40 カートホイール作戦

 すでにレーダーはラバウル方面から飛来した敵編隊の存在を探知していた。


「ジャップは、薄暮攻撃を仕掛けてきたか」


 戦艦ペンシルバニア艦橋で、第七艦隊司令長官トーマス・C・キンケード中将は呻いた。

 艦橋の窓から空を見上げれば、そこはすでにあおぐろ色に染め上げられていた。西の水平線のあたりだけは、まだ茜色が残っている。

 すでに鉄底海峡は、薄暮から夜へと移り変わろうとしていた。

 上空に、味方航空機の姿はない。日暮れ前に、母艦である護衛空母へと帰還していたのだ。


「全艦、対空戦闘用意!」


 その号令と共に、乗員たちが両用砲や機銃座に取りつく。


「レーダーピケット艦は、合わせてジャップの水雷戦隊の出現に警戒せよ! 報告は遅滞なく旗艦に伝達すべし!」


 現在、戦艦ペンシルバニアを始めとする四戦艦は、ルンガ沖を遊弋していた。そして、ガ島海岸付近には未だ輸送船団がひしめいている。

 昼間には一切の空襲がなかったことから、キンケードはラバウルのジャップ航空戦力はすでに払底しているか、あるいはこれまでのように薄暮・夜間攻撃を目論んでいるものと判断していた。

 南太平洋海戦やガダルカナル撤退作戦に参加していたキンケードは、決して日本軍を侮ってはいなかった。だからこそ、敵機ないしは敵艦隊の来襲を警戒して、レーダーピケット艦をサボ島の西方に配置して、早期警戒網を構築していた。

 敵編隊の接近を察知したのは、そのレーダーピケット艦であった。

 早期警戒網は、完全に機能しているといえよう。

 しかし、時刻が時刻であるだけに上空直掩機は望めない。

 機上レーダーを搭載した海軍のF6F-5N、海兵隊のF4U-2といった夜間戦闘機を合衆国は開発していたが、一九四四年三月段階では未だ生産が軌道に乗っておらず、実戦配備された数はごく少数であった。第七艦隊の護衛空母部隊には配備されていない。

 また、狭いシーラーク水道内で対空戦闘を行わなければならないことも、第七艦隊にとっては不利に働いている。

 闇夜が訪れれば、そこはジャップの独擅場である。

 未だ合衆国海軍は、日本海軍に対して夜戦で勝利を収めた経験がないのだ。

 キンケードは緊張感と共に、長官席の肘掛を握りしめた。

 レーダーピケット艦としてサボ島西方に駆逐艦が四隻、ルンガ沖にペンシルバニア以下戦艦四隻やその護衛艦艇、輸送船団がおり、護衛空母部隊はガ島南方の開けた海域に展開している。

 空襲の危険性を承知で水上艦艇がルンガ沖に展開しているのは、ジャップの水上部隊の夜襲を恐れてのことであった。サボ島沖海戦(日本側呼称、第一次ソロモン海戦)の記憶を、合衆国海軍は忘れてはいない。

 ラバウルには水雷戦隊程度の艦隊兵力しか存在していないことを、合衆国海軍は把握していた。早期警戒網を敷くレーダーピケット艦と、水道で待ち構える四隻の戦艦を以てすれば、輸送船を襲撃しようと目論むであろうジャップの水雷戦隊を撃退することも可能であろう。

 そうした考えの下に、キンケードは四隻の戦艦をルンガ沖に留めていた。

 そのため、水道の広さと合わせて、艦隊は輪形陣を敷いていない。

 サボ島方面から侵入する敵艦隊に丁字を描けるよう、四戦艦は単縦陣でルンガ沖を南北に往復する運動を取っている。このため、空襲に際しては艦隊全体で濃密な対空弾幕を形成することは不可能であった。

 だが、最盛期のラバウルの航空隊ですら、米戦艦を単独で撃沈すること出来なかったのである。

 第一次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第三次ソロモン海戦)で撃沈されたインディアナはジャップの基地航空隊と母艦航空隊による共同戦果であるし、第二次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第四次ソロモン海戦)で沈没したコロラド、メリーランド、ミシシッピーも、一式陸攻ベティ単独では撃沈に追い込むことは出来なかったのだ。

