45 太平洋の牙城

 三月五日にガダルカナル島に上陸して以来、連合軍はソロモンを北上しつつ、南太平洋における勢力圏を広げようとしていた。

 ガダルカナル占領後はここに航空基地を開設、エスピリットゥサントからB17、B24を始めとする爆撃機部隊を進出させ、三月十七日よりラバウルに対する空襲作戦を開始した。

 しかしながらこの段階では航続距離の問題から護衛の戦闘機を付けられず、特に日本海軍の戦闘機が開戦時よりも威力の高い九九式二号二〇粍四型機銃を搭載し始めたこと、そして発動機を金星(一五〇〇馬力)に換装した零戦五四型が少数ながらラバウルに配備されていたことで無視出来ぬ損害を生むこととなってしまった。

 そのため、ラバウルを無力化するための前進基地を得るために、さらにソロモン諸島を北上する必要があったのである。

 こうして、カートホイール作戦の第二段階として、中部ソロモンへの侵攻作戦が発動された。

 ガダルカナルから日本軍が撤退していたという戦訓から中部ソロモンへの事前偵察が念入りに行われた結果、これらの地域からも日本軍が撤退していたことが判明。

 第二段階作戦の発動は当初の予定よりも早められ、三月三十日、ニュージョージア島および同島ムンダ飛行場を防衛するために必要な対岸のレンドバ島へと上陸、これを無血占領した。四月五日には、早くも日本軍の放棄したムンダ飛行場を再建、稼働状態にしている。

 さらに四月十五日、今度はニュージョージア島北方にあるコロンバンガラ島、ベララベラ島も無血占領。これによって、中部ソロモンは完全に連合軍の手に渡ることとなった。

 一方、ニューギニア方面の連合軍は四月四日、ニューギニア島北岸のラエ、サラモアへと無血上陸し、ニューブリテン島へと迫りつつあった。

 この間、ラバウルの日本海軍航空隊もアメリカ軍の北上を遅滞させるための航空攻撃を実施。オーストラリア重巡シュロップシャーを撃破、さらに航空機雷の散布などによって複数の輸送船やLSTに損傷を負わせていた。

 また、ニューギニア方面の連合軍の北上を遅らせるため、ニューブリテン島―ニューギニア島間のダンピール海峡はすでに多数の機雷によって封鎖されていた。これは、海上交通路確保のための機雷堰設置を終えた敷設艦を動員して、一九四四年の初めに行われていたものである。

 しかし四月三日、ラバウル唯一の銀河部隊である第五二五航空隊の指揮官・佐藤巌中尉がニュージョージア島上空で戦死、四月九日には銀河の稼働機は四機にまで落ち込み、事実上、第五二五空は壊滅した。

 また、ラバウルのシンプソン湾を泊地としていた第八艦隊も、アメリカ軍による空襲が開始されるとニューブリテン島北方のアドミラルティ諸島へと退避している。

 アメリカ軍がカートホイール作戦で目指している「ラバウルの無力化」という目標は、確実に達成されつつあったのである。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 南太平洋での作戦が陸軍のものであるとすれば、中部太平洋での作戦は海軍のものであった。

 ただし、作戦の実施にあたってはいくつもの難問が立ちはだかっていた。

 合衆国海軍による中部太平洋侵攻作戦は、一九四三年九月頃から具体的な検討が始まっていた。しかし問題は、島嶼への上陸作戦の経験が、合衆国軍にまるでないことであった。

 上陸作戦の中核を担う海兵隊は一度、ガダルカナル攻防戦で壊滅しており、実戦経験のない将兵たちで占められていることも、問題の一つであった。

 このためアメリカ海軍は当初、カートホイール作戦によって発生するであろうソロモン方面での地上戦を戦訓として中部太平洋島嶼部への上陸作戦を計画しようとしていたが、これは完全にあてが外れた形となってしまった。日本軍はすでにソロモン、ニューギニアの大部分から撤退しており、上陸に伴う地上戦が発生していなかったからである。

 また、これら中部太平洋に存在する日本軍の航空基地への対処も問題であった。

 太平洋艦隊には最新鋭のエセックス級空母、インディペンデンス級空母が多数配備されていたものの、強大な敵基地航空隊に対して海上の機動部隊が十分に対抗出来るのかという点について、未だ十分な戦訓がないために不明なのだ。

