36 指導者たちの情景

 インド洋の海面は、べた凪と言ってよいほどに穏やかであった。

 太陽光が海面に反射し、鏡のような情景が水平線まで続いている。


「……」


 それを潜望鏡で観察しながら、ドイツ海軍潜水艦U一六〇の艦長は口元にニヤリとした笑みを浮かべた。


「おい、哀れな羊がまた一匹、のこのことやってきたぞ」


 そう言って、彼は一度潜望鏡を降ろさせた。長く潜望鏡を出していては、敵のレーダーラダールに捕捉される恐れがあった。


「聴音、敵の音は捕まえているな」


「ヤー、問題ありません」


「よろしい。魚雷戦用意! 一番から四番、発射準備急げ!」


 その号令と共に、髭は伸び、体も垢じみた男たちが、狭い船内で活発に動き出す。

 彼らU一六〇潜は、ドイツ海軍がインド洋に派遣した潜水艦戦隊の一つ、海豹戦隊と名付けられた部隊の一隻であった。一九四二年十二月からインド洋に展開し、日本海軍と共にペナンを拠点に連合軍船舶に対する通商破壊作戦を継続していた(独伊軍のジブチ占領後は、そちらにも潜水艦の拠点が置かれている)。

 中でもU一六〇は二ヶ月ほど前、一夜にして輸送船四隻撃沈、二隻撃破の戦果を挙げるなど、戦隊のエース潜水艦といえる存在である。被害を受けたイギリス側では、チャーチル首相が第一海軍卿(海軍本部長)のパウンド元帥と東洋艦隊司令長官サマヴィル中将を叱責する事態にまで発展しているほどの戦果であった。


「主よ、このような獲物を我々に与えて下さったことに感謝いたします」


 艦長はそっと胸の上で十字を切った。

 潜望鏡で一瞬だけ確認できた艦影。少数の護衛艦艇の間から見えた妙に平べったい艦影は、連合軍の空母に違いない。

 聴音の測定結果では、敵はそれほど速力を出していないことが判明している。恐らく、日本軍との戦闘で損傷した空母が後退してきたのだろう。

 現在、インド洋に派遣されたドイツ海軍の潜水艦部隊は、日本海軍との戦闘に敗れて後退してくるであろう連合軍艦艇を襲撃すべく、セイロン島西方のモルディブ諸島からラッカディブ諸島にかけての海域に展開していた。

 その網に、今、一隻の連合軍空母が引っかかったのである。

 潜望鏡で確認した敵艦の針路と聴音を頼りに、U一六〇は海中でゆっくりと襲撃位置に向けて移動していく。

 敵空母の速力は、輸送船並みに低いようだ。

 聴音を続けているが、敵の駆逐艦がこちらに気付いた形跡はない。

 これだけの好条件が重なっていて敵を逃したとあれば、Uボート乗りの名折れである。

 聴音を頼りに十分ほど、U一六〇は海中を蓄電池の力で航行していた。


「潜望鏡上げ!」


 艦長は再び潜望鏡を上げる命令を下した。最終的な魚雷発射の諸元調整は、潜望鏡によって行わなければならない。

 艦長は潜望鏡に顔を押し付け、再び敵艦を確認する。

 海面に突き出されたガラスは、海上をゆっくりと航行する四隻の艦影を捉えた。敵の護衛は、巡洋艦一、駆逐艦二のようであった。空母は、エンクローズドバウの大型艦。間違いなく、イギリス海軍のイラストリアス級である。

 距離は一五〇〇メートル。的速は九ノット。

 艦長から伝えられる数値が、方位盤を通して魚雷に入力されていく。

 やがて、「魚雷発射用意よし」の報告が上がる。

 潜望鏡の十字の中に、徐々に的艦が近付いてくる。十字と的艦が重なる瞬間を、艦長は慎重に待った。


「……」


 発射命令を出したい衝動、そして敵に探知されるのではないかという恐怖を、胸の中で押し殺す。

 そしてついに、潜望鏡の中で十字と敵空母が重なり合う。


「フォイア!」


 その号令と共に、U一六〇の艦首から四本の魚雷がかすかな振動と共に放たれる。


「潜望鏡降ろせ! 急速潜行!」


「ヤヴォール!」


 U一六〇の船体は、太陽の光も届かぬインド洋の深淵へと降りてゆく。

 聴音員が三発の魚雷命中音を捉えたのは、その数分後のことであったという。






 日本海軍第二十一航空戦隊の陸攻隊によって損傷した英空母ヴィクトリアスは、コーチンを目指す途上、ラッカディブ海において枢軸軍潜水艦の襲撃を受けて撃沈されたと、護衛の駆逐艦パラディンの戦闘詳報は記している。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 イギリス領セイロン首府コロンボに日章旗が翻ったのは、一九四三年四月二十六日のことであった。