 戦力の低下した現状のジャップの基地航空隊だけで、四戦艦に大打撃を与えることは不可能であろう。各戦艦は対空火器を増強している上、VT信管もあるのだ。

 キンケードは緊張感を覚えつつも、自らの率いる艦隊の実力を信じていた。

 やがて、サボ島の方角から対空砲火を撃ち上げる砲声が轟き始めた。


  ◇◇◇


 佐藤巌中尉率いる第五二五航空隊の銀河は、途中で発動機不調のため三機が引き返したため、三十一機の編隊でルンガ沖を目指していた。

 巡航速度時速三七〇キロの銀河は、ラバウルからガダルカナルまでの道のりを三時間程度で踏破してしまう。しかも一式陸攻と同じく自動操縦装置が備えられているため、零戦搭乗員に比べて長距離飛行時の負担が軽減される。


「まもなくサボ島です」


 銀河の機首にある偵察員席に収まった偵察員が、そう報告する。

 これまでのような伝声管ではなくマイクとイヤホンによって搭乗員同士が遣り取りするというのも、新鋭機らしい。

 しかも隊長機である佐藤機および各中隊長機には、ドイツからの技術供与によって早期実用化が実現した機上電探「三式空六号無線電信機(H6電探)」が装備されていた。テレフンケン社の開発した機上電探「FuG202」などを参考にしたものである。

 第七五一空の一式陸攻にも、同様の装備がなされている。

 ちなみに、機首から延びる空中線素子の見た目から、機上電探搭載機は搭乗員や整備員たちから「ノコギリザメ」の愛称で呼ばれていた。

 そして佐藤中尉の操る「ノコギリザメ」は、十分にその役目を果たしていた。


「サボ島と思しき島影を探知しました。距離、およそ七〇キロ」


 電探の整備状況や目標の大小によって差が出るものの、H6機上電探は海上目標に対して一〇〇キロから五〇キロの探知距離を持っていた(航空機ならば七〇キロ前後)。距離七〇キロにてサボ島らしき島影を探知出来たということは、まずまずの性能を発揮したといってよいだろう。


「吊光弾搭載機は、投下用意せよ!」


 三十一機の銀河の内、五機が吊光弾搭載機であった。後部座席に座る電信員が、佐藤の命令を一式空三号隊内無線電話機を使って全機に伝達する。

 速度を上げた吊光弾搭載機が、佐藤機を追い越してルンガ沖へと先行する。

 残りの銀河隊は、そのまま佐藤機の誘導に従ってなおもガダルカナル沖に展開する米艦隊を目指していた。

 空には夜の帳が降り、海と島の区別もつきにくくなっている。


「新たな目標捕捉!」電探と向き合っていた偵察員が報告する。「サボ島周辺に敵艦と思しき反応あり! さらにその東方に大型艦の反応多数を確認!」


「一年前とは月とすっぽんだな、こりゃあ」


 感嘆と共に、佐藤は呟く。一年前の“い号作戦”発動時は目視に頼っていた敵艦隊の発見を、今や電探で行えるようになるとは。

 航法的にも、電探の探知した目標はルンガ沖に展開する米艦隊で間違いないだろう。何せ、自分たちは一年以上もソロモンの島々を庭にしてきたのだ。今さら、航法を誤ろうはずもない。


「全機に通達! 突撃隊形作レ!」


「宜候! トツレ、送ります!」


 その瞬間、佐藤は両翼の落下増槽を切り離し、銀河のスロットルを一気に開いた。巡航速度三七〇キロで飛行していた銀河隊は、一気にその速度を上昇させる。

 同時に、敵艦に対する襲撃運動を開始した。

 出撃にあたって銀河の爆弾倉に収められた兵装は、魚雷であった。

 銀河は急降下爆撃も出来る機体であるが、陸攻搭乗員を集めて早期の戦力化を図った第五二五空の者たちは急降下爆撃の訓練を受けていない。一式陸攻と同じく、低空に降りて敵艦に魚雷を叩き込むか、水平爆撃しか出来ないのである。

 だが、一式陸攻の襲撃運動と銀河の襲撃運動は似て非なるものであった。

 高速雷撃という、新たな戦法を銀河隊は採っていた。

 これは文字通り、高速を維持したまま魚雷を投下する戦法である。従来の魚雷投下時の速度が二六〇キロ前後であったのに対し、高速雷撃では降下による加速も相俟って時速五六〇キロ前後にもなる。

