55 還らざる者たち

 戦艦ニュージャージーの被害は、被弾のたびに増大していった。

 すでに第四機関室は艦内への排煙の充満を防ぐために封鎖されて使用不能であり、第二主砲塔もまた射撃不能となっている。後部射撃指揮所も直撃を受けて消滅し、このままではニュージャージーの砲戦能力が失われる危険性があった。

 一方、敵ヤマト・クラスには小規模な火災を発生させた他、被害らしい被害を与えられた様子はなかった。これは、敵一番艦だけでなく、二番艦も同様であった。

 ミズーリと敵ナガト・クラス二隻の砲戦に至っては、完全にナガト・クラス優位のまま進んでいた。

 このままでは、三隻のアイオワ級が致命傷を受けるのは時間の問題であった。


「ガッデム! 忌々しいジャップの戦艦め!」


 ハルゼーは、この砲戦がアイオワ級の敗北に終わる可能性を考えずにはいられなかった。

 だが、自分たちの後方に上陸船団が控えているとなれば、ジャップ艦隊のクェゼリン突入を阻止するために砲戦を挑まないわけにはいかなかったのだ。

 最低でも三隻のアイオワ級がジャップ戦艦にクェゼリン突入を諦めさせるだけの損害を与えない限り、引き下がるわけにはいかない。

 どうすべきか?

 ハルゼーは彼方のジャップ戦艦を睨み付けながら考える。

 このままの距離で砲戦を続けていても、こちらの損害が蓄積されていくだけだ。距離二万五〇〇〇ヤードはジャップにとっては安全圏でしかなく、逆にこちらの装甲は貫通される距離である。

 退くのは論外である以上、あとは進むしかない。

 SHSという砲弾の特性上、近距離砲戦での威力は遠距離砲戦のそれよりも劣らざるを得ないが、それはあくまでも対水平装甲貫通力の話だ。

 距離一万ヤード(約九〇〇〇メートル)以下まで接近すれば、砲弾の初速が遅かろうが早かろうが関係ない。

 距離二万五〇〇〇ヤードで一方的に砲撃を行いながら手堅く勝利するという可能性が消えた以上、危険を承知で近距離砲戦に切り替えるしかない。それは最早賭けに等しい決断であるかもしれないが、退くことの許されない状況では、それ以外に選択肢はなかった。


「……次の斉射後、右舷に転舵。ジャップ戦艦に対し近距離砲戦を挑む」


 ハルゼーは、その決断を声にした。


「しかし長官、それはあまりに危険です」だが当然、カーニー参謀長はその危険性を指摘する。「ジャップ戦艦の主砲弾の威力では、逆にこちらが撃破される可能性が高く、また、転舵によって今までの射撃データがすべて無駄に……」


