_12
――ウイスキーを注いだグラスに、同量のワインを加えて撹拌したような空間だった。
曇天の、まさしく
夏空の熾烈なる入道雲の内側にて、アゲハ蝶の
雷の音は聞こえない。稲光の野暮な光も届かない。
ただ、静かに、昏く、ガスライト色の照明が室内の調度品を照らしていた。
「……、……」
「……、……」
室内にいるのは二名。
一人は、白銀の甲冑を着込んで顔の見えぬ騎士だ。彼の手元にはワインがあったが、彼はそれに興味を示さず、フルフェイスも被ったままである。
もう一人は、王族の寝間着のようなちぐはぐな格好をした少年。彼は今、手元のワインを光に当てて、それが落とすボルドーの影を楽しんでいる。
ただし、
――緊張感。
切っ先を交わすそれとは違う、何かの断罪が発生する間際とも違う、奇妙なる緊迫感。
猛獣二匹が、不可思議なことに縄張り争いを起こさずただそこにあるような、そんな感覚。
それにひとまずの終止符を打ったのは、――王族の寝間着のような衣装を着た少年、
この艦を擁するグリフォンソール艦隊の主、クレイン・グリフォンソールであった。
「その、オコジョって」
「……、……」
「…………なんなんだ?」
問われた白銀の騎士、――レクス・ロー・コスモグラフは、フルフェイスの辺りにファーのごとく居座るオコジョを指先で撫でた。
「なんだ、とは?」
「いや、俺もよくわからないまま質問してしまった気がする。……なんというか、その子」
君に
騎士とオコジョのガチなラブ。あってもいいとは思うけど首を突っ込みたいとは到底思えない。
「どうしようか、オコジョが食べたら腹を下すような料理もあるかもしれない。一度、食事を下げようか?」
「心配には及ばない。
レクスが言うと、……驚くべきことにオコジョは首肯を返した。
まあ、何でもありが異世界生活の醍醐味である。喋れる剣だのモンスターだのがいるような世界観で、今更オコジョが人の言葉を理解することに逐一驚いているわけにもいかない。
「……とりあえず、改めての話だ。改めて、――ようこそ、我が飛空艦隊が誇る最高の歓迎の裡へ。ここが飛空艇『竜辰』だ。神様もとろけさせて滞在を数週間延ばしたこの艦の神髄を、どうぞ心行くまで楽しんでくれ」
「遊びに来たわけじゃない。休暇なんてつもりもな。……早く話を進めよう。用事があるって言ったのはアンタだよな?」
「つれないねぇ、今後同僚として末永くかもしれないってのに。……どうだ、これだけでも食べてみないか? うちのカフカが取り寄せてくれた本場のカリフォルニアロールだって話だ。俺は前世じゃ結局縁がなくて食べたことはなかったんだ。少し、気になってる」
「なら好きに食えよ。見えるだろ? 俺はこの通り、鎧が邪魔で飯は食えない」
「脱げばいいじゃないか?」
「いいから話だ。この戦争一つにおいていえば、俺は少しでも時間を惜しみたい」
「ふうん?」
曖昧にクレインは呟いて、指先で一つカリフォルニアロールを摘み取る。
そして、一口にほおばると、口内を流すようにワインを口に含んだ。
「なかなかうまい。土産に包んでおくから、ぜひ持って帰ってくれ」
「……、……」
「わかったよ、仕事の話な。まず、この場ではこの先の戦争についての打ち合わせを行う。具体的には、……どうせどっちも好きなように動くんだ。お互いがお互いの邪魔にならないようにの最低限の情報交換だな」
「……アンタが広告塔で、オレが地上の露払い。これ以上共有すべきことがあるか?」
「……まず聞きたいんだが、そっちの自身の根拠は何だ? そりゃ、特級に誘われるほどの依頼成果を持ってるんだから最低限の実力保証にはなるだろうが、『世界派』なんて呼ばれてる俺たちの敵だってバックボーンは似たようなもんだ。誰だって異世界転生者。それぞれが主人公張れるくらいの物語は背負ってる。その戦場の最前線に立って、普通に無双できるつもりでいる自身の根拠は?」