 イギリス軍の築いた防御陣地のほとんどは上陸前の艦砲射撃によって無力化されており、陸軍第四十八師団、近衛第三、第四連隊の上陸に際してはほとんど損害らしい損害を生じなかった。

 また、日本軍によって島が封鎖され、東洋艦隊の壊滅を知らされたコロンボ市長が無防備都市宣言を行ったことも、日本軍によるコロンボ占領が迅速に行われた理由の一つであった。

 同様にトリンコマリーも無防備都市宣言を行おうとしたものの、ここで湾内に巡洋戦艦レナウンが入港していたことが問題となった。レナウンは湾内で偽装していたものの、日本海軍の潜水艦と航空偵察によってその存在自体は知られていたため、日本側が直ちに無防備都市宣言を受理することは出来なかったのである。

 とはいえ、日本側としても占領後にセイロン島を拠点として利用したい以上、港湾設備や市街地を艦砲射撃や市街戦によって過度に破壊することは躊躇われた。

 結果、四月二十五日午前、セイロン島東部への上陸作戦を支援していた第二艦隊は、一時的に艦隊の指揮権を預かっていた角田覚治少将が空母隼鷹、龍鳳の艦載機によるレナウン爆撃を決意。八〇〇キロ爆弾、二五〇キロ爆弾を搭載した九七艦攻が反復爆撃を加え、同艦を無力化しようとした。

 同日正午ごろ、八〇〇キロ爆弾二、二五〇キロ爆弾四が命中したレナウンは湾内で着底した。しかし電気系統は生き残っており、主砲射撃によって重巡摩耶に至近弾を与える戦果を上げている。

 第二艦隊も不用意な接近によって艦艇が失われるのを恐れており、角田少将は空爆を反復してレナウンの無力化に努めることとなった。

 さらに午後には輸送船団と共に戦艦武蔵がトリンコマリー沖に到着。同日夕刻までに、レナウンの全主砲は沈黙した。

 しかしながらレナウンの存在によってセイロン島東部への上陸開始は一日遅れ、上陸した日本軍がトリンコマリー市の無防備都市宣言を受入れて市街全域を掌握したのは二十七日のことであった。

 この間、セイロン島を守備するイギリス軍二個旅団三〇〇〇名は遅滞防衛戦を行いつつ島北部へと撤退を開始。かき集めた漁船などを利用し、ポーク海峡を通じてインドへの撤退を決行しようとした。

 ポーク海峡は水深が浅く、大型艦艇の侵入が不可能なため、第二、第三艦隊の各戦艦とも、彼らを艦砲射撃によって撃滅することは不可能であった。そのため小沢治三郎中将は稼働可能な機体すべてを投入して、ポーク海峡を渡ろうとする船舶への徹底的な空襲を敢行した。零戦も、低空に降りて小型船舶に機銃掃射を加えている。

 イギリス軍セイロン島守備隊の撤退はダンケルク撤退戦のようには行かず、ポーク海峡は一時、兵士たちの死体と血によって染められたという。守備隊の中で、無事にインドへと渡ることが出来たのは五〇〇名程度であったという。

 また、撤退の過程で多数の重装備が日本軍によって鹵獲され、特にマチルダ歩兵戦車はその後、中国戦線などで活用された。

 日本軍がセイロン島全島の占領を終えたのは五月二日のことであったが、新聞では四月二十九日の天長節にセイロン島占領が成し遂げられたと喧伝されている。

 多少の錯誤はあったものの、日本軍はセイロン島占領という作戦目標を達成することが出来たのである。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 日本軍によるセイロン島の占領と、それに伴う連合軍のインド洋での制海権喪失は、各交戦国の戦争指導者に多大な衝撃を与えた。