「貴様はクェゼリンの輸送船団を見捨てろって言うのか!?」


 ハルゼーは自らの参謀長の常識論を一喝した。今は、常識論で戦いを考えるべきときではない。


「……」


 そう言われてしまっては、カーニーとしても黙り込むより他になかった。

 最早、この第五八任務部隊に残された選択肢は多くないのだ。


「俺たちは、近距離砲戦でジャップ戦艦と雌雄を決する。いいな?」


「アイ・サー」


 カーニー参謀長は、固い声で答えた。


「アイオワ、ミズーリに通信! 次の斉射後、一斉に右に転舵! ジャップ戦艦との距離を詰め、一挙に決着を図る!」


「アイ・サー!」


 ホールデン艦長も覚悟を決めたのか、その顔はいささか強ばっていた。

 そして、ニュージャージーが一斉射を放った直後、彼は操舵手に怒鳴った。


「今だ、面舵三〇度!」


「アイ・サー! 面舵三〇度!」


 戦艦ニュージャージーは二十二ノットに低下した速力のまま、舵を右に切り始めた。後続のアイオワ、ミズーリもこれに続く。

 ここでヤマト・クラスとケリを付ける。

 ハルゼーの闘志の宿った、運命の一斉転舵であった。






 そして、米戦艦が転舵したことを、上空の弾着観測機や二式大艇からの通信で即座に大和艦橋は把握した。

 夜戦艦橋で指揮を執る森下信衛艦長は、米戦艦の戦術機動の意図を正確に理解していた。

 的艦の転舵によって、先ほどの大和の射撃は空振りに終わってしまった。大和もまた、射撃諸元を最初から求め直さなければならなくなってしまったのだ。

 そして、大和の損害は未だ軽微なままであった。

 流石に左舷高角砲群は滅茶苦茶になっており、後部甲板のカタパルトなども吹き飛ばされていたが、致命傷といえる損害はない。

 非装甲部に命中した敵弾によって若干の浸水はあるが、注水で即座にトリムを復元出来る程度で、射撃精度に重大な影響は生じていなかった。


「射撃諸元、修正急げ!」


 艦橋最上部の射撃指揮所では、能村砲術長が各部署に数値の求め直しを命じていた。真っ先に的艦の測距数値を送ってきたのは、三三号電探であった。


「主砲、再度交互撃ち方!」


 敵戦艦がこちらに接近しているのは、近距離でこちらの垂直装甲をぶち抜くため。

 そう判断していた能村の声には、かすかな焦燥が滲んでいた。

 ここで大和が大損害を受けては、クェゼリン突入は果たせなくなる。それでは、何のためにクェゼリンの守備隊が今日まで奮戦してくれていたのかが判らなくなってしまう。


「射撃用意よし!」


「撃ち方始め!」


「てっー!」


 射撃諸元を再度整えた三門の四十六センチ砲が、轟音と共に炎を噴き出した。

 初速七八〇メートル毎秒を誇る一・五トンの砲弾が、ニュージャージーに向けて突き進む。






「そうは問屋が卸さんぞ、アメ公」


 にやりと不敵に笑いながら、早川は呟いた。

 矢矧を先頭とする六隻は、今まさに敵戦艦への突撃を開始しようとしているところであった。

 米巡洋艦部隊は、第四、第五戦隊との戦闘で劣勢に立たされており、矢矧以下の突撃を阻止出来る位置には存在していない。これは、第四戦隊ないし第五戦隊の放った魚雷の一部が米巡洋艦に命中した結果、米巡洋艦部隊がさらなる被雷を回避するために転舵、陣形を乱してしまったからだ。

 大和の戦闘情報室はこれらの情報を把握しているらしく、二水戦に対して米戦艦群への突撃を命じていた。流石に手に取るように、とまではいかないようであったが、それでも敵味方の態勢が不明というわけではない。

 大和の戦闘情報室による指揮管制は、おおむね成功しているといえるだろう。


「我々とは反対舷より、二十四駆も突撃を開始した模様!」


「これで理想的な挟撃雷撃、となれば最高だな」


 高速で海面を切り裂く矢矧の艦首を見つめながら、早川は呟く。


「米駆逐隊の一部、本艦に向かってきます!」


「第五戦隊、米駆逐隊への発砲を開始した模様!」


「橋本少将もよくやって下さる」


 早川は羽黒のいるだろう方向に向けて、軽く目礼した。

 最初の巡洋艦部隊といい、今の駆逐艦部隊といい、第五戦隊は的確にこちらの突撃を援護してくれる。

 第四、第五戦隊による統制雷撃で米巡洋艦二隻が落伍したため、残りの米巡洋艦を第四戦隊に任せて二水戦の応援に駆け付けてくれたのだろう。


「本艦も駆逐隊の突撃を援護するぞ! 目標、敵駆逐隊一番艦!」


「宜候! 目標、敵駆逐隊一番艦!」


 早川の命令に、吉村艦長が応ずる。

 矢矧の十五・二センチ砲三基六門が旋回し、米駆逐艦へと狙いを定める。水雷戦隊旗艦の役割には、その砲力によって駆逐隊の突撃を援護するというものもある。その役割を、矢矧は果たそうとしていた。

 矢矧の三門の砲が射撃を開始したのは、その少し後のことであった。






 アイオワ級三隻の突撃によって彼我の位置関係が変わったため、日米の主砲射撃は双方共に空振りを繰り返すことになった。

 だが、先に命中弾を出したのは日本側であった。

 大和の一式徹甲弾が、距離二万メートルにてニュージャージーの第一砲塔付近を直撃。この距離における四十六センチ砲の貫通能力は五六四ミリ。

 アイオワ級の三一〇ミリの舷側装甲を貫いて炸裂した四十六センチ砲弾は、その衝撃によってニュージャージーの第一主砲塔バーベットを歪ませ、砲塔を旋回不能としてしまった。

