第98話 槍を冠された者達
激情が爆発し、空気が凍り付く。
発言の真意を汲み取ることは出来ないが、俺たちもキュレネさんの言葉を受けて動きを止める。
(母親……? じゃあ、あの女性は誰だ……? それに――)
俺たちの目の前にいるのは、中年の男女と十代前半と思われる少年、それよりも四、五歳下に見える少女が一人ずつ。どう見たって、良い所の夫婦とその子供としか思えない。
つまり、目の前の男性をキュレネさんの父親と仮定するのなら、隣に居る女性を彼女の母親と考えるのは自然だ。
しかし、キュレネさんが言い放った家族を
「わ、私だって、あの事故には心を痛めた! だが、アレは誰にもどうしようもなかった!
「あれが事故? どうしようもなかった? そんな事? どの口で……」
「我が“ランサエーレ家”の存続にかかわる重大な話だ!」
懇願するような声と、抑揚のない硬質な声。
二人の会話は面白いほど噛み合っていない。
結果、相も変わらず、何がどうなっているのかという会話の流れは理解出来ないままだが、その中で発せられた聞き覚えのある単語に思わず耳を奪われる。
(ランサエーレ……その名前には心当たりがある。アレは確か……)
二人の会話を訊きながらも、幼い頃の記憶を呼び起こそうとして俺の思考は浮遊する。
「ねぇ、何か分かったの?」
しかし、腕を引かれる感覚によって、俺の意識は埋没しきる前に呼び起こされた。眼球を動かせば、思案顔で黙った俺を怪訝そうに見つめる紅い瞳。
「事情はどうだか知りませんが、さっき出て来たランサエーレという名前は知っています」
「一体、どういう家なの? 何かの組織?」
「“槍”を冠する名家。単純に言ってしまえば、
「つまりキュレネさんは、名家のお嬢様?」
「言ってる事だけを臆面もなく受け取ればそういう事ですね」
「でも、おかしくない? だってキュレネさんのファミリーネームは――」
「どうやら訳あり――。もしかしなくても、目の前で繰り広げられてるのは、そこのお家騒動みたいですね。それも、あまり芳しくない――」
それを受けてのルインさんの疑問は尤もだ。何故なら、キュレネさんが名乗っている姓は“カスタリア”であって、“ランサエーレ”ではない。
どうやら俺達が思っているよりも根深く、込み入った事情があるのは火を見るよりも明らかだった。
「頼む、戻ってきてくれ! 離れていたって家族じゃないか!?」
「いい加減、こっちの言う事聞きなさいよ! 我が家の看板に泥を塗ったアンタを戻してやるって言ってんの!」
「――貴方達、どれだけ都合のいい思考回路をしているの。相変わらず頭の中が腐りきってるのね。いえ、そもそも腐るほど中身も詰まっていないのかしら?」
「はぁ!? 血も繋がってない分家の
俺とルインさんが様子を伺いながら小声で話していると、目の前の問答が更に白熱する。五者五様の態度ではあるが、
気になる単語が出てきて深堀したいところだが、どうやらそれどころじゃないようだった。
「ねぇ、パパ、ママ。あんな怖い人が僕のお嫁さんになるのぉ? 家庭崩壊とか起きちゃいそうで不安だなぁ」
「大丈夫よ、ロミちゃんの言う事を訊くように調教してあげますからね」
「えー、やっぱり不安だなぁ。僕はあっちのお姉ちゃんの方がいいんだけど」
そんな時、見た目満点のキュレネさんとは打って変わって、父親と名乗る男性の特徴を色濃く受け継いだキノコヘアーの少年は、何やらこちらを指差して来る。その先に居るのは――。
「こら、駄目よ、ロミちゃん。あんなどこの馬の骨とも知れない小娘に
「でも、美人だし、スタイル良いし、優しそうだし……。甘えさせてくれそうだしぃ……うへへ」
「ん? まァー、妥協して側室くらいならアリじゃないかしら?」
「ホントに!? 本当にいいのママ!?」
「ふん、平民にしては多少見れる容姿ではあるわね。勿論、私ほどじゃないけど!」
短足キノコと厚化粧おばさん、十歳ちょっと過ぎかどうかという年齢であろう少女は、ルインさんを指差しながら気色の悪い言葉を撒き散らしている。必死な様子の父親らしき男性との態度の違いに困惑せざるを得ないというのが正直な所だ。
「うぇ!? なんか視線がねっとりしてて気持ち悪いんだけど……」
その顔は青ざめ、触れ合う肌からは女性特有の柔らかさ以外に若干ザラつくものを感じた。
要は舐め回すような少年の視線に耐え切れず、鳥肌を立たせながら俺を盾にしているという事だ。
「ま、まあ、気持ちの良いものじゃありませんね」
普段、鋭い目つきとは対照的に、物腰の柔らかいルインさんらしからぬ毒の吐き方だが、俺は曖昧な返事をする事しか出来なかった。
(は、挟まってる……というか、二の腕が呑み込まれてるんですが……。確かにあの連中は、控えめに言って全身を掻き
抱き着くというより、しがみ付かれているような体勢である為、ホールドに巻き込まれた腕に押し付けられるルインさんの立派な双丘は、最早当たっているとかそういう状態ではない。
何気に太腿や腰もピッタリとくっついているし、肩に押し付けられた頭からは甘い香りが漂って来る。
防衛本能から来る完全無意識による行動なのが、救いである様な、質が悪い様な――。
「――というわけで、そこの金髪。貴方もそのバカ娘と一緒に家に嫁ぎなさい。ああ、当然貴方の事情は一切考慮しないから、そのつもりでね。まあ、家のロミちゃんからの直々指名だから、断る理由なんてないでしょうけどねぇ」
「うへへ! たぁのしみだなァ!」
意図しない形で急接近してきたルインさんにどきまぎしていると、厚化粧ババアとロミちゃんとやら――もといアホ親子は、大声でとんでもない事を言い始めた。あまりにも突拍子もない連中の発言を受け、ルインさんはピキッっと凍り付く。
まあ、男の俺ですら吐き気を催してるんだから無理もないか。
ただ、その所為でさっき以上に全身を使って密着されるのは、やはり理性の方がキツイ。
「必要なものは全部買ってあげるから、今すぐ一緒に行こうねぇ」
そんなやり取りを見せつけられてどうしたものかと思っていると、張本人たちがゆっくりとこちらに向かって来る。名家に相応しい優雅な歩調――いや、足が短いだけだな。
いい加減、阿呆な言い分には付き合いきれないと行動に移そうとしたが――。
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