第二章 南溟の晩鐘
9 ガダルカナルの落日
漆黒の海面を割って、一頭の巨鯨が浮上を始めた。
海水に濡れる鋼鉄の体に、南洋の月明かりが一瞬、反射する。
アメリカ海軍潜水艦SS218、アルバコアはガダルカナル島ルンガの海岸へと、浮上したままゆっくりと接近していった。
「物資の揚陸準備急げ!」
艦橋に立ったリチャード・C・レイク艦長から指示が飛ぶ。ハッチから飛び出してきた乗員たちが艦後部に備え付けられた多数のドラム缶を海中に投入する準備を進める。
一方で、万が一の会敵に備えて艦前部の三インチ主砲に砲員が取り付いた。
「艦長、陸上から発光信号です!」
鬱蒼と茂るジャングルの中から、かすかな光が点滅する。
「よし、時刻通りだな」艦橋に立つレイク少佐が頷く。「物資の引き渡しは素早く済ませろ」
「アイ・サー」
潜水艦は、浮上している時が最も危ない。
しかもアルバコアは今、合衆国の制海権が確立されていないガダルカナル-フロリダ島間のシーラーク水道、通称「鉄底海峡(アイアン・ボトム・サウンド)」にいるのである。
この海域に沈む数多の鉄屑の仲間入りをするのは、何としても避けたい。
乗員の誰もがそう思っているから、作業は忙しない調子で進んでいく。
陸上では、痩せ細った海兵隊の兵士の用意した舟艇がドラム缶に詰め込まれた補給物資を受け取るべく、岸辺からアルバコアに向かっている。
夜の暗闇の中で、そうした悲惨な姿の自国の将兵の姿がおぼろげにしか見えないことは、アルバコアの乗員たちにとっては幸せなことだったのかもしれない。
すでにガダルカナル島の海兵隊は、二ヶ月近くまともな補給にありつけていないのだ。誰もが幽鬼のような姿になって、ようやく届いた補給物資をギラついた目で見つめている。
「ドラム缶、海中に投入します!」
固定索を解除し終わったドラム缶が、次々に海中に投入されていく。ドラム缶同士はロープで繋がっており、陸上の海兵隊が回収しやすいようになっている。
「作業の終わった者は直ちに艦内に戻れ!」
作業が終了したら、即座に沖合に出て潜行する。そうしたレイク艦長の焦慮が滲んだ声であった。
彼は、知らず知らずの内に小さく十字架を切っていた。ドラム缶のすべてを海中に投入する作業が、酷く遅く感じられる。それが錯覚だと判っていても、部下を叱責したい誘惑に駆られる。
いったい、何故自分たちはこんな任務をしているのだろうか。
思わず、南太平洋方面軍や太平洋艦隊司令部を呪いたくなってしまう。
アルバコアはこれまで、マーシャル諸島やトラック諸島、ニューギニア沖での哨戒に当たって、日本艦艇に対する攻撃任務に従事していた。未確認戦果ではあるが、五〇〇〇トン級輸送船二隻を撃沈している(実際に軽巡天龍を撃沈していた)。
それなのに、今年、一九四三年一月になって、ガダルカナルへの輸送任務を命じられたのだ。潜水艦に輸送任務を課すなど、レイクのような潜水艦艦長にとってみれば命令者の正気を疑いたくなるものであった。しかし、合衆国海軍は大真面目に駆逐艦や潜水艦といった、本来は輸送用途を想定していない艦艇での輸送作戦を実施していたのである。
つまり、それだけガダルカナルの海兵隊が置かれた状況は危機的であるということであった。
合衆国軍人の一員であるレイク少佐としても、友軍の危機を見捨てることは出来ないという意見には賛成である。しかし、それは駆逐艦や潜水艦を使って行うものではない。
実際、基地としているオーストラリアのブリスベンでは、同様な任務を与えられた潜水艦艦長の間で上級司令部に対する不満が高まっていた。
レイク少佐としても、まったく同感である。
じりじりとした焦燥感に神経を焼かれながら、彼はドラム缶の投下作業が終わるのを待っている。