 さらに武蔵もアイオワ級への直撃弾を与え、こちらは機関部に損傷を与えて彼女の速力を十八ノットに低下させていた。

 だがそれでも、ハルゼーは大和への突撃を止めようとはしなかった。大和への突撃を開始した時点で、すでに退き際を逸していたのだ。どれだけの損害を受けようとも、突撃する以外に三隻に選択肢はなかった。

 そしてそこに、二水戦が殺到したのである。






「生き残っている両用砲は直ちに射撃を開始せよ!」


 ニュージャージー艦橋で、ホールデン艦長の引き攣った声が響いていた。

 すでに三隻のアイオワ級は、両舷からジャップ水雷戦隊に挟撃されつつあった。こちらの巡洋艦部隊を突破し、駆逐隊を突破し、ジャップ水雷戦隊はニュージャージーへと迫っていた。

 空襲や砲撃から生き残っていた両舷の五インチ両用砲が射撃を開始する。

 ここで回避運動を行えば、さらに射撃諸元を計算し直さなくてはならなくなる。すでに前部の主砲塔二基を使用不能にされているとはいえ、第三砲塔は使用可能。艦橋上部の射撃指揮所も生き残っている。

 ここでジャップ戦艦の進撃を阻止しなければ、クェゼリンの輸送船団は壊滅し、合衆国海軍はガダルカナルと同じ轍を踏むことになる。それだけは、避けなければならなかった。


「両用砲、諸元修正、急げ!」






 矢矧の周囲に、米戦艦の副砲のものと思われる弾着があった。

 第五戦隊と共同で米駆逐隊を撃退した矢矧は、島風以下の駆逐艦を率いて米戦艦群への突撃を行っていた。


「距離五〇(五〇〇〇メートル)にて魚雷発射始め!」


「宜候! 距離五〇にて魚雷発射始め!」


 最早、米新鋭戦艦群には自らを守ってくれる護衛は存在していなかった。副砲の射撃だけで、こちらの突撃を阻止しようとしている。

 矢矧の十五・二センチ砲が、米戦艦一番艦に向かって吠える。

 帝国海軍の最新鋭軽巡であるにも関わらず人力装填の阿賀野型の主砲は、装填を担当する砲員の疲労などもあって射撃速度が一定しない。

 だが、事ここに至っては、主砲の射撃速度などどうでもよかった。あとは、敵戦艦の土手っ腹に魚雷をぶち込むだけなのだ。

 敵副砲弾が矢矧の至近に着弾し、水柱を突っ切ると共に、弾片が船体に食い込む軋んだ音がする。

 だが、それでも彼女の速力は衰えなかった。三十二ノットの速力で、米戦艦との距離を詰めていく。

 火災や副砲射撃、そして吊光弾や照明弾の明かりによって、米新鋭戦艦の艦影が夜の海上にくっきりと浮かび上がっていた。

 水雷長が取りついている望遠鏡は、すでに敵戦艦を捉えている。二基八門の魚雷発射管も、右舷の米戦艦に向けられていた。


「距離五〇!」


「魚雷発射始め!」


「宜候、魚雷発射始め!」


 刹那、矢矧の魚雷発射管から八本の九三式酸素魚雷が海面へと躍り出る。


「島風より、信号! 『我、魚雷発射完了』!」


「十五駆より信号! 『我、魚雷発射完了』!」


「よし、離脱するぞ!」


「宜候! 取り舵一杯!」


「とぉーりかぁーじ、一杯!」


 すべての魚雷発射管から魚雷を放ち終えた六隻の艦艇は、退避行動に移っていった。






「ジャップ水雷戦隊、退避に移ります!」


「いかん! 取り舵一杯!」


「アイ・サー! 取り舵一杯ハードアポート!」


 ホールデン艦長が切迫した声で命じ、操舵員もまた焦りに満ちた動作で舵輪を回していく。

 ジャップ水雷戦隊が退避に移ったということは、魚雷を発射し終えたということだ。艦橋に、緊迫した空気が充満していく。


「……」


 だが、長官席に座るハルゼーだけは、発砲を続けるヤマト・クラスを睨み付けていた。


「……俺の機動部隊が万全な状態であれば、貴様を航空攻撃だけで沈めてやったものを……」


