第39話 広島という青春
私にとって、広島とは青春の地である。
私が広島にいたのは二四から二七に至るまでであったのだが、私が最も活き活きとし、東奔西走し、辛酸をなめた時代である。
未だに案内無く街を歩き回ることが可能であり、事実、一昨年の訪問でも何の不自由もなく歩き回った。
多少の変化はあるがその骨組みは残されており、その魂は不変である。
それは風化に耐えながらも意思を持って立ち続ける広島県物産陳列館の姿に似て、私のあるべき姿を指し示すようであった。
京都から広島へと向かう最中、車窓からマツダスタジアムを眺めるとそこには溢れんばかりの人が見え、この球団の変わらぬ人気を垣間見ることができた。
私も広島に入る間に二度ほど球場に伺ったのであるが、そのいずれもが応援というよりも麦酒を片手にした酒場としての利用であった。
そもそもあまり野球に詳しいという訳でもなく、周りにいた同期二人は阪神ファンである。
とはいえ、赤一色に塗りつぶされたスタンドの中に在ると、自分の中へと次第に燃料が投下されていき両者の奮闘に、殊に赤ヘル軍団の奮闘に目を離せなくなった。
ラグビーの試合を生で見た時には会戦のような躍動があったが、野球の試合は向かい合う棋士と駒の鍔迫り合いを見るようで、なるほど長らく愛されてきたのも分かるような気がした。
酒で紅潮させた頬を引き下げて、やがて試合終了と共に変えるのであるが、私の戦績は鯉の一勝一敗。
リーグ優勝に向けた長い冬眠にある時代であった。
なお、名物であるカープうどんはかき揚げに小海老が入るためいただくことができなかった。
球場での雰囲気というのは、時にそのまま居酒屋へと
真夏にテレビのある広島の居酒屋へと伺うと、カープの試合が流されてい、そこで一喜一憂するファンの姿を目にすることが多々ある。
これは阪神電車の中でその日の試合結果を知った乗客が歓声を上げた様と相似しており、何とも心地よい。
「おお、今日はバティった!」
という隣からの叫びでバティるという新たな五段活用動詞を知り、逆隣の男性の視線のせいで目の前のメガハイボールも赤く染まるような心地がする。
この地では野球を知らぬものをオセロの石のように鯉に恋するものへと変えてしまう魔力を持つ。
市民球団の持つ情熱とは広島の在り方そのものなのかもしれない。
ただ、広島にも他球団のファンは多く存在しており、時にそうした方々はカープファンの応援マナーに閉口する。
そうした現地の姿を見られるのもまた、現地にある愉しさである。
広島は関西とは異なるお好み焼きの姿が在り、その味は私の心を掴んで離さない。
当時、私が暮らしていた家の近くにあったお好み焼き屋さんは、川に浮かぶ三日月のようにそこに在った。
まだ真新しいその店は、洒落た雰囲気ながらその味は確かなものであり、私の舌には最も合ったようである。
そして、カウンターで交わされる親交も日常を越えたものとなり、そこで私の浮世の憂さは一つずつ剝がされていく。
豚玉をつつきながら麦酒をやりつつ、悪ガキに戻った私は拙い英語でも構わずに談笑する。
分からぬ単語などが多くとも、それを察した英語の堪能な同士がそれを優しく訳してくれる。
そうした中であれば、私もまた構わず「ジャパニッシュ」で応え、それをまた同士が繋いでくれる。
得意先の方とこちらで鉢合わせし、それからよくしていただいたのを今でも感謝している。
一昨年に伺った際、定休日であったのは何とも残念なことであった。
なお、お好み焼きの宅配も発達しているのは広島の特徴であるが、その中でよく頼んだのは府中焼きの「としのや」さんである。
鉄板という高座にないお好み焼きとしては、その香ばしさはもう
広島の頃は行きつけの蕎麦屋もあった。
袋町近くのアーケードの端に在って、私は休日になるとそこで酒をやるのが何よりの楽しみであった。
東京で頂く蕎麦とは言うまでもなく味の異なるものであったが、それは広島風の蕎麦とでも言うべき姿をしており、私はその味をこよなく愛した。
酒肴も蕎麦屋の本寸法を外さず、板わさや焼き鳥などで繋いでいきながら最後に盛りを手繰るという流れは一つの儀式のようであり、蕎麦食いとしての本懐を遂げたような思いがした。
ただ、何よりも嬉しかったのは鴨南蛮である。
冬になるとこれ一つを頼み、お銚子を五本も六本も重ねてお調子者となっていく。
このような時にお店の方は、
「今日はよくお飲みになりますが、大丈夫ですか?」
と優しく声をかけて下さる。
無論、翌朝に後悔することもあったのだが、その後悔もまた至福の中に消えていった。
今はその店もなく、その姿を追うことすら難しい。
もう一つ追うことのできない青春が私にはある。
それは「黒猫メイドカフェ 袋町店」であり、メイド喫茶とガールズバーを混ぜ合わせた店であった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
出迎えの一言はどこにでもあるメイド喫茶の在り方そのものであるのだが、ここではその言葉の重みが異なっていたように思う。
そもそもが、私はここでハイネケンを飲み続け、明らかに飲み屋として利用し続けていた。
そして、ここでは「黒猫」同士のやり取りやカウンターを越えたやり取りも愉しかったのであるが、むしろカウンターの外側に広がる世界の方が何とも魅力的であった。
カシスオレンジを愛した少年はやがて青年となり、都会の海へと消えていった。
それを優しく見守り、何くれとなく付き合っていらした「先生」は時に見せる毒が何とも味わい深いものであった。
街で初めて会えば身構えてしまいそうな銀髪の男性も、飄々としながら見せる笑顔と匂い立つダンディズムで男の肖像というものを私に刻み付けた。
こうした様々な「ご主人様」を束ねる魔法というのは、果たして誰の手によってかけられたものであろうか。
これを思う度に、中国放送のラジオが唱える言葉が反芻され、私にとっての第二の故郷は色鮮やかに蘇ってくるのである。
「たいぎい」と 人は浮世に ながれ川 集うは一つ 家のごとくに
この店もまた、私が熊本に移って間もなく世間という名の業火によって焼かれ、その姿を消した。
今はその出会いだけが魔法のように残されている。
※たいぎい……広島弁で「疲れた」、「面倒だ」などの意
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