2-3



 ――肉脂の溶ける匂いがした。


「――――。」


 玉ねぎの焦げた匂いと、ニンニクのほくほくとした匂いもある。

 ――鉄板の上で焼ける、濃い色をしたソースの匂いが、


 店先の扉の前にいる俺たちにさえ、あまりにも分厚く歓迎のファンファーレを響かせている!


「ステーーーーーーーーーーキだぁあーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」


 ああ、そうともッ!

 今晩の食事は、――素敵なステーキであるッ!









「お待ちしておりました、ストラトス様。いつもありがとうございます」


「いやいやこちらこそ。えっと、予約した通り今日はちょっと大所帯なんだけど……」


「申し付かっております。こちらへどうぞ」


 短いやり取りで以って、俺たち総勢十一人 (太っ腹なことにシンクタンク勢と幹部五人も招かれた!)はぞろぞろと店内へ踏み入れる。


「……、……」


 この店もまた、この街のオーガニックな雰囲気造りに倣っているらしい。

 まず目立つのは、大きなシルエットの観葉植物の群れである。対する店内の造りは線の細いイメージで、調度品一つよりも外の風景が視界で目立つ印象だ。


 ……しかし、中々に繁盛している様子である。お高い店らしい雰囲気はあるが、しかし活気はそれなりの分厚さだ。


 はてさて、十一人も飲み込めるだけのテーブルがあるだろうか、と俺が店を見まわしていると……、


「今日は個室の貸し切りなんでね。皆さん、こちらへ」


 と、レオリアが店の奥の階段を指した。


「……そりゃ、豪勢な」

「ええ、金持ち貴族の悪い所を見せて差し上げようと思いまして」


 奥、とは言ったが、しかし「奥まった」ような感覚ではない。


 店の入り口から見える最中央の「階段」。

 舞踏会かなんかのエントランスフロアで、ホスト役がドレスでも着て降りてきそうな感じの見た目のそこへ、俺たちは貴賓が如き歓待で以って迎えられる。


「(すごいねエイルさん、マジでここお高い店なんじゃないの?)」

「(ステーキの匂いがする。素敵……っ!)」

 