 口惜しさに合衆国海軍の猛将が歯噛みした直後、衝撃はやってきた。






 第二水雷戦隊が左右両舷からニュージャージー以下三隻のアイオワ級戦艦に放った魚雷は、第五十八任務部隊を壊滅させるのに十分なものであった。

 まず、ニュージャージーには矢矧と島風の放った魚雷四本が命中、さらに反対舷から魚雷を放った第二十四駆逐隊の放った魚雷が二本命中し、合計で六本の魚雷が命中した。内、左舷に命中した一本は不発であったが、五本の魚雷がニュージャージーの喫水線下を抉ったのである。

 続いて、アイオワには黒潮と陽炎の放った魚雷二本が命中。すでに艦首部の浸水が進んでいたアイオワにとって、喫水線下へのさらなる打撃は戦場から退避するだけの速力を完全に奪ってしまった。

 ミズーリには、不知火と霞の放った魚雷三本が命中。しかし、内一本が不発、もう一本が信管の過敏調整によってミズーリの立てる波に接触して爆発。実質的な命中は一本であり、なお二十四ノットでの航行が可能であった。






「艦長、ただちにこの海域から離脱する」


 怒りと悔しさを押し殺した低い声で、ハルゼーは命じた。ニュージャージーの傾斜は、刻々と増大しつつあった。

 今や、第三艦隊の旗艦となっていたこのアイオワ級戦艦は、六ノットで這うように進むことしか出来なくなっていたのである。


「作戦中止だ。俺たちは、一隻でも多くの艦を真珠湾に連れて帰るぞ」


 だが、ハルゼーにとっての海戦は終わっていない。ジャップ艦隊との戦闘に敗れたとはいえ、司令長官である自分には部下を母港まで連れて帰るという役割がある。


「長官、旗艦を移されますか?」


 傾斜の激しくなっていく艦橋で、カーニー参謀長が尋ねた。


「ああ。だがひとまずは、ジャップの射程圏外に離脱することを優先する」


 ここで艦を止めて、別の艦に移乗することは出来なかった。そもそも、他の艦を呼び寄せようにも、どの艦も戦場から離脱するのに今は精一杯だろう。

 ニュージャージーもまた、魚雷を回避するための変針によって敵ヤマト・クラスの砲弾を躱す結果となったが、ここで停止して別の艦を横付けすればジャップの超十六インチ砲弾の餌食になるだけである。

 這うような速度で戦場からの離脱を図るニュージャージーの周囲に、再び水柱が立ち上り始めた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「右舷の浸水、拡大中!」


「傾斜復旧、急げ!」


 被雷した戦艦比叡の状況は、刻々と悪化していった。

 今年の八月で艦齢三〇年を迎える比叡にとって、一本の被雷でも船体に重大な損傷を与えていたのである。魚雷の爆発によって喫水線下に破孔が生じた他、爆発の衝撃が他の区画にも伝播して装甲板の継ぎ目を歪めさせ、あるいはリベットなどを破断させていたのである。

 そこにさらに主砲射撃による衝撃、そして命中した三発の十六インチ砲弾による損害もあり、比叡の浸水は急速に拡大していた。

 砲戦開始からわずか五分で、比叡はその戦闘力を喪失しつつあった。

 今は後方を進む霧島の邪魔にならぬよう、舵を右に切っていた。よろめくように転舵する比叡の脇を、霧島がすり抜けていく。


「主砲はまだ射撃可能か?」


 西村中将は、篠田勝清艦長にそう尋ねた。


「可能か不可能かで申しますと、可能ではあります。しかし、これ以上、船体に衝撃を与えることは、浸水のさらなる拡大にも繋がりかねません」


 今、比叡乗員たちは自らの艦を救うべく必死であった。

 被雷による浸水もそうであるが、巡洋戦艦として建造された比叡にとって、十六インチ砲弾による被害もまた深刻であった。前部電信室は全滅し、機関室、缶室の一部も配管が破裂して内部が高温となり、その区画を放棄せざるを得なくなっていた。噴出した蒸気の直撃を受けて戦死した機関科員も多い。