 そして、“ガルバニック作戦”と名付けられた最初の中部太平洋方面への侵攻作戦は、どの地点を最初の攻略目標にすべきか、太平洋艦隊と本国の統合作戦本部の間で議論が重ねられていた。

 中部太平洋、特に日本本土を直接、重爆によって空襲出来るマリアナ諸島の確保は絶対に必要であったが、これは現状では不可能。

 そうなると、日本軍がマリアナを防衛するための外郭防衛線となり得るマーシャル諸島、ギルバート諸島のいずれかとなる。

 太平洋艦隊司令部、統合作戦本部とも、マーシャル諸島の攻略が望ましいことは理解していた。ここには艦隊の泊地として最適な環礁がいくつか存在し、マリアナ攻略のための前進基地を作ることが可能であったからだ。

 しかし、現実としてマーシャル諸島の攻略が可能であるのかという問題が、事態を難しくしていた。

 合衆国は現状、マーシャル諸島を偵察するに適切な航空基地を持っていなかったのである。

 そのため、現場であるニミッツ大将以下太平洋艦隊司令部の者たちは、マーシャルを最初の攻略目標とすることは困難だとの認識に達していた。まずはギルバート諸島を確保して前進基地を作り、その後にマーシャル諸島を攻略すべきと判断していたのである。

 しかし、統合作戦本部、特にキング作戦部長はこうした太平洋艦隊の悠長な作戦構想に真っ向から反対した。

 未だ日本艦隊と基地航空隊は健在であり、ギルバート諸島を攻略するとなれば太平洋艦隊と海兵隊にも相応の損害が出ることが予測される。そうなれば艦艇の修理や航空機の補充など戦力を再編する必要に迫られ、次のマーシャル攻略まで最低でも半年近い時間が空いてしまうであろう。そこからさらにマリアナへと侵攻しようとすれば、合衆国がかの島々を確保するまでに一年以上の時間がかかってしまう。

 そうなれば、その間に中国は戦争から脱落し、太平洋におけるジャップの防衛力は益々強化され、マリアナの攻略が困難となり、戦争はさらに長期化する。

 また、ギルバート諸島では日本海軍の一大根拠地となっているトラック泊地を圧迫することは出来ず、そうなればラバウルへの補給路の遮断も覚束ない。

 であるならば、ギルバート諸島は無視し、マーシャル諸島を直接、攻略すべきである。

 それが、キングの判断であった。

 そして彼の判断は、そのままルーズベルトの判断でもあった。

 マリアナを攻略すれば日本本土への戦略爆撃を実施出来、そうなれば戦争の勝敗は決まったようなものである。

 大統領選挙を控える彼にとってみれば、キングの作戦計画の方が遙かに魅力的であったのだ。

 こうして、太平洋艦隊はマーシャル諸島攻略作戦“ガルバニック作戦”の発動のための準備に追われることとなったのである。


  ◇◇◇


 真珠湾南東入江に、太平洋艦隊司令部の建物は存在していた。


「ハルゼー大将、貴官にはいつも困難な任務を押し付けることになってしまい、申し訳なく思っている」


 司令長官室で、チェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官は硬い口調で言った。顔には、苦渋に近い表情が浮かべられていた。


「長官、あまりお気になさらないで下さい」


 一方、ウィリアム・F・ハルゼー大将の表情はどこか晴れやかであった。


「ようやく、ジャップへの雪辱を晴らす機会を頂けたのです。これほど嬉しいことはありませんよ」


 ガルバニック作戦に当たって、ハルゼーは第三艦隊司令長官として指揮を執ることになっていた。

 彼を粗暴な人間と嫌うキングは、ソロモン戦線での各種作戦指揮において大損害を出した責任を追及してハルゼーを更迭しようとしたのであるが、ニミッツはそもそも敵制空権下での困難な作戦行動であったと彼を擁護、またハルゼーが将兵たちから高い支持を受けていることも相俟って、再びハルゼーは艦隊を指揮することが叶ったのである。

 実際、ハルゼーは合衆国海軍が最も困難であった時期に日本軍と対峙することを余儀なくされた提督であり、敗戦の責任のすべてが彼にあるとは言い難かった。

 キングのハルゼー更迭の主張は、多分に彼の個人的感情によるものが大きかったといえよう。同じくインド洋にて日本海軍に大敗したスプルーアンスに関しては、更迭すべしという主張が一切聞かれていないのだ。これは、彼の能力をキングが高く評価していることによる。


