(07)
「よォ、肉の入ってるメシィ二つくれ!」
スラム街のとある食事屋にて。
エイトは、店に入るや否や厨房奥に向けてそう大声を上げた。
「……、……」
彼はそのまま我が物顔で、適当なテーブル席に腰掛ける。連れ立った少女は、毛布に身体を隠したまま立ちすくむようにして店内の様子を見分している。
――そこは、開けっ放しの入り口扉から差す日が眩しく思えるほどの、陰気に満ちた店であった。人気は殆どなく、食事の匂いよりも先に古い油の匂いが鼻を突くような、お世辞にも衛生的とは言い難い光景。見分する少女からすれば、この環境からどんな皿が出てくるのかと戦々恐々とした感情さえ催す。
が、果たして、
少し待って用意されてきた『皿』は、……ある種の「覚悟」をさえ決めていた彼女からすれば何かの間違いに思えるほどに芳ばしい匂いを、店内に立ち昇らせるものだった。
「……、」
鍋の振る音が止んで、次に聞こえたのは「ことりっ」というささやかな音であった。その音と、何よりもその香りに、少女は半ば無意識で以ってそちらを見る。
先ほどの通り、そこに人気はない。
あるのは、厨房と客席を隔てるカウンターの上に、忽然と顕れた二つの「皿」ばかりだ。
「ガキ、取ってこいヨ」
「……」
脊髄反射じみた「どうして自分が」という言葉を、彼女は飲み下す。
ここに来るまでのやり取りを信じれば、この食事の代金は彼が持ってくれるわけで、ならばこの場に限って誘拐加害者とその被害者という関係性に拘るのも無粋に思えた。……そもそもエイトが彼女を誘拐などしなければこんな状況にもならなかった、というのは置いておくとして。
旨そうな匂いには、誠実に答える。それは、その少女にとっては至極自然のことであった。
「……わかったよ」
存外聞きわけが良い。などという言葉をうなじに受けながら、少女は素直にカウンターの方へ。
近づいて改めて確認するその「皿」は、
――何やら味の濃そうなソースが絡んだ、厚みのある葉野菜と脂肉の炒め物であった。加えてその傍らには、平皿に盛られた白米と鳥ガラの香りの立つスープがある。
「(
率直な感情は、胸中のみの言葉にとどめておいて。
少女は小さな両手にそれぞれ一つずつお盆を乗せて、それをテーブル席のエイトの下へ運ぶ。
「給仕のサマァ似合うじゃねェか」
「……、……」
その皮肉に返される言葉はなかった。少女はそのまま、静かに対面の席に戻り、
……手を合わせるような作法も簡略されて、二人は静かに箸を取った。
〈/break..〉
少女の、香り立つ色気のような品の良さとは
「……、……」
言葉の無い食卓を潤すつもりで、湯気の立つスープに唇を浸した。
「……うまく食うナ?」
「あん?」
食らい付くような姿勢のまま、彼女は箸だけ止めてこちらを仰ぐ。その様相は、殆どでっちか山賊かといったものであるが、しかし。
「箸、使えンだナ」
「ああ」
それだけ応えて、少女は食事に戻る。
……この地方において、箸という道具は非常に縁遠い。概ねはフォークやナイフ、スプーンなど、
この街で箸が使える人種は主に二種類。エイトのように、この店に通うために箸での食事を覚えた手合いか、或いは箸食文化の根付いた地域からの流れ物か。
昨日の話を思えば、察するに少女は後者であった。しかしエイトの脳裏には彼女の言った言葉、「
「ヨウ」
その呼びかけに彼女は、今度は箸を止めることもなく視線だけで応えた。
「昨日の話のヨ、続きァ聞きてェ。オマエ、どっから来たって言った?」
「違う世界から。こことは違う世界だよ」
「そりゃァ、文化が違ェよーな遠くからって話かイ?」
「言った通り、こことは違う世界だって。歩こうが走ろうが飛ぼうが泳ごうが、たぶんたどり着けないようなとこだろさ」
「……、……」
違う世界。
荒唐無稽な話だが、
曰く、冒険者界隈に通じる『御伽噺』の一種である。彼方まで続く春日向の平原に住まう「空の主」や、この世界の西の端から東の果てに向かって「横に立つ」塔の、霞吐く管理者。そう言った眉唾物語の中には、「異世界からの来訪者」についての風聞も存在していた。
「どゥやって来た?」
「それも、話した通りだ。いつの間にか来てたんだ。そーいえば、両手に抱えてたはずの死体二つは、服だ装備だってだけ残して綺麗さっぱり消えてたな」
神隠しってやつじゃねえかな。と彼女。
「しかしだヨ、それにしてはオマエ、言葉が流暢じゃァねーか。勉強でもしたってかイ?」
「……理屈は知らないけど、最初っから言葉は分かった。あんたらが私とは違う言葉を使ってるのは分かるし、だけれどその言葉の意味も、聞いた後に紐づいて分かる」
「……、……」
それならば知っている。とエイトは胸中で独り言ちる。
『言語理解』
名前の通り、言語を理解するスキルである。このスキルを持つ者は、それが最低練度であっても大抵の「常用の」言語なら全て理解することが出来る。練度の高いであれば、古代文明の暗号じみた文字列や、場合によっては「神」の使う固有言語さえも理解できるとか。
無論、大抵の人間にとっては非常に有用なスキルである。またそのスキルの希少性も相まって、一定水準の言語理解持ちの奴隷は、場合によっては女の王侯血族などとも同水準の価値で取引される。
と、そんな事情を思い出しながらも、エイトは、
「……自分のスキルをペラペラと喋るモンじゃァねえぞ」
妙に
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