 比叡は今や、六ノットで進むしかなくなっている。

 それすら浸水による隔壁への圧力も考えると危険な速度であり、本来であれば停止して潜水夫を入れるべき状況であった。

 しかし、未だ戦闘が続いている海域でそのようなことは出来ない。


「艦長、本艦をクェゼリンの浅瀬に擱座させよ」


 すでに比叡の命運は尽きつつあることを悟った西村は、静かにそう命じた。


「陸上砲台として、上陸した米兵を吹き飛ばしてやろうではないか」


 彼はまだ、クェゼリン突入という作戦目標を諦めていなかった。

 そもそも、多少の損害は覚悟の上で単独突入を決意したのである。旗艦が傷付いたからといって引き下がるような生半可な覚悟で、単独突入を第二遊撃部隊に命じたのではない。


「ははっ!」


 そして、司令長官の命令を受けた篠田艦長もまた、覚悟を決めていた。


「取り舵に転舵。艦首をクェゼリンに向けよ」


 比叡はゆっくりと、その艦首をクェゼリン環礁へと向けつつあった。






 その叫びは、唐突であった。


「左舷にジャップ駆逐艦! 急速接近中!」


「何だと!?」


 見張り員の報告に、ウェイラー少将は目を剥いた。


「両用砲による射撃、急げ!」


 ウェストバージニア艦長が切迫した声で命じる。

 ウェストバージニアの舷側に備えられた五インチ両用砲が旋回を始めるが、ジャップ駆逐艦はすでにかなりの距離を詰めていた。


「いったい、こちらの駆逐艦は何をやっていた!?」


 一部の駆逐隊には、三隻の戦艦の直衛が命じられていたはずである。だというのに、ここまでジャップ駆逐艦の接近を許している。


「直ちに援護をさせろ!」


 艦橋にいる通信員がTBSを取り上げて、接近するジャップ駆逐隊への攻撃を命じようとする。


「駄目です! 回線が混乱しており、誰も応答しません!」


 だが、すでに第五四・一任務部隊の各艦は敵味方が入り乱れる中で混乱していた。最初のジャップ先鋒集団の突撃によって魚雷艇部隊が蹴散らされ、乱された陣形を、未だ立て直せていないのである。

 射撃諸元の計算に手間取った両用砲による射撃は、腹立たしいほどに遅かった。

 ジャップ戦艦の先頭艦を撃退し、今まさに二番艦にウェストバージニアの目標を変更しようとしたところでのジャップ駆逐艦の来襲である。夜戦に慣れていない乗員たちは、軽い混乱状態に陥っていたのだ。


「ジャップ駆逐艦、本艦の脇を抜けます!」


「ガッデム! 面舵一杯!」


面舵一杯フルスターボート!」


 最早、敵戦艦との砲撃戦どころではなかった。

 舵が一杯に回され、ウェストバージニアの船体面積を魚雷に対して最小限度にしようと試みる。

 だが、ウェストバージニアの排水量は真珠湾攻撃後の大改装で、竣工当時の約三万二〇〇〇トンから約四万一〇〇〇トンに大幅に増大していた。この大改装によって射撃管制装置や水中防御などは強化された反面、排水量の増大によって最大速力と操舵性能は低下を余儀なくされていたのである。

 これは、彼女の後方を進むカリフォルニア、テネシーも同様であった。

 そして皮肉なことに、攻防性能の強化を目指したこの大改装が、結果として三戦艦の悲運を決定的なものとしてしまった。

 彼女たちの舵が効き終わる前に、衝撃はやってきた。

 下から突き上げるような振動と共に、ウェストバージニアの舷側に高々と水柱がそそり立つ。ウェイラー少将以下、ウェストバージニアの艦橋に立つ者たちが下から突き上げるような衝撃によろめき、床や計器類、海図台に叩き付けられる。悲鳴と怒号。

 水柱が崩れ去ったときにはもう、彼女の傾斜は始まっていた。


「ダメージ・リポート!」


 ウェストバージニア艦長が叫ぶ。


「中部に二発、後部に一発被雷! 左舷機関室・缶室の一部にも浸水を確認!」


「当該区画の機関員は直ちに退避! 隔壁を厳重に閉鎖!」


 大改装でいかに水中防御を強化したとはいえ、片舷に三本もの魚雷を喰らっては大傾斜は免れない。三本の魚雷は、ウェストバージニアにとって重大な損害をもたらしていたのである。

