談としか思えねぇよ。アンタの方からすればさ、夜逃げして、運悪く途中で強盗の運転手にされたらそいつがお隣さんだったってことだ。そんで強盗の俺は偶然お隣さんを人質に取ったってわけだ」

「私だって、そりゃそうですよ。冗談であってほしいです。さらに言うなら、こうして人質にもとられたくなかったけど」

「人質に取られたいってやつがあの場にいたなら、俺だってそいつを連れてったさ。もちろん、車で来てて免許があるやつじゃないとダメだけどな」

「そういえば。……聞いていいことがわかりませんけど。あそこにどうやって来たんですか?」

「コンビニにか?」

「はい。あのあたり、基本車で来るところでしょう? あんな時間じゃバスなんかもないでしょうし」

「送ってもらったんだよ。というより、降ろされたんだ」

「共犯者がいたってことですか?」

「違う違う、俺だって本当は強盗する気なんかなかったんだ。だけどサカイさんが」

 一瞬考えるように瀬田は黙って、結局話続けた。

「サカイさんっつーのは、取り立ての人で……知ってる? まぁ、取り立ての人なんだよ。そいつにそそのかされてさ。強盗して逃げ切ったら三千万円くれるっていうんだ。それで借金チャラにしたって、おつりがくる額だぜ」

「……あの、失礼を承知でお聞きするんですけど。それ、冗談じゃないですか?」

「アンタ、自分のこと失礼だって思ってたのか。全然遠慮しねぇから、自分が人質だってこと、忘れてんじゃねぇかと思ってたぞ」

「そりゃ、コンビニ強盗が偶然顔見知りで、しかもそこそこ友好的だったら、そりゃ緊張感が薄れるってもんですよ」

「特別アンタが動じないってのもあると思うけどな。マイペースな奴って言われない? 周りにさ」

「たまに。……私のことはいいんですよ。さっきの続き、聞きたいんですけど」

「本当にマイペースだな。俺が癇癪もちでキレやすい強盗じゃなくてよかったな。じゃなきゃアンタ、きっともう刺されてる」

 どうやら己は運が良かったらしいと、高牧は胸中に安堵のため息を用意しかけて、吐くのはやめておいた。瀬田の話し方では、冗談で言ったのか脅しで言ったのか判別しかねて、たとえ安心からくるものであったとしても、話の流れ上舐めた態度をとったと勘違いされてしまったら、そう思うと背筋に冷ややかな空気が走ったような心地がした。

 高牧は露骨に話題をすり替えることにした。夜逃げの最中、助手席に強盗が座っていて、彼が癇癪持ちでなくとも、いつ撃たれるか分からない。何より彼のせいで夜逃げが失敗するかもしれない。そうした根本的な問題から目を背け、枝葉末節種々のさして重要でないものにばかり思考を傾ける、要するに現実逃避であった。

「それにしたって、不思議ですよね。どうして回収屋さんは強盗なんかさせるんでしょうか。だって、強盗させたとして、万が一警察に捕まったら__万が一、というかふつう素人の強盗なら捕まると思うんですが」

「俺が捕まるって言いてぇのか」

「すみません。でも、一般的に言ってそうでしょう? プロの銀行強盗じゃあるまいに。そうして逮捕されて、檻の中に入れられちゃあ、それこそ借金の回収ができないじゃないですか」

「まぁ、言われてみれば確かに。あいつらにとって何のメリットがあるってんだろうな。楽しいのかね」

「あぁ、素人があたふたしてもがいてるのを高見の見物、ってことですか」

 ただそれだけの理由のために、回収不能のリスクをとるとは思えない。なんだか腑に落ちないと、高牧も瀬田も曖昧な顔をしていた。考えようにも何も浮かばない脳内がそのまま顔ににじみ出て、見なくてもよいものをつい注視するような風体だ。