 中でも一番の衝撃を受けたのは、イギリス首相ウィンストン・チャーチルであろう。

 彼は東洋艦隊の壊滅とセイロン島へ日本軍が上陸したとの報告を受けると、不愉快そうにこう言ったという。


「ふん、これでは午後のティータイムが、コーヒータイムに変わってしまうな」


 それっきりチャーチルは自室に引きこもってしまったと、後に秘書官は証言する。

 「プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが撃沈された一九四一年十二月十日の衝撃を、シンガポールが陥落した時の衝撃を、そしてトブルクが奪われた時の衝撃を、この日、私はついぞ思い出すことが叶わなかった」。チャーチルは、後に回顧録にそう書き記すことになる。彼にとってイギリス東洋艦隊の壊滅とインド洋の制海権喪失は、すべての記憶を一時、忘却の彼方に吹き飛ばしてしまうほどの衝撃だったのであろう。


  ◇◇◇


 一方で、イギリスの同盟国であるアメリカもまた、インド洋の喪失に多大な衝撃を受けていた。

 日本軍によるセイロン島占領が確実となった四月三十日、ルーズベルトはホワイトハウスに統合作戦本部の四人を緊急招集した。


「恐らく、数日中にセイロン島はジャップの手に落ちるだろう。今後の情勢について、諸君らの意見を聞きたい」


 会議の席上、ルーズベルトはそう言って四人の将軍に発言を求めた。


「私としては、以後、主力艦隊を太平洋方面以外に投入することには断乎反対します」


 海軍のキング作戦部長は、威圧的な口調でルーズベルトに言った。とはいえ、この人物の性格を理解しているルーズベルトとしては、特に不快に思うようなことはない。それだけ、キングにとって再建された機動部隊の壊滅が衝撃的であったということだろう。


「しかし、イギリスは同盟国だ」陸軍のマーシャル参謀総長が、反駁する。「支援をしないわけにもいくまい」


「自国の領土もまともに守れない連中のために、貴重な艦艇と乗員を犠牲にするなど、愚の骨頂というべきものだ。我が海軍の主敵はあくまでもジャップであり、ヨーロッパ戦線は二次的なものに過ぎない」


「我が国がいったい、イギリスにどれほどの兵器供与を行っていると思っている? 枢軸軍が勝利すれば、それだけの投資がすべて無駄になるのだぞ」


「今は無駄になっていないとでも、参謀総長はおっしゃるつもりですかな?」


 挑発的な目で、キングはマーシャルを睨み付ける。基本的に、太平洋戦線を重視するキングと、ヨーロッパ戦線を重視するマーシャルは対立関係にある。


「英ソ中への支援は、今後とも行わねばなるまい」ルーズベルトが、キングを宥めた。「それにより、枢軸軍に対して多正面作戦を強いることが出来、結果として我が合衆国が優位に立つことに繋がるのだ」


「しかし現状、特に中国への支援は途絶状態にあります」リーヒ議長が言う。「インド洋での制海権喪失によって、中国への支援ルートはすべてが閉ざされました」


「ソ連経由のルートがあったのでは?」


 マーシャルが問う。


「独ソ戦開始以来、そのルートは途絶している。ソ連はすべての物資を対独戦に注ぎ込んでいる以上、彼らに中国を支援するだけの余裕はない。太平洋経由での援ソルートを使って、対中支援を行うことも出来まい。それは明確な中立義務違反となり、ジャップに太平洋ルートを封鎖させる口実を与えかねん」


 現在、北極海ルートでは輸送船が次々と撃沈され、ペルシャ湾ルートも枢軸軍によって封鎖されている以上、唯一、安全にソ連に支援物資を送ることの出来る経路が太平洋ルートなのである。これを封鎖させる口実を、日本側に与えることは出来なかった。そうなれば、確実にソ連は劣勢に立たされるだろう。

 今でさえドイツ軍に対して敗北を重ねているのだ。下手をすれば、スターリンは独ソ不可侵条約の如く、突然、ヒトラーとの講和に乗り出すかもしれない(もっとも二人の独裁者の性格を考えれば成立する可能性は低いだろう。しかし、絶対ではない)。


「我が合衆国がドイツに対してとれる作戦は、当面が空爆ということになりましょう」


 アーノルド陸軍航空隊司令官が言う。彼はマーシャルの部下でもあるため、基本的には上司と同じくヨーロッパ戦線を重視していた。


「現在、グレート・ブリテン島に基地を置く第八航空軍はドイツ工業地帯への空爆作戦“ポイントブランク作戦”を発動中です。ただ、二月、三月と損耗が続いておりまして、四月十七日に行われましたブレーメンへの空襲では、出撃したB17一一五機の内、半数が撃墜されるか損傷するかの損害を負っています。第八航空軍のエイカー司令官からは、この損耗率が続けば部隊は一ヶ月あまりで戦力を喪失してしまうだろうとの報告を受けております。ドイツの工業力に打撃を与えるには、さらに多くの機体をヨーロッパ戦線に送る必要があるかと思います」


