第5話 VSミノタウロス

 俺たちの前に現れたAランク魔物、ミノタウロス。

 赤く濁った二つの目は、今度こそは逃がさないと言わんばかりに俺とフレアを捉えていた。


「ヴォォォオオオオオ!」

「くっ」

「きゃあっ!」


 ミノタウロスが雄叫びを上げると、空間に暴風が吹き荒れる。

 同時に周囲を取り囲む壁から虹色の粒子が現れ、ミノタウロスの体に吸収されていく。

 俺はミノタウロスの威圧感が恐ろしい勢いで上昇していくのを肌で感じていた。


「あれは、まさか――」


 魔留石から魔力を吸収しているのか?

 だとするなら、既に三階層で遭遇したミノタウロスとは強さの次元が違うと考えるべきだ。

 あの時のようにヒット&アウェイに徹しても、逃げ切れる自信はない。


 考えたら当たり前の話だ。

 もともとミノタウロスは五階層のボス。

 ここはアイツにとってのホーム。

 存分に力を振るうだけの環境が整えられている。


「アイク、どうするの!?」


 フレアが俺に判断を仰ぐ。

 悩んでいられる時間はない。

 それに、ここから逃げ切れるような余裕も。


 ――戦うしかない。

 全ての力を出し尽くしてでも、ここでミノタウロスを倒す。

 例えその結果、地上に戻れなくなったとしても――



「――待て」



 その時、一つの可能性を思いつく。

 眼前のミノタウロスに視線を留めたまま、俺はフレアに問う。


「フレア、俺が意識を失ってから目覚めるまでにどれくらいの時間が経ったか分かるか?」

「え? 四時間くらいだったと思うよ!」

「っ、そうか!」


 その後の散策の時間を含めても、三階層でミノタウロスに遭遇した瞬間から半日も経っていない。

 ならばまだ僅かに可能性が残る。


 勇者ノードが引っかかった転移魔法の罠。

 あれは発動から半日程度効果が持続する類のものだったはずだ。

 それを使用することができれば、五階層と四階層を探索せずとも三階層にまで戻ることができる。


 そう推測するのには根拠がある。

 あの罠が発動した瞬間にミノタウロスは現れた。

 となると、転移先は五階層のボス部屋のはずだ。

 今ミノタウロスがこうして五階層にいるのも、

 三階層で俺たちを逃がしたあと再び転移魔法で戻ってきたからだろう。



 ――――つまり、

 ミノタウロスが現れたあの通路の先には、

 三階層に繋がる転移魔法陣があるはずだ。



 絶対の確信があるわけではない。

 けれど、今はその可能性に縋るしかないのも確かだった。


 覚悟を決めて、俺はフレアに告げる。


「フレア、方針を伝える――今ここでミノタウロスを倒すぞ」

「っ――了解だよ、アイク!」


 どの道、通路の前で立ちはだかるミノタウロスを倒せなければ先には進めない。

 当然、横を素通りするのを見逃してくれるような相手ではない。


 かつて戦ったことのない程の強敵との死闘が今――始まる。




「いくよ!」


 戦闘の口火を切ったのはフレアだった。

 彼女は地面を強く蹴り、真正面からミノタウロスに接近する。


 これまで出会ってきた魔物は、フレアの高速の襲撃に対応できず散っていった。

 しかし、Aランク魔物はやはり格が違った。


「ヴルゥァッ!!」

「ッ!?」


 フレアを大きく上回る体躯でありながら、

 ミノタウロスは同等の速度で移動を開始した。

 重量が百キロを超えそうなほど巨大な金属斧を、

 まるで木の枝のように軽々と振るう。


 破壊、破砕、爆発、爆裂。

 ミノタウロスが斧を振るうたびに硬質な地面は容易く抉られ、

 耳をつんざくような爆音が襲い掛かってくる。


 フレアはそんな破壊の雨を的確に躱しながら距離を詰めていく。


「まだまだ、こんなもんじゃ――喰らわない、よっ!」


 回避するだけではない。

 ミノタウロスの隙を見つけた時には決して逃さない。

 鋭い剣さばきで次々と傷を与えていく。


 体格は相手に劣るが、その分身軽さはフレアに軍配が上がる。

 自分の持ち味を十全に発揮し、盤面を有利に進めていた。 


「あのミノタウロスに、負けていない……!」


 フレアの戦いを目にし、体の芯から興奮が沸き上がる。

 このまま勝てるんじゃないか、不覚にもそう思ってしまう程に。



 ――Aランクの魔物が、この程度でやられるわけがないのは知っていたのに。



「グルァァァアアアアアアアア!!!!!」

「えっ!」


 ミノタウロスは雄叫びを上げながら、金属斧を大きく振りかぶる。

 これまでと比べてさらに動きが大雑把だ。

 フレアに攻撃が当たらないことに痺れを切らしたのだろうか?