 そして、被雷したのはウェストバージニアだけではなかった。

 彼女の後方では、カリフォルニアとテネシーもまた、魚雷を被雷していたのである。






「村雨、五月雨が至近弾および弾片による軽微な損傷を受けましたが、全艦が健在です!」


 第二駆逐隊司令・吉川潔大佐に報告した伝令の声は、興奮で上ずっていた。

 夕立艦橋にも、敵戦艦への魚雷命中の興奮に包まれている。


「取り舵一杯! 一度戦場海面を離れ、魚雷を再度装填する!」


 だが、それで吉川が満足したわけではなかった。

 各艦の次発装填装置の中には、もう一撃分の魚雷が残されている。今の攻撃で米戦艦が確実に沈むと決まったわけではない以上、止めを刺すための再攻撃の可能性も考えて、魚雷を再装填するつもりであった。


「宜候! 取り舵一杯!」


 夕立以下四隻の第二駆逐隊は、傾斜を深めてゆく三隻の米戦艦を背後に置き去りにして遠ざかっていった。






「今だ! 第三戦隊、突撃せよ!」


 米戦艦三隻の被雷を好機と見て、岩淵三次少将は金剛と榛名に突撃を命じた。


「ここで一気に決着を付けるぞ! 目標、敵一番艦!」


「宜候! 目標、敵一番艦! 射撃準備急げ!」


 岩淵の命を受け、金剛艦長の島崎利雄大佐が命じた。すでに八門の主砲には徹甲弾が装填されている。射撃諸元さえ整えれば、すぐにでも発砲可能な状態であった。

 岩淵にとっては焦れるような短い時間の後、金剛と榛名はついに射撃を開始した。

 それは、被雷して傾斜を深めている米旧式戦艦にとって、追い打ちに等しい打撃となった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ニュージャージーに降り注いだ四十六センチ砲弾は、戦場からの退避を始めていた彼女に対する最後の打撃となった。

 距離一万八〇〇〇メートルで命中した大和の砲弾はニュージャージーの垂直装甲を貫通し、機関部で炸裂。スクリューシャフトを叩き割ってその推進力を奪ったのである。

 さらに折れ曲がったシャフトが回転を止めるまでの間、ニュージャージー艦底部の隔壁を破壊し、彼女の浸水を増大させる結果も生み出していた。

 ここに来てついに、合衆国海軍の完成させた俊足の戦艦は、その足を止めることとなったのである。


「艦長、総員退艦を命じろ」


 最早ここまでと悟ったハルゼーは、きっぱりとした口調で命じた。自分がジャップ戦艦との直接対決を選んだが故に、この艦は失われる。だからこそ、これ以上退き際を誤って乗員たちの被害を増やすべきではないと感じたのだ。


