掌編小説・『あかり』

夢美瑠瑠

掌編小説・『あかり』

(アメブロに、「あかりの日」のブログネタに応募したものです)


掌編小説・『あかり』



 猛烈な強さの台風が襲来していて、僕は最も接近する時間帯を地下シェルターに入って、睡眠薬を飲んで、ぐっすり眠って意識を消滅させて、恐怖や不安を感じないでやり過ごそうとした。よしんば地上の家屋が吹き飛ばされてもシェルター内は安全だし、地上にいてもどうせ天災の猛威を防ぐすべはない。


 そうして、よく見る類いの夢・・・紺碧の渓谷で美しい鮎の群れが泳いでいる夢を見ている途中だった。


 稲妻が青白く光り、「バリバリバリー」と凄まじい轟音がして、近辺に落雷する気配がした。

 同時に電源がブラックアウトして、辺りは漆黒の闇に包まれた・・・らしい。

僕が目覚めたのはその直後だったからだ。


「ん・・・停電かあ・・・?」


 懐中電灯を手元に置いておいたはずだが・・・と探しているうちに、肘に当たった目当てのそれを床に取り落とした。打ち所が悪かったらしく、旧式のそれの電球が切れて、やはりブラックアウトしてしまった。

「五里霧中、暗中模索の四面楚歌だな。八方塞がり・・・無闇矢鱈に試行錯誤するよりないか。」

 冗談を言ってみたが、心細いことには変わりなかった。

 墨を流したような漆黒の世界・・・少し厄介なことになった。

 そんなに広い部屋ではないが、出口にたどり着くまでに、三か所厄介な危険箇所がある。僕は化学者で、この地下室でよく実験をしているのですが、やりかけの実験器具をそのままにして寝てしまったのだ。

 まず多分手前のちょっと向かって右手の机に、硫酸が入った瓶を置いてある。机が動いたり、腕が触れたりして床に落とすと、硫酸が足にかかったりする恐れがある。

 少し進んだところには、床に奈落?があって、足を踏み外すと底に置いてある苦心して育てたサボテンを踏みつぶしてしまう。珍しいサボテンで、200万円したのだ。盗まれないように夜はここに仕舞っているのです。

 さらに奥の、出口の脇には、これが最も危険なのだが、大学から借りてきた、トリチウムという危険な放射性物質が、フラスコに入れて置いてある。

 落として割ったりすると被曝する恐れがある。なんでそんな危険なものを出しっぱなしで寝るのか?と思われるかもしれないが、昨夜は疲れていて、ナイトキャップを過ごして、半ば朦朧としていたというエクスキューズをするほかない。


 地下室だから朝になっても光はささず、いつ停電が復旧するかも不明だ。危険なことは危険ですが、僕はだいたいがせっかちで、じっと手を拱いているというのに、我慢できない性格なのだ。


・・・そろそろと手探りで歩きだす。まだ二日酔い気味で、足元が覚束ない。最初の関門の、机らしい木の角が手に触れる。机の表面を探っていくと、硫酸の瓶らしいガラスの感触が手に触れる。手に取ってちょっと嗅ぐと、刺激臭がプンとした。

 できるだけ遠くに置いて、机を動かさないように通り過ぎた。


次は足元の奈落である。


 これはすり足でやり過ごすしかない。大体の出口の検討はつくという気もするが、確信は無い。方向を知るための手がかりも、そのための感覚器官ももちろんないから、ヤマ勘を頼りに歩くしかない。だから、全然反対方向に歩いているという可能性もある。

 むしろ奈落そのものの場所をしっかりアイデンティファイした方が安全かと思って、足で探っていく。・・・あった!ここだ。少し遠回りしてやり過ごした。


あとはトリチウムである。


 相変わらず「志賀直哉の名作」の世界・・・つまり「暗夜行路」である。

 全くの闇だと、何もないというより真っ黒い闇が立体的な実体として迫ってくるような感じがする。

 伝い歩きができるようになったばかりの赤ん坊のように、部屋の家具の配置とかを思い出しながら、一歩一歩歩を進める。

 そうしてかなり進んだ後に、「あっ!」電線に引っ掛けて足を滑らせてしまった!

 机の脚を蹴ってしまう感触がして・・・何かが動揺する音が微かに鳴った。

 皮肉なことに停電がその刹那に復旧したらしくて、次の瞬間に「パッ!」と部屋の明かりが点灯した。

 一瞬眩しい光の洪水に襲われるような感じがしたが、机から飛ばされて、床に落ちようとするフラスコは、しっかり目に入っていた。

 僕は必死で身をひるがえして、どうにか床に触れる寸前で、フラスコをキャッチした。


「ふう・・・」


 額の汗をぬぐう感じだった。

 何とか危地を脱した・・・心底ほっとして、一杯やりたいくらいの気分だった。ベッドまで引き返して、ナイトキャップ用のウィスキーを少し呑んだ。体が温まり、緊張が解れていく・・・


 しかし喜ぶのは早かったのだ。


 点灯した灯りが猛烈な風雨で少し壊れた地上の家屋で漏電を起こして、電線が燃え出していた。運の悪い事にその火が古新聞の束に燃え移って、本格的な火災が起こって、アッという間にたちまち地上は火の海になった。


 やがて降りてきた黒煙に巻かれてしまった僕は、出口を塞がれてなすすべなく、あえなく斃死を遂げざるをえなかったのだ・・・



<終>

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