「オーストラリアからも、本土防衛用にB17の増援を求められているが?」


 リーヒ議長が指摘する。


「オーストラリアも、今となっては我が合衆国にとって足枷でしかない」


 キングが忌々しげに口を挟む。


「本土防衛のためと称して我が合衆国に武器弾薬などの供与を要請しておきながら、戦局には何ら寄与していない。むしろ、オーストラリアの支援のため我が海軍が消耗を重ねているのが現状だ」


 合衆国海軍は先年から続いたガダルカナル攻防戦において、艦艇に多大な損害を受けていた。二月に行われたガ島撤収作戦でも大きな損害を受け、その結果、オーストラリア向け輸送船団に十分な護衛を付けることすら、難しくなっていたのである。

 このため、二月下旬以降、日本海軍の通商破壊作戦による損害は加速度的に増えていた。これらの損害によってさらに乗員と艦艇の損害か嵩み、それがさらに護衛艦艇の不足を招くという悪循環に陥っている。

 日本海軍の航空隊や潜水艦部隊も相応の消耗を重ねているのだろうが、今のところ、連中は損害に見合うだけの戦果を合衆国に対して与えているといっていいだろう。


「戦局に関与していないというが、オーストラリアには合衆国海軍の潜水艦基地があろう? ジャップに対する通商破壊作戦という形で、オーストラリアは我が国に貢献しているはずだ」


 キングの不遜な発言に不快感を隠さない表情のまま、マーシャルが言う。


「ジャップによる南太平洋での通商破壊作戦の結果、燃料と魚雷不足でまともな作戦行動が取れていない」


 日本海軍による南太平洋での通商破壊作戦は、合衆国海軍の潜水艦の活動にも深刻な悪影響を及ぼしていた。

 オーストラリアのフリーマントルやブリスベンを基地とする潜水艦部隊は、本来であれば日本と東南アジアを結ぶ航路を扼することが出来るはずであった。ところが、補給の不足によって満足に出撃することも叶わなくなっていたのである。

 さらに、キングは海軍の面子のために敢えて言及していないのだが、合衆国の魚雷には不発が多いという致命的な欠陥があり、これの改良がなされない限り、例え出撃出来たとしても大きな戦果は望めない。

 この改良は兵器局によって行われているのであるが、ガ島攻防戦の最中、補給不足に陥った海兵隊に物資を届けるため、魚雷改造の運貨筒の開発に兵器局が忙殺されたことで、改良作業に致命的な遅れが生じていた。兵器局によれば、魚雷の問題が解決されるのには、あと一年ほどは必要だという。


「そのオーストラリアだが、インド洋での制海権喪失によりイギリスとの海上交通路が遮断された結果、イギリス本国で食糧が不足する可能性が指摘されている」


 マーシャル参謀総長が発言すると、キングは苛立ったように瞼を痙攣させた。お互い、どうにかして話を自らの重視する戦線へと繋げようとしているのである。

 とはいえ、マーシャルの指摘は事実であった。イギリスはオーストラリア、ニュージーランドから食糧を輸入して、国民生活を成り立たせているのである。

 これを断たれた以上、合衆国は武器弾薬などの他に、大量の食糧をもイギリスへ輸送しなければならず、その分の輸送船が大西洋に拘束されることになる。必然、キングの重視する太平洋戦線へ回される船舶、そしてそれを護衛する艦艇の数は少なくなるだろう。

 現状でもベンガル湾の封鎖によってイギリスでは石炭が不足し、それを合衆国が補っている状況なのである。この上、食糧の問題まで降りかかれば、合衆国はイギリスの支援に注力せざるを得なくなる。

 しかし、それだけでは合衆国が戦争の主導権を握ることは出来ない。イギリスなどの同盟国と、そして敵である枢軸国に振り回されているだけである。

 ホワイトハウスの会議室に集まった五人にとって共通の認識は、合衆国がこの大戦の主導権を握るためには枢軸国への反攻作戦が不可欠ということである。

 そしてそれは、太平洋戦線を重視するか、ヨーロッパ戦線を重視するかという二者択一でもあった。

 もちろん、合衆国の強大な工業力と無数の人的資源を以てすれば、将来的には二正面作戦も可能だろう。だが、枢軸軍が優位な現状で国力に恃んだ安易な二正面作戦をとれば、逆に損害を受けかねない。