「しかし、そうか、マジで隣人なのか」と、瀬田は呟いてため息をついた。肺の隅々まで押しつぶすようにして吐き出された息がダッシュボードの上に広がった。

「そりゃ、いっつも悪かったな。取り立てでガンガンやられてるもんで」

「いえ、それは私もですから」

「なに、アンタも借金なの? ……そりゃそうか、夜逃げだもんな」

「あの取り立て、ひょっとするとうちじゃなかったのかも」

「半分はオレで半分はアンタだったってことじゃないか。どこの?」

「どこの、というと」

「ローンだよ、ローン。金貸し屋」

「あぁ、駅前のパチンコの裏手の奴です。ぱらいそローン」

「オレもだ。そこらの同級生より親近感が湧いてきちまったな」

「なんて言うんでしょうね。友人…… では無いですし」

「だから強盗と運転手なんだって」

「そうでした」

 珍妙珍奇ともてはやせるうちはまだ良いが、こうも偶然が重なると、どうにも気色が悪い。

「あそこの社員さん、シャツの趣味悪いですよね。どこで買うんだそれ、っていうか」

「お前よく見てる余裕あるな。俺なんか部屋の隅でガタガタやってんのに」

「はは、慣れですよ、慣れ」

「そういうもんか?」

「というか、そろそろお腹空きません?」と、コンビニで買い損ねたおにぎりに思いを馳せながら緊張感のきの字もなく高牧は言う。いま、この状況を正面から受け入れず、別の取るに足らない問題にばかり目を向けるのは、おそらく心の防衛機制というやつだろう。

「正直空いてきたな。さっきのコンビニで何か買えたらよかったんだが」

「そこは盗むじゃないんですね」

「ヨケ―な罪を重ねる気はねぇよ」

「強盗未遂でも人質取ったらもうダメなんじゃないですかね」

「お前が共犯になったらいいだろ。二人ともお金に困ってました~って理由があるじゃねぇか」

「えぇ、嫌ですよ。僕、警察のご厄介になるのは」

「なぁお前、なにが食べたい?」

「えぇ、リクエスト可なんですか?」

「俺はラーメン」

「あ、いいですね、ラーメン。店があればの話ですけど」

「その辺のSA入れば、カップ麺の自販機ぐらいあるんじゃねぇの?」

「でも、サービスエリアって防犯カメラありますよね。いいんですか?」

「お前、ほんとそういうの言わなきゃいいのに」

「しょうがないでしょう。やっぱりコンビニでも寄ります?」

「コンビニも同じじゃねぇか」

「監視社会ってやつですよ。どこもかしこも」

「じゃあなんだ、山にでも入ってサバイバルするか?」

「僕は顔が割れてますけど、あなたは目出し帽だったじゃないですか。服も違うし。僕の分も買ってきてほしいです」

「お前、本当図太いね」

「背に腹は代えられません。背中は空かないし」

「あのなぁ……」


 5


 瀬田京平は助手席から狭苦しい沿道にひとり足を踏み下ろす。小さい集落を貫く田舎道、時刻はもう午前四時近くになっていた。朝か夜か、おはようかこんばんはか迷う時刻で、しかし太陽はまだ出ていない。片側一車線の道路を渡った先に、薄らぼんやり明かりのついた個人商店があった。おそらくこの村の生命線なのだろう。きっと爺さんか婆さんが1人でテレビでも見ながら店番してるさ。

 瀬田がガラス戸を横に滑らすと、思った通り、派手なシャツを着込んだ老婆がテレビを見ながら店番をしていた。突然現れた深夜早朝の珍客に、驚くわけでも興味を示すわけでもなく、ただこちらを一瞥して、視線はすぐに画面に戻る。いらっしゃいませと言わないのは、彼がよそ者だからだろうか。チェーンのコンビニじゃ強盗相手にも言うのによ。

 六畳程の空間に、生活雑貨から農薬までひしめく店内を手早く見て周り、菓子パン四つと缶入りのお茶を二つカゴに放り込んだ。ペットボトルは見当たらなかった。


 6


 道すがらの薄らぼんやりとした商店に瀬田を下ろし、高牧は座席のシートを下げられるだけて下げて寝転がった。サンルーフなどついていないから、夜空は見えない。無短い起毛素材の灰色の天井が広がるだけの単調な風景と、長い運転の疲れも相まって眠気が兆してきた。いっそ少しの間でも眠ってしまおうと、深く息を吸うと、にわかに車内が匂うような気がしてならない。不本意ながら万引きした消臭剤をエアコンの吹き出し口に差し込み、しばらく窓を全開にして空気を入れ替えることにした。車を降り、一度トランクを開けて、後ろの荷物にも風邪を通してみた。これできっと大丈夫だろう。そうして運転席に戻ってうつらうつらしているうちに、ポリ袋をひっさげて瀬田が戻ってきた。