「レーダーに反応あり! 方位一六〇度! 数は二!」
「何だと!?」
刹那にもたらされた報告に、レイク艦長は目を剥いた。
「島影を誤認しているのではないのか!?」
「いえ、逆です!」レーダー員の声は、悲鳴に近かった。「今まで島影に隠れていたようです!」
「ジーザス! 何て狡猾なサルだ!」
「目標、速力を上げて急速接近中!」
「ええい! 物資揚陸作業中止! 作業員は直ちに艦内に戻れ!」レイク少佐は矢継ぎ早に命じる。「速やかにこの海域を離脱する! 艦首を沖に向けろ! 砲員は砲戦準備! ただし、沖合に出次第、ただちに潜行する!」
「アイ・サー!」
復唱する乗員の声も、緊迫感に震えていた。
今、アルバコアはガダルカナルの陸地に接近しており、十分な潜行深度が取れない。無理に潜行しようとしても、浅瀬に乗り上げるだけである。
艦尾からスクリューが回転し始めたことを示す気泡が湧き、舵を切りながら徐々に艦が陸地を離れていく。
無造作に投下されたドラム缶によってロープで括られた他のドラム缶が引っ張られ、さらに艦が生み出した波でドラム缶の群れはあらぬ方向に流されていく。それを絶望的な表情で見る陸上の海兵隊員を尻目に、アルバコアは必死に沖合を目指していく。
レイク艦長は双眼鏡を構えて、レーダー員が発見したという方角を見る。だが、ガダルカナル島の北西に伸びる海岸線と影が被り、上手く視認出来ない。
だが、次の瞬間、夜目にも鮮やかな閃光が彼方で煌めいた。
「敵艦、発砲!」
レイク少佐と同じく艦橋に残っている見張り員が絶叫した。
「おお、神よ……」
レイク艦長は口の中で祈りを唱える。アルバコアの潜行が早いか、敵弾の直撃が早いか。
最早それは、神の領域である。
レイク少佐はただ祈って、恐るべき時間が過ぎるのを待つしかなかった。
「よぅし、砲術長! アメ公のモグラにデカいのお見舞いしてやれ!」
駆逐艦・夕立の艦橋に、吉川潔中佐の闘志むき出しの声が響く。
「了解! どんどん撃ちます!」
椛島千蔵砲術長が、威勢良く応じた。第三次ソロモン海戦で吉川が使った「どんどん撃て」という言葉を、いつの間にか自分のものにしている。
夕立の前部と後部にそれぞれ備え付けられた十二・七センチ連装主砲が火を噴く。
「後続の春雨も、撃ち方始めました!」
いっそ快感すら覚える軽い振動と共に、夕立は速力を上げながら敵潜水艦に接近していく。
「だんちゃーく!」
観測員の声と共に、敵艦の周囲に二本の水柱が立ち上る。
「ちょい遠い! 苗頭下げ二! 潜行する前に仕留めるぞ!」
椛島砲術長が、ただちに諸元修正を行う。そして、再びの砲声。
「だんちゃーく!」
交互撃ち方を続けながら、夕立は敵艦を追い詰めていく。
「敵艦発砲!」
「狼狽えるな。当たりはせん」
見張り員の報告に、吉川は冷静だった。いかに米海軍が潜水艦にまでレーダーを搭載しているとはいえ、初弾で当たることはまずない。まともな射撃管制装置を持っていない人力操縦の潜水艦の砲ならば、なおさらである。
「だんちゃーく!」
「命中一を確認!」
観測員の弾着を告げる声と、見張り員の興奮した声が重なり合う。
暗闇の彼方で、確かな爆炎が立ち上る。
「諸元そのまま! 次より斉射! 沈むまで撃ち続けろ!」
「宜候!」
砲術長の声に、砲員たちが呼応する。
夕立の搭載する二基の十二・七センチ連装主砲が、一斉に火を噴いた。音速を超える砲弾が、アルバコア目がけて飛翔する。
「だんちゃーく!」
「命中二を確認! 敵潜水艦、爆発しました!」
夕立の右舷前方で、真っ赤な火球が海面から立ち上る。時間差で、おどろおどろしい爆発音が夕立乗員たちの耳に届いた。
「敵潜水艦の撃沈を確認!」