 これは高速で敵艦に接近することで回避の時間的猶予を与えないことと、敵艦からの対空砲火に晒される時間を短くすることを目的に編み出された戦法であった。

 当然、高速で魚雷を投下するため、投下高度が高すぎれば着水の衝撃で魚雷は自壊し、逆に投下高度が低すぎれば魚雷が水切り石のように海面を跳ねてしまうという問題はあった。そのため、高速雷撃における魚雷の投下高度は四〇メートル前後とされている。それよりも高すぎても低すぎても、雷撃は失敗するということである。

 不意に、下方に閃光が走った。

 一瞬、その光に照らされて海上に駆逐艦と思しき小さな艦影が露わになる。


「敵艦、射撃を開始した模様!」


「アメ公も電探でこちらを探知していたわけか」


 とはいえ、驚くには値しない。米軍の持つ電探の性能については、搭乗員の間で十分に理解されている。


「雑魚には構うな! 俺たちはルンガ沖の大型艦を狙うぞ! 吊光弾の投下待て!」


 炸裂した対空砲火の衝撃で、風防がビリビリと震える。

 だが、敵艦が陣形を組んでいないためか、米軍の対空砲火にしては散発的であるようにも感じる。

 速度計の針は、すでに時速五三〇キロを超えていた。

 銀河隊はレーダーピケット艦の撃ち上げる対空砲火の中を、高速で突破していく。


「まもなくサボ島を通過します!」


「吊光弾、投下せよ!」


「宜候! 吊光弾投下!」


 数瞬の間を置いて、前方に眩い光球が出現する。先行した銀河が投下した吊光弾が、黒ずんだ海面を鮮やかに照らし出す。


「ルンガ沖に大型艦六を確認! その周辺に小型艦多数です!」


 機首の偵察員が、興奮した声で報告する。


「よろしい! 全機、突撃せよ!」


 佐藤の命令は、後部座席の電信員によって直ちに「ト連送」となって各機へと伝えられた。中隊ごとに隊形を分け、それぞれの目標へと突進を開始した。

 銀河は誉発動機の轟音を響かせながら、ルンガ沖へと緩降下していく。

 速度計は現在、五五〇キロを示していた。

 吊光弾とは違った光が、海面から起こる。敵大型艦の対空砲火の発砲炎である。

 発砲炎で艦の形状がはっきりと判るほど、猛烈な射撃であった。

 夜の静寂など、ルンガ沖にはまるで存在していない。銀河の発動機が奏でる轟音と米艦艇による砲声、そして炸裂する対空弾幕の炸裂音で空中は満たされている。

 その振動は、操縦桿を通して佐藤中尉の腕にも伝わる。

 曳光弾混じりの火箭が吹き上げられ、後方へと抜けていく。

 高度計が示す高度も、どんどん下がっていく。

 刹那、後方で火球が出現。


「三番機被弾! 爆散しました!」


 感情を押し殺した電信員の報告が、佐藤の耳に響く。

 やはり、どれほど速度を上げようとも、被弾するときは被弾するのだ。そのような諦観とも達観ともつかぬ感情を抱いたまま、佐藤は銀河を敵艦への雷撃針路へと導いていく。

 上空では照明弾機が新たな吊光弾を投下し、敵艦への雷撃を目指す各中隊の視界を確保している。

 吊光弾の光に照らされ、さらには対空砲火によって艦全体を真っ赤に染め上げている米艦の姿が、ぐんぐんと迫ってくる。

 艦型からして、アイダホ級戦艦か……。

 そう判断しつつ、自機と敵艦との角度を調整しながら接近を続ける。

 佐藤機の後方で、さらに二機が散華する。

 米軍の対空砲火は、これまでよりも明らかに精度が上がっていた。

 高度計が五〇メートルを指す直前で操縦桿を引き、機体を水平に持っていく。佐藤の指示に機体が反応して緩降下から水平飛行に移ると、高度計はちょうど四〇メートルを指していた。

 ここから先は、一切の針路変更はしない。

 落下した弾片が海面に降り注いでいるらしく、吊光弾の光に照らされた海面は泡立っていた。

 風防の外は、相変わらずの轟音。

 だが、極度の集中から、佐藤の意識は無音であった。

 敵艦との距離を冷静に計算していく。

 やがて、彼我の距離は一〇〇〇メートルを切ろうとしていた。


「用意!」


 佐藤は操縦桿の魚雷投下ボタンに手をかける。


「てっ!」


 瞬間、銀河の爆弾倉に収められていた九一式航空魚雷改二が海面へと躍り出た。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 合衆国によるガダルカナル島の完全占領が確認されたのは、一九四四年三月七日のことであった。