 意図が読めず困惑する俺の前で、ミノタウロスは金属斧を力強く振り下ろす。

 当然、フレアは簡単にその攻撃を回避する。

 ――が、ここからが予想と違っていた。


 金属斧が叩きつけられた瞬間、

 地面が破壊されるとともに、これまでとは比べ物にならない振動が発生した。


「なっ」

「足場が揺れっ……!?」


 俺やフレアでは、その場で立つだけでも困難なほどの揺れだ。


 しかし俺たちの数十倍の重量を誇るミノタウロスにとってすれば、その揺れは微震に等しかったのだろう。

 体の軸を崩すこともなく、すぐに狙いをフレアに定めていた。


 振り上げられる金属斧。

 この一撃をフレアは躱すことができない。

 直感的に俺はそう理解した。


 だから――――


 俺はを使う。

 例えフレアが自分の意思で戦うようになっても、

 相対するのがAランク魔物であっても、

 彼女を傷付けないという信念だけは、ずっと残り続けている。


 その信念を貫くためなら、

 俺はその絶望にだって踏み込んでみせる!


 そして俺は、それを叫んだ。



デコイ――――!」



 人形遣いの保有スキル、デコイ

 通常は使役する人形に発動し悪感情ヘイトを集め、敵の標的にすることでパーティーを守るこのスキルを――



 俺は、自分自身に使った。



「――――!」


 ギロリと。

 ミノタウロスの鋭い眼光が俺を射抜く。

 地面の揺れなど関係なく、膝が震えて崩れてしまいそうになるほどの威圧感。


 それでも俺は真正面から立ち向かう。

 少しでもミノタウロスの意識をフレアから逸らすために。


「ヴルゥゥゥッ!!!」

「ッ、アイク!」


 ミノタウロスは俺に標準を定め、激震を起こしながら迫ってくる。

 それを確認し、俺は腰元の素材袋から魔留石を一つ取り出した。


 俺の持つ保有スキルで、遠距離からの攻撃に適しているのは初級魔法ローマジックだ。

 しかし双尾獣にさえ通用しなかったそれが、ミノタウロスに通じるとは思っていない。


 けれど、この魔留石を使えば。

 莫大な魔力を保有するこの魔石を触媒にすれば、威力を何倍にも高めることができるはずだ。


 俺は両手で魔留石を掴み、ミノタウロスに向けて唱えた。



火炎ファイア!」



 魔留石内の魔力を全て使用し生み出された炎は、

 通常の十倍以上の大きさを誇っていた。

 視界を埋め尽くすほどの巨大な炎がミノタウロスの顔面に直撃する。


「ヴォォオオオオ!」


 想定していなかったであろう攻撃に、

 ミノタウロスはその場で動きを止める。

 このまま追撃を放ちたいところだが……


 俺の体は、無情にもその場に崩れ落ちた。


「アイク、大丈夫!?」

「ああ、平気だ……くっ」


 苦しい。

 体中が痛い。

 魔留石の魔力を使用し、俺の上限を遥かに超える魔力行使を行ったからだろう。

 たった一度魔法を発動しただけで体中に激痛が走った。


 それでもまだ何とか動くことはできる。

 ミノタウロスを倒しきるまで安堵することはできない。

 せめてある程度、ダメージを与えられていれば助かるのだが……


「……嘘、だろ」


 けれど現実は非情だった。

 炎が消えた時、ミノタウロスの顔にはほんの小さな焦げ跡が残っているだけだった。

 ほとんどダメージは通っていない。


 魔石の力を借りてなお、Aランクには遠く及ばない威力だったということだ。


「まあ、初めから分かっていたことだ」


 俺一人ではミノタウロスに敵わないことなど重々承知している。

 初めからそんなことは望んでいない。


 俺はミノタウロスに勝つことができなくても、

 なら、きっとできるはずだから。



「心配はいらない、フレア――畳みかけるぞ」

「アイク……うん、分かったよ!」



 再度フレアはミノタウロスに迫り、剣で斬りかかっていく。

 フレアがミノタウロスにダメージを与えることによって俺への悪感情ヘイトが減る。

 それに伴いデコイの効果は切れ、ミノタウロスはまたフレアだけに向き合う。


 ――まだだ!


デコイ!」

「――!」 


 再びデコイを使用。

 ミノタウロスの意識が俺に向けられる。

 直後――


「今!」

「グゥッ!?」


 生まれた隙を狙い、フレアが斬撃を浴びせていく。

 またもや俺の悪感情ヘイトは消える。


 ――何度でも、俺は!


「――デコイ!!!」


 何度も、何度でも。

 ボロボロの体に鞭をうち、魔力を循環させ、デコイを発動する。

 ミノタウロスの意識を奪ってみせる!



