メモリア・デザイナー

おとき

序章

【2050_1203】この島の始まり

 港に積み上げられたコンテナ群が、東京湾からの寒風に啼く。


 2050年12月3日、22時。首都高速道路を1台の大型トレーラーが「令和島れいわじま」へ向かっていた。目的地は「北部臨港倉庫埠頭ほくぶりんこうそうこふとう」。


 トレーラーは東京本土から繋がる海底トンネル「第1オロチリンクス」の入口で入港検査を受けると、先を急ぐように再び走り始める。

 

 「令和島れいわじま」は2040年代より構想が始まった「スマート・アイランド」だ。


「情報と人と生活を実証する都市」として、人間が生活する環境にロボットや先端デバイス、生命情報学などの様々な先端技術を持ち込み、それらを実用化に向けて検証している。政府が掲げていた「スマートシティ計画」の国内第一例目でもあった。


 北部を「スマートシティ計画」に協賛する企業が連なる開発都市「ノース・インダストリアル」、南部を生活・商業地域「サウス・レジデンシャル」に区分し、島全体で独自の生活基盤を確立している。

 今年から公募で集まった約5万人が暮らし、本土の都市とも劣らない生活が見られるようになっていた。 


 22時58分。トレーラーは目的地の埠頭駐車場に入っていく。 

 

 駐車場には何台もの高級車が止まっており、深夜に似つかわしくない賑わいを見せていた。

 ガラの悪いスーツ姿の男たち、大きなチェーンを身に着けたヒップホップファッションの男、きらびやかなフォーマルドレスの女性たち……。


 皆、今夜ここで開かれる「取引」の顧客として招かれた者だ。そして、これから始まる商談を今かと待ちかねている。思い思いに談笑したり、紫煙をくゆらせて暇を弄んでいた。



「おい……あれだ」



 1人の男がトレーラーに気づき、車から降りる。

 それに気づいた顧客たちも次々と集まってきた。それはまるで、地に落ちた餌に群がっていく虫のようだった。


 トレーラーは彼らの前にゆっくりと進み、重たいホイールを軋ませながら静かに停車した。


 エンジン音を響かせたまま、「ゴォン」と重たい荷台の扉が開かれる。中は白煙が立ち込めてはっきりしなかったが、吊るされていたランプが人影を映し出してくれた。


 中から低い女性の声が聞こえてきた。



「……もう集まっていただいてるようね。ところで、あなた今何時かしら?」



 ゆらりと現れた女は、荷台の周りにできた人垣を見渡すと、不意に時刻を尋ねる。戸惑いながらも、1人の男が「23時丁度だ」と答えた。



「あら、そう」



 それだけ言うと、女は満足そうに笑う。右手に腕時計をしていたが、そこに針はなかった。腰まで伸びた、くすみのある灰色の髪を少し撫でる。埃一つないグリーンのベロアスーツに細身のストール……。


 洗練された出で立ちだったが、その眼は虚ろでどこか茫然自失だ。女の奇妙な問いかけに、周囲は再び沈黙する。



「今日ここから世界は変わる……。新たな歴史は、この島から始まるのよ……」



 芝居がかった言い方をすると、女は荷台の足場から静かに降りてきた。人垣をかき分けながら、大きな身振りと共に悠々と語り始める。



「薬物……貴金属……臓器……。ただひたすらを消費する時代は終わるの。これをこの島で売りなさい」


「これってのは……?」



 またもや顧客たちは互いの顔を見合わせている。呼び出したのは向こうなのに、何か売れと言われている。荷台の中身を指しているのだろうが、まだその説明もない。

 

 依然として女は何も答えない。夜空を仰ぎながら誰にでもなく言葉を投げるその不気味さに飲まれ、誰も声を挙げられなかった。だが、1人の男が静寂を破る。



「バカ共がよ……。なあ布瀬ふせさんよォ、話がうますぎねぇか? 一体なんなんだ、こりゃ?」


 