「あそこに浮かぶ艦艇は、まさしく合衆国始まって以来の大艦隊。これを指揮出来るのですから、海軍軍人としてこれに勝る喜びはありません」


 彼が視線を向けた窓の外には、広大な真珠湾が広がっている。

 そこに浮かぶ艨艟たちは、確かにハルゼーの言う通り、合衆国史上始まって以来、いや、人類史上始まって以来の大艦隊であるともいえた。

 戦艦、空母を初めとする大型艦艇に、巡洋艦、駆逐艦といった補助艦艇、その他輸送船などが所狭しと真珠湾を埋め尽くしているのである。

 ハルゼーの指揮する第三艦隊だけでも、以下の戦力を備えていた。


  第三艦隊  司令長官:ウィリアム・F・ハルゼー大将

   第五八任務部隊  司令官:ジョン・S・マッケーン中将

 第五八・一任務部隊  司令官:ジョゼフ・J・クラーク少将

【戦艦】〈アイオワ〉〈ニュージャージー〉

【空母】〈ヨークタウンⅡ〉〈レキシントンⅡ〉〈カウペンス〉〈モンテレー〉〈ベローウッド〉

【重巡】〈ボストン〉〈キャンベラⅡ〉

【軽巡】〈オークランド〉〈リノ〉

【駆逐艦】十二隻


 第五八・二任務部隊  司令官:アルフレッド・E・モントゴメリー少将

【戦艦】〈ミズーリ〉〈ウィスコンシン〉

【空母】〈イントレピッド〉〈ホーネットⅡ〉〈ラングレーⅡ〉〈カボット〉

【重巡】〈ニューオーリンズ〉〈インディアナポリス〉

【軽巡】〈バーミンガム〉

【駆逐艦】十二隻


 第五八・三任務部隊  司令官:ジョン・W・リーブス少将

【空母】〈バンカーヒル〉〈ワスプⅡ〉〈バターン〉〈サン・ジャシント〉

【重巡】〈クインシーⅡ〉〈セントポール〉

【軽巡】〈モービル〉〈ヴィンセンスⅡ〉

【駆逐艦】十二隻


 空母だけで正規空母六隻、軽空母七隻と、日本海軍第一機動艦隊の空母戦力を圧倒する数を揃えている。

 これら空母に搭載されている航空機は、F6Fヘルキャット四三二機、SB2Cヘルダイバー二四〇機、SBDドーントレス二十四機、TBFアヴェンジャー一六五機の計八六一機で、航空兵力でも日本軍を圧倒していた。

 ただし、その一方で戦艦や巡洋艦といった護衛艦艇は、ソロモンやインド洋での大量喪失の影響が未だ残り続けていた。戦艦はミズーリが四四年三月に、ウィスコンシンが一月に、それぞれ完成時期を数ヶ月前倒しして竣工しているものの、慣熟訓練の期間が短く、練度には不安が残る状態である。

 とはいえ、ソロモンやインド洋で主力艦を大量に喪失していながら、一年程度の期間でこれほどまでの戦力を揃えられたところに、合衆国の持つ工業力の大きさが表れている。

 しかし一方で、第三艦隊は数字の上には現われない問題点を抱えていた。

 それは、熟練の乗員や搭乗員たちの喪失が相次いだ結果、今回の作戦が初陣となる将兵が多いことである。特に空母の搭乗員の練度については、実戦経験豊富な日本海軍の搭乗員に対して数段、劣っているのではないかと見られている。

