季節はめぐる、それでも月は夜空を照らす。

葵卯一

第1話

 あれはいつの日だったか、もう憶えていない。

 階段も、その横に立つ黒く磨かれた手摺りも大きく見えた頃だ。

 オレ・・・いや僕が、父親の連れられてここにやって来て、最初に屋敷を見た時には驚いた。

 緑の屋根・赤い煉瓦の壁・緑の蔦で覆われた館、今も客を迎える大きな白い扉。

 その場所だけ時間を切り取った様な、止った世界で彼女と出会ったんだ。

 薄暗い館の階段の上、窓の光りを浴びてキラキラと光る銀色の人形。

彼女は今と同じ青い瞳と真っ白な手をして立っていた。


「って私が人形?無いわー少しキズ付くわー」

「そう見えたんだよ、実際に」ああ子供の頃の純情を返して欲しい。

あの頃はこんなヤツだとは思って無かったんだよ。

 オレは目の前の彼女に目を向ける、あの頃と変わらないのは姿だけ。時間と共に多少育っただけで性格は悪くなる一方だ。

「酷く侮辱されている気がするけど?・・まぁそれも許してやるわ、いつもの事だから」 薄く赤い唇にカップが触れた、砂糖多めの彼女の紅茶は甘い筈だがなんであんな甘くするのかオレには解らない、きっと子供舌なんだろう。

 細い両手両足は触れると冷たく、耳を澄ませば小さく音を立てているのが解るだろう。[機肢]そう呼ばれる技術は、失った手足の代わりに人の体に組み込まれ、今では一般でも使われる技術。だが目の前の彼女はソレを全身に施されていた、実際どこまでが生身なのかと考える時も有った事はあったが、正直つまらない疑問だ。

 誰だって体を失うには理由がある、それを追求するなんてアホらしい。

「それじゃあ立たせてくれるかしら?」

 おれはしばらく考え込んでいたのだろう、量を減らしたカップの液体が底の模様を浮き上がらせたイリスの瞳がオレを写す。全く・・

「立つくらい自分でやれ、全くいつまでも子供かよ」

 子供の頃ならこの少女の体を気遣い世話を焼いたのだが、今は面倒の横着だと知っている。いや我が儘か?

「紳士はレディの世話を焼くものよ、それとも私の手を取る以上の用があるのかしら」 オレが手を取る事を疑わない彼女は絶対に手を引かない。

「へーへー」全くだ、大体この間も猫を追い回していたのを知っている、機肢が普通の手足と全く変わらないってのは知っているんだ。

 手を取ると軽い重みで立ち上がり、オレの渡した日傘を受け取った。今日は午後から歴史の授業と語学だったか?

「召使いじゃないんだけどなぁ」仕方無いじゃないか。

 そこに使われた食器があれば片付け無いと気になるだろう。カチャカチャとカップを集め、クッキーを片付け台所へ。

『坊ちゃん、片付けならお呼び下さい・・・イエ、ありがとうございました』

 気になったからやっただけ、それにオレは坊ちゃんでもないんだけどまぁいいや。

「それじゃ後は頼んだよクマさん」そう言うと熊の形をしたお手伝いさんに手を振った。 この家にはオレとオヤジとイリスとアリス、後はお手伝いロボのクマさんと色々やってくれる犬顔の執事ハチさんがいる。動物型のコンシェルジュは珍しく無いが、どちらかと言えば人間との接触・コミュニケーションが欲しい。

 オヤジの事はよく解らん。毎日地下の研究室に籠って、偶に出てくれば倒れたように寝ている。多分機械の事だと思うが、そもそも専門で無いオレには理解が出来ない。

 はぁ・・滅入る、オヤジのやつもそうだが何を考えているんだろうか。

「シンイチ、溜息は幸せを逃がしますわよ?それとも妹の我が儘でお疲れですか?」

「いや、男っ気が無くてね。たまには野球とかサッカーとか、思いっ切り体を動かしたい歳頃なんだよ」後柔道とか格闘技でもいいからさ。

 オレの目線の下、十六のオレから比べても小さい金色の髪、緑と深い碧のオッドアイの目、冷たい表情のアリスはオレの服の袖を掴み見上げている。

「・・・男の人と言うのは男が好きなのですか?」

 そんな不思議そうな目で見上げないで欲しい、ただ話をする相手が自分と同じ歳の女性しか居ないのが男には辛い場合だってあるんだよ。

「世間一般的に見ても女の子の方が好きに決っている、でも子供の時は兄弟や仲間と走り回る必要だってあるんだよ。男はね」

 ここで『オレは女の子が好き』などと言えないのも解って欲しい。男にはそのくらい腹を割って、アホみたいに下らない下世話な話で盛上がりたい時だって有るんだ。

「私はシンイチが好きですわよ、だからシンイチが世間一般の男性であって欲しいです」・・・ハハハ、喜ぶべきか悩む。

 多分オヤジの上司か、それとも支援者かも知れない彼女達の両親が聞いたら、オヤジ共々追い出される。変人のオヤジは研究の支援を止められ、オレは路頭に迷うだろう。ハハハ「オレも2人の事が好きですよ、兄姉みたいなもんですから」

 手間の掛かる妹だろうか。

 オレがこの屋敷に来て八年か、もう家族みたいな物、嫌いならとっくに家出している。「そう・・それじゃあ、そろそろ授業の時間だから」表情を変えずに手が離れるがオレを見上げる目は離れ無い、ハイハイ解りましたよ、扉を開くのはオレの仕事らしい。