 ダメだこりゃ。

 まあ俺は俺で周囲の雰囲気に気圧されてダメはダメなんだけど、エイルは多分もっとダメだ。だっておめめがハートになってるんだもの。


 ……ちなみに向こうの桜田會幹部連中も、はっきりと面には出さないが何やらそわそわした様子である。

 そんなわけで、当たり前のように歩いていくユイやストラトス領勢に付いていくような格好で、その他庶民は戦々恐々と階段を上る。


「(うぉお、絨毯ふわっふわじゃねえか……っ!)」


 果てさて、

 ――その先、階上の光景とは。


「――――。」


 まさしく、期待感を煽るためにあるような両開きのドアが、俺たちを歓迎した。


 二階部分の床に敷き詰められたふわっふわの絨毯と、左右に等間隔で並ぶ調度品。

 その最中央にあるのが、「その扉」で、


 ――俺はその扉の向こうに、芳醇な「外気」の香りを感じ取る。


「では、こちらで御座います」

「どうもどうも」


 スタッフが、恭しくその戸を押し開ける。

 ……はたして、その先は、


「――――。」


 まず目に映るのが、視界一杯の空の景色であった。

 その下弦には文明の光があり、また近い距離で、夜の活気の気配を感じる。


 見回せば、明るい色の暖色照明の下には、ソファやテーブル、それに絨毯の上に直接置かれた人をダメにしそうなルックスのクッションなどが見える。


 なるほど、……ここはどうやら、個室と言うよりもホテルやペンションなどと言った方がしっくりくるようだ。

 手前の個室は概ね「私室のようにくつろげる体裁」を整えてあり、向かって奥にある一面のバルコニーにはバーベキューセットじみたテーブルが用意されている。


「そっちにあるビールサーバーとかリキュールの棚は、好きなように使っていいってことらしいんでね」


「棚、……だと?」


 言われて俺は、誰よりも早くその先へ向かう。


 部屋の最中央に行って、そして改めて周囲を見る。……遅ればせた連中が、俺に続いて部屋に入って……、



「うぉおおおおおお……ッ!!」



 通路壁面側に見えたのは、図書館じみたスケールの棚と、その中一杯にあるリキュールであった。

 それらが中央の扉を区切りに、左右に二つ鎮座している。


「す、すげえ! マジであのリキュールもスピリッツも全部いいの!?」

「ええ、もちろん」


 俺の脊髄反射の悲鳴に、控えていたスタッフがそう答えた。


「言ってくれたらバーテン役も用意してくれるんで、その辺は追々意見を纏めてみましょう」


「すげえよレオリア! アンタの領地は楽園だ!」


「……光栄は光栄だけど、君ちょっとキャラ違うくない?」


 なにせ、先ほどのアルコール棚はもちろんのこと、バーカウンターだその上の小洒落た調度品だシンクに併設のビールサーバーだと、この部屋はあまりにも完璧が過ぎる。


「えっと、まあ。……じゃあスタッフさん、予約したプランでよろしくです」


「かしこまりました。前菜アペタイザーはすぐに用意いたしますので、どうぞご自由にお酒をお楽しみください」


「最高だ! 最高だぁ!!」


「……あそこのハルくんは、お店に迷惑かけないようにキツく言っておくんで安心してね?」


「いえ、ご満足いただけたようで何よりでございます」


 一礼し、スタッフが静かに部屋を後にする。


「……えっとじゃあ、まあ皆さん。一杯目は私が注ぎますんで、ビールじゃ嫌だって方は先に言ってくださいね」


 と言って、レオリアがバーカウンターの奥へ行く。

 それから、慣れた様子でカウンター下の (恐らくは冷蔵庫の)方へ屈んで、グラスを十一人分取り出した。


「ちなみに、シェイカーだなんだは一通り用意してあるんで、それも使って構わないんでね」


 ――ビール嫌な人います? と彼女が聞き、

 どうやらいないらしいのを見て、やはり慣れた所作でビールサーバーにグラスを突き刺した。


「ハルさん?」

「はいはい!?」


「……テンション高い。まあいいや、ウェイター頼んでもいいですかね?」

「合点!」


 閑話休題。

 ……滞りなく、人数分グラスが行きわたったところで、


「じゃあ、まあ。エールの泡が消える前にさっさと前口上は済ませましょうか。――バスコ共和国の平和と、それをもたらしてくれたユイさんとハルくんに」


 ――乾杯、と。

 一人分の声が響き、


 残る十人分の声が、それに追随した。



「「「「「「「「「「乾杯ッ!!!」」」」」」」」」」










 ……………………

 ………………

 …………










 先ほど見たように、この部屋は室内と室外ラウンジの二つの領域で成る。

 その比率は凡そ一対一で、現在実に十一人を内包しつつも、狭さの類を一切感じさせない室内側と、殆ど同程度の敷地面積で以って広がるのが、その室外ラウンジだ。


 今は、その室内と室外を遮る境界線は明るい暖色照明の光だけであった。床に敷かれたシャフトを見る限り、窓か何かで隔てることも可能らしいが、今日は一面が解放された状態である。


 そんなわけで、俺たちは直接舞い込んでくる夏の夜風を、そのままの密度で頬に感じることが出来た。


 ……階下、街の風景では、夏の夜に茹だった酒飲み連中が歓喜の声をあげていて、そんなBGMが、俺たちの胃の腑をさらに急かす。


 先ほどスタッフが用意した前菜は、一皿に複数種類のマリネやピクルスを乗せた体裁のモノであった。その酸味が今まさに、室内十一人分の腹の中をかぁっと燃え上がらせてしばらく、


 貴金属よりも重厚な期待が喉をこみ上げるのを酒で飲み込み押し戻しつつ、そして俺たちは、


「――――っ!」


 遂に、「その皿」を迎えるに至る。



「お待たせしました、こちらが今宵のメインディッシュで御座います」

「――――!!!!(歓喜×11)」



 外気を押し戻すほどの、じゅぅじゅぅと唸りをあげる旨味の音がある。


 夜草や冷えた石畳の匂いが、ステージを明け渡す。――そこに立ち替わって、遂に「主役」が登壇をする。


 曰く、

 ――「プレミアム・ステーキ」と、


 それは、――そんな潔い名前の肉塊であった。


「……こちらは、およそ九〇〇度のオーブンで焼き上げましたTボーンステーキで御座います。皆様から向かってこちらがサーロイン、こちらがフィレになります」


 聞き流しながら俺は思う。

 、と。


「――――。」


 スタッフが持ち込んだ皿は二つ。それだけで、事前のアペタイザーの皿が、テーブルから溢れて落ちそうになるほどに、その肉は巨大デカかった。十一人が囲んで座れるほどのテーブルが、――マジで、一枚肉二皿でいっぱいになった。


「失礼いたしまして、肉をカットさせていただきます」


 スタッフの一言に皆が身を引く。それも仕方あるまい。――いいから早く切れ、と。いいから早くくれ、と。皆が口には出さずともそう強く望んでいた。


 ……スタッフが肉にナイフを差し込むと、


「――。」


 表面の焦げ付いた部分がザクザクと音を立てて、それから「するっ」と、――赤身が顔を覗かせた。


 俺は、香りが一段階強くなったような錯覚に陥る。それほどまでにあの赤身のロゼ色は、強い「共感覚」を催す魅惑の色をしていた。旨味を、風味を、肉汁が口内にあふれる感覚を、俺は脳裏に強く思い描く。思わず、手元のビールをぐびりと呷る。

 そして――、


「お待たせいたしました。どうぞごゆっくり、お召し上がりください」

「! っ!」


 その桁外れの断面の肉が、

 ――遂に解禁された!