見張り員の報告に、艦橋に詰める者たちが歓声を上げた。
「落ち着け」だが、吉川は相変わらず冷静だった。「俺たちの任務は敵の輸送の妨害だ。見張り員、海面にドラム缶は浮かんでおらんか?」
「はい。確認いたします。……あります! ルンガ沖にドラム缶多数浮遊! 小型の舟艇も見えます!」
「やはりな」
見張り員の報告に、吉川中佐は頷いた。
アメリカ軍による夜間の輸送、それも駆逐艦や潜水艦を使った輸送は活発化している。それだけ、彼らもガ島の兵力を維持するのに必死だということだろう。
ガ島からは、栄養失調で餓死したと思しき米軍兵士の死体も見つかっているという。
とはいえ、吉川は同情を覚えなかった。
「機銃員、目標、海上のドラム缶! 撃ち方始め!」
彼は容赦なく命令を下す。
第三次ソロモン海戦での損傷修理や機関の整備のため、夕立は一度、内地に帰還していた。彼女が再びソロモンの海に戻ってきたのは、一九四三年一月十三日のことであった。
そして、その際に夕立は小規模な改装を受けていた。
後部に備えられていた二番砲塔、単装砲であったそれを撤去し、その場所に機銃甲板を設置。二十五ミリ三連装機銃を二基搭載し、さらに艦橋の前部、第一砲塔との間にも連装機銃を一基、搭載していた。
元々、夕立を初めとする白露型駆逐艦には旧式の四〇ミリ単装機銃が二基しか搭載されていなかった。それを下ろし、二十五ミリ機銃に換装したのである。
対空火器の増強を目指しての改装なのだろうが、吉川としては気休め程度にしかならないと思っている。
とはいえ、こうした状況下では多数の機銃は十分に役に立つ。
艦の前部と後部から、主砲射撃に比べて軽快な発砲音と共に、曳光弾混じりの機銃弾が海面に浮かぶドラム缶目がけて飛んでいく。
「悪いな米軍。こちらも、戦争をしているんでな」
だから、吉川は容赦をしない。
二十五ミリの機銃弾がドラム缶に穴を開け、回収のための舟艇とそれに乗る米海兵隊員たちを吹き飛ばしていく。人体に二十五ミリの機銃弾は過剰であり、一瞬で彼らの体が真っ二つに裂け、海面下に沈んでいった。
「ドラム缶の掃射、完了せり!」
やがて、見張り員から報告が上がる。
「よろしい。撃ち方止め!」
「宜候! 撃ち方止め!」
残されたのは、硝煙混じりの潮風のみ。
「ガ島の見張所から追加の発見報告はないか?」
「はい。いいえ、ありません」
「そうか」吉川は頷いた。「よし、哨戒に戻るぞ。航海長、再びガ島海岸が背になるように針路を変更しろ」
「宜候。ガ島海岸を背景に進みます」
電探を持たない夕立であったが、この海域で何度も米海軍との戦闘を繰り広げている彼ら日本海軍の駆逐艦乗りは、米軍の使用する電探の弱点を経験則から察知していた。それは、島影を背にしていると発見される確率が極端に低下するということであった。
今回、夕立と春雨はそれを応用していた。
日本軍は飛行場に近接する海岸一帯にも陣地を敷いており、そこにガ島北岸一帯を見渡せる見張所を設けていた。そこから、ガ島北岸に物資を輸送しようとする米海軍艦艇を監視していたのである。
彼らが連合軍艦艇を発見すれば、それは直ちに哨戒任務に当たっている駆逐艦に通報されることになっていた。
今回、アルバコアはまさしくそうした哨戒網に引っかかってしまったのである。
やがて、夕立と春雨はドラム缶やアルバコアの残骸が浮かぶ海域を去っていった。
そうして、ルンガ沖の海面は再びの静寂に満たされたのである。
◇◇◇
「アルバコアからの通信は、『我、敵艦艇と交戦中』というものを最後に途絶えました。海底で敵の攻撃をやり過ごすために電波を発していない可能性もありますが、状況からして喪失は確実かと思われます」