「……オレから言わせれば」
「……、……」
「アンタとそっくり同じセリフになるな」
「……ごもっともか」
つまらなそうに、クレインは言った。
「口頭での説明じゃ誰も彼も煌びやかな宣伝文句があるわけだ。問題は中身が、どれだけついてこれてるのか。……せっかくなら、力比べでもしてみるか?」
「アンタの戦略は消耗前提だろう。この後に本番が控えてるってのに弾の無駄撃ちに誘ってるのか?」
「さあ、どうだろうな?」
クレインはあくまでも、視線をテーブルに落としている。
次に指を伸ばす食事を探すような、実に気軽な視線と仕草。
そこに殺意、害意はまるで存在せず、
「――『英雄譚
だからこそレクスは『第三者』のその一撃を、
「なんだ、オイ。神様を溶かした客室にネズミが入り込んでるじゃねえか?」
「
「……バ、バカな。全然効いてないだと……?」
大槌のフルスイング。
それが、レクスの小首をかしげさせるほどのこともできていない。その事実に素直な驚嘆を吐き出す、その大男は。
「――紹介を。彼は『北の魔王』が主席、魔王カルティス。あるいは、この世界由来の英雄、クリフ・ゼフブライトだ」
「おい? 本気でやったぞ俺は。どうしてまるで効いていないおかしいんじゃねえのか……?」
鳴り物入りの紹介など聞こえていないといった風に自分の手のひらをグーパーさせていた。
「……北の魔王。今回の件じゃ真正面の敵じゃねえか。なんでそんなやつをこの場に呼んでる?」
「敵じゃないかもしれないから。……彼を信用するかを決めるための会合だよ、これは。詳しい話は、彼から」
言って、クレインは魔王カルティスのために席を引く。
それに対してカルティスは、――その椅子には一瞥もくれずに。
「おい、人間」
「……オレのことか?」
「納得がいかない。立て。ちゃんと勝負だ」
「……、……」
大槌が光を撒き、そして別の『武器』へと変わる。
――大剣。
で、ありながらもその剣は、深夜の湖畔の淵を沿って切り取った様に精緻であった。
魔王の巨体と同等の刃渡りではあるが、その刃幅は一般的なブロードソード程度のもの。かすかな歪曲が見て取れるシルエットは、柄さえなければ弓にすら見えただろう。
ただし、儚さとは無縁である。湖月色の刀身は弛む姿を想像もさせない。実際に、
その剣は、名を『フレイス・グロウ』という。
ただし魔王は、敬愛を込めてこの剣を、名前ではなく「伝説」で呼んでいる。
「英雄譚
「……
魔性の焔を燃やす魔王に、――レクスは静かに言う。
「オレには、お前を殺すくらいの動機があることを覚えてるよな?」
「……ああ、あったね。そんなことも」
「……、……」
「ベアトリクス・ワートスだったっけ? 前の姿もキュートだったけど、そのファーも愛らしい分には愛らしいと思うよ?」
「死にてぇわけだ?」
〈/break..〉
「人質交換の条件に、俺はそっちのレクスの恋人……なんだっけ? 連れのお嬢さんに呪いをかけた」
「……、……」
「その辺の事情は聞いてなかったな。どうりで……」
「ちなみに、呪いの内容は『一般人に魔法使いだってバレたらオコジョになる』ってモノだ。俺はこの呪いの元ネタの漫画、……君たちの世界の本らしいんだけど、それを見たときにピンと来たね。この魔術、こっちの世界で使ったら絶対に面白いぞと」
「そりゃそうだ。普通に生きてるだけでも絶対オコジョになるもんな……」
「で、無事に彼の彼女はオコジョになって、その解呪をウチら側の捕虜、ゴードンって男との交換に使うつもりだったんだ。だけど、それはやめておくことにした」
「……、……」
「寝返るにあたって、いくつか土産を持て来た。この戦争に勝てるように俺がてずから用意した手札、――とある下準備の『操縦桿』と、それから解呪だ」