 そしてそれを繰り返すこと、五回目――



「はぁあああ!」


 ――とうとうフレアの一撃がミノタウロスの腹部を、深く切り裂いた。

 赤黒い血が噴き出て、見るからに痛々しい傷口が広がっている。


 もう一度、デコイを――


デコイ――」

「ヴルゥォォォォォオオオオオオオオオオ!!!」


 ここに来てとうとう、俺のデコイが通用しなくなった。

 ミノタウロスは完全に狙いをフレアに定め、金属斧を横薙ぎに振るう。

 火事場の大力と言うべきか、それはこれまでで一番の速度と力で放たれた。


「くッ――――!」


 フレアは咄嗟に剣を前にかざした。

 金属斧と剣はぶつかり、甲高い音を鳴らす。

 剣が破壊されることはなかったものの、ミノタウロスの膂力の前に、フレアの軽い体は勢いよく吹き飛ばされていった。



 ――――ここだ!



 ミノタウロスが大ダメージを負い、フレアだけを敵視しているこの瞬間。

 俺は最後の力を振り絞り走り出すと、もはや警戒の色もないミノタウロスの懐に潜り込んだ。


 後悔させてやる。

 俺が敵にはならないと判断したことを。


 俺は素材袋から取り出した魔留石を握り、ミノタウロスの傷口に当てる。

 そして叫んだ。


火炎ファイア!」

「ヴッ!?」


 ドンッ! と、ミノタウロスの体が膨れ上がる。

 それを確認し、俺はにやりと口の端を上げる。


 魔留石を利用した魔術でさえ、ミノタウロスの硬質な表皮にダメージ与えることはできなかった。

 けれど内部からならばどうか?

 そう考え実行してみたが、予想通りだ。


 この傷口を利用すれば、ミノタウロスであっても内部から燃やし尽くすことはできる!


 俺は体中の痛みに耐えながら、もう一つ魔留石を取り出す。

 そして再び叫ぶ。 


「ッ、火炎ファイア!!!」


 ドンッ! と、さらにミノタウロスの体が膨れ上がる。

 体のところどころが破れ、中から炎が噴き出そうになっている。


 あと一撃。

 あと一撃で、倒せる!


「グ、ゥゥウ」


 ミノタウロスはせめてもの足掻きにと、両手で金属斧を振り上げる。

 けれど遅い。このままなら、俺の方が早い。

 俺は最後の魔留石を素材袋から取り出し――


「……あ」


 ミノタウロスの傷口に当てようとした瞬間、手の握力を失い滑り落ちていった。

 それだけではなく、膝が崩れ地面に落ちる。

 カランカランと、甲高い音が無情に響いた。


 ……どうやら、限界みたいだ。

 仕方ない。都度三度も、限界を超える魔力行使をしたのだから。

 今から振り下ろされる金属斧によって俺は死ぬのだろう。

 けどその直後に、ミノタウロスも倒れるはずだ。

 そうしたらきっと、フレアだけは無事でいられる。


「ヴゴォォオオオオ」


 頭上から振り下ろされる金属斧を見ながら、俺は死を覚悟する。

 刹那、視界に燃え盛る炎のような赤が飛び込んでくる。



「させない!」

「フレ……ア?」



 それは、遠くに吹き飛ばされていたはずのフレアだった。

 彼女の振り上げた剣はミノタウロスの金属斧とぶつかり――


 弾き飛ばされた金属斧が、くるくると宙を舞った。


「アイク!」

「っ、ああ!」


 フレアの叫びによって突然現実に呼び戻されたかのような感覚になりながらも、俺は今やるべきことを思い出す。


 地面から片手で魔留石を拾い、傷口に押し当てる。

 もう最大出力で魔法を放つことはできない。

 けれどこれで十分だ。


 俺は魔留石の魔力の三分の一を使用し、魔法を放った。


火炎ファイア


 バァン! と、今後こそミノタウロスの体は木っ端微塵に吹き飛んでいく。

 巨大な茶色い魔石だけがその場に残される。


 チリチリと燃えカスが大気に漂う中。

 フレアは俺の目の前に来て笑った。


「やったよ、勝ったんだよ、アイク!」

「ああ、フレア」


 そのまま倒れそうになる体を、フレアは抱きしめてくれた。

 彼女の温もりを感じ、俺は初めてミノタウロスに打ち勝った興奮を、そして自分と彼女が生き残った喜びを抱いた。



 ――――



 それからしばらくの休憩の後、俺たちは予想通り通路の先にあった転移魔法陣を使用し三階層に戻った。

 それ以降の戦闘は全てフレアに任せ、俺はボロボロの体を引きずるようにして進み……

 パーティーのみんなと別れてからおよそ12時間後、地上に帰還した。

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