 それを数と機体性能でどこまで補えるのか、それは実際に戦ってみなければ判らない部分でもあった。

 とはいえ、どのような歴戦の兵士にも初陣はあったのだ。あまりそこを気にしていては、軍事作戦は行えない。

 また、ガルバニック作戦にはハルゼーの第三艦隊の他、上陸作戦を担当するリッチモンド・K・ターナー中将の艦隊も参加する。その艦隊は以下の通りである。


  第五四任務部隊  司令官:リッチモンド・K・ターナー中将

【揚陸指揮艦】〈ロッキー・マウント〉


 第五四・一任務部隊  司令官:ジェシー・オルデンドルフ少将

【戦艦】〈ウェストバージニア〉〈カリフォルニア〉〈テネシー〉

【重巡】〈ルイヴィル〉

【軽巡】〈デトロイト〉〈ローリー〉

【駆逐艦】九隻


 第五四・二任務部隊  司令官:アーロン・S・メリル少将

【重巡】〈ミネアポリス〉〈チェスター〉

【軽巡】〈モントピリア〉〈ビロクシー〉〈ヒューストンⅡ〉〈マイアミ〉

【駆逐艦】六隻


 第五四・三任務部隊  司令官:ヘンリー・M・ムリニクス少将

【護衛空母】〈サンガモン〉〈スワニー〉〈コラール・シー〉〈リスカム・ベイ〉〈コレヒドール〉〈マニラ・ベイ〉

【駆逐艦】六隻


 護衛空母に搭載されている機体を含めれば、ガルバニック作戦に投入される艦載機は千機を超えることになる。

 さらに上陸部隊を乗せた輸送船やその他護衛艦艇、支援艦艇を含めれば、作戦に投入される艦艇は三〇〇隻を越えていた。

 ハルゼーが国家が始まって以来の大艦隊であると賞賛するのも、頷けることであった。

 また、上陸兵力も第二、第四海兵師団、陸軍第七、第二十七師団を中心に新設された第五水陸両用軍団(軍団長:ホランド・M・スミス少将)五万三〇〇〇を数えている(さらに予備兵力として三万一〇〇〇があった)。

 これら兵力は、完全に日本軍を圧倒していたのである。


「ところで長官。一つ、確認しておきたいことがあります」


「何だね?」


「我が第三艦隊がマーシャル、ギルバートのジャップの航空基地を無力化した後は、どのような行動をとるのが最適と考えられておりますか?」


「なるほど、貴官らしいな」


 ニミッツは軽く苦笑した。

 要するに、ハルゼーは上陸支援任務よりも、日本海軍との決戦を求めているのだ。


「可能であればカロリン諸島の敵航空基地および出撃してくるであろう日本艦隊の撃滅だ。ただし、無理は禁物だぞ。敵基地と敵艦隊を同時に相手にすることの愚は、ミッドウェーで日本が証明済みだ」


「つまり、トラックを連中にとっての真珠湾にしても構わないということですな?」


 にやり、とハルゼーは不敵な笑みを浮かべる。


「あくまで、可能であれば、だ。トラックは太平洋における日本海軍の一大根拠地だ。空母機動部隊が、撃沈することの出来ない基地航空隊にどこまで対抗出来るのか、有用な戦訓は戦史上、未だ存在しない」


「ならば、この私がその戦訓を作ってご覧に入れましょう。もちろん、空母機動部隊は基地航空隊に勝利出来る、という戦訓で、です」


「頼もしい限りだ」


 ニミッツは、あえてハルゼーの作戦行動に枷を嵌めようとは思わなかった。

 マーシャル諸島を攻略しようとすれば、必ずトラック方面からの反撃があるだろう。それに対処するには、敵の航空基地を叩き潰してしまうのが最も手っ取り早い手段である。

 最終的にはマリアナ諸島の攻略を行わなければならない以上、ここで空母機動部隊対基地航空隊についての戦訓を得ておく必要があった。

 島嶼への上陸作戦という部分も含めて、今回のマーシャル攻略作戦は、来たるべきマリアナ攻略作戦のための戦訓集めという面があるのだ。ある程度、様々な戦術を試してみる必要があった。

 また、やはり今後のためにもトラックの無力化は必須であった。


「ソロモンで我が新鋭戦艦を沈めたあの忌まわしきジャップの新鋭戦艦、ヤマトとやらも、我が航空機の前には無力でしょう。奴が出てきたならば必ずや撃沈し、合衆国海軍の後顧の憂いを断ってみせます」


「ああ、貴官の奮戦に期待させてもらうとしよう」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 西方の空から、轟音を響かせながら多数の機体が着陸態勢に入りつつあった。