 この間、日本軍守備隊の情報が何もなかったアメリカ軍上陸部隊は、上陸初日の夜に発生した日本軍航空隊の空襲による混乱で同士討ちが発生。ジャングル内部で敵味方の識別が困難であったことも重なり、三十名近い死者と一〇〇名以上の負傷者を出していた。


「一方で我が海軍は戦艦ニューメキシコが被雷二、軽巡ホノルルも魚雷一本を受け後退。さらには炎上した敵機が輸送船に体当たりを敢行し、輸送船一隻が大破炎上。“カートホイール作戦”は幸先の悪い出だしとなったようですな」


 苛立ちと皮肉が半々となった声で、アメリカ海軍作戦部長であるアーネスト・J・キング大将は言った。


「さらにジャップは航空機によって鉄底海峡に機雷を散布したとのことです。現在でも掃海作業は続けられておりますが、接雷によって駆逐艦二隻が大破、輸送船、LST各一隻が沈没しています」


 第二次攻撃隊となった第七五一空の一式陸攻は三式航空機雷を搭載して出撃しており、シーラーク水道にこの機雷をばら撒いていた。

 そのため、現在でも合衆国はシーラーク水道での掃海に追われていたのである。この影響により、飛行場の設営資材などを積載した後続の輸送船団がルンガ沖に到着出来ずにいた。


「やはり、ソロモン・ニューギニア方面に中途半端な戦力を投入しては、徒に損害を大きくするだけではないのか?」


 陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャル大将は、キングに対して不満げであった。


「現地のマッカーサー将軍からも、この地域を突破するには海軍兵力、特に機動部隊の増強が必要だとの進言が届いているが?」


 参謀総長の地位にあるマーシャルであったが、南西太平洋方面軍を率いるマッカーサー将軍は彼の先輩であり、何かと気を遣わなければならないという複雑な立場にあった。


「南太平洋に、機動部隊など必要ない」


 一方、キングは鼻で嗤うような調子で断言した。


「そもそも、我が海軍は中部太平洋での対日反攻作戦を計画していた。中部太平洋さえ確保してしまえば、ジャップのソロモン・ニューギニア方面への補給路を断つことが出来る。南太平洋での攻勢作戦に、戦術的にどれほどの意味があるというのだ?」


 彼らがいるのは、アメリカ合衆国の首都ワシントン.D.Cにあるホワイトハウス、その一階に設けられた戦況図室であった。この部屋はルーズベルト大統領が、イギリス首相チャーチルが設置した戦況図室を真似て造らせたものである。

 車椅子のルーズベルトが簡単に見られるよう、ヨーロッパと太平洋の地図は向かい合わせの壁に掛けられ、大統領が見やすいよう低い位置に調整されていた。数多の色のピンが地図には留められ、連合軍と枢軸軍の部隊配置が一目で判るようになっている。

 そして今、合衆国陸軍を示すピンが、ガダルカナルに刺さっていた。


「カートホイール作戦には、オーストラリアへのジャップの脅威の排除という明確な戦略目的がある。戦術次元の問題ではない」


 純軍事的に物事を考えがちなキングに対して、マーシャルは強い口調で反論した。


「ソロモン・ニューギニアの要衝を確保し、以てジャップの南太平洋での作戦行動を封じる。これによって後方地域としてのオーストラリアの安全を確保出来、以後の対日反攻作戦の重要な拠点とすることが可能だ」


「参謀長はいつから、部下であるはずのマッカーサー将軍の代弁者となったのだ?」


 キングは「部下」という単語をことさら強調した。二人の間で、火花が散る。


「今、オーストラリアを戦争から脱落させるわけにはいかんのだ」


 そのような二人をたしなめるように、車椅子に乗ったこの館の主、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が言った。


「オーストラリアが連合国陣営にある限り、ジャップは常に中部太平洋と南太平洋からの二正面に備えなければならない。キング提督、君が常々、問題視している中国戦線と同じように、ジャップの兵力を拘束するためにも、オーストラリアは必要な存在なのだ」