「な、なあ……?」
「うん?」
「よく話せるな、それ……」
やや引き気味で言うクレインに、カルティスは、
「魔族ってのは便利だよ。君らも、縁があったらなってみるといい。まー死ぬことはないだろうね」
「……、……」
「死ぬことはないから、五体斬り飛ばされてもベアトリクス・ワートスの解呪をすることはない。するとしたら、俺の寝返りを認めてくれた時だけだ。どうする、レクス?」
「なれなれしく呼ぶな」
レクスはそう、物調として返す。
魔王と戦ったはずの彼の鎧には、野暮な傷などは一つも存在していない。そして、それはカルティスや、この部屋の様子にしてもそうだ。
勝負は、あまりにも一方的に結実した。その勝敗は、――不遇への復讐のために魔王となったカルティスをして腑に落として、敗北した事実を切り替えてしまえるほどに圧倒的なものであった。
そして、
そのような勝利を収めた彼は、一言。
「動機を言え」
「……、……」
「寝返る動機だ。土産を聞くのも、信用できるか決めるのも、それからだ」
「……。俺は、頭に魔がついても王様だからね。民を守らないといけない。そのうえで、今まさに台頭しつつある世界最高峰のネームバリューの庇護下に入れるのは魅力的だ。……別に君たちに、俺の国の樹立と人権的な保護までを頼もうってつもりはない。俺が勝手に君らを後ろ盾として扱って、俺自身が手ずからに国を守るから、面倒なことを心配する必要はない」
「それだけか?」
「……悪いが、聞かれていることの意味を図り切れない。それだけ、というのはどういう意味だろうか?」
「バスコの紛争ではレオリア・ストラトスと戦って、そのうえで俺たちを共通の敵として結託し直した。その動機は、それぞれが治める国の立場を確保するためだ。心変わりした理由は?」
「……もう一度言うけど、民を守るためだよ。付け加えるなら、俺の仲間は逆条のみんなとウチの国民だけだ。掘っ建ての同盟なんて裏切るために締結するもんだろ? 今回の土産を作るうえでの
「レオリアとの同盟には長期的なうまみが薄いから、入り込んで内部から切り崩すほうにシフトしたってことか? 確かに、レオリアの立場は今や危うい。筋は通ってるか」
「すこし、違うんだけどね?」
「……、」
そこでカルティスが、椅子から立ち上がる。
「君らの仲間になるための『土産』はこの後だけど、そういえばまだ招いてもらったことへの感謝を渡していなかった。食事をいただくだけいただいて、こちらから何もなしっていうんじゃあ魔王の名折れだ」
そこで、クレイン、
「ああ、ウチのスタッフが受け取ってるよ。ワイン樽だよな。先に聞いておけばよかった。どうやって出せばいいか、指定はあるか?」
彼がそう問うと、カルティスは、
「いや、ここのスタッフは優秀だね。先に聞かれたから答えておいたよ」
そう言って、この部屋の入り口を視線で刺す。
と、それを待っていたかのように扉が開いて、
「失礼いたします。クレイン・グリフォンソール様、レクス・ロー・コスモグラフ様」
入室したのは逆条の六席、『理性のフォッサ』と、……そして彼女が転がすワイン樽であった。
「おい……」
「? どうした?」
レクスが焦燥したように問う。
「あのワイン樽だけどよ……」
「なにかな?」
「な、中から『殺してくれー』って聞こえてくるんだけど……」
「ああ、中に入ってるのがワインじゃなくてレオリア・ストラトスだからだろうね」
「……は?」
「いや、ここまで彼女は詰められっぱなしだったらか相当堪えたんだろうね。とりあえず、これが俺たち逆条からのプレゼント。……レオリアの身柄と、この飛空艦にとって唯一脅威になりえる『
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