或る独白_(03)

 



 かのじょが欠伸を一つする間に、猿が火と魔を理解した。


 かのじょが伸びを一つするうちに、猿が文字と文化を作った。


 かのじょが眠り、やがて目覚めた頃、猿は国と階級を確立させていた。


 かのじょが無感情に眺めている間に、猿は、世界を支配し君臨していた。


 猿がかのじょに接触したのは、その頃であった。






 猿はかのじょに言語を言った。


 かのじょは、どうやら猿らに神性を見出されていたらしい。それが妙に真に迫っていたために、かのじょは猿らに興を覚えた。



 ――思えば、『興を覚える』などと言うのは久しぶりの事であった。ゆえにかのじょは、猿らの言語を理解することにした。

 他愛も無いやり取りを幾つか。それで以ってかのじょの完成した言語が猿らの言語を内包する。



 かのじょは問う。なぜここに来て、自分に問いかけたのか。


 猿は応える。神に会うのに、理由はいらないと。



 その返答が、かのじょの琴線に触れる。


 理由のないナニカに触れたのも、久しぶりの事であった。この世界の全てには意味がある。猿の言う事にも、猿には気付けぬ意味がある。しかしそれに猿自身が気付けない。ゆえに猿自身が気付けぬ『意味』を、かのじょは啓示した。すると猿は発狂して死んだ。





 数世代後に、また猿が現れた。

 その猿は武装をしていた。かのじょは、猿を殺した。





 次の猿は、すぐに現れた。

 猿は対話を、かのじょに求めた。


 暇を持て余していたかのじょは、それに応じた。

 二、三のやり取りをすると、猿は発狂して死んだ。





 次の猿も、その次の猿も、全て発狂して死んだ。或いは殺した。

 かのじょはやがて、そのやり取りを面倒に感じ始めた。






 救い難いのは、猿どもが世界の心理の一端をも理解していないことであった。


 それゆえに猿は真理に耐えきれぬ。かのじょの言葉、熾す一挙手が真理を語る故に、猿は、かのじょと共にはいられない。



 それに気付いたかのじょは、発狂死した猿のうち一匹、身綺麗な同性メスの身体を借りて、野に下った。



 猿の身体に刻まれた文化に帰依し、猿の使っていた言語を脳内からサルベージし、その代わり、猿を殺し得る真理は全て、かのじょの寝床に身体ごと眠らせる。そうして遂にかのじょは、猿との対話を成立させるに至る。







 野に下り、かのじょが名乗ると、猿は狂乱に陥った。


 かのじょの操る猿の死体が、生きた猿どもの槍に貫かれた。

 足がもげては、山に帰れぬ。ゆえにかのじょは足を繋ぎ直した。それが猿の狂乱を更に煽った。魔女と、悪魔と謗られた。


 そのどれもが正解であった。加えて言えば、傷付いたのはそもそも死んだ猿の身体である。


 かのじょは鷹揚に、幾重の槍に、矢に、炎の魔術に身体を貫かれながらも猿を許した。かのじょは真に、猿どもの神となった。







 猿はかのじょに叡智を求めた。


 かのじょは、それに応じた。


 猿どもの言語を使い、猿どもの脆弱さに気遣い、猿どもに世界の真理の、一片の更に一片を零した。それを猿どもは一つの魔術体系に変え、信仰に変え、国の輪郭に変えた。猿どもは酷く喜び、かのじょにあらゆる富を返した。


 しかし、それらはかのじょからすれば石片や木っ端とも変わらぬモノであった。否。世界を完全に暴き、その言語で世界の始祖たるイチを定義したかのじょにとっては、樹木も鉱石も生物も魔術も、全ては同質である。

 かのじょは猿どもの供物を拒否し、猿どもはそれを深く恐れた。





 猿はかのじょに問う。

 何か、受け取ってほしい。何だって差し捧げよう。何が欲しいのか。あなたのためなら命だって惜しくはない。だからどうか、いなくならないでほしい。


 かのじょは応える。

 私は、満たされている。あなた方と共にあるだけで満たされる。あなた方に寄り添う日々は、悪いものではないから。

 その返答を、猿どもは曲解した。





















 否。

 そこまでの曲解ではなかったのかもしれない。





















 猿の求めに、かのじょは応え続けた。

 悲劇だったのは、かのじょが猿の意図を理解せず、猿もまたかのじょの意図を理解できなかったことだ。かのじょが猿の求めに応じたつもりであったように、猿もまた、かのじょの求めに応じたつもりであった。



 そのまま、『意図』は悠久をかけて曖昧となった。

 意図が曖昧となったまま、身体を寄り添わせる快楽のみが残った。

 見目麗しい遺伝子を掛け合わせ、それを巫女としかのじょを降ろす。それが国家の存在意義となり、国はやがて、それ以外を失った。国は縮小し、全ては廃れ、国は国足る定義さえを失くす。

 猿がそれを求めるなら、かのじょは、それに応じるだけであった。




 ……そのまま、悠久の時間が過ぎた。




 …………そのまま、悠久の時間が過ぎた。




 ………………そのまま、悠久の時間が過ぎて、



























 ――とある、そう。

 春の日に。














「……、……。」






 かのじょは初めて、猿の意図に触れた。

 ――「嫌だ」とミコにそう拒まれて、かのじょはようやくヒトの自我を認めた。


 ……初めは眩く、美しく輝くような「愛」だったのだ。それが悠久に薄汚れ、ここに残るのは穢れた肉欲の塊だけ。気持ちよかったから、それから目を逸らしていた。

 かのじょはずっと、ヒトを愛玩動物の類いだと思っていた。いや、それは今でも変わらぬ。ヒトかのじょにとってあまりにも未熟だ。かのじょからすればヒトサルに区別などはない。

 それでも、





 ――いつかは持っていた気がする『誇り』が、かのじょに現状を許さなかった。





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