ニューカレドニア島ヌーメアのアメリカ軍南太平洋方面軍司令部の雰囲気は暗かった。まるで、建国の父ジョージ・ワシントンが亡くなった時のようである。
「これで、何隻目だ?」
憤りを押し殺した方面軍司令官ウィリアム・F・ハルゼー中将の声が部屋に響く。ここで部下が対応を間違えれば、この猛将の火山が噴火するだろう。
部屋は緊張に包まれたが、彼との付き合いの長い参謀長のブローニング大佐は臆することなく真実を口にした。
「ガ島への輸送任務に就いて喪失した潜水艦は、アルバコアを含めて七隻になります」
「七隻、七隻か……」ハルゼーは歯ぎしりをしながら呟いた。「こんな下らん任務で七隻とその乗員を失ったっていうのか?」
「やはり、輸送手段の全面的な見直しが必要でしょう」
「だが、俺たちには真っ当な手段でガダルカナルへ輸送する手段がない。くそっ、本国の政治屋どもは一体全体、何を考えていやがる」
実際問題、ガダルカナルの海兵隊の状況は極めて危機的であった。
昨年十一月に発生したガダルカナル沖海戦(日本側呼称「第三次ソロモン海戦」)は、元々、ガダルカナルへの輸送作戦の完遂を目指した合衆国海軍の行動によって生起したものである。しかし、結果は合衆国海軍史上最悪の敗北に終わり、輸送作戦は失敗した。
しかし、彼らはそれでガ島への輸送を諦めたわけではなかった。
実際、昨年十一月末、合衆国は再度のガダルカナル島への輸送作戦を敢行していた。
すでに、ガダルカナル島の飛行場を破壊して早期に敵航空機の航続圏外に脱出出来るノースカロライナ級以降の新鋭戦艦を喪失した状況であったため、飛行場の破壊には再編のなったエスピリットゥサントのB17を用いた。これによってガ島飛行場を破壊し、その隙に輸送船団を突入させるという作戦である。
実際、B17は日本側戦闘機隊の迎撃を受けつつも飛行場への爆撃に成功、一時的に日本軍ガ島飛行場を使用不能にしている。
しかし問題は、B17に飛行場を破壊する能力はあるが、制海権を獲得する能力がないことであった。
このため、船団の護衛には重巡ソルトレイクシティ、ニューオーリンズ、ミネアポリスという比較的強力な護衛部隊を付けていた。
だが、この時のアメリカ軍の作戦はあまりに露骨過ぎた。
B17による大規模な飛行場爆撃は、明らかに日本側に合衆国軍の大規模作戦行動を予期させるものであった。
そして、輸送船団はガダルカナル島ルンガ沖で、日本海軍の第二水雷戦隊の待ち伏せを受けてしまったのである。
十一月三十日、タサファロング沖海戦(日本側呼称「ルンガ沖海戦」)が発生し、合衆国側は駆逐艦早潮を撃沈したものの、多数の魚雷によってソルトレイクシティ沈没、ニューオーリンズ、ミネアポリス大破という大損害を負ってしまった。
輸送作戦自体は日本軍が海戦に気を取られている隙に敢行されたが、それも後に日本海軍水雷戦隊の艦砲射撃を受けて揚陸した物資の六割を失ってしまった。
作戦としてはほぼ失敗である。
そして、ガダルカナル沖海戦、タサファロング沖海戦という相次ぐ海戦の敗北によって、合衆国海軍は深刻な後遺症を負うことになってしまった。
艦隊の中核となるべき大型艦艇の極端な不足に悩まされるようになったのである。
すでに南太平洋上で稼働可能な大型艦艇は、ニューメキシコ級を始めとする旧式戦艦と、重巡はルイヴィルとインディアナポリスしかいない。軽巡では最新鋭のクリーブランド、コロンビア、モントピリアが先日、南太平洋に到着したが、それでも戦力不足は否めない。
タサファロング沖海戦で損傷した二隻の重巡は長期のドック入りが必要であり、十二月には重巡チェスターが日本軍潜水艦の雷撃を受けて損傷していた。