「アイ・サー。総員退艦を命じます」


 ホールデン艦長は艦内電話を取り上げ、各部署に総員退艦を命じる。電路が切れている区画については伝令を飛ばし、取り残される者がいないようにする。


「長官、我らも脱出の準備を」


「ああ、そうだな」


 カーニー参謀長が差し出してきた救命胴衣メイ・ウエストに、ハルゼーは袖を通した。

 敵戦艦からの次の射撃は、ニュージャージーが停止してしまったためか、艦首前方五〇〇メートルほど先へと落下した。命中弾はない。


「ヤマト、今はお前の勝ちにしてやろう」


 崩れゆく水柱を見つめながら、ハルゼーは吐き捨てるようにそう呟いた。






 戦場からの退避を図ろうとする米一番艦を、大和は追撃していた。

 敵艦がついに停止してしまったことで、先ほどの射撃は敵の前方に弾着がそれてしまった。しかし、それでも確実に敵艦を追い詰めたと森下は感じている。

 下の戦闘情報室からも、追撃を停止して集結せよとの命令は出ていない。

 第二艦隊司令部も、ここまで敵戦艦に打撃を与えた以上、見逃すつもりはないのだろう。

 諸元修正を終えた大和の主砲が、再び吠えた。

 完全に停止してしまった敵艦に対して、この射撃は介錯というより、駄目押しに近いものとなるだろう。あの状態の敵艦で、総員退艦命令が発せられていないはずがない。

 乗員は脱出のために、必死になって上甲板を目指していることだろう。

 そんな敵艦に対する砲撃。


「これは、むごいことになるかもしれんな」


 森下はぽつりと呟いた。


「だが、許せよ、米軍」


 弾着は、その数十秒後に訪れた。






 大和の四十六センチ砲弾は、二発がニュージャージーへの命中弾となった。

 そしてその二発は、文字通り彼女に破局をもたらす二発となった。

 二発の大和主砲弾はニュージャージーの装甲を貫通して爆発。

 特に艦底部で起爆したため、浸水の急速な拡大を招き、もともと他国の戦艦に比べて重心が高かったアイオワ級の船体は、急拡大した傾斜によって総員退艦命令が出されたわずか五分後に転覆、さらにその衝撃で主砲弾薬庫が誘爆、巨大な火柱と共に船体が真っ二つに折れてしまったのである。

 この最後の爆発によって、ニュージャージー乗員の八割が彼女の道連れとなったという。

 生存者の名前の中に、ウィリアム・F・ハルゼーの名も、カール・F・ホールデンの名も、存在していなかった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 海上で煌めく砲火は、クェゼリン環礁の日米両軍の兵士たちからも確認出来た。

 米陸軍第七師団、海兵第四師団の将兵たちはその煌めきに不穏なものを感じて案ずるような視線を向けている一方、日本の海軍第六根拠地隊、陸軍海上機動第一旅団の将兵たちは歓喜に近い視線をその煌めきへと向けていた。

 すでに島の北岸に追い詰められていたナムル島守備隊の生き残りは、疲労で憔悴した表情の中で目だけを爛々と輝かせながらその煌めきを見つめている。

 第六根拠地隊ルオット・ナムル分遣隊を中心とする部隊は、当初の二〇〇〇名からわずか二〇〇名にまでその数を減らしていた。

 米軍は島の南部、つまりは波の低い環礁の内側から上陸を敢行してきたため、守備隊は北岸へと追い詰められていたのである。その確保している陣地の縦深はわずか二五〇メートルであり、明日の朝、米軍が攻撃を再開すれば即座に殲滅されてしまう程度の陣地でしかなかった。

 すでに重傷を負った戦友たちを自ら手にかけるか、あるいは手榴弾を渡して自決させてしまった以上、健在な二〇〇名の日本兵も自分だけが生き残るという選択肢は初めから存在していなかった。

 ナムル島の西隣にはエヌガレット島という小島が存在しており、そこに米軍は重砲陣地を据え付けている。夜間で米軍の弾着観測が困難となり、さらに帝国海軍が突入を果たそうとしている今が、最後の突撃を行う好機であった。

 互いに飯盒の蓋などで水杯を交わし合い、彼らは密かに突撃発起点へと向かう。

 生き残りの最先任である将校が、さっと軍帽を脱いでクェゼリンへと突入しようとする帝国海軍艦隊に一礼した。それが最後の決別の儀式であるかのように、何人かの兵士たちも自分たちの奮戦に応えるためにやってきた艦隊へとそれぞれに敬礼していく。

 そして五月十五日〇〇〇〇時。


「突撃ぃ!」


 生き残りの最先任である将校の叫びと共に、二〇〇名の兵士たちが一斉に喊声を上げながら突進を開始した。擲弾筒が唸りを上げ、ドイツ製機関銃(MG42)が軽快な音を立てて突撃する者たちを援護する。

