第6話 公爵令息エリオット・フレインの戦慄





 男爵令嬢が公爵令嬢の胸を揉んだ。由々しき事態である。

 朝からずっと頭を抱えていたエリオットは、昼休みに入るなり席を立って二年生の教室へ向かった。

 スカーレットのクラスは昨日のうちに調べてある。

 エリオットは自身が目立つと知っている。廊下を歩いているだけでも注目を浴びるし、令嬢達は頬を赤らめる。

 本来であれば、目立たないように人をやって穏便に呼び出すべきであろう。だが、ミリアのやったことを考えると、バークス男爵家にそこまで気を遣ってやる必要はないと思える。

 故に、エリオットは教室の戸を開けるなり張りのある声で呼ばわった。


「スカーレット・バークス男爵令嬢、話がある」


「申し訳ございません。義妹がご迷惑を」


「教室の戸を開けて呼んだだけで土下座は止めてくれ!」


 目にも留まらぬ早さで平伏したスカーレットに、エリオットは周りからの視線が突き刺さるのを感じて焦った。事情を知らない者から見たら、淑女と名高い令嬢を土下座させるまで追い込んだ公爵令息である。


「聞きたいことがある。一緒に来てくれ」

「かしこまりました」


 土下座を止めたスカーレットは、まっすぐに背筋を伸ばしてエリオットの横に立った。

 その姿勢といい、音を立てずに歩く所作といい、淑女の鑑と呼ばれるのは納得の美しさだ。


(こんな完璧な令嬢の義妹が、なんであんななんだ……?)


 エリオットは首を傾げた。ついでに、その完璧な令嬢が義妹の横腹に見事なタックルをかましたことを思い出して複雑な気分になった。


 食堂の二階に設けられた高位貴族専用の個室へ案内すると、スカーレットは少し臆したようだった。


「どうした?入れ」

「……申し訳ございません。学生の身といえど、殿方と二人で個室へ入ることは出来ません」


 エリオットは少し目をみはった。確かに、異性と二人きりになるのは良くないが、学生の間はよっぽど目に余る行動さえなければ大目に見られるものだ。まして、美貌のエリオットに誘われれば、他の令嬢なら喜んで個室に入るだろうに。


「わかった。では、扉を半分開けておく。それでどうだ」

「……お気を遣っていただき、ありがとうございます」


 ようやく個室に入ってきたスカーレットに肩をすくめ、エリオットは食堂の職員に二人分の昼食を運ばせた。

 スカーレットは恐縮していたが、ゆっくり話を聞きたいからと説き伏せて食事をとらせた。


「君の義妹の目的を聞かせてもらいたい」


 何を聞かれるかは理解していたに違いない。スカーレットは些かも動揺せずに目を伏せた。


「義妹の振る舞いはけっして許されるものではありません。ですが、あの子は私のためになろうと必死なのです。ですから、どうぞ処罰はあの子ではなく私へ」


 口先だけではない覚悟を感じさせるスカーレットに、エリオットは眉をひそめた。

 母を亡くしてすぐに乗り込んできた愛人の連れ子などをどうして庇うのか。奇行を理由にさっさと引き渡して処罰してしまえばいいではないか。

 エリオットはそう考えて、スカーレットの本心を探ろうと伏せられた目をみつめた。紫というには少し淡い、菫色の瞳は揺るぎない知性を湛えてやわらかく輝いている。

 美しい。あんな見事なタックルをかますとは到底思えない。


「エリザベート嬢は王太子の婚約者だ。君の義妹にスカートをめくられたり胸を揉まれたりしていいような身分じゃない」

「どのような身分の女性であれ、スカートをめくられたり胸を揉まれたりしていい訳はありませんが、おっしゃる通りです」

「君の義妹はエリザベート嬢をどうするつもりなんだ?」

「ビルフォード公爵令嬢に危害をくわえるつもりはありません。ただ、あの子は……」


 顔を上げたスカーレットが、何か言い掛けて固まった。


「?」


 スカーレットが自分の背後を凝視して硬直したため、エリオットは後ろを振り向いた。


 半開きになった扉の隙間から、ミリアが半分だけ顔を覗かせてこちらを見ていた。


「ふふふ……お姉様。こんなところで何をなさっているの?」


 ミリアはニタリと笑った。


「お姉様ともあろう方が、個室で男性と……フレイン公爵令息様とお食事だなんて……ふふふ……お姉様、ようやく私の言うことをわかってくれたのね……ふふふ」

「ち、違うのよ、ミリア!これは……」

「いいのよ、お姉様。いいのよ……ふふふ……」


 ミリアはすーっと横移動で扉の陰に引っ込んだ。不気味にも程がある。


 エリオットは慌てて立ち上がって半開きにしていた扉を全開にした。

 だが、ミリアの姿は既にどこにもなかった。


「ど、どこに行ったんだ……?」


 姿を隠せる時間などなかったはずだ。


「何者なんだ……?」


 たかが男爵令嬢と侮っていたミリアの底知れぬ不気味さに、エリオットは戦慄した。




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