「あれがポナペ島か」


 風防から見える島の風景を見て、笹井醇一少佐はほぅと息を漏らした。

 トラック環礁から東へ約六〇〇キロの海上に浮かぶ、内南洋第二の面積を誇る島(グアム島を日本軍が占領したため、正確には第三位)。

 その島にある飛行場に向かって、笹井率いる第二五一航空隊は降り立とうとしていた。

 最初の一機が、滑走路に入っていく。

 隊長である笹井は、部下たち全員と護衛してきた零式輸送機四機が島へと無事に着陸したのを見届けてから、機体を滑走路に滑り込ませた。

 機体から降り立ち、周囲を見回す。


「ラバウルとはまた、随分と趣の違う場所だな」


「まったくですな。火山性の土地の所為で砂埃ぼうぼうのラバウルに比べると、ここは緑の楽園といったところです」


 ラバウル以来、幾度となく笹井の二番機を務めてきた太田敏夫飛行兵曹長も、似たような感慨を覚えていたらしい。


「内地にいるときにこの島のことを少し調べてみたんだが、知っているか?」笹井は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。「内務省が発行した南洋群島の紹介冊子だと、ポナペは『水郷』らしい」


「そいつはいいですな。水が使い放題とはありがたい」


 太田飛曹長も思わず破顔した。

 ラバウルは火山性の大地であったために地表に水が溜まりにくく、結果、将兵は雨水を溜めることで水を確保していたのである。水が豊富というだけで、この島に来て良かったとすら思えてくるほどである。


「とはいえ、西沢や坂井の奴が一緒でないのは残念ですな」


「まあ、やむを得ん。西沢は内地で二〇三空の練成に忙しく、坂井は大村空で教官だ」


 坂井三郎、西沢広義、太田敏夫の三名は、「ラバウルの三羽烏」と呼ばれる、ソロモンを代表する撃墜王たちであった。彼らは台南空の一員として、共に戦ってきた戦友たちでもある。

 しかし、坂井の負傷や台南空が第二五一空に再編されたことで、その三人組は離ればなれとなることになってしまった。


「だからその分、我々が奮闘するとしよう。何せ、我が航空隊は二〇三空と並び、帝国海軍で初めて烈風を配備された航空隊だからな」


「では、アメ公相手に華々しく初陣を飾らせてやるとしましょうか」


 そう言って、二人は自分たちが降りてきた機体を頼もしげに見遣った。

 そこにあったのは、零戦を一回り大きくした、逆ガル翼を持つ力強い印象を与える機体であった。

 三菱の開発した、十七試艦上戦闘機「烈風」。

 それを、第二五一空は配備されているのである。

 とはいえ、烈風は未だ海軍において正式採用には至っておらず、「烈風一一型」という名称が与えられているものの、二五一空に配備されているのは試作機の先行量産型に過ぎない。海軍は捷号作戦に間に合わせるため、かなり強引な措置をとっていたのである。

 この烈風の開発には紆余曲折があり、特に発動機の選定問題で海軍と開発側の三菱で激しいやり取りがあった。

 海軍は中島飛行機が開発中のNK9(後の誉発動機)の搭載を主張し、三菱は自社で開発中のMK9(後のハ四三発動機)の搭載を主張して、両者譲らなかったのである。

 ここに開発中の局地戦闘機雷電の不具合に悩まされていたことも加わり、この頃の三菱の設計陣は多忙を極めていた。ガダルカナル島飛行場を確保出来ず、零戦三二型が航続力不足のため改修が必要となっていたならば、烈風の設計はさらに遅れていたことだろう。

 二つの発動機の内、誉発動機の方が先に開発を完了し、一九四二年末から量産を開始したことから、まずはこれを搭載した試作機による初飛行が行われたのが四三年の十月。

 ハ四三を推していた三菱の設計陣にとっては残念なことながら、この時点で誉発動機を搭載した試作機は最高速度時速六一四キロメートル、高度六〇〇〇メートルまで六分二〇秒という、海軍の要求性能には若干達していなかったものの、良好な成績を収めていた。

 さらに烈風の初飛行から少しして、川西飛行機で開発中の局地戦闘機「紫電」の改良型「試製紫電改」もまた、初飛行において最高速度時速六二〇キロメートルという高性能を発揮したことから、この段階で海軍は三菱に対して雷電の生産停止を命令。艦上戦闘機を烈風、局地戦闘機を紫電改に絞り込む決断を下し、烈風のさらなる改良に注力するよう求めた(とはいえ、将来に向けてさらなる新型機の開発は依然として進められていたが)。

 また同時期、ドイツからの技術供与によってもたらされたフォッケウルフFW190と、その発動機BMW801エンジン(ドイツ戦闘機が搭載した、唯一の空冷発動機)を参考にして、烈風の機体構造の改良や誉に対して開発が遅れていたハ四三の実用化を三菱は進めており、烈風の戦力化は加速度的に進んでいった。