 それは、ガダルカナル反攻作戦の失敗とインド洋での敗北が証明している。

 ある意味で、未だ合衆国はその強大な国力のすべてを発揮出来る状態に達していなかったのである。それが可能となるのは、恐らく来年以降だろう(実際、アメリカにおける戦時生産の最盛期は一九四三年末から一九四四年にかけてであった。四四年だけで、航空機約九万五〇〇〇機、リバティ船などの貨物船約一四〇〇隻約一一〇〇万トン、軍用自動車約七十四万台などを生産している)。

 その枢軸国を凌駕する国力を以てまず主導権を握るべき戦場はどこか。

 合衆国の最高指導者たる男の肚は、すでに決まっていた。


「国民の世論は、対日戦に関心が向いている」


 ルーズベルトは言った。

 その声がどこか白々しく聞こえたのは、マーシャルであったかアーノルドであったか。大統領の関心は、国民の世論に向かっている。二人の陸軍軍人は、明確にそう受け止めていた。


「我々は枢軸国のような独裁国家ではないのだ。政府と軍は、国民の期待に応える義務があろう」


 一方のキングは、口元を勝ち誇ったように歪ませていた。

 ルーズベルトとしても来年十一月の大統領選挙に向けて、国民の関心が高い対日戦で戦果を挙げる必要があった。

 二人の意見は、一致しているといっていい。


「とはいえ、同盟国の窮状は無視出来まい。太平洋は島だが、ヨーロッパは大陸だ。大陸への反攻には、陸軍の力が不可欠だ。いずれ、大陸への上陸作戦は行わねばなるまい。だが、それにはイギリスやソ連との調整が必要だ。一方で、太平洋で戦っているのは実質的に我が合衆国だけといってよい。現状、我が国が自由に作戦を立案出来る方面が太平洋戦線である以上、キング提督にはそちらに注力してもらうべきだと、私は考える」


「大統領閣下がそうお考えなのであれば」


 マーシャルとしては釈然としないものを感じつつも、従うより他になかった。

 とはいえ、いずれ連合軍はヨーロッパ大陸への反攻作戦を行わざるを得ないだろう。空襲だけでドイツが屈服するとは思えないし、そもそも現状、ドイツ全土に加えて占領地であるチェコスロバキアの工業地帯、ルーマニアの油田地帯を空爆することは出来ない。

 大統領がその事実を痛感したとき、我々陸軍にも出番が回ってくるだろう。

 そう思いながら、マーシャルは自分を納得させた。


  ◇◇◇


 日本軍のセイロン島攻略を最も苦々しく思っていた参戦国の指導者は誰かといえば、それはドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーであったかもしれない。

 ヒトラーにとって、イギリスのインド支配が崩壊し、インド亜大陸が日本とソ連に分割されることは悪夢に等しかった。

 彼はイギリスによるインド支配に肯定的であり(むしろ、好意的といってもよかった)、例えドイツがインドを支配したところでインド人はドイツ人に従わないであろうとまで側近たちに語っているほどである。

 逆に、イギリスのインドからの撤退によって日本とソ連の勢力がインドに入ってくることを、人種差別主義者であるヒトラーは恐れていた。

 ―――だが、やがてアメリカ軍が太平洋で攻勢に出れば日本もインド支配どころではなくなるだろう。そして、ソ連は我がドイツが打倒する。

 ヒトラーはそう思うことで、自らを納得させようとした。

 この頃、ヒトラーは次なる東部戦線での攻勢作戦“城塞ツィタデル作戦”に夢中になっていた。

 一九四二年の夏季攻勢作戦である“ブラウ作戦”で達成出来なかったカフカス地方、特にバクー油田の占領を目指す作戦である。

 ブラウ作戦ではインド洋での通商破壊作戦によるソ連軍の物資不足にも助けられ、グロズヌイにまで進出することが出来たものの、その最中にスターリングラード攻防戦が発生し、それ以上の南下が不可能となってしまっていたのだ。

 ドン川からヴォルガ川に至る長大な側面を暴露していたドイツ軍にとって、スターリングラード奪還を目指すソ連の冬季攻勢は脅威そのものであった。そのため、バクーへの進撃を一時中止してまでも、スターリングラードの防衛に専念せざるを得なかったのである。

