王都リューンハウ

居孫 鳥

第1話

 塔が燃えている。


 月のない夜、何処からかあがった炎が全てを舐め尽くしてゆく。

 塔に集う聡慧なる学徒を、威名轟く導師を、その稀なる才能を受け継ぐ高弟たちを。

 すべて、すべて飲み込み、灰燼と帰すだろう。


 のちに赤き夜と呼ばれる変事の炎は、その起こりも行く末もわからぬまま、王都の闇空を照らし続けた。



◇◇◇



 王城に続く目抜き通りから、やや寂れた様子の路地に入ると、馬車がすれ違うだけの道幅がないのは明らかだった。

 絶え間ない往来ですり減った石畳の轍には、前夜しとしとと振り続けた雨水が泥や馬糞の混じった流れを作っている。

 馬の蹄の音と車輪の軋みを聞きつけ、道行く人々のうち歩ける者は自衛のために脇に寄り、足だの手だのが欠けた物乞いは這って壁に寄り添った。そうして、また貴族のお大尽が無理を押して庶民の領域に割り込んできたのかと、非難混じりの目を向ける。

 しかしそこにいたのはきらきらしく紋章を掲げ着飾った御者の駆るような豪奢な乗り物でなく、地味に仕立てられた一頭立ての馬車だった。

 ならば尚更、一体どうしてこのような細道に入り込んだのか、さては滅多に訪れぬ都に出てきたばかりで勝手のわからぬ田舎領主か、あるいは戦働きで小金を手に入れてさて細君孝行でもと思い立った辺境騎士の類か。

 真相のところは彼らにはとうてい預かり知らぬこと、また御者の方も、そのように通りで浮いていることなど気にも止めず、馬車はしずしずと進んでいった。


 肌寒い秋の午後、空は憂鬱な鈍色をしていた。晴れた朝や魔法の角灯がそこかしこに灯る夜ならば、町人の自慢する華やかな王都の街並みが目を楽しませてくれるだろう。しかし今はそこに住まう者にすら、石造りの建物が並ぶ通りはただ薄汚れて退屈に感じられた。

 こつこつと車内から窓を叩く音を聞いた御者が馬車を停める。

「ここまででいいわ、爺や」

 御者と乗客を隔てる窓がわずかに開き、そこから聞こえたのは涼しげな女性の声だ。

「なんと、こんなところで?お嬢さま、とても見過ごせません、このような卑しい通りを歩かれるなど……」

 御者の男の纏う頭巾つきの外套は質素で目立たぬものだが、その実、仕立て自体は丁寧だ。また彼自身も老いたりとも髪も歯も爪もきちんと手入れしてある。召使いにこれだけの身だしなみを整えさせられるのは、やはりそれなりの財を持つ者であるはずだ。

「ただの道よ。ベーンハルス、私の実力を知っているでしょう?物盗りなどに遅れをとる私ではないわ。それに、この角を曲がれば大通りに戻れるけれど、これ以上奥に進めば馬車で引き返せるのかどうか……」

「でしたら、やはりこのまま爺がお屋敷まで連れ帰りましょうぞ。わたくしめは初めから反対申し上げました。全てお館様が良きようにはからってくださるのだからと」

「そのお父さまの身動きが取れないのよ。ならば私が成すべきことだわ。もう私しかいないのだから……いいからおまえは屋敷にお帰り。心配しなくても、目的の場所は目と鼻の先。月のない夜だって迷うような距離じゃない」

 最後の方は切り口上で早口に告げ、女性は小窓をぴしゃりと閉めることで押し問答を打ち切った。

 それからすぐさま、引き止める声を振り切るように馬車の扉が開き、中から軽やかに飛び降りたのは華奢な人影だ。

「さあ、お行き!」

 御者は名残惜しそうに振り返りながらも、小路から出る方へと馬首を向けた。

 馬車から降りた女性はそれをわずかの間見送り、踵を返す。

 向かう先は『唄う黒羊亭』、王都随一の、冒険者の集う酒場だ。口減らしで家を出された農家の五男坊も、夫を失い子を養う糧を必要とする未亡人も、冒険者を志すならこの酒場の扉を叩けと言われている。

 歩き続けてまもなく、黒く塗られた頑丈な鉄扉を構えている以外は、商店だの娼館だのが立ち並ぶ周囲の街並みと変わるところのない、とある建物にたどり着いた。

 女性は目深に被った頭巾の下から羊の頭骨と詩が描かれた看板を見上げた。やがてひとつ大きく息を吸い込み、扉に手をかける。


 ここは王都リューンハウ。

 名君と音に聞こえた若き王の治める絢爛の都。

 光も闇も、全てがこの都にはある。それに惹かれて善なるものも邪なるものも、自ずと集まるのだ。

 一度足を踏み入れれば、望むと望まざるとに関わらず、誰もがその大きなうねりに飲み込まれることになる……

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