 それでこちらも戦力を二分しては本末転倒だろうに、とキングは思っているが、口には出さない。

 そもそも、オーストラリアも自国に関わる問題だというのに、カートホイール作戦には十分な地上兵力を提供していないことも、キングにとって不満であった。日本軍の侵攻という幻影に怯えるオーストラリア人たちは、本土の防衛を優先してソロモン・ニューギニア方面に兵力を回すことに躊躇しているのだ。

 長大な海岸線を持つ国家故の過剰な警戒心ともいえるが、兵器などの支援は望む一方、兵力の供出は拒むというオーストラリアの非協力的な態度にはキングだけでなく、合衆国の軍高官たちの不満の種ではあった。

 しかし、この場で大統領がその問題に触れていない以上、キングとしても口に出すわけにはいかなかった。この合衆国第三十二代大統領に対しては、彼も従うのだ。

 それに、キングが常に意識している中国戦線の話を持ち出されては、反論も出来ない。彼は日本の陸軍兵力を大陸に拘束しておくために中国戦線の維持が必要と考えている軍人であり、それと同じことをオーストラリアに当てはめられては言い返しにくいのだ。


「さて、確かに損害はあったものの、ガダルカナルの再占領は成功したわけだ。これは、我が合衆国にとって大きな前進である。大統領として、私は諸君らの献身に感謝したい」


 そう言って、ルーズベルトはガダルカナル島に刺されたピンを満足げに見遣った。

正直、今年の十一月に大統領選挙を控えている彼にとってみれば、陸海軍の対立よりも、国民の関心の高い対日戦で成果を挙げることの方が重要であったのだ。

 少なくとも、一度ジャップに奪われた島を奪還したというニュースは、国民に対して合衆国が卑劣なジャップに正義の鉄槌を下したと印象づけるものとなろう。

 特に、ソロモンで負け続ける合衆国軍という印象を払拭出来たことは大きい。

 これで、共和党員どもの自分への批難も封じ込めることが出来るに違いない。民主党の大統領であるルーズベルトはそう思った。

 実際、共和党員たちは議会において、これまでの戦闘での死傷者があまりに多いことを理由に大統領を批難していたのだ。そうした者たちに対して、民主党議員たちは「枢軸軍のプロパガンダの言いなりになっている」として批難し返している。

 現在、共和党は保守的な孤立主義者と四〇年の大統領選挙でルーズベルトに敗れたウェンデル・ウィルキーら国際派の間で分裂が続いており、この調子で対日反攻作戦が順調に推移すれば、共和党の分裂も相俟って、十一月の大統領選挙で勝利することが出来るだろうとルーズベルトは内心でほくそ笑んでいた。

 そして、反攻作戦はなにもガダルカナルだけで終わりではない。


「ガダルカナル周辺の制海権・制空権を確保したならば、ニューギニア戦線も動き出せるだろう」


 今まで目の上の瘤に等しかったガダルカナルを再占領し、そこに飛行場が整備されれば、東部ニューギニアからラバウルまでもをB17を始めとする陸軍重爆隊の航続圏内に収めることが出来る。

 ソロモン諸島、そしてニューギニアの二方面から北上をかけてこの地域の日本軍を撃滅するというのが、南太平洋方面での攻勢作戦“カートホイール作戦”の骨子であった。

 まずはその第一段階ともいえるガ島攻略は、同士討ちという事件に目を瞑れば、事実上、無血占領出来たようなものである。


「問題は、ガ島にジャップがいなかったということです」マーシャルは言う。「恐らく、ジャップにとってガ島の保持は負担だったのでしょう。となれば、ニュージョージア、ブーゲンビルからも撤退し、ラバウルに兵力を集中させている可能性があります」


「今は大型機による空襲を警戒すればいいですが、ラバウルに接近すれば単発機の空襲にも警戒が必要です。つまり、ラバウルに接近すればするほど、ジャップ航空隊による迎撃の密度は上がるであろう、ということです」


 対立を繰り返すマーシャルとキングであったが、日本軍によって要塞化されているであろうラバウルだけは不用意に攻略すべきではないという点に関しては、意見が一致していた。

