宰相様の奥さんになりたい。

ありま氷炎

第1話

 今からちょうど10年前。

 魔族の長たる魔王の補佐、宰相の藍水らんすいはある少女を助けた。ふわふわした茶色の髪に黄金にも見える瞳……。

 彼は少女を稲穂と呼び、家に連れて帰った。

 しかし、少女はただの人間であり、魔力が少ない彼女は長く魔界に滞在できない。

 体の傷が癒えると、藍水らんすいは嫌がる少女を無理やり人間界に返した。


 物語は、それから10年後から始まる。


「宰相様!」


 藍水は、屋敷を出てすぐ現れたその女性を見て、げんなりした顔をする。

 髪色は銀色、瞳は藍色。美形ながらも常に冷たい表情しか浮かべない彼にしては珍しいことであった。

 

「……またあなたですか。人間界に帰らないのですか?」

「ええ。まだ目的を達していませんから!」


 背中に大きな剣をしょって、小柄な女性――稲穂いなほは力説する。その度に頭のてっぺんで結ばれた髪が一緒に動き、まさに穂先のようだ。


「目的って、私の妻になることでしたっけ?」

「はい!」


 瞳をきらきらと輝かせ、出会った時と同じようにその瞳は黄金のようだ。藍水は一瞬見惚れた自身を制して、稲穂に冷たい視線を返した。


「人間にはその資格がありません。だいたいあなたは私の好みではありません」

「宰相様!あなたの好み通りになりますから。好みを教えてください。今は人間でも宰相様がその気になれば魔族にしてくださるんでしょう?」

 

 藍水の冷たい視線を受けて平気なのはごくわずかな者に限られる。

 それなのに稲穂は微笑みながら彼に答えた。


「貧乳、お子様体型、美女失格。あなたが私の好みに達することはありません。よって私があなたに血を与えることはありません」

「はいはい。宰相様!私、姿変えの魔法も使えるんですよ。ほーら!」


 稲穂は人間でありながら、かなりの魔力をもっていた。詠唱をすることもなく、瞬時に魔法を使う。

 

「どうですか?ほら、爆乳美女、誕生です!」


 稲穂の言葉通り、藍水の前にはち切れんばかりの乳房に、きゅっと絞られた腰、なでまわしたくなるようなお尻を持つ絶世の美女が現れた。

 藍水は無言で自分が羽織っていたジャケットを脱いで投げつけると、稲穂を置いて王宮へ向かった。


 この元気娘、稲穂が魔界に現れたのは数日前だった。

 人間なのに絶対的な魔力を持って大きな剣を抱えていたため、勇者という輩かと思い、兵を差し向けた。

 稲穂は宰相に会いたいと叫びながら、邪魔したものを根こそぎ薙ぎ倒した。

 手心を加えた攻撃により、死んだ者はいない。

 魔王の爀火かくびが興味を持ってしまい、仕方なく藍水も同行した。そこで10年前のことを持ち出されて、藍水は思い出した。

 

 魔族が一同揃う場で、稲穂は藍水に熱烈なプロポーズ。魔族の多くはぶーぶーと非難轟々であったが、魔王は面白いこと大好きなので、王宮へ滞在許可を出したのだ。

 藍水の妻の座を狙う魔族の女性も多い。また人間に同胞を殺されたものもいるので、稲穂は針のむしろの状態のはずだった。しかし、彼女は毎日魔族をなぎ倒しながら、こうして朝一番に藍水の元へ通い挨拶をするのであった。


「おっはよー。藍水らんすい。稲穂ちゃん、今日も元気そうだったね!」

「知っていたら止めてください」

「え?なんで面白いじゃん。昨日もさあ、稲穂ちゃんのところへ襲撃に行った魔族が返り討ちにあっていたな。あれ、いいよね。いい訓練になってるみたい」

「なんで、止めないのですか?というか、稲穂は一応あなたのお客様ですよね?狙われるってどういうことですか?」

「それはさあ。藍水のせいでしょ?人気ものなんだから」


 魔王の爀火かくびはケラケラと笑い、藍水は射殺す勢いで彼を睨むが怯むことはなかった。


「藍水。稲穂ちゃんを妻にしてあげなよ。可愛いじゃん?人間だからすぐに寿命が尽きて死ぬし、ちょっとの間付き合ってあげてもいいじゃないの?」

「私はあなたと違って節操なしじゃありません」

「節操とか、ははは。藍水ったら真面目だなあ。魔王に節操なんて、おかしくなっちゃうよ」


 爀火かくびは無類の女好きで、王宮に後宮を築いているくらいだ。中にいるのは魔族と人間の女性が百人強。

 後宮内でドロドロの女の戦いが行われているのに彼はまったく関知していなかった。しかも気に入ると後宮に引っ張ってくるので、後宮内の混乱は酷い。

 しかし度が過ぎると何かと統治にも影響してしまうかもしれない。というのは魔族の重鎮の娘たちも妃候補として住んでいるのだから。無責任な魔王の尻ぬぐいをするのが、宰相の藍水の仕事。

 これが最低最悪な仕事で、彼が一番嫌いな仕事がこの後宮の管理であった。人間の女性は体外魔力が低いので、この魔界の瘴気に当たって弱って死ぬことが多い。寿命も短いため、後宮の魔族の女性が直接手を下すことは少ない。だが魔族同士に至っては毒殺、謀殺なんでもありだ。

 彼が妻をなかなか娶らないのもこの後宮の女たちの醜さを見ているからなのだが、爀火(かくび)はまったく気にする様子はなかった。


「稲穂ちゃん、かわいいよね。藍水がいらなかったら後宮にいれちゃおうかな。強いからきっとすぐ死なないよね」

「それはやめてください!」


 藍水の剣幕に爀火かくびは驚き、それから唇の端っこをあげる。


「そう思うなら急いだほうがいいよ」

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