 ここにヒトラーによるスターリングラード死守命令も加わり、両軍の間でヴォルガ川沿いの工業都市を巡る凄惨な攻防戦が発生した。

 だが、“天王星ウラヌス作戦”と名付けられたソ連軍の冬季攻勢は、反攻のための物資の集積に時間を浪費したため、当初の作戦発動予定日の十一月十九日から一ヶ月近く遅れた十二月十五日に発動。その間にドイツ側も占領地域の防備を進めており、最終的にソ連軍の冬季反攻作戦は失敗に終わってしまった。

 ただし、ドイツ軍の損耗も激しく、再編のために青作戦は中止せざるを得なくなっていた。

 それを、ヒトラーは再び実施しようとしたのである。

 国内で消費する石油の四分の三をバクー油田に頼っているソ連にとり、この地を占領されることは戦争遂行能力に致命的な打撃を負うことになる。

 ヒトラーとしては、カチンの森虐殺事件(一九四三年二月下旬に発覚したソ連によるポーランド人将校などに対する虐殺事件。四月十三日、ベルリン放送によって全世界に事件が知らされた)の宣伝によって英米に対ソ不信感を抱かせてソ連に政治的打撃を与えると共に、この“城塞作戦”によって軍事的・経済的な打撃を与えることによってソ連を打倒しようと考えていたのである(ただし、英米はカチンの森事件がソ連の仕業であると気付いていたものの、ドイツ打倒を優先してソ連の責任を追及してはいない。また、ソ連は逆に虐殺はドイツの仕業であると強弁していた)。

 ヒトラーがツィタデル作戦の発動に強く拘っていた理由の一つには、このカチンの森虐殺事件があったのだ。

 だが、ベルリンからバクーまでは、直線距離で換算しても約三〇〇〇キロ。

 補給の問題に加え、油田の占領に成功したとしても、施設はソ連軍によって破壊されている可能性もあった(実際、ドイツの占領したカフカス地方の小規模な油田は、その大部分がソ連軍によって破壊されていた)。

 ラステンブルクの総統大本営“狼の巣ヴォルフスシャンツェ”では、各地から将軍たちが集められ、作戦に関する議論が重ねられていた。

 主な出席者は、参謀総長クルト・ツァイツラー大将、戦車総監ハインツ・グデーリアン上級大将、中央軍集団司令官ギュンター・フォン・クルーゲ元帥、南方軍集団司令官エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥、第四装甲軍司令官ヘルマン・ホト上級大将、第五装甲軍司令官ハンス=ユルゲン・フォン・アルニム上級大将、第四航空艦隊を代表してデスロッホ将軍。

 この他に、軍需相アルベルト・シュペーアなどが出席することがある。

 作戦の中核兵力となるのは、後に「第二次世界大戦最高の名将」とまで謳われるマンシュタイン率いる南方軍集団である。この軍団には第四装甲軍の他、北アフリカ戦線に一応の決着が付いたことで引き抜かれた第五装甲軍が加わっている。現状では、ドイツ陸軍最強の機甲部隊といえた。

 一方、中央軍集団のクルーゲ元帥は、バクーへと進撃する南方軍集団の側面を援護する役目を負っている。

 ツィタデル作戦そのものに、各将軍はそれぞれの思いを抱いていた。賛成する者、反対する者、作戦の発動時期によって意見を変える者。

 だが、すでにツィタデル作戦そのものは作戦命令第六号として発令されている。となれば、あとはいつ作戦を発動するのか、であった。






 五月二日、すでに何度目かの指揮官会議が会議室にて開催されていた。


「総統閣下、作戦発動は遅くとも今月中であるべきです。先延ばしにすれば、ソ連軍に陣地を強化する時間を与えます」


 主力部隊を率いることになるマンシュタインが、怜悧さを感じさせる淀みない口調で言った。

 日本海軍によるセイロン島攻略作戦の影響で、援ソルートの一つであるペルシャ湾はほとんど断絶状態にあると言ってよい。つまり、カフカスのソ連軍にとって最も容易なペルシャ湾からの補給が不可能となったということである。唯一健在な援ソルートである太平洋ルートの物資が前線に届くまでには時間がかかる。