 この時、連合軍がカートホイール作戦のために投入していた艦隊は以下の通りであった。


  第七艦隊  トーマス・C・キンケード中将

【戦艦】〈ペンシルバニア〉〈ネバタ〉〈ニューメキシコ〉〈アイダホ〉

【護衛空母】〈コパヒー〉〈オルタマハ〉〈サンティー〉〈セントロー〉〈ホワイト・プレーンズ〉〈ファンショー・ベイ〉〈キトカン・ベイ〉〈ガンビア・ベイ〉

【軽巡】〈ナッシュビル〉〈フェニックス〉〈ホノルル〉

【駆逐艦】二十八隻


  オーストラリア艦隊

【重巡】〈オーストラリア〉〈シュロップシャー〉

【軽巡】〈ホバート〉

【駆逐艦】四隻


 この他に南太平洋では船団護衛や航空機輸送のためになお十隻近い護衛空母が活動していたが、高速空母は一隻も配備されていなかった。


「ジャップの目は、当分はソロモン方面に向いているでしょう。その隙に、中部太平洋への侵攻作戦を発動すべきです」


 キングは、中部太平洋での対日侵攻作戦こそが合衆国の取るべき戦略であると確信していた。そのために、貴重な高速空母をソロモン戦線に投入するなどという考えは毛頭なかった。

 そもそも、南太平洋におけるジャップの海軍兵力は、巡洋艦を中心とした水雷戦隊であることが判明している。ジャップの主力艦隊のいない戦線に大規模な機動部隊を派遣するなど、非効率的であるとすら考えていた。

 南太平洋のジャップなど、本来であれば無視すべき存在なのだ。連中の補給線を断ってしまえば、航空要塞と化しているラバウルとて、何れ立ち枯れていくだろう。

 それが、キングの率直な考えであった。

 とはいえ、カートホイール作戦が発動されてしまった以上、それは最大限利用すべきだろう。

 とりあえず、南太平洋のことなどマッカーサーに任せておけばいい。それでジャップの目を南太平洋に引きつけられるならば儲けものである。

 自分はその隙に、海軍の長年の対日戦争計画に従って中部太平洋での攻勢作戦をとらせてもらう。

 一九四二年八月、ガダルカナル攻略作戦“ウォッチタワー作戦”が発動された当初はハワイ―オーストラリア間の海上交通路を重視していたキングであったが、およそ一年半に及ぶ南太平洋での消耗戦を経て、その考えは変わっていた。

 ジャップの海軍はガダルカナル攻略後、こちらの弱点を正確に突くように南太平洋での通商破壊作戦を繰り返していた。それによって、オーストラリアやニュージーランド向けの輸送船と船員、物資が大量に失われていたのである。

 昨年八月以降には南太平洋に配備された護衛空母の数が増え、対潜掃討戦が本格化したことで一時的に輸送船団の被害は少なくなったのであるが、その後、ジャップはあろうことか連中の主力艦隊であるはずのグランド・フリードの全力を投入して南太平洋での通商破壊作戦を敢行したのである。

 一九四三年十一月に実施されたジャップの空母機動部隊、水上艦部隊を投入した大規模な通商破壊作戦により、合衆国は四〇万トン以上の船舶と二隻の護衛空母、駆逐艦二隻、護衛駆逐艦三隻を失っていた。さらにジャップはオーストラリア沿岸にも艦砲射撃を実施し、ブリスベンの港湾施設が壊滅的被害を受けている。この他、ケアンズ、タウンズビルなども空襲を受けていた。

 特に合衆国海軍の潜水艦基地となっていたブリスベン壊滅の影響は大きく、ドイツ海軍のような潜水艦防御用の分厚いブンカーを持たなかったため、湾内で整備中の潜水艦七隻が破壊され、備蓄されていた魚雷、燃料も誘爆。以後、潜水艦の拠点とすることが不可能となっていた。そしてこの爆発と火災によって、市街地の八割近くが灰燼に帰したとのことであった。

 未だ枢軸軍がインド洋を抑えている状況ではオーストラリア西岸の潜水艦基地、フリーマントルも十分に機能していない(フリーマントルもまた、ジャップの戦艦による艦砲射撃を受けたため、港湾機能は復旧途上にある)。

 ことここに至り、対日反攻作戦の拠点としてのオーストラリアの重要性はキングの中で薄れたのである。

 しかし、連合国を巡る政治情勢が、ソロモン・ニューギニア戦線の放置を許さなかった。

 度重なる日本軍による本土攻撃に晒されたオーストラリア国民の間には、最大の支援国であったはずのアメリカへの不信感が増大。オーストラリアのジョン・カーティン首相も、対日単独講和を真剣に考えざるを得ない状況に陥っていたのである。

