第45話 公爵令息エリオット・フレインの憂苦






 エリザベートとスカーレットは王宮に運び込まれ、手厚い治療を受けた。ぶつけた箇所は痣になっていたが、幸いなことに数日で消えるようだ。

 エリザベートは王妃に付き添われて休んだ後、駆けつけた公爵夫妻に大事に大事に引き取られていった。

 スカーレットは王宮で待っていたミリアとジムに迎えられ、治療の間中号泣するミリアを慰めていた。

 アレンとエリオットはクラウスやガイと合流し、一連の出来事を宰相に報告した。宰相はすぐさま王の執務室にロレイン公を呼び出し、王の御前でアレン達から受けた報告を王に奏上、王は重い息を吐いた後でロレイン公に「良いようにせよ」と短く命じた。

 それは先代国王がロレイン公によく言っていた言葉だ。どのような手を使って、どのような結果になっても良い、思うとおりにせよ。という、重たすぎる王の言葉を平然と受け取れるのはロレイン公を置いて他にいない。

 ロレイン公が一つ頭を下げて静かに出ていった。それを見送って、エリオットは拳を握りしめた。グンジャー侯爵にどのような処罰が与えられるか、エリオットにはもはや知ることは出来ない。どこかに流されるのか、毒杯を呷ることになるのか、どちらにしろ、ロレイン公の手によってすべては闇に葬られるのだ。

 三大公爵家の一つとはいえ、当主ではないエリオットには今はまだ闇を覗く権利はない。

 退室を促されたので、アレンを置いて執務室を出た。エリオットは廊下を歩きながら、スカーレットの左肩に走る傷跡を思い返した。

 あの日出会った女の子が本当にスカーレットだったのだとしたら、あの傷をつけたのはエリオットだ。

 エリオットは前髪をぐしゃりとかき乱し、混乱の収まらない頭でスカーレットに何を言うべきか考えた。


(スカーレットに、幼い頃に森で怪我をしたことがないか尋ねる?だが、肩の傷に触れたらスカーレットが傷つくかも……)


 体に残る傷を負うなんて、女性には耐え難い。その傷について触れられたくないのが当然だろう。


(もし、俺の思い過ごしなら、スカーレットを徒に傷つけるだけになる……)


 答えの出ないうちに、スカーレットが手当を受ける部屋に辿り着いてしまった。


「あ、お姉様。フレイン様よ」


 エリオットに気づいたミリアが義姉に声をかける。スカーレットがソファから立ち上がったので、エリオットは慌てて「座っていていい」と告げた。

 だが、スカーレットは姿勢良く立ったまま、目を伏せてエリオットに謝意を示した。


「此度のこと、私の事情にビルフォード公爵令嬢を巻き込んでしまい誠に申し訳ございませんでした」

「それはもういい。君も被害者なんだ。謝る必要などない」

「いいえ。いかなる理由があれど未来の王妃となられる方を危険に晒したこと、臣下としてけして許されぬ過ちです」


 スカーレットはここで初めて顔を上げてエリオットをみつめた。


「エリオット様。どうぞ、私との婚約を白紙撤回なさってください」

「お姉様!?」


 ミリアが何を言うのだと言うように義姉の腕を掴んだ。


「私がエリオット様のお側にいれば、ビルフォード様は忌まわしい記憶をいつまでも忘れられないでしょう。ビルフォード様の御心を騒がせることは私の望むところではありません」


 エリオットは少しひるんだ。スカーレットの毅然とした口調と態度に、初対面のエリオットを詰り強引に命令してきた女の子が重なって見えるような気がしたのだ。

 エリオットは何も言えずに息を飲んだ。


「今日のところはもう男爵家に帰ろう。エリオット様はアレン殿下達とお忙しいだろうから」


 ジムが口を挟んで、スカーレットを宥めて連れて行こうとした。その姿に、エリオットの胸がちりっと痛む。


「では、フレイン様。ありがとうございました」

「ああ……」


 ジム・テオジールは好感の持てる人物だ。それなのに、何故こんなに言いようのない不快さを感じてしまうのだろう。エリオットにはわからなかった。


「エリオット様」


 部屋を出る前に、スカーレットが振り向いた。


「本当に、ありがとうございました」


 菫色の瞳を緩ませて微笑むスカーレットに、エリオットは先程とは違う胸の痛みを覚えたのだった。





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