 モニタールームにはすでにイリスが横たわり、モニターに映像が流れている。心拍・脳波・血圧・体温・呼吸、これらに異常が見付かれば授業課程は停止され、システムが切られるようになっている。

 「よく寝ているわね、悪戯しちゃ駄目よ」二回り小さいアリスが言うと自分もその横に横たわり、額と耳と目をマニピュレーターに繋ぐ。

 彼女達の手足の機肢はそのままバイタルをカプセルに送り、数値を示す。

 数値が落ち着くと脳に直接映像と音声と情報が入力される。

 数時間で通常の何倍も圧縮された情報を与えられた脳は疲労し、糖分を欲するらしい。(起きたらクラクラするからな、嫌いなんだけど)

 数時間で大体10時間分、普通に本や言葉で学ぶ4~5倍の情報量。

 それでも、現在のAIを使い熟すには必要な過程だ。脳の容量を把握し特定分野に対して適応した情報獲得技術らしいから、昔より効率化が進んだとは言え疲れる。

 二時間で4倍の八時間以上の思考加速を終えると、大体1時間は脳が情報処理に追われボーッとなる。吐き気とか微熱が出ると丸々二十四時間の休憩が必要となるが、

今は子供の頃からしている授業で熱を出す事は無い。

「・・・ボンヤリする、ファァァ~~~眠いなぁもう」

 体は寝かされ、脳だけは働かされた状態。動きたい体と、止ろうとする頭に挟まれ、ストレスが溜まる。

 隣では猫のように丸まって寝ているアリスとイリス、昔のオレなら普通に潜り込んで普通に寝ていた所だ。

(・・気持ち良さそうに寝て・・ふぁぁ、シーツをはだけさせて寝て、子供だなぁもう)

 意識がある内に少しでも体を動かす為に立ち上がる。

 まだフラフラするけど床に寝たって別に問題は無いくらいに床は掃除されている、筈。

 二人にシーツを被せて部屋を出れば通路の明かりは暗い、授業を終えた頭に強い視覚情報を与えない為と解っているけど、静かで暗い通路は子供の頃は恐かった。

 「電子の妖精が隠れて見ているのよ」とか言われて、夜トイレに行けなかった事は悪い思い出。

 今はそんな事は無いが、脳と意識がまだサーバーの中に居て、現実と仮想空間の違いが解らなくなった人間の話は少し前ならよくあった。

 [現実死]と呼ばれた人達の意識は、今もどこかのサーバーにあるのだろうか。

意識が戻らなかった者の内で肉体の維持にコストを払えなかった人間は、強制的にログアウトされ肉体の死を待たれる。

 一分間の心停止・自立呼吸の有無・脳波の停止、どれかを満たした時、移植用のドナーとなるか、そのまま処理される。

 つまり、いつまでも電子の妖精が見えるようだと気付かない内に死んでいる可能性があるんだ、恐いに決っている。

「もしシンイチが起きないなら、私が起こしてあげるから感謝しなさい!

そして一生感謝と敬意をもって尽すのよ」笑っていたイリスのドヤ顔は忘れない。

 脳の情報処理がシンイチより高い数値を持つ彼女達なら出来るだろうけど、そんな事で借りを作りたくは無い。

 フラフラしているうちに遊戯室に付いた、アナログのレコードからCD、何千万曲以上入ったジュークボックスに、ビリヤードやダーツ、麻雀卓にオセロと将棋と軍棋。 レトロゲームから映画や落語、大体の物が揃っている。

 長椅子の前に辿り付き、「ワーグ、適当な音楽を」

 注文が曖昧なのに、こちらのバイタルに合わせて曲を選択してくれるのはありがたい。

(ただ・・ちょっと渋いんだよなぁ)何故適当な音楽で『人生楽ありゃ苦もあるさ』なんだ?この前はマライヤだったし、マイケルは良い選択だったけど。

手足を伸ばし血を全身にまわし、ストレッチしながら頭を起こす。

 腕立てを始めると何故か可愛いアニソンが、AIは一体何を感じ取っているのだ?

 スクワット、腹筋を30回、適当な疲れと呼吸の乱れでようやく長椅子に腰掛けた。

(あと一セットしてから・・汗を流して・・)意識が落ちた。


 グググググググ・・・顔の辺りにくすぐったい何かが動き、視線と鼻息が顔に当たる。 顔に近いなにかはゴソゴソと動き、動きを止めると平べったい感触のなにかがピクッと跳ねて動く。

(毛玉・・)薄目を開くと茶色い縞模様の毛玉と、三角にフアフア伸びた毛の有る生物、ソイツは薄く目を閉じて目の近くで顔を置いた。

・・・・撫で撫で、丸い背中と丸い頭を撫でる。

 毛玉は体を倒して背中を向けて伸びた、伸びた体を撫で尻尾の先まで確認。

(サクラがなんでここにいるんだ・・ああ少し寝てたのか)

 手の平が桃色の猫サクラは、サクラの木に登りニャーニャー鳴いていた居たのを見つけたからだが、もう四年も一緒なのにまだ子供のようにくっ着いてくる。

 耳に顔が近いせいで鼻息に耳がピクピクと反応している、こそばいのか?

(くすぐったいのに顔の近くで寝るのはなんだ?)猫の考えはよく解らない。

 伸びた猫を数回撫でた後、起こさないように体を起こしサクラを動かす。

背中をソファーの背に当てて置かないとまた起きて来るからね。

 食いしん坊サクラは夕飯の時間になれば起きて来るだろう、

その前に汗を流して着替えて、本でも読む時間はあるだろうか?

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