「待って! 待ってくださいね皆さんね順番に取りましょうね!」


「知るかィ! 知ったこっちゃねえェんだヨ! さんざ待たせやがってこの野郎! 取ったァ! これがアタシんだい!」


「うぉお旨そう! うわあすっげえ! すげえ断面! エゲつねえ! これ貰い!」


「私も貰います! あ! ちょっと待ってそれ私取ろうと思ってたのに!」


「馬っ鹿エイルお前大富豪が弱ぇ奴はここ一番の勝負も弱いよなあ速いもん勝ちだ馬鹿野郎!」


「き、貴様――ッ! 一息に二度も私を馬鹿扱いしたな許せねえコレ食ったらリベンジだ馬鹿ハル野郎!」


「はっはっは受けて立ァつ!!」


 無論ながら、そこから先は血で血を洗う紛争状態である。いやはや醜い下賤の者どもが醜く争う姿は滑稽で、一足先に三切れ取った俺こと鹿住ハルは、そんな様子を眺めつつも、


 ――まずは一口。



「……うぅうおぉおおおおおおおッ!!」



 肉汁が、――迸った。


 黒コショウの香りがそれに乗って、ニンニクの旨味が何もかもを纏めて胃の腑に叩きこんだ。

 野性味溢れる血の味がして、それすらも旨いと思えた。噛み締めた果ての歯切れが、ばつん! と俺の脳髄を揺さぶって、噛み締め、噛んで、飲み込む間際に、脂の甘味が喉を撫でた。


 ……わあ旨い! 旨い! 旨い旨い旨いッ!!


「う、嘘だ……。プレステ (プレミアムステーキの略)二皿が一瞬で無くなった……」


 向こうで何やら、レオリアが戦慄の表情をしている。知ったことではない。俺は彼女に声をかけた。


「おい幹事、――あと二皿だ」

「……ち、畜生! みなさん! 私まだ一切れも取ってませんので! 次はちょっとみんな優しくしてね私に!」


 スタッフッ!! と彼女が叫ぶ。その内もがつがつと食器の擦れる音が響く。今ばかりはマナーだなんだと言っている時ではあるまい。肉はこうやって、噛み千切って噛み締めて食べるものであるのだから!










 /break..










 お肉おいしかった!


「ぷふぅ、満足ぅ……」


 と、……そんなわけで。

 晩餐は今まさに、小休止の手番である。


「……、……」


 向こうでは桜田會のエノン (※ソフトクリームでろでろの赤髪剃り込みチンピラ)がバーテン役をしていて、それにレオリアを含めた何人かが「客」として参加しているらしい。

 それからあっちではエイル主催の「打倒カズミハルチキチキ大富豪大会」が開かれていて、それ以外ではユイが――、


「あれちょっとォアリスさん飲み足りてなァい?」

「い、いえそんなことは! そんなことはないです!」


「飲み足りないから言ってンのォ!!? (アリスの顎を掴み上げてボトルを注ぎ込みながら)」

「あばばばばばばばば」


「か、カシラァ止めてくれッ! 俺が、俺が犠牲になるから妹には手を出さないでくれよぉ!」


「何いってんだい馬鹿野郎が。――どっちも犠牲になるんだヨォ!」

「あばばばばばばばば」


「(うーわー)」


 みたいな感じで、各々でこの酒の席に楽しみを見出していた。

 ……あとあれね、アルハラ駄目ゼッタイ。当光景に犯罪行為を助長する意図はないし、更に言えばあそこでやらかしてる連中はマジの反社会組織なんで俺はノータッチだから。お酒は用法用量守っていこうぜ!


 とまあ、

 ……そんな最中で、俺自身はと言うと、


「……、……」


 屋外ラウンジの方にハケて、一人、夜風に当たっているのであった。


 一応、あのエノンなるチンピラの作る酒も、或いはエイルの主催大会を荒らしてくるのにも興味は尽きないが、何よりもまずはひと心地。

 ……今日は珍しい気分で、夜風の肴にはカルーアミルクを選んでみたり。


 ――階下の景色は、


「……はは」


 未だ夜は浅く、活気は上昇気流を上げるほどである。楽しそうにしてる連中を見ると妙に喉が渇いて、俺はも一つ、グラスを煽った。


 いやはや、さてと、


「よっしゃやっぱり私の勝ちだ! 私は強い! だって剣聖なんだもん! おーコラハル! カズミハルはどこに行った!」

「……、はぁ」


 夜は確かに、まだ長そうだ、と。


 最後にもう一瞥分だけ階下の熱気を眺めてから、俺はイキり勇む身の程知らずことエイルに現実と言う物を教えてやるべく、


 明るい方へと、戻ることにした。



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