 ただ、やはり戦局は試製烈風の改良が完全に完了するまで待ってくれそうなほど悠長なものではなく、四三年十二月末、海軍は試製烈風を烈風一一型として量産を開始するように命令。三菱は雷電の生産停止に伴って空いていた工場を利用して、昼夜兼行で烈風一一型の量産を開始した。

 そして一月下旬、最初に海軍に納品された機体は、内地で再編を行っていた精鋭揃いの第二五一空に配備されることとなった。

 さらに三月には、これまた精鋭揃いの第二〇三空にも烈風が配備され、ここに二個飛行隊計七十二機(一個飛行隊は常用三十六機、補用十二機)の烈風戦闘機隊が編成されることとなったのである。

 事実上、この二つの飛行隊は、搭乗員の練度も相俟って、まさしく帝国海軍最強の戦闘機隊といっても過言ではなかった。

 練成を終えた笹井醇一少佐率いる第二五一空は、空母瑞鳳に機体と機材を詰め込んで四月十二日、横須賀を出港、十九日にトラックに入港して機体と機材を降ろした後、機体の整備のためにトラックで一泊。その後、隊員たちは空路でポナペ島へと向かったのである。

 機材の方は、数日中には輸送船でポナペに届くことになっている。

 すでにポナペ島には二五一空を含む四個航空隊からなる第六十三航空戦隊の司令部が進出しており、笹井ら二五一空以外の航空隊も、内地での練成を終えた部隊から順次、島に集結しつつあった。


「私は司令部に着任の挨拶に行ってくる。その間、機体の点検をしておいてくれ。いつ、米軍が来襲するか判らんからな」


「了解です。連れてきた整備員たちを総動員して、作業に当たります」


「頼んだぞ」


 烈風に搭載されている誉発動機は、高性能であるが故に扱いの難しい機材でもあった。そのため、発動機の構造を習熟している整備員が必要だったのだ。今回、二五一空は内地からポナペに進出するに当たって、誉の扱いに慣れている整備員たちも同行させていた。護衛してきた零式輸送機は、そのためのものだったのである。

 彼らは米軍との決戦が始まるその日まで、烈風を万全の状態にしておくことを求められているのだ。


  ◇◇◇


 太平洋における帝国海軍の一大根拠地ともいえるトラック泊地に大艦隊が入港するのは、ろ号作戦以来、約半年ぶりのことであった。

 再び現われた連合艦隊の威容に、島にいる将兵たちの士気は高揚した。

 ただ、一つだけ奇妙な光景はあった。

 トラックに入港した艦隊の中に、大型空母が存在していないことであった。歴戦の翔鶴、瑞鶴の姿も、特徴的な左艦橋の飛龍の姿も、環礁の中にはなかった。ただ、艦橋のない小型空母が数隻、見られるだけであった。

 ろ号作戦で第一機動艦隊の全空母がトラックに集結していたことを考えれば、何も知らない島の将兵たちにとっては解せない光景ではあった。






 四月二十五日、トラック泊地に投錨する戦艦大和艦上において、会議が開かれていた。

 出席者は第二艦隊司令長官・栗田健男中将、第三艦隊司令長官・山口多聞中将、第十一戦隊司令官・西村祥治中将、第四艦隊司令長官・小林仁中将、第八艦隊司令長官・鮫島具重中将、そして連合艦隊司令部から中澤佑参謀長と中島親孝情報参謀など。

 こうして見てみると、第三艦隊の司令部が今までの日本海軍の慣習を完全に無視したものであることが判る。

 山口多聞は海兵四十期であり、同艦隊に属する第十一戦隊の司令官・西村祥治中将は海兵三十九期。本来であれば、第三艦隊司令長官は西村、ないしは第二戦隊司令官の角田覚治中将が親補されるべきであった。

 しかし、ミッドウェー海戦以降、機動部隊指揮官として山口が適任であることは万人が認めるところであり、海軍の人事権を掌握した山本海相はこの人事を押し切った。温厚で私心を挟まない性格の西村はこの人事に納得しており、角田に至っては以前から山口の指揮下で戦ってみたいと公言するほど後輩の能力を認めていた。そのため、彼らの間で軋轢はまったく生まれていなかった。