「俺が買い出し行ってる間に、お前が逃げたらどうしようかと思ったよ」

「よく言いますよ。車のキー持って行ったくせに」

 瀬田の投げ渡したポリ袋が首元に落ちてきて、肌に耳にがさがさとした。上体を起こして中を確認すると、お茶とパンが入っていた。

「いいだろ、アンパンとベーコンマヨ。ちゃんとご飯とデザートにしてやったぜ」

「炭水化物と炭水化物ですよ。あーあ、生活習慣病になっちゃう」

「ならねぇよ、それぐらいじゃ」

「こういうのは積み重ねなんですよ」

「どうせ生きたってしょうがねぇんだから、好きなモン食った方がいいじゃねぇか」

「好きなんですか? パン」

「いや、別に」

菓子パンを食むと、口の中の水分が持っていかれて、少し噎せそうになった。瀬田はカレーパンを咥えたまま、何故か息を吸い吐きしている。

「こうするとカレーの匂いが食えるんだよ」

「わけわかんないですよ、それ」

「とりあえず車、出してくれ。店のバーさんに通報されたら困る」

食べ始めたばかりのベーコンパンを、ドリンクホルダーに無理やり差し込み、言われた通りに高牧は車を発進させた。集落の終わりの方まで行くと、この先は自動車道になっているようだった。

「それで、こんなこと言っちゃ失礼かもしれませんけど、どうするつもりなんです? 強盗未遂に人質取って。まぁ、僕にこっそり警察署に行く勇気はありませんけどね」

 高牧は、前方から目を離さずそう言った。優良ドライバーとしては当然の行動であるが、いくら知人であったとはいえ、人質が犯人に叩く口としては不合格である。僅かに、食器同士の擦れ合う様な高い音がして__それは瀬田がポケットに突っ込んでいる拳銃のトリガーに、思い返したように布が触れる音であるのだが__ようやくいま現在起こっている状況と真っ向から対面させられた高牧が、ハッとして何か言い直すよりも先に瀬田が口を開いた。

「実は俺にも、もうどうしたらいいのかわかんないのよ。警察署に行ってほしくはないが、それより奴らに見つかる方が怖い」

「それは同感ですね、警察に見つかったら居場所がわかっちゃうじゃないですか、そしたら、借金取りにもきっと見つかるでしょう? 僕も警察署には行けないんです」

「俺、一昨日いきなりこれ、渡されてさ、あそこのコンビニに強盗に入れって命令されてんの。そら債務者とはいえ一般人に、はい強盗してください、これが武器ですって、無茶にもほどがあるよな。実際失敗したんだし」

‘‘これ‘‘と指示語の対象を明らかにする為に拳銃がまた音を立てる。

「僕だって、夜逃げの最中に強盗の人質になるなんて、誤算も誤算ですよ」

 自動車道の舗装された山肌に、だんだん陰影がはっきりしてきた。もうずいぶん先の方まで、空が明るくなってきたようだった。

「正気じゃない提案なんですけど、聞いてもらえます?」

「……まぁ、言ってみろよ」

「一緒に夜逃げしません? もう朝ですけど」

 鳩が豆鉄砲を食ったように、小さい目を真ん丸に見開いて、瀬田はあんぐりと驚いた。

「お互い警察署には駆け込めないし、どうせ逃げる対象が一緒なら、こんなこと言うのはおかしいって思ってますけど……。……協力しませんか?」

「高牧サン、アンタ、さっきも思ったけどさ。自分の状況分かってねぇの?」

「確かにあなたは拳銃を持っていて、僕を殺せるかもしれないけれど、僕だって、ハンドル持ってる限りはあなたを殺せます。我が身もろとも。即死とはいかなくとも、きっとめちゃくちゃ痛いはず。だから、今はイーブンです。どうです? 協力しませんか」

 一瞬の間を開けて、瀬田はまたかちゃりと音を鳴らしながら黒い拳銃をポケットへしまい込んだ。

「悪くないでしょう?」

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