 当然、オーストラリアの脱落は連合国の劣勢を印象づけ、政治的に大きな打撃となる。

 そのため、アメリカとしてはオーストラリア国民に対する具体的な成果として、ソロモン・ニューギニア戦線での攻勢作戦を行わざるを得なかったのである。

 当然ながら、そうした政治的判断の結果、海軍の戦力がソロモン・ニューギニア戦線に投入されることに、キングは反対であった。ソロモン・ニューギニア戦線での攻勢など、マッカーサーの自己顕示欲を満たすだけの政治的パフォーマンスに過ぎないとすら思っている。

 中部太平洋に侵攻して、ジャップのソロモン・ニューギニアへと繋がる補給路を断てばそれで済む話ではないか。

 戦争を純軍事的な視点から考えがちなキングは、そう考えていた。

 東経一五九度で担当地域と指揮系統を陸海軍で分けていた(東側を海軍率いる南太平洋方面軍が担当し、西側をマッカーサー率いる南西太平洋方面軍が担当していた)にも関わらず、ガダルカナル上陸作戦の主体が陸軍部隊となったのは、ようやく再編された海兵隊をキングがソロモン戦線に投入することに肯んじなかったからである。

 一九四三年五月、キングはそれまで海軍長官の指揮下にあった海兵隊を、自分の指揮下に置くことをルーズベルト大統領とノックス海軍長官に同意させていたのだ。

 これにより事実上、キングは海軍の保有する海上兵力と陸上兵力の双方を掌握していることになる。

 この手元にある兵力を投入すべき場所は、中部太平洋しかない。キングの描く対日戦争計画は、彼にとって最早信念ともいえるものであった。


「中国戦線ではジャップの大攻勢によって蒋介石政権は崩壊の際にいます。ここで我が軍がジャップに対する大規模な反攻作戦を開始しなければ、蒋介石はジャップとの単独講和を画策し、中国戦線のジャップ一〇〇万人が太平洋の防衛に転用され、対日侵攻作戦はより困難となるでしょう。今だからこそ、中部太平洋での大規模な攻勢作戦を実施すべきなのです」


 キングはルーズベルトに向かって熱弁する。オーストラリア問題を持ち出されたことへの、ある種の意趣返しともいえる発言であった。

 マーシャルは何も言わなかった。中部太平洋での攻勢作戦は、四三年六月に行われた米英首脳会談、レイキャビク会談においてイギリス側に認めさせた内容であるからだ。

 中部太平洋への侵攻作戦は、連合国としての大戦略としてすでに組み込まれていた。今さら、彼が反論することは出来ない。

 また、キングの言及する中国戦線の状況も事実なのだ。恐らく、連合国・枢軸国合わせた参戦国の中で、最も戦争から脱落しかけているのは蒋介石率いる中国だろう。実際、蒋介石は南京の汪兆銘政権を通して、日本政府との接触を始めているとの未確認情報もアメリカには届いていた。

 蒋介石がジャップとの単独講和を結ぶ前に太平洋戦線で大攻勢に出るべきというキングの主張には、一定の説得力があった。

 それは、マーシャルとしても認めざるを得ない。

 しかし一方で、蒋介石が日本と講和を結ぼうと結ぶまいと、最早かの政権を合衆国が頼みとすることは出来そうもないこともまた事実であった。

 日本軍による重慶攻略作戦の結果、インドに逃れることになった在華米軍司令官スティルウェル将軍からの報告では、すでに蒋介石政権は崩壊の瀬戸際にあるという。

 遅かれ早かれ、中国大陸の日本陸軍が太平洋防衛に転用されることは確実だろう。

 先手を打って太平洋での反攻作戦を行うのは、理に適っていた。


「うむ、頃合いであろうな」


 そして、ルーズベルトはキングの言葉に頷き返した。彼の中でも、すでに太平洋全域での対日反攻作戦は決定事項であったのだ。


「七月には北フランスへの上陸作戦も計画されている。本年が枢軸国との雌雄を決する、世界史上稀に見る決戦の年となろう。諸君らのさらなる努力と献身に期待したい」

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