 日本海軍によるセイロン島攻略作戦が成功し、枢軸軍によるインド洋の支配が確立した今こそ、作戦を発動すべきであるというのが、マンシュタインの意見であった。


「いいえ、逆です」そう反論したのはグデーリアンであった。「あと一、二ヶ月待てば、我が軍の戦車戦力は大幅に強化されます」


 この頃、軍需省による戦車増産計画は順調に進んでおり、ドイツは毎月千両以上の戦車を生産することに成功していた。また、数ヶ月後には待望のⅤ号戦車パンターの生産が軌道に乗る。戦車総監たるグデーリアンにとってみれば、作戦の発動は機甲部隊の戦力がさらに強化されてからにすべきという考えなのである。


「作戦発動の時期も問題ですが、バクー油田をどう確保すべきかも問題では?」


 クルーゲ元帥が、ツィタデル作戦の最も根本的な問題を指摘する。


「最悪、ソ連軍によって破壊されたとしても、それはそれで構わないのではないか?」


 マンシュタインがクルーゲに顔を向けた。


「連中は油田を破壊することで、自らの首を絞めることになるのだ。ソ連にバクー油田を使わせないという戦略目標からすれば、油田施設の状態は二の次では?」


 マンシュタインとしては、バクー油田の恒久的な占領は不可能だろうと考えている。補給線が伸びきっていることに加えて、二年近くにわたる独ソ戦でドイツ軍の消耗も激しい。特に占領地の維持に必要な歩兵戦力は、現状でも不足気味であった。これで、北アフリカ戦線やスターリングラード攻防戦で敗北していたら、事態はさらに深刻であったろう。

 その意味で、マンシュタインはバクー油田を徹底的に破壊してしまった方が、長期的にはドイツにとって有利であろうと判断しているのだ。


「その点については、余に良い考えがある」


 不意に、ヒトラーは得意げに口を挟んだ。陸軍の伍長止まりでしかない彼にとってみれば、生粋のプロイセン軍人として教育を受けてきたマンシュタインは、常に軍事的才能についての劣等感を刺激する存在だったのだ。そんな彼に対して作戦構想で優位に立てることに、ヒトラーは内心で愉悦を覚えていた。


「ツィタデル作戦発動直後に、空挺降下作戦によって油田を奇襲的に占領するのだ」


 その発言に、マンシュタインは怪訝そうに眉を寄せた。

 クレタ島攻略作戦において降下猟兵が大損害を受けて以来、この男は大規模な空挺降下作戦に否定的になっていたのではなかったのか?


「しかし、クレタ島での戦訓もあります。危険ではないでしょうか?」


 マンシュタインと同じことを思ったのか、クルーゲもそう指摘する。

 だが、ヒトラーは何かを小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、確信に満ちた口調で答えた。


「日本人どもは空挺降下作戦でパレンバンの油田施設を確保したというではないか。ならば何故、我がドイツ民族にそれが出来んというのかね?」


「……部隊と、それを輸送する航空機についてはどうされるのでしょうか?」


 第四航空艦隊のデスロッホ将軍が疑義を挟む。


「航空機については、余に心当たりがある。この写真を見たまえ」


 そう言って、ヒトラーは封筒の中から何枚かの写真を取り出し、将軍たちに回した。


「これは……」


 誰かが驚嘆の声を上げた。モノクロの写真に写っていた機体はそれだけの印象を彼らに与えたのだ。


「日本人どもが作った大型飛行艇、二式飛行艇と言うらしい」ヒトラーが説明する。「最高速度四三三キロ、航続距離約七二〇〇キロ、爆弾搭載量は二トン。日本人はこれの輸送機型も試作しており、一度に六〇名の人員を送ることが出来るという。余は我が帝国の優れた技術を連中に供与する見返りとして、日本人どもにこの機体二〇機の譲渡を要求した。作戦には、この機体を使用する」


 ヒトラーは劣等人種たる日本人の機体を利用することについてはいささかの躊躇があったものの、今回は将軍たちよりも優れた作戦構想を提示するという矜持の方を優先していた。

 そのため、この独裁者の口調には朗々たるものがあった。


「そして、空挺作戦に投入する部隊は余の方で選抜した。少佐、入りたまえ」


 合図と共に従兵が会議室の扉を開けると、見上げるような大男が入ってきた。

 彼は背筋をピンと伸ばし、右手をスッと掲げる。そして、堂々たる声が会議室に響き渡った。


「ハイル・ヒトラー! オットー・スコルツェニーSS少佐、総統閣下の命により、ただ今参上いたしました!」

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