 一方の米軍の側も、揚陸して陣地に据え付けたあらゆる火器を用いて、この突撃を阻止しようとした。

 両軍の蛮声と悲鳴が交錯し、銃声と砲声、爆音が響き渡る中で、ナムル島を巡る最後の戦闘は続けられた。

 最終的に十五日〇四〇〇時頃まで、日本軍守備隊による組織的な攻撃は続けられたという。

 やがて夜が明ける頃、この小さな南の島は焼け焦げた椰子の木と掘り返された地面、そして両軍兵士の遺体を残して、静寂に包まれたのであった。


  ◇◇◇


 五月十五日〇〇一六時、ついに戦艦比叡に総員退艦命令が発せられた。

 傾斜は十八度にまで達し、機関も完全に停止してしまった。

 最早、クェゼリンの浜辺に乗り上げることは不可能であった。


「艦長、ここまで良くやってくれた」


「もったいないお言葉です」


 艦長公室に掲げられていた御真影は、すでに艦長付の従兵の手によって持ち出されている。


「長官、先ほど、第七戦隊より『全軍突撃セヨ』との通信を傍受いたしました」


 前部電信室が全滅したため、後部電信室からやってきた伝令がそう報告した。


「そうか、ご苦労。君も早く退艦したまえ」


「はっ! 失礼いたします!」


 厳粛な面持ちで敬礼したその伝令が、夜戦艦橋から駆け出していく。

 今、第二遊撃部隊の指揮は次席指揮官である第七戦隊の白石万隆少将が代行していた。

 すでに金剛、榛名の砲撃および第二駆逐隊の再雷撃によって三隻の米戦艦は沈みつつあった。米巡洋艦部隊も撃退した今、第二遊撃部隊と敵輸送船団との間を阻むものは存在していなかった。

 第七戦隊からの突撃命令は、ついに第二遊撃部隊がクェゼリン突入を果たそうとしていることの証であった。


「クェゼリンの守備隊は、どうしているだろうな?」


 前部電信室が全滅し、後部電信室も第二遊撃部隊内の通信の把握に努めていたため、日付が変わるのを合図に最後の突撃を行うというナムル島守備隊の様子は判らずじまいであった。


「ですが長官、あれをご覧下さい」


 篠田艦長が双眼鏡を向けていたのは、クェゼリン環礁の方角であった。

 閃光のように砲炎が煌めき、連続する爆発音は比叡にまで届いていた。


「我が艦隊は、クェゼリンに突入したのだな」


 どこか清々しい安堵と共に、西村は呟いた。


「これで、クェゼリンの英霊たち、未だ奮闘を続ける守備兵たちも浮かばれよう」






「はははっ! 右も左も輸送船だらけだな! こいつはいいや、目標に困らん!」


 第七戦隊からの全軍突撃命令を受けてクェゼリン環礁に突入した夕立の艦橋で、吉川潔大佐は呵々と大笑していた。

 彼の言葉通り、クェゼリンの泊地には退避の叶わなかった米輸送船団がひしめいていた。未だ物資を載せたままなのか、あるいは兵員を乗せたままなのかは判らない。

 だが、ガダルカナル攻防戦を経験している吉川は、敵輸送船を捕捉したならば必ず討ち取らなければならないと思っている。たとえ空の輸送船であっても、母港に戻ればまた物資や兵員を積んで帝国のどこかの拠点に上陸しようとするだろう。

 一隻たりとも、見逃すわけにはいかなかった。


「第二駆逐隊、砲撃開始! どんどん撃て! 好きなだけ撃て!」


 吉川の座乗する夕立は、まだ暴れ足りないとばかりに、米輸送船の間を縦横無尽に駆け巡り、その主砲で哀れな輸送船たちを次々と屠っていった。

 それはある意味で、捷一号作戦の成功を象徴する光景でもあった。






「長官、カッターの用意が出来ました」


 第十一戦隊先任参謀が、西村に声をかけてきた。


「霧島に移乗し、以後の指揮を執られるべきでしょう」


「いや、私の脱出は最後で構わん」


 穏やかながら、断乎とした口調で西村は言った。


「ここまで比叡乗員を付き合わせてしまったのは私だ。私が最後に脱出しなければ、筋が通らんではないか」


 実際、比叡の総員退艦命令は遅きに失した感があった。

 西村や篠田がクェゼリン環礁に比叡を擱座させようとしたために、総員退艦命令を出す判断を間際まで引き延ばしてしまっていたのだ。

 総員退艦命令を出した時点での傾斜は十八度であったが、比叡の傾斜はさらに深まっていた。今は二十度を超えているだろう。

 傾斜が深まれば深まるほど、艦内奥深くで作業している人間の脱出は困難となる。

 そうしてしまった責任を痛感しているだけに、西村は自分がそうした者たちよりも先に脱出することを許さなかったのだ。

 そして総員退艦命令が出されてから十分後の〇〇二六時、ついに戦艦比叡は右舷に転覆した。

 転覆沈没した彼女の周辺では、夕暮と有明が脱出した乗員の救助を行ったが、その中に西村祥治中将と篠田勝清大佐の姿はなかったという。

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