これらの兵力で、南太平洋方面軍はソロモンを含む南太平洋の海上交通路を保護しなければならないのである。
「ブローニング、戦力増強の件はどうなっている?」
「ニミッツ長官経由で本国に要求しているのですが、統合作戦本部はヨーロッパ戦線を優先する方針を変えていません」
「本国の連中は、ガダルカナルの将兵を何だと思っていやがる」
憤懣やるかたなく、ハルゼーは毒づいた。
つまり、本国は現状の兵力でガダルカナルを維持すべきと考えているのだ。それがどれほど不可能なことなのか、彼らには判っていないのだ。
とはいえ、現在の窮状を招いた一人であるハルゼーは、己自身にも憤りを感じていた。
ガダルカナル沖海戦敗北の後、南太平洋戦線再構築と自身の進退伺いのために真珠湾の太平洋艦隊司令部を訪れたハルゼーだったが、彼の予想に反して首は繋がっていた。
これには、本国の統合作戦本部で南太平洋方面での対日反攻作戦を主張していた(正確にはオーストラリア、ニュージーランドの確保を重視し、ハワイ-オーストラリア間の連絡線の確保を主張)海軍作戦部長アーネスト・J・キングの政治的思惑が深く関わっている。
キングは南太平洋での敗北の原因を合衆国の戦争指導に求めるのではなく、日米の戦力比に求めた。つまり、南太平洋に派遣される兵力が少ないから日本軍に対して苦戦を強いられていると主張したのである。
この主張には当然ながらキング自身の保身も含まれているが、同時に南太平洋方面の戦力増強を求めるための口実でもあった。ハルゼーの作戦指導を責めて罷免すれば、それはすぐにキング自身にも降りかかってくる。だからこそ、ガダルカナル沖海戦後も、南太平洋方面軍首脳部の陣容は変わっていない。
とはいえ、キングが目論み、ハルゼーが求める南太平洋への戦力増強は実現していない。
大西洋にはまだアラバマ、マサチューセッツという最新鋭戦艦があるのだが、彼女たちの太平洋への回航は未だ行われていないのだ。
一時期、イギリス軍空母を南太平洋に派遣するという話も持ち上がっていたようだが、欧州戦線の緊迫化に伴い立ち消えとなっている。
「統合作戦本部では、トーチ作戦の再興を計画しているとのことです」
トーチ作戦とは、連合軍による北アフリカ戦線での反攻作戦のことである。本来であれば一九四二年十一月には実施されるはずであったが、ガダルカナル攻防戦が激化の一途を辿っていたため、合衆国は作戦参加艦艇を太平洋に引き抜いてしまった。
その結果、トーチ作戦は一時中止に追い込まれてしまったのである。
「エセックスの慣熟訓練が終了し、インディペンデンス級空母の何隻かが戦力化出来る四月を目途に、イギリスなどと協議を重ねているということです」
「つまり、空母をこちらに回すつもりはないということだな」
舌打ちでもしそうな調子で、ハルゼーが言った。
現在、太平洋上で稼働可能な空母は、商船改造の護衛空母ナッソーとオルタマハ、シェナンゴの三隻のみである。当然、日本の空母部隊、基地航空隊のどちらにも対抗できるような艦ではない。船団護衛と対潜警戒が精一杯の小型空母である。
本国では大型正規空母エセックスが昨年十二月に竣工したが、統合作戦本部はトーチ作戦に投入するつもりなのだろう。
また、その影響で空母機動部隊を構成する護衛艦艇も太平洋には回されないことになる。六インチ砲十二門を装備する強力な最新鋭軽巡クリーブランド級が、未だ三隻しか太平洋に配備されていないのはそのためだ。すでに本国では四番艦デンバー、五番艦サンタフェが竣工しているのだが、それが太平洋に回航されるという話は聞かない。
「まともな空母がいなけりゃ、ジャップの戦艦と航空機が自由に動けるってことが奴らには判っていない」
苦々しく、ハルゼーは呟く。