「第六艦隊からの報告によりますとここ連日、真珠湾における輸送船の出入りが頻繁となっており、通信傍受の成果から考えてもこれから一、二週間の間に米太平洋艦隊が大規模な作戦行動を開始することは間違いないものと思われます」


 中島親孝中佐は、緊張感のある表情で全員を見回していた。


「タラワにも米重爆が頻繁に出現して空襲を敢行しているとの報告を受けております」


 そう付け加えたのは、内南洋を担当する第四艦隊司令長官の小林仁中将であった。


「問題は、ニミッツがどこの地点の攻略を目論んでいるか、です」中島は続けた。「現在、ソロモン方面では連合軍によるラバウル空襲が本格化しており、連日、激しい防空戦闘が行われています。未だブーゲンビル島への上陸は行われておりませんが、それも時間の問題でしょう。しかし一方で、ソロモン方面の連合軍の通信はすべてマッカーサー軍を示すものです。つまり、米軍はこの方面に太平洋艦隊の主力を投入するつもりはないのでしょう」


「となると、ニミッツはマーシャルやギルバートを狙っているということになるな」現場部隊の最先任指揮官である栗田が言った。「問題は、そのどちらに来るのか、ということだ」


 マーシャル・ギルバートと一口に言うが、南洋庁支庁が置かれたマーシャル諸島の中心地・ヤルート島とギルバート諸島の中心地・タラワ環礁の距離は二〇〇浬(約三二〇キロ)以上も離れている。米軍が空母機動部隊で襲撃するにしても、艦載機の航続距離から考えて一度に二つの諸島を叩くのは不可能であろう。

 そして、その問題は日本海軍にも当てはまる。どちらかといえば、トラックからの距離がより遠いギルバート諸島の方が守りにくい。

 ただし一方で、米軍がギルバートに来襲した場合、日本側はマーシャル諸島各地に点在する航空基地を前進基地として使用出来るという利点もあった。逆にマーシャル諸島に侵攻された場合、そうした前進基地が同諸島北西四〇〇キロ地点にあるエニウェトク環礁(ブラウン環礁)、そして西方六〇〇キロ地点のポナペ島程度しかなく、航空攻撃を行う際の搭乗員たちの負担は大きくなる。


「連合艦隊司令部では、堅実さを重んずる米軍ならばまずはギルバート諸島を攻略して前進基地を作り、そこを足がかりにしてマーシャルへと侵攻するものと想定しています。ただし、マーシャル諸島に来襲する可能性もないとは断言出来ません。マーシャルには艦隊の泊地に適切な環礁がいくつか存在していますので、戦略的価値はマーシャルの方が高いのです」


「つまり我々は、どちらに米軍が来ても対応出来るようにしておくべき、というわけだな?」


 山口が確認するように問うた。


「はい。捷一号作戦は、そのような想定で策定されておりますので」


 答えたのは、中澤佑参謀長であった。


「ただし、どちらの島に来るせよ、空襲が始まった段階での出撃は行わないよう、改めて申し上げておきます」


 彼は強い口調で念押しした。


「油槽船はかき集めましたが、そう何度も第二、第三艦隊の出撃を行えるほどの余裕はありません。昭和十七年初頭のように米軍が奇襲的な空襲を仕掛けてこちらを翻弄しようとする可能性も否定出来ません。その場合は、航空部隊ですら敵艦隊の捕捉は困難です。これは、礼号作戦で同様な戦法を採られた栗田中将にはご理解頂けると思いますが」


「うむ、承知している」


「ですので、艦隊の出撃は米軍の上陸船団が確認された後、ないしは敵の上陸が開始された後。つまりは米軍の侵攻地点が確定してからでお願いいたします」


 中澤の声には、何かしらの感情を抑えようとする硬いものが混じっていた。

 彼は、自分の言っている作戦内容がマーシャルやギルバートの守備隊の出血の上に成り立つものであることを理解していたのだ。

 だが、マリアナの防備完成までの時間を稼ぐには、彼らの奮戦が必要不可欠なのだ。

 まるで関ヶ原の合戦において島津軍が行った捨て奸戦法のようであった。

 だが、帝国海軍の取り得る作戦は、これ以外にないのだ。

 だから会議に出席している者たちの表情は、中澤と同じく、重苦しいものであった。

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