 アーミーコートのフードを深く被った男は、悪態をつきながら布瀬と呼んだ女に噛み付く。乱暴に声をかけられたが、布瀬は静かに男の方を見やると、乾いた笑いを浮かべた。



「……フフ、いいわ」


 

 すると、布瀬はトレーラーの荷台を指差して、男に挑戦的な視線を向けた。白煙は収まり、そこには銀色のアタッシュケースが多く積まれている。どうやらあれが「商品」らしい。


 男は「フン」と不機嫌そうな声を挙げた。


 指図されたのが気に入らなかったようだが、それでも乱暴な歩みでトラックの荷台へ向かった。中にあるケースを適当に眺めると、そのうちの1つを雑に掴んだ。そのまま、粗暴に開けて中身を取り出す。


 それは、小さな長方形の物体だった。


 まるで前時代の保存用カードのようなそれは、彼の掌にすっぽりと収まっている。透明なケースに覆われて樹形図のような複雑な回路が透けて見えているが、時折その回路に光が走り、洗練されたダイヤモンドのようだ。それは何かの薬物でもなければ、高価な宝石にも見えない。


 男はそれを手に持ちながら、肩をすくめる。一体これがなんだというのだ。


 そこまで見ていた布瀬は、首のストールを外す。隠れていた首輪を「カチッ」と取ると、男へそれを手渡した。

 外見はただのチョーカーのようだが、黒いボディには時折ブルーのランプが光っている。男の手に微かな振動が伝わる。中で何かの機器が動作しているのだろうか。



「その。あなたに何をもたらすかしら……?」


「なんだそりゃァ……?」

  


 なおも要領を得ない布瀬に、男は不満そうに切り返す。

 だが、布瀬は気にも留めず、その首輪にある差し込み口を指差した。確かに持っているものがスッと収まりそうな、小さな裂け目が見えた。


 男は訝しんで布瀬に説明を求めるが、布瀬は黙ったまま、彼を試すような不敵な笑みを浮かべている。



「……チッ」



 思わず男は舌打ちをするが、このままでは埒が明かない。不本意ではあったが、言われるがままに差し込んで、首輪を自らに装着した。



 ――その瞬間



 男の身体は激しく痙攣する。電撃を食らったかのようにガクガクと震え、見開いた目は高く天を仰いでしまう。苦痛に歪んだうめき声が、暗闇に木霊する。


 そして数秒後……。



「……ッ!! 俺のがぁあ! 畜生!!! ……ガァ!!」


 

 意識を取り戻した男は、激しく右腕を抑えて、座り込んでしまう。


 しかし、右腕はなんともない。なおも動揺している男は、感覚を確かめるように自分の腕を何度も叩く。そして、まだ荒い息のまま、憎悪の表情で布瀬を睨んだ。顔には大粒の汗が浮かんでいる。



「なにしやがっ……っ! クソ! ど、どういうことだ! に、俺は行ってないのに……グッ、まだ痛えェ……! いや、!」



 頭の中に流れる情報を、男はそのまま口に出す。戸惑いながらもどうにか言葉にし、自分の身に起きた現象を整理しようとしていた。こんな体験は初めてだった。


 男の荒い息だけが駐車場に聞こえる。


 集まっていた客は、ただそれを見ていることしかできなかった。自分達の理解が及ばない、人智を超えた「何か」がそこで起きている。もはや彼らの心には、畏怖の念しかなかった。


 その中でも1人……。


 布瀬は満足そうに微笑むと、荷台に上がってアタッシュケースの中身を取り出す。


 そして同じ透明のケースを持って、力なく座る彼の眼前に突きつけた。男の瞳は深く覗き込まれていく……。



 ――まるで沼だ



 暗く濁った瞳から目が離せなかった。離せないというより、瞳を通して自分の意識が吸われていくような感覚だ。


 さきほどまでの怒りや身体の痛みは、もはやどこにも存在しなかった。得も言われぬ不快感と意識が薄れるような目眩が襲ってくる。もう何も言い出せなかった。



「……これは」

 


 布瀬は瞬きもせず、告げる。



「この世界の記憶。『メモリア』」

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