現在、南太平洋には日本のコンゴウ・クラス一隻がいることが判明している。そして、合衆国海軍はこのたった一隻の高速戦艦の対応に手を焼いていた。
今月十二日、ハワイからエスピリットゥサントへ航空部品や燃料、食料などを満載した輸送船団が向かっていたのだが、この船団がコンゴウ・クラスを含む艦隊に捕捉され、壊滅的打撃を受けたのである。
船団が壊滅した大きな原因は、空母不足による索敵力の不足と、護衛艦艇の不足であった。
それが、日本海軍水上艦艇による通商破壊作戦を許してしまったのである。
そして、彼らによる通商破壊作戦はガダルカナルの航空部隊を中心になおも継続している。
窮余の一策として、合衆国海軍は各船団に旧式戦艦一隻を付けてコンゴウ・クラスの襲撃を警戒しているが、艦隊型空母が揃っていればコンゴウ・クラスが泊地としているショートランドを爆撃出来るのである。
そのためにも、南太平洋には空母が必要であった。
「ガダルカナルの兵力が維持出来ないのであれば、撤退も視野に入れるべきだろう」
ハルゼーはぶすりとした声で明言した。
「はい。ガダルカナルの現状は、すでに撤退を考えるべき段階に来ていると思います」ブローニング参謀長が同意する。「統合作戦本部内でも撤退が議論されていると聞きます。しかし現状、統合作戦本部からの命令は変わらず、ガ島の維持です。撤退が正式に決定されたわけではありません」
「奪還じゃなくて維持って段階で、すでに末期症状だろうに」
ガダルカナル島を奪還するのではなく、今ガダルカナルにいる兵力を維持する。
そのような本国の方針に、ハルゼーは納得していない。
しかし、そうした方針を取る理由は判っている。
要するに、本国はオーストラリアとの関係を問題視しているのだ。オーストラリア政府は、日本軍の南下に強い危機感を抱いている。とはいえ、今はアメリカが軍事行動という判りやすい形で支援しているからこそ、オーストラリア政府の危機感も緩和されているのである。
もし合衆国がガダルカナル島から撤退すれば、オーストラリア政府はそれをアメリカが日本軍に敗北したと見なすだろう。そうなれば、オーストラリア政府は日本政府との単独講和ないし停戦に合意するかもしれない。連合国陣営の一角が崩壊する危険性があるのである。
オーストラリアの港を潜水艦の基地として使用し、対日通商破壊作戦を行っている合衆国海軍としても、オーストラリアが連合国から脱落すれば、今後の対日作戦の大幅な変更を余儀なくされるだろう。
ニューギニアに展開する日本軍の南下を抑えられているのも、オーストラリア軍の協力があればこそである。
しかし、そのためにガダルカナルの海兵隊三万人を飢餓状態に陥らせるべきではない。ハルゼーは真剣にそう思う。
オーストラリアの脱落が怖いのであれば、大西洋方面の兵力を一気に太平洋に投入し、ガ島を奪還すべきなのだ。それが一番単純明快な、問題解決法である。
本国のやっていることは中途半端だと、ハルゼーは思う。
「やはり、旧式戦艦部隊によるガ島突入を、再度、検討すべきかもしれんぞ」
それは、ガダルカナル沖海戦敗北後、ハルゼーが衝動的に口走った作戦であった。
日本の航空部隊による空襲の危険性が大きいということでブローニングが反対したが、ガ島の状況は十一月よりも悪化している。ブローニングも、今度ばかりは旧式戦艦を失う危険性を冒してでも、大規模な物資輸送を成功させるべきではないかと考えている。
「……判りました。検討することにしましょう」
「うむ」
ハルゼーも作戦の危険性を理解しているのか、頷く動作はひどく重かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます