(02)



 森に開いた一本の獣道。


 夜の光量では判然としづらいが、その路は、よく見れば細いわだちであるのが分かる。その馬車一つの行き違いもできないほどに狭い通路動線が、この森における唯一の馬車道であった。


 そこに今は、篝火が一つ。

 薪をケチったような僅かばかりの熱が、周囲の森を淡く焚いている。


「……、……」


 獣も、ヒトも、「彼ら」にとってすれば恐れる必要なぞない相手であった。

 この森におけるもっとも強き加害者こそが彼らである。か細い焚火は獣避けのためなどではなく、……単に夜食の干し肉を戻す湯を沸かすためのモノらしい。


 くつくつと音が鳴り、

 水面の沸きを確認した彼、……中折れ帽に視線を隠した男が、鍋に干し肉を二切れ放り込んだ。



「よう、出来たかい?」



 後方からの声を聞き、



「うン? あァ」



 彼は、鍋の様子から視線を切る。

 向こうに止めた馬車のその奥、そこから聞こえたのは、彼の相棒である男の声であった。



「今ァ作り始めたところだヨ」


「なんだ。ならもう少し遊んでおけばよかったね」



 その男は、ベルトをカチャカチャと弄びながら馬車を下りてくる。頬に痣があり、皮肉気に口の端を歪めると、それが引くつくように歪にゆがむ。



「……のァオレらの仕事だがヨ、商品を中古にするのァ良くねえなァ?」


「はっ、暴れてしょうもねえんでありゃまだ一応初物だよ。ぶん殴ったのはまあ、若けえしすぐ治んだろ?」



 先ほどまでの怒号と、悲鳴と嗚咽を、彼はふと思い出す。

 今は、……あの馬車の中からは何も聞こえない。



「……殺さなけりゃァいいケドヨ。あとは、馬車の中がゲロ塗れってんじゃァなければ」


「こんな仕事だろ? ストレスは発散していかなくちゃ」



 ゲロはねえから安心しろ。と男は笑って篝火に手を当てる。

 火の色に暴き出された手の甲には、粘ついた質感の血がべったりと付いている。

 それを見て彼は、



「拭えヨ。飯がマズくなる」


「おう、気が利くね」



 ……マズくなるのは手前じゃなくてオレの飯だ。とは、彼は思っても口には出さなかった。






/break..






 彼らは、いわゆる裏ギルドと呼ばれる半犯罪者集団の一員であった。


 中折れ帽の男の名はエイト。相棒はピラー。どちらも姓はない。付き合い自体は長いものでもないが、彼らのコンビは、裏ギルドの界隈ではそれなりに名が通ったものであった。


 曰く、――ヨゴレの捨て場ダーティ・トラッシュ

 汚い仕事であれば、とりあえず彼らに放り込めばいい。求める結果は必ず返る。それが彼らの一般的な評価である。


 ……そんな彼らが、その日求められた「クエスト」は奴隷の調達であった。

 性癖を狂わせた金持ちによる奴隷のロット購入・・・・・。それにあたり彼らは「とある森の近隣にある村が魔物の襲撃で壊滅したらしい」という情報を仕入れる。


 ならばそこには、辛くも魔物から逃れた天涯孤独の生き残りなどが期待できる。そこから更に綺麗どころを幾つか見繕えたら幸いだ。それに、行ってみて何も成果がなかったなら、森で野獣を調達して次の街にでも行けばいい。


 彼らにとってその日の遠征は、ハイエナが死肉の欠片を拾いに行く程度の、大した期待値もない旅路であった。


 そんな往路の、とある朝方。

 彼らは、「その少女」を見つけたのだった――。



「ったく。こんなメシしかねえんじゃ、この国に冒険者が来ねえのも納得だよな」



 水を吸ってぼそぼそになった干し肉に噛り付きながら、ピラーはぶっきらぼうな口調で言う。


 今日の夕食は、干し肉のスープと、堅いパンが二切れ。それだけだ。

 エイトは、塩水とも大差のない味付けのスープにパンを浸し、それを指先で小突きながら、



「育ちが悪ィやつだ。目の前にシェフがいるんだゾ? 黙って食えヨ」



 そう答えた。



「育ちが悪い。ははは、確かにな。悪いのは確かに生まれた国だ」



 彼らの生きるバスコ王国には、他国よりももう一段階質の悪い貴族が巣くっている。


 トップの質が一段下がれば、文化の質が一段下がる。頭の悪いお上に倣ってわざわざ非文化的バカになった民衆が生産性効率の類を一段下げて、その果てには一般的な生活レベルが一段退化する。

 そうして近隣諸国から「足切り」を受ければ、後は悪循環を収斂し続けるだけである。


「そのおかげで、我が愛しの母国は正規ギルドからも殆ど見捨てられて、裏稼業の天下なわけだ。食いっぱぐれずに済むって話でさ、馬鹿とナントカは使いようってやつだね」


「……ハサミだろ? 確かヨ」


 そうかい? とピラー。

 他方のエイトは、帽子の奥の視線に倦怠を滲ませる。この男、ピラーは、エイトが如何にそっけない相槌を打とうとも喜々として言葉を続ける手合いであった。喧しいのは許せるにしても、食事中に咀嚼音が煩いのは如何ともしがたい。


 そこでエイトは一つ、

 ……頬の痛みでも思い出せばコイツの口がふさがるのではないか、と。思い付きの話題をピラーに放る。



「ンでネ。そのアザァ、どうだい? 未だ痛むかい?」


「うん? あぁー……」



 肩眉を上げて応えたピラーが、掌で青痣を擦る。

 今朝、あの商品しょうじょを捕まえる際に付けられたものである。しばらく時間が経っているために腫れ全体に青みが差していて、傍から見る分には痛々しいことこの上ない。

 が、



「さっきすっきりしたんでね、もう慣れたわ。また痛めば、その都度アレを殴れば気が晴れる」


「そうかヨ。……しかしネ、マジで殺すのァナシだからナ?」



「分かってるっての。お互いな、拷問の腕だってよく分かってんだろ?」


「……、まァ、そりゃァそうだが」



「んじゃほら、よろしく」



 言ってピラーが、空になった器をエイトに寄こす。それをエイトは、黙って受け取る。彼ら間の取り決めとして、食事の用意は料理から片付けまでを纏めて一単位の持ち回りとしていた。



「馬を休めたら、さっさと出ようか。今朝ごろにはもう、街に戻りたいところだな」


「あァ、ンじゃオレァ寝るからヨ」



 言い残して、エイトは篝火を立つ。ピラーがその背に、咀嚼音交じりの不明瞭なセリフを投げる。



「……、」



 確かめるほど重要なセリフではあるまい、と。

 エイトは背中越しに、片